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2-6 がらくたなんかじゃない

 

 

 

 

 俺たちが逃げ込んだのは、『泉』と呼ばれる迷宮内の安全地帯である。

 内部に異獣を寄せ付けないという特性があり、ここに逃げ込みさえすればどのような窮地からであっても生存の望みが見い出せる。


 中心にはその名の通り泉が湧いており、この中継地点を築いた人々が残したと思われるいくらかの物資が備蓄してある。先行する冒険者たちの野営跡がそこかしこに見られた。


 本来は大部屋であったはずのそこは、現在カッサリオの放った衝撃波によって壁が全て破壊され、瓦礫だらけの廃墟じみた空間になってしまっている。


 といっても、異獣を寄せ付けない特性は機能しており、追跡してきた異獣の融合体は『泉』周辺のエリアを一定の距離を置きながらぐるぐると這い回っている。

 

『こういう迷宮の休憩地点はね、松明の騎士団とか探索者協会が大規模な儀式を行って、上層の領域を限定的に展開することで作られてるのがほとんどだよ。だからこういう中継拠点が増えれば増えるほど攻略が進んでるってこと』

 

 ということは、ここは実質的には上の階層だということなのだろう。第六階層の中で何かしらの呪術儀式を行うことで、第四階層の一部を無理矢理持ってきて安全地帯にしているらしい。


 しかしほとんど、という部分がすこし気になった。

 

『たまーにだけど、古代の記録ログが残ったままのケースがあるんだよ。空間の位相が過去にズレてて、旧文明の技術や遺産、超級のアーティファクトが手に入ったりするの。見つけられたらとってもラッキー』

 

 トリシューラの解説によれば、この場所は前者、つまり人工的に設営された安全地帯らしい。

 あの異獣たちが融合した巨大な肉塊はしばらく俺たちを追いかけてきたが、この『泉』の周辺には侵入できずにいた。今もなお広がってこちらを包囲している。


 状況としては先程とあまり変わりがない。むしろ追い詰められているようにも感じる。

 

「大規模な呪術の準備が行えますし、足手まといの人質を庇いながら戦う必要が無くなります。そう不利というわけではありませんよ」

 

 と、俺の思考を察したかのようなコルセスカ。

 見ると、なにやら床に文字や模様を描いている。例の指輪から取り出した血液を塗料にしているようだが、あの小さな氷の指輪にどれだけの血液が詰まっているのだろう。見た目通りの容積ではないことは間違いない。


 加えて、氷球から反射する光が立体映像を形作り、床の模様と組み合わさり複雑な多層構造を作り出している。

 あれが呪術の準備なのだろう。


 周到な準備があれば勝てる、というのなら、ひとまずは彼女を信用する他無い。

 が、俺は手持ち無沙汰だった。

 意外なことに、それはどうやらトリシューラも同じようである。


 同じ魔女であるからには、トリシューラも何か準備があったりしないのだろうか?

 

『言ったでしょう、シューラとセスカは専門分野が違うの。セスカは『邪視』の魔女だから誰かを視認するだけで呪術を発動させられるし、『呪文』も『使い魔』も『杖』も一通り修めてるからああやって儀式呪術なんかも行使できる。対して私は『杖』の魔女。この分野は基本的に呪具を事前に作って、戦闘時にはそれを運用することしかできないの。つまり手持ちの呪具が何にも無い、材料も無いこの状況じゃ役立たずってわけ』

 

 だから私を放って置いて、とデフォルメされたちびシューラが目に涙を浮かべながら拗ねている。

 横たわる猫耳の少年の傍で膝を抱えているトリシューラは、現実世界では涙こそ流していないが、どこか沈んで見えた。


 というか同じ魔女でもその能力にはけっこう差があるんだな、とか思ってしまった。失礼を承知で。

 

『本気で失礼だよ、もう! 言っておくけど、セスカが万能過ぎるだけなの! それに私だって『禁呪』が使えれば――』

 

 ちびシューラはそこまで言うと、何かを思い出したかのように口を噤んだ。

 まただ。

 あの異獣たちの融合を目にした時のような唐突な説明の放棄と沈黙。


 何度も繰り返し述べている前提だが、俺は感情を機械的に制御している。

 そのため苛立ちは一定値に達した段階で抑制される。俺は人並み以上に我慢強い。寛大だと言ってもいい。


 その俺をして、このトリシューラの態度は許容できる範囲を超えていた。

 こいつは、こいつらはいくら何でも秘密めかし過ぎている。

 思わせぶりも大概にしろ、背景や目的を隠して人をいいように利用できると思うなよ。


 コルセスカはまだ良いだろう。一応だが自分の目的を説明する意思を見せた。言葉がまだ足りないが、説明をしようという気はあるらしい。

 だがトリシューラ。お前はダメだ。

 

「おい顔上げろアンドロイド」

 

「な、何かな?」

 

「分からないこと、喋ると都合が悪いことは話さなくていい。出てくるのが誤情報なら無いほうがマシだからだ。それでも何かしら状況を整理して俺を納得させるための話くらいしてくれ。このままだとお前の信用が失われるより先に、お前への不信が限界に達しそうだ」

 

「それ、どう違うの?」

 

「信用が失われれば俺はそいつをクズだと認識して無視するが、不信が蓄積すれば敵だと認識して殺す」

 

「わあ、大変だ」

 

 力のない半笑い。

 亀裂の入った顔面が、かろうじて引きつった表情を作り出していた。

 

「あの、ちょっと私も混乱してて。予想してた状況と今が全然違ってて――なんか、不安で。でも、考えたらアキラくんはもっと不安だよね。そういうこと考えられなくて、その、ごめんなさい」

 

 静かに頭を下げるトリシューラは、しかられた子供のように余裕が無い。

 俺はこの相手への判断に迷った。

 こいつはどういうパーソナリティの持ち主なのだろう。


 俺の窮地を二度救った女だ。

 俺の窮地に都合良く現れ、そして対価を手に入れようとしている。

 打算的な合理主義者、あるいは狡猾な魔女。


 しかし自らの描いた絵図が崩れる事態に直面して、その脆弱さをあっけなく露呈させている。


 このロボ娘を星見の塔とやらがどんな目的で作ったのかは知らないが、叡智を結集した割にはえらいポンコツが出来上がったものである。

 と、そこまで思考を進めた時である。

 

「ポンコツって言うなぁっ」

 

 いきなり立ち上がったトリシューラが勢いよく俺に掴み掛かってきた。躱すこともできたが、危険性を感じなかったのでそのまま腕を掴まれるに任せる。


 想定していたより重量がある。当然だ、相手は機械部品の塊なのだから。

 押し倒された。

 

「私のことを、ガラクタとかポンコツとか呼んだ奴は、絶対に許さないって昔から決めてるの!」

 

 偶然にも、俺の思考はトリシューラの逆鱗に触れていた。

 『それ』こそがこのアンドロイドの核だと、俺は直感した。

 

「許さなかったら、どうする?」

 

「絶対に、撤回させてやるからっ! 私を『傑作だ』って認めるまで、何度だって」

 

 『何度だって』なんだというのだ。

 お前に何が出来る?

 視線と思考だけで俺は問いかけた。空間的な位置関係は俺が下だが、試しているのは俺だった。


 借りのある相手に上から目線で問いかけるなんて後にも先にもこの瞬間だけだろうな、とちょっとだけ思った。

 

「私は、何度だって自らの有用性を証明する。だから私にもう一度機会を頂戴。私の人格が信用できないっていうのならそれは構わない、自分の性能を証明して、それを信用してもらうだけ」

 

 トリシューラは、自分の目的だとか思惑だとかを一切話していないし、ここに至っても俺に選択の余地がない契約を持ちかけたことに対する弁明の類をまるでしない。だが、その態度と宣言を、俺は好ましいと感じていた。

 

「なら、やる事は一つだろう。こっちの主力がコルセスカなのは確かだが、俺やお前の立ち回りに関して打ち合わせるのは無駄じゃないはずだ。座り込んでないで、これからの事を話すぞ」

 

「ん、わかった」

 

 トリシューラは、意外に素直に頷いた。奇妙な構図だ。どう考えても立場が逆転している。助けられたのは俺で、窮地に陥っているのも俺。しかも全て自分で招いた困難だ。にもかかわらず、何故かトリシューラやコルセスカは俺の価値を高く見積もっている。それがこの状況を生んでいるわけだが、さて。


 では、俺の価値とは何か?

 結論から言えばそんなものは無い。無いが、二人はそれがあるものとして振る舞っている。


 その時点で、二人にとって俺は『価値ある存在』になってしまっているのだ。価値とは相対的な関係性の中で創出されるもの――換言すればでっち上げられるものだからだ。


 俺はその欺瞞が気にくわない。

 好き勝手に外部から価値を規定されるなら、ぎりぎりまで抗って嫌がらせをしてやろう。おとなしく他人に利用されるくらいならば、恩人に唾を吐きかけるくらいは平気でしてみせる。


 ――俺のパーソナリティを勘案すると、今の一幕はこのように意味付けできるだろう。

 トリシューラは俺の上から離れると、ぺたんと床に座り込んで頷いた。

 起き上がると、コルセスカが作業の手を止めてこちらをじっと見つめていた。

 

「どうした?」

 

「いえ。ただ、随分と楽しそうな顔をするなと思いまして。私が、見たことのない表情です」

 

 基本的にトリシューラはにこやかな表情を崩さない女だ。コルセスカが俺とトリシューラどちらに向けて言ったのかは定かでなかったし、確かめようとも思わなかった。


 どうでもいいことだからだ。

 

「おかしい。私の方が先手を打ったというのに」

 

「ふふん、久しぶりにセスカに勝った!」

 

 何故か落ち込んだコルセスカに対し、何故かトリシューラが勝ち誇った。

 理由も無く、無性に腹が立ったので、抑制されるより先に怒りを発散する。

 

「許可もなく人をトロフィーにして競争のダシにしてんじゃねえ不快だ殴るぞ」

 

「いったーい! 殴ってる、もう殴ってるよ! 何で私だけ?! あっ、私の方が弱そうだからだ! 自分より弱いと見たら女に手を挙げる最低のクズがここにいるよ! セスカ、お姉ちゃんいじめられてるよ、助けてー」

 

「出会って数時間だというのにそんなに親密なじゃれ合いを――」

 

 コルセスカは俺とトリシューラのやりとりに対して不可解そうな視線を向けている。大きな右目もこころなしか眇められているような気がする。

 

「何故だろうな、トリシューラには全く遠慮や気遣いをする気が起きない」

 

「え、なにそれ告白? ごめんなさい、いきなりそんなこと言われても私ちょっと。お友達からということなら構わないけど。今度ご飯おごってくれるの? 服も買ってくれるって? ほんと? 嬉しい!」

 

「ああ、理由が今わかった。お前がアホ過ぎるからだ」

 

「なにそれ! ひっどーい!」

 

 ひどいのはお前の距離感とパーソナルスペースの意識だ。

 実体と連動してちびシューラまでもがコミカルに怒りを表現している。湯気が吹き上がるグラフィックが異様に滑らかだった。


 などと、馬鹿なやりとりを挟みつつも。

 俺たちは本題に入った。


 トリシューラが、俺の非難を受けてというわけでもないだろうが、自分の考えていた事を一つずつ話し出したのである。全てを話しているかどうかは相変わらず不明ではあるのだが。


 それを言っても仕方がない。

 

「私は、セスカの裏をかいてアキラくんを使い魔にしようって思ってた。セスカが地上の組織を利用してアキラくん獲得に動いて、他の勢力もアキラくんを狙い始めたから、これはセスカが全部仕組んだことなんだ、私も手を打たないとアキラくんをとられちゃうって思ったの。私だってアキラくんに目を付けてたのに」

 

 それは、俺が追い詰められる状況をコルセスカが作り上げ、そこから救い出すことで恩を売り利用するという、マッチポンプ構造を想定したものだった。

 トリシューラはそこに割り込んで、先手を打ったコルセスカから俺を掠め取ろうと画策した。

 

「覚えの無いことです。私は言語魔術師として依頼を受け、その過程で彼に興味を抱き、仲間にしたいと思っただけ――と言っても、競争相手である貴方は信用できないでしょうけれど」

 

「うん、確かに私達は敵とは言わないまでも競争相手だよね。でも、もっと警戒しなきゃ駄目な相手がいたのを完全に忘れてた。私達にとっての共通の競争相手で、絶対に相容れない『敵』」

 

 トリシューラは、『敵』という言葉を口にする時、強い不快感を滲ませた。

 敵とは言わないまでも競争相手だというコルセスカに対しては、対抗心のようなものを見せることはあっても、嫌悪や憎悪の類は無いように思えた。

 だが、その相手に対して、トリシューラは激しい感情を向けている。

 

「――使い魔の魔女、トライデント」

 

 コルセスカが、その名を呟く。

 トリシューラ同様、強い敵意と怒りを内包した声だった。

 

「あの青い血液による異質な生命同士の融合現象。あれは間違いなくトライデントの禁戒呪法『融血呪』です。つまり、私達は今、トライデントの攻撃を受けていると見てまず間違いありません」

 

「ってことは私達、いがみ合ってる場合じゃないよね」

 

「そういうことになります。場合によっては、私達も禁戒を破らざるを得ない」

 

「さっきから聞いてると、そのトライデント? とか言う奴がこっちを狙っているみたいだが、そいつは何者で、目的は何だ? お前らとの関係は?」

 

 俺が発した当然の疑問に、答えたのはトリシューラだった。

 

「トライデントは私達の競争相手。私とセスカも競争相手だけど、私達が状況次第でそれなりに協調できるのに対して、トライデントとは絶対に、どんな状況でも敵対しかあり得ない。だから私達はトライデントに対抗する時は力を合わせて戦うって決めてるの。それは、トライデントの目的があまりにも受け入れがたいから」

 

「加えて言えば、トライデントは『使い魔』の魔女です。自らは姿を現すことなく、使役する組織構成体を送り込んでくる厄介な相手。その使い魔の数は無尽蔵で、とても単独では抗えません」

 

 だからこそ、あなたという戦力を欲していたのですが、とコルセスカが補足する。競争相手の一人が数や物量の点で突出しているのなら、その他の競争相手と共闘するのは確かに理に適っている。

 

「全員が『星見の塔』とかいう組織に所属している呪術師なんだよな? なのに競争相手なのか?」

 

「同じ組織に属しているからこそ競争するの。私達は『星見の塔』の『最後の魔女』のポストを賭けて争っているんだ。その席はたった一つきりで、四人いる候補者のうち一人しかそこには座れない。私達はその『場所』を獲得するために互いを押しのけて、それぞれの目的を達成して『塔』のお姉様たちに認めてもらわないといけないの」

 

 組織内でのポスト争い。それぞれ異なる目的が設定されていて、目的の達成度、もしくは達成の順番次第でそのポストが得られるということか。つまり目的の内容によっては、協力し合える相手もいれば敵対せざるを得ない相手もいるということだ。


 それにしても、『場所』を巡る争いとは。

 この世界に居場所を持っていないと、そう指摘されたばかりだから、それなりに思うところはある。


 たとえ組織という居場所があっても、その中で更なる居場所の競い合い、奪い合いが存在する。その事実は、なんというか俺の行き先に暗雲が立ちこめている事を示しているかのようで不吉な気がした。生きる限り、居場所を求め続けるのなら、それは居場所が無いのと同じではないのか。ならば、居場所とは何だ?


 まとまらない思考がストレスを生みそうになって、俺はこの考えを放置することに決めた。それよりも現状だ。


 大雑把に要約すると、どうやら面倒なことに内輪の争いに巻き込まれたということらしい。が、この二人と未だ見ぬトライデントとの間には決定的な差が一つある。それは、こちらに対して敵対的か否かだ。

 

「大まかな状況はわかった。お前らはその競争相手に嵌められて、揃って攻撃を受けている、と。ついでに俺の立ち位置もそれなりに見定められた。状況次第で協調できるのは俺も同じだ。お前らが俺に敵対しないことを条件に、俺の力を『貸してやる』。さあ『力を貸して欲しい』と言え」

 

 俺は、自分もまた窮地に立たされているという現実を意図的に無視して言った。

 反応は案の定であった。

 

「――アキラくんが、調子に乗り始めた」

 

「こちらが苦境にあると理解した途端――やられていたことをやり返している気分なのでしょうか」

 

「上から目線で手を差し伸べられるのって実際やられるとヤな感じするよね。自分でやる分には平気なのに、ふしぎ!」

 

「トリシューラ、そういう事を歯に衣着せずに言ってしまうから貴方は殴られたりするのでは」

 

 屑な気分を味わうのは中々興味深かったのだが、そこで限界が来た。ぐらりと視界が傾いで、身体が完全に横倒しになる。吐き出す吐息は熱い。意識が朦朧とし始める。

 

「――ひどい熱、どうしてこんなになるまで」

 

 近寄ってきたコルセスカが俺の額に手を当てて呟く。手袋越しの接触は、ひんやりとして気持ちが良かった。立ち上がったトリシューラはこちらを見下ろしながら何故か得意げである。

 

「やーっと限界が来たみたいだね。そのやせ我慢、いつまで続くんだろうって思ってたよ」

 

「トリシューラ、彼の治療を」

 

「えー、どうしよっかなー。なんか私、都合良く使われてない? アキラくんが困った時だけ呼び出されて、用が済んだら感謝もされずにポイってされちゃうんだー。悲しいなー」

 

『治して欲しかったら助けて下さいご主人様って言ってご覧? 偉大なウィッチドクター様に感謝感激しながら跪いてもいいんだよ?』

 

 揃ってふんぞり返り、傲然と言い放つトリシューラ(現実)とちびシューラ(仮想)の図。

 二重にむかつくが、一理ある。


 というか直前にとった俺の行動が最悪だったので、別段理不尽な対応でもない。因果応報だ。というか何だこのクズ行動合戦。新しい遊びか。


 しかし悪いとは思うが、後悔はしていない。よって、俺はトリシューラの希望には沿えない。

 

「悪いがお前の治療はいらない。これ以上借金が嵩むのも勘弁願いたいしな」

 

「アキラ、このままだと本当に死んでしまいますよ。治療費でしたら私が出します、お願いですから今は折れて下さい」

 

 真剣な口調で正論を並べるコルセスカには申し訳無いが、俺はもう決めている。

 ごろりと転がって、反対側に立つ相手を向くと、こう言った。

 

「俺が頼みたいのはトリシューラじゃなくて、お前の治療だよ、ロウ・カーイン。できるんだろう? 何しろ技をかけた本人だ」

 

 声をかけた先に、長身の男の立ち姿があった。

 ロウ・カーイン。

 悪鬼たちが雇った用心棒であるこの男は、しかし当の悪鬼たちがあの奇妙な青い血液に飲み込まれ、巨大な異獣の一部となってしまったことでその立ち位置を見失った感がある。


 あの巨大異獣のそこかしこからは悪鬼たちもその肉体を覗かせていたが、彼らはカーインもまた敵として認識しており、その触手をかつての仲間に伸ばそうとしていた。


 自然、逃走経路が俺たちと同じになり『泉』の前に来たのだが、ここでカーインの足が止まる。


 先程まで悪鬼、つまり異獣たちの仲間であったカーインは『下』勢力であると『世界槍』に認識されている。恐らく審判のヲルヲーラの裁定だろうが、その為『上』の拠点である『泉』に侵入することができなかったのだ。

 もはや逃げ場は無く、このままでは巨大異獣に潰されて死ぬという所で、俺はある取引を持ちかけた。


 一時的にこちらの仲間になる代わりに、人質の少年から手を引き、この場では共闘すること。

 迷いは一瞬だった。果断にも雇い主を裏切る決断を下したカーインは暫定的にコルセスカの仲間として探索者パーティに加入したのだった。


 現在、俺、トリシューラ、カーイン、猫耳の少年はまとめてコルセスカの仲間という扱いでこの場所に受け入れられている。

 暫定的な処置だが、これによって俺たちは『探索者』になったのだ。

 

「私は君の敵だ。この場を脱するまでは手出しは控えるが、だからといってあえて君に利する行動をすると思うのかね」

 

 特に表情を動かすことなく問うてくる。当然の応対であるかのような態度だが、間違っている。そうではない。この男はもっと、体面を過剰なまでに気にする見栄っ張りのはずだ。

 

「このまま俺が斃れたとして、それでお前は勝ったという感触を得られるのか? 堂々たる立ち会い、技と技の競い合い、手の読み合いとその果ての命の駆け引き、それがお前のやりたい勝負なんじゃないのか。お前の誇りはそれを許すのか?」

 

 俺の価値観から言えば、どのような手段であれ相手を殺してしまえば勝ちだ。そもそもこの状態は奴の技が決まった結果なのだから、それで俺が死んだとしても奴に恥じるべき所は一切無い。


 だというのに、俺の空虚な屁理屈を真に受けているロウ・カーインは恐らく根っこの部分が生真面目な武人タイプなのだろう。ちょろい。

 

「私の誇りか――侠客としての魂まで悪鬼に売ったつもりは無かったが、意思無き牙として生き続けるうちに、最初の意思まですり切れていたのかもしれん」

 

 案の定、真面目に自己を省みていた。少々共感を覚えないでもないバックボーンがありそうだったが、深く掘り下げると今後この男を殺しにくくなりそうだったので、ちょっと趣向をかえて突いてみる。

 

「それとも、『六淫操手』とかいう二つ名は虚名だったのかな。唾を油まみれにするのが関の山の大道芸か。全く、お里が知れる」

 

「何を言うか! 奉竜山の秘拳は万病を与え、また万病を癒す陰陽相成の絶技。その程度の流感を治すことなど赤子の手を捻るが如し! よかろう、このまま引き下がっては武門の名折れ。流派の誇りにかけて、我が気の全てを受け取るがいい!」

 

 こちらのほうが効果が絶大だった。カーインが素早く俺の額、喉、両肩、胸、鳩尾と身体の各所を突いていくと、そこからすさまじい熱が溢れ出し、全身に広がっていくのが感じられた。全身の倦怠感が消えていく。活力が満ちあふれ、むしろ以前より肉体が強壮さを増したような感覚すらあった。

 

「経絡秘孔を突き、任脈に気を充溢させた。一時的に肉体の活力が平常時の三倍にまで高まっているはずだ。見たかシナモリ・アキラ! これが『六淫操手』が虚名ではないという確たる証拠!」

 

「ああ、確かにそのようだな。試すような真似をして悪かった。たしかにこの技は一流だ」

 

 立ち上がって身体の動きを確かめる。戦いに臨む前としてはベストなコンディションだった。むしろ前よりもずっといい動きで戦えそうだ。

 

「ふ、素直なものだな。それとも現金というべきか」

 

「どちらでもいい。この借りはこの場から脱するために力を貸すことでチャラにさせてもらうぞ」

 

「まあ、それが妥当なところだろうな。決着はまた日を改めることにしようか」

 

 自然に向かい合い、架空の火花を散らす。

 その背後で、二人の魔女がどこか冷めた会話を交わしていた。

 

「あっれー? 歪んでしまった私とアキラくんの上下関係を正常に戻そうとしただけなのに、何でアキラくんは男の人とイチャイチャしてるの? おかしくない?」

 

「最初に食事をした時から感じていましたが、こちらからイニシアチブを取ろうとすると逃げるタイプですね、彼は。かといって自分から攻めていくわけでもないという」

 

「めんどくさーい。女子二人がちやほやしてるのにめんどくさい――はっ、もしやアキラくんはホモセクシャル?!」

 

「バイセクシャルかアセクシャルの可能性もありますし、そもそもヘテロセクシャルだったとして私達が射程外なのかもしれないでしょう」

 

「え、まさかアキラくん、小さい子が」

 

「あるいは、年配の」

 

「お、ま、え、ら、聞こえてるからなっ」

 

 振り返って睨むが、素知らぬ顔の二人。トリシューラにきつく言い返す。

 

「俺は別に単性愛者でも幼児性愛者でもないし、仮にそうだったとしても個人の性的指向や性的嗜好に関して他人に文句を付けられる筋合いはない。成人するまで待つくらいの理性は存在している。人を幼い子供を虐待する屑のように言うのはよせトリシューラ。そして謝罪しろ」

 

「なんで私だけっ?!」

 

 全く、失礼な機械である。喚くトリシューラの横で、コルセスカとカーインが揃って『うん?』と首を傾げているが、どうしたのだろうか。


 なおも不平を申し立てるトリシューラの額を、右手の人差し指で弾いてやる。大げさな声を上げて仰け反り、続いて怒号。下らない言い争いを始めた俺とトリシューラに突き刺さる呆れの視線。


 とりあえず、トリシューラの意図している上下関係には絶対に組み込まれてやらないと決意した。あれを『ご主人様』だの『お嬢様』だのと呼ぶくらいなら、俺は自分の口を針で縫う。

 

 

 

 深く息を吸い、密やかな音と共に吐き出していく。


 広がる吐息すら風の音として聞こえるほどに聴覚を鋭敏に冴え渡らせて、ただ耳を澄ますことに専心する。耳奧で処理されていくのは無数の情報だ。大気の巨大な運動。泉を波立たせる水の流れ。自分自身の呼気。ちいさな寝息。どこか体温を感じない吐息。完全に制御された気息。約一名、身じろぎの音は聞こえるが呼吸音が一切聞こえない。これは呼吸を必要としていないということだろう。その代わり、よくよく注意すれば微かな機械の音が鳴っているのが聞こえた。電源の駆動音か何かだろうか。


 そして、無数の生命が犇めき、混ざり合っているかのような脈動音。異獣の融合体、その膨大な数の呼吸と拍動を、研ぎ澄ませた感覚で一つ一つ精査していく。


 最も大きな音は河を水が流れていくような、巨大なうねり。それをノイズとして意識から排除すると、その内側に個々の音が無数に存在していることが把握できた。それぞれの音のパターンを捉え、個別にタグを付ける。特徴ごとにグループ分けされていく音のパターンから、共通する点が多いものから排除していく。最後に残ったひとつ、最も特徴的な音を捉え、発生源までの距離を測定する。

 

「――本体の位置を特定した。トリシューラ、そっちはどうだ」

 

「いつでもいけるよ! じゃあ、二人とも、作戦開始するけど、準備はいい?」

 

「儀式の用意は既に出来ています」

 

「いつでも構わん」

 

 トリシューラが猫耳の少年を抱きかかえ、コルセスカが床に膝を着いて、俺とカーインがその両脇に立つ。

 一瞬の静寂。

 張り詰めた糸を断ち切るように、コルセスカの号令が辺りに響き渡った。

 

「始めます――凍れ」

 

 コルセスカが命じると共に、背後の泉、その大量の水が完全に氷結する。巨大な氷塊は不可視の力によって浮遊すると、見えない手によって投擲されたかの如く勢いよく飛んでいく。弧を描き、俺たちの頭上を飛び越え、天井ぎりぎりまで近付きながら、途方もない大質量が巨大異獣に激突する。

 奇怪な絶叫。複数の苦痛に喘ぐ声は、まるで他人の痛みまで肩代わりしてしまったかのようだった。


 氷塊の外側部分が砕け、破片が次々と融合体の各部に突き刺さっていく。青い血が飛び散って、滑らかな皮膚が引き裂かれる。それでも氷塊はその大きさを保ったまま、融合体にめり込んでいく。途方もない重量を支えきれず、巨体の一部が陥没し、押しつぶされた。


 先制攻撃の成功を見ながら、俺は先程の作戦会議の内容を思い出していた。

 

『使い魔の呪術っていうのは、自分以外の存在に働きかける運動の延長線上にあるものなの。言うなれば『関係性の拡張』というところかな』

 

 背後で爆音。トリシューラが起爆の呪符を発動させ、背後の泉を破壊したのだ。底に設置された『泉』の機能を維持する装置が壊れ、融合体の侵入を妨げていた隔たりが消えて無くなる。


 融合体はその全身を見れば巨大な蛇、あるいは長虫のようなフォルムだ。頭と尾に相当する部分が蠢き、包囲の中心へと殺到する。狙いは当然、俺たちである。

 

『呪術というのは人類のごく普遍的な行いを、類推によって拡張する技術なの。だからあの『融血呪』には普通の『関係性』のロジックを敷衍して当て嵌めることができる』

 

 青い巨体のそこかしこから生えているのは、本来別々であるはずの生命である。半ば以上肉体を埋もれさせている複合種や悪鬼たちが再び息を吹き返してその腕を振り上げている。

 

『超常的な力で一体化しているけれど、基本的にはあの融合体は組織や集団だと思っていい。ただ、個人を塗りつぶしてしまうほど強固な意志や理念によって、ひとまとまりに結束しているだけ』

 

 鋭利な爪や武器が一斉に五人に襲いかかる。反撃も回避もできない、それは圧倒的な数の暴力だった。

 

『当然、個々の組織構成体の中には強い個体、弱い個体が存在します』

 

 トリシューラの頭部がかち割られる。猫耳の少年が取り落とされて床に叩きつけられ、全身に亀裂を走らせる。殺到する暴力がそれを押しつぶすと、続いてコルセスカが滅多打ちにされて砕け散る。

 

『組織の形態にもよるけれど、単純で効率的な動きを追求していけば、必然的に複数の弱い個体に指示を下している強いリーダーが生まれるはずだよ』

 

 カーインが横から殴りつけられ、半ばから折り砕かれていく。下半身が吹っ飛び、俺にぶつかる。その衝撃で俺は横転してしまう。

 

『それを見つけ出して叩けば、あの巨大な融合体は組織としての体裁を保てなくなり、瓦解します』

 

 音を立てて砕け散っていく。その光景に、ようやく違和感を覚えたのか融合体が停止する。

 砕け散った無数の欠片。氷が光を反射して煌めく。

 

『次のリーダーが選出される可能性があるけど、その時あいつらは弱体化するはず。何故って、今リーダーを務めているのは十中八九あの中で最も強力な個体だったカッサリオだと推測できるから』

 

 自分たちが精巧に似せられた氷像を攻撃していたことに気付き、融合体の動きに乱れが生じる。個々が勝手な行動を取り始め、大きすぎる総体が混乱を来す。

 

『つまり、カッサリオを見つけて仕留めればいい、そういうことだな』

 

 致命的な隙。

 圧倒的な優位を覆すに足る、決定的な瞬間を狙って、巨体を押しつぶしていた氷塊が砕け散る。


 内側に隠れていた俺たちは、打ち合わせた通りに一斉に動き出した。

 光を乱反射させ、内部の様子を窺わせない構造。コルセスカが住まう氷の家にも似た氷塊の内部は意外にも快適な乗り心地だった。外壁が耐衝撃構造にでもなっているのか、激突の衝撃は極めて小さかった。そのおかげで、即座に行動に移ることが出来る。


 まずトリシューラが少年を抱えて包囲の外側に逃れた。それに気付いた一部の構成体、複合種たちが攻撃を仕掛けるが、予想していた俺とカーインが打撃によって妨害。二人の非戦闘員が安全な場所に逃れていく。


 一方、混乱した終端部分の付近で、今までコルセスカの準備を偽装し続けてきた装置がその様相を変える。

 常にコルセスカに付き従う氷の球体。現在は氷像に立体映像を重ねて彩色、リアリティを付与していたそれが、異なる映像を投影する。


 三次元映像が床に描かれた紋様と隣接し、一つの複雑な構造体として完成する。

 内部を青、緑、黄の三色の光が循環し、まるで何かの回路のような有様だった。


 それが罠だと気付いた時には既に遅い。獲物である融合体はコルセスカの手の平の上にいる。

 慌てふためき、のたうつ巨体に、冷ややかな宣言が投げつけられた。

 

「無駄です。【シャルマキヒュの凍視】は受動型呪術。行動を終えた貴方たちに、回避の権利はありません」

 

 立体映像を中心に、色の付いた風が吹き荒れる。青い水流が迸り、緑に輝く風が渦を巻き、不定形の黄金が空間に満ちていく。それは色鮮やかな吹雪だった。巨体の内側にまで浸透したエネルギーが、特定の構成体を選択的に凍結させていく。


 その過半数を占める複合種、もっとも厄介なグループが悉く凍り付き、無力化されたのだ。

 

「コスト三つ分の儀式呪術。古き神シャルマキヒュの視線からは、何人たりとも逃れられないと知りなさい」

 

 異形の右眼が妖しい輝きを放ち、その手元に宙を滑るように氷球が戻ってくる。

 不動の完璧さで、コルセスカは異獣を圧倒していた。


 大きな戦果を上げる魔女を遠目に見ながら、俺は包囲の外側で融合体に対峙していた。トリシューラたちの護衛の為に背後へカーインが走っていくのを確認し、俺は前方に集中する。


 本体、すなわちカッサリオの位置は既に特定している。

 そもそも、あれほどの巨体だというのに、融合体の表面にはそれとわかるようにカッサリオの姿が現れていない。そうやって隠されている時点でもう弱点であると宣言しているようなものだ。


 しかし俺の耳、音響処理アプリ『Doppler』はその位置を正確に捉えている。他の生物とは明確に異なるタイムスケール。巨体故に生じる、他と異なる拍動のリズム。


 融合体のある一点に向けて疾走する。

 横合いから襲い来る攻撃を回避して、その位置に辿り着く。一見してそこには何も無い。ただのっぺりとした青い皮膚が広がっているだけだ。だが、肉体の各所から様々な生物の半身が突き出しているこの融合体に、何も無い場所があるというのが既に奇妙なのだ。


 この奧に『いる』ことを確信した俺は、深く息を吸い込み、即席で取り付けた左腕を引き、右半身を前に出して構えをとった。

 結局、最後にものを言うのは小手先の技術や付け焼き刃の武器などではない。サイバーカラテだ。


 振り下ろす為の武器が無くとも、殴りつける為の左手はある。

 俺は別に達人だなんだと持ち上げられるほどの実力は持ち合わせていない。


 俺がこの世界の住人相手に戦えるのは単に『サイバーカラテ道場』が優れているというだけであり、元世界の技術水準の問題である。


 そのサイバーカラテ道場の習熟度、というか世界ランキングにおいても俺は上から数えて百位に入るか入らないかという程度の腕前だ。同じ枠の中で見ても俺以上のサイバーカラテ使いは数多い。もちろん、サイバーカラテ使いに限定しなければより高いレベルの戦闘能力を有する者はごまんといる。

 死ぬ直前のランキングはいくつだったかな、と確認してみると、丁度七十一位だった。こんなものだ。


 だがどのような相手であれ、生きているのなら大質量を高速でぶつければ死ぬ。生命維持に必要な弱所を正確に突けば更に簡単に死ぬ。

 その理念の前に、技術の高低など関係はない。


 殴り殺す。ただそれのみ。

 打撃は回転運動である。音もなく、しかし重く床を踏みしめると同時に左半身を前へ進ませる。『サイバーカラテ道場』が表示する仮想人体、その各所に赤い光が点灯していく。「GOOD!」の文字が輝き、膝、大腿部、腰から左肩、肘へと移動。「発勁用意」の文字が輝きを放ち、太く巨大な左義肢の先端に、右足から伝達された力が最適な効率で収束、融合体と接する一点で炸裂する。


「DOSUKOI!」


 カーインが俺の肉体に充溢させた『気』とやらの効果も関係しているのか、その一撃は想定を超えた威力を発揮した。

 踏みしめた床に亀裂。反作用で深く陥没していく。


 それと同等の破壊が、融合体に炸裂していた。

 表皮が歪み、肉が引き裂かれ、青い血を撒き散らしながら鋼鉄の義肢が巨体を蹂躙していく。右の指が架空の鍵盤を叩くと、左義肢のアームが広がって体内を蹂躙していく。


 抉り出す。かき回す。傷を広げる。

 青い肉を掻き分けて、その内側に決定的な存在を見つけ出す。

 王獣カッサリオ、融合体の本体を。


 隠れ続けることの無意味さを悟ったカッサリオは咆哮と共にその巨体をさらけ出す。独角を振り上げて反撃に移ろうとするが、それは予想済みだった。


 深く身を沈めて、角の根本に左拳をぶつける。衝撃波の準備はまだできていない。カッサリオは衝撃波を放つ直前、かすかに角を振るわせる。初動のかすかな音を記録した『Doppler』が『サイバーカラテ道場』と連携。『聴勁』によって角から左義肢に伝わる振動パターンを正確に測定。


 右手が凄まじい速度で空中打鍵、操作に従って左の義肢が角の振動数と全く同じ振動を発生させる。

 『聴勁』による共振。


 カッサリオの長大な角が、軋むような音を立て、砕け散る。

 が、王獣カッサリオは最大の武器が破壊されるという窮地にあっても、そこで終わることを良しとしなかった。


 イッカクの角は、実際には切歯、すなわち前歯である。片方だけがアシンメトリーに伸びていることがその最たる特徴ではあるが、まれに二本角のイッカクも存在する。


 何らかの呪術的作用によってか、それとも窮地に追いやられた肉体が新たな変異をもたらしたのか、カッサリオの短い方の牙が急激に伸張する。

 非現実的な光景。しかしここは呪術の世界だ。何が起こっても不思議ではない。


 新たな武器を得たカッサリオが逆襲せんと俺に角を向けようとする。

 この展開は、流石に予想の範囲外だ。

 そこで俺は、手の平を返した。


 文字通り、通常モードの左手を反転させ、空間断層を生み出す戦闘モードに切り替えたのである。

 小手先の技術を遠慮無く使い倒し、付け焼き刃を惜しみなく実戦投入する。


 それもまたサイバーカラテの極意である。

 振り下ろされようとする角から逃れるように下へ沈み込み、カッサリオの顎へ打ち上げる一撃。

 カートリッジが排出される。


 叩きつけられた左の義肢が、斧を介さずに直接空間の断層を生み出していく。

 一点に集中された破壊力が異獣の巨体に亀裂を走らせる。が、足りない。

 その巨大すぎる肉体に決定的な破壊をもたらすには、もっと大量の火力が必要だ。


 ゆえに俺はもう一度左腕の機能を作動させる。過剰な負荷に、ちびシューラが無数の警告を表示。無視して追加の空間断層を発現させる。

 排出されるカートリッジ。義肢が赤熱し、先端から融解していく。

 

『アキラくん、このままだと壊れちゃうよ!』

 

 構わない、もっとだ。

 限界までぶち込んでやれ。

 

『どうなっても知らないからねっ』

 

 再度の発動。義肢の先端が閃光を放つと共に眼前の光景が歪み、巨体が震える。

 空間が引き裂かれていく。


 破壊はカッサリオの半身だけではなく、周囲の融合体にまで及んでいく。視界に収まりきらないほどの大きさになっていた異獣の肉体に無数の亀裂が走り、濁った体液を吐き出しながらぐずぐずと崩れ始めている。


 破壊の断層が体内を引き裂いて、左の義肢が破損しながらも巨体の中に侵入していく。と、義肢の先端が何かに触れたのを感知する。直感に従い、辛うじて残った二本の指でその何かを掴んだ。


 それは斧だった。

 俺がこの巨獣にとどめを刺すために投げ放ち、仕留め損なったまま体内に残されていた、この義肢にとっての本当の武器だ。


 義肢から柄、柄から刃にエネルギーが伝達され、本来一つの義肢だった二つが共振していく。完全な出力を取り戻した戦闘用義肢が唸りを上げ、巨獣の体内で荒れ狂う。


 腹の底から絞り出すように吠えながら斧を振り切る。赤熱した義肢と刃が内側から外側に抜けた。空間の断層が刃となって内臓、筋骨、脂肪、皮膚をまとめて両断。血飛沫が上がった。


 左義肢の決定的な損壊と同時に、融合体は絶叫を上げ、全身を痙攣させると、最後に大きく跳ね上がり、そのまま力を失っていった。

 

「やった、か」

 

 息を吐いて、動きを止めた融合体を見る。命が失われた存在。この生物は完全に死んでいる。氷塊に潰された跡を通って、コルセスカがこちらへ近付いてきた。

 

「お疲れ様です」

 

「ああ、そっちもな」

 

 コルセスカの呪術によって融合体がかなり大きなダメージを受けており、そのほとんどの動きを封じられていなかったら、こうも簡単に勝利を得ることはできなかっただろう。


 トリシューラの義肢が無ければ、それにカーインが心身を万全の状態にしてくれていなければ。止めを刺したものの、実質的に俺は大した事をやっていない。つまり、俺に大した価値などないのだが。

 

「やはり、私は貴方がいい。改めて言いますが、アキラ――」

 

 この相手は何故か俺に対する評価を改めるどころか上方修正しているようなのだった。一体どうやって断るべきか、と考えたところで、断る理由をわざわざ探している自分のおかしさに気付く。


 迷い、思考を巡らせたその時。

 トリシューラからの悲鳴のような連絡。ちびシューラが絶叫する。

 

『アキラくん、助けてっ』

 

 振り返り、即座にトリシューラが駆けていった方へと走り出す。

 背後からコルセスカの困惑した声が届くが、返事をする余裕が無い。状況を察して追いかけてきてくれることを願う。


 床に叩きつけられ、力なく倒れ伏すトリシューラが見える。既にぼろぼろだった衣服は完全に引き裂かれ、内側に隠されていた金属質の膚までもが深く損傷していた。


 肩から腹部にかけて、深々とした傷。大量の鮮血が流れ、床を染め上げていく。

 致命傷ではないと信じたいが、しかし無事とは言い難いようだった。

 

『ごめん、アキラくん、ごめんね。ちゃんと守れなかった。これじゃあシューラ、本当に、』

 

 やめろ。

 それ以上は言葉にしなくていい。

 自分の怪我よりも、自らに課した誓約と他者の安否を口にするちびシューラに、俺は何かを言おうとは思わなかった。


 どうでもいい。俺は目の前の状況に対応するだけだ。

 だから、あとは俺がなんとかする。

 

『うん――ありがとう』

 

 小さく頭を下げたちびシューラが、その心境を反映したものか、そのまま姿を消失させる。

 状況的に意識を失ったのではないかと心配になるが、直後に『ちゃんといるよ』の表示が出たので脱力と共に安心する。


 猫耳の少年が、無数の触手に捕らわれていた。

 トリシューラの腕から奪われた小柄な体躯が、青黒い触手の群れに拘束され、宙に浮いている。


 かつて渡したマントがはだけ、隙間から覗く細い四肢がきつく縛られて鬱血している。肉付きの薄い手足は縛られても深く食い込むことは無く、骨が軋んでいく音が痛ましい。ただでさえ色の薄い膚は圧迫されて色が変わってしまい、肉体に内傷が刻まれる危険があった。


 触手の主は、青黒い肉体を持つ不定形の肉塊だ。先程俺たちが倒したものよりは小さいが、あくまで比較の問題であって、体高は見上げるほどである。


 間違いなく、先程倒した個体と共通する特徴を持っている。融合体だ。

 至る所から突き出した手足と半身。黒々としたその肌色と皺の多い顔は、悪鬼のものだ。


 生きていた個体は全てカッサリオや複合種と融合していたと思っていたが、伏兵が隠れていたのか?

 違う。それらの首や顔に残る損傷に、見覚えがある。


 全て、俺が与えた致命傷だからだ。

 生きている個体はカッサリオと融合したが、死んだ個体は放置されたままだった。


 この融合体は、悪鬼の死体が重なり合って生まれたものなのだ。

 別の個体。

 その存在を、想定していなかったわけではない。


 だからこそトリシューラたちの護衛にカーインを付けていたのだ。

 カーインは、トリシューラのすぐ傍で立ち尽くしている。

 裏切ったのか?


 いや、そもそも悪鬼たちの仲間であり、裏切りというのなら俺たちに味方することが裏切りだろう。

 だとしても、想定していた奴のパーソナリティにはそぐわない行動に思えた。俺の認識が甘かったということだろうか。


 そうではなかった。俺の認識が間違っていた事が即座に判明する。

 カーインが鋭く脚を踏みだし、貫手を融合体に繰り出していく。右、左と様々な箇所にその毒手が突き込まれるが、しかし融合体はまるで意に介さない。


 あのカッサリオにすら痛打を与えた貫手は、この相手には全く通用していないのだ。

 触手が鞭のようにしなり、カーインはその場からの撤退を余儀なくされる。


 巨体を動かした衝撃で一体の悪鬼が首を傾かせる。あり得ない向きに折れ曲がったその瞳は、既に何も映しておらず、生命の輝きを失っている。完全な死体だった。


 カーインの技は、生物には絶大な効果を発揮する。

 しかし、既に生きていない者には全く意味を為さないのではないか。

 推測が正しいかどうかはともかく、カーインではあの融合体に太刀打ちできていないことは確かだ。


 しかしだとすると、俺の攻撃もまた通用しない可能性がある。

 かといってこのまま手をこまねいていては少年の身が危うい。

 その時、融合体が予想外の行動に出た。


 触手を引き寄せ、少年を本体に近づけたかと思うと、本体が半ば泥のようになり、形を変える。

 本体中央が口を開くように大きく窪んだかと思うと、その中に少年を一気に飲み込んでしまったのだ。


 一瞬の出来事。止めることすらできず、右手を中途半端に上げたまま動きが静止する。

 融合体の開いていた口は完全に閉じてしまっている。少年が先程まで目に映っていた事実が、まるで嘘であったかのようだった。


 青黒い肉塊は更なる獲物を求めてか、トリシューラへとにじり寄る。その動きに反応して、カーインが倒れたトリシューラを引きずって遠ざかる。

 そんな動きを、俺はただ呆然と眺めていた。


 追いついてきたコルセスカの声も、右から左へと聞き流した。

 現実が、ひどく遠い。

 この、漣のように寄せては消えていく、不可解な感情は何だろう。


 俺は後悔しているのか。これは悲しいという感情なのだろうか。

 まともに言葉を交わしたことすらない。どのような人物かすら知らない。

 それでも、俺の感情には波が立っている。


 制御され、抑制され、平常を保たれているはずの心が、確かに揺さぶられている。

 この感情はなんなのだろう。

 ある記憶を想起する。

 異形の融合体に取り込まれた少年。


 その光景は、半年前にエスフェイルに取り込まれ、同化させられたカインの姿を思い起こさせずにはいられなかった。

 かつて俺は、懇願する彼の願いを聞き届け、その生命を終わらせた。選択の重さすら外側に投げ出した。


 また、繰り返すのか?

 同じような展開。同じような光景。半年前のように、俺はあの少年を殺して終わりにしてしまうのか。


 色のない光が、視界一杯に広がった気がした。

 言葉だけが、耳の奧でリフレインする。

 

『悲しみではなく、怒りを抱くこと。そして怒りは闘志に変えること。怒りや憎しみをそうして使ってやれば、遺された者は感情に溺れること無く戦い続けられる』

 

 その言葉を、記憶している。

 あの声が、どうしようもなく忘却を拒絶するあの人の声が。今も色褪せずに俺の中に残っている。


 ごく自然に、頬が歪む。

 不敵、というには少々不格好かもしれなかった。それでも、今の俺は笑えている。

 

「おめでたいことだ。人質を取れば自分の安全が確保されたと思い込む」

 

 その点、カーインはまだ正常な判断力を有していたと言えよう。

 人質に刃を突きつけるということは、すなわちその分のハンデを背負って敵と相対するということに他ならない。注意力、武器、腕、あるいは人員。そうした戦いに必要なものを他に傾けて勝てるなどと思い込むのは慢心に他ならない。


 人質が交渉材料として使えるのはせいぜい呼び出しか金品の取引くらいのものである。命と安全がかかれば、足手まといを抱えている分人質を取っている方が不利になる。

 

「獣が。慢心したまま死ね」

 

 冷えた感情の奥底から湧き出てくるものは何か。今ならはっきりと名前を付けられる。

 これは、殺意だ。


 周囲の声を全て無視して、触手を蠢かせる巨大な融合体へと肉薄する。槍のように繰り出される触手を躱し、弾き、致命打とならないものは身体で受ける。そうして巨体の前に辿り着くと、俺は躊躇わず、頭から飛び込んでいった。

 

『アキラくんっ?!』

 

 悲鳴を背に、青い闇が視界に広がっていく。

 泥の中に埋没して、意識が断絶する。

 暗転。

 



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