89:ミラビリス神殿にて-1
「此処に来るのも随分と久しぶりね……」
「あ、一応来たことがあるんですね」
路地様の作り出した迷宮を抜けた先に広がっていたのは幻想的な光景だった。
鏡として使えるほどに磨かれた石を敷き詰めた参道。
生け垣を壁とする形で構成された広大な迷路庭園。
波紋一つない為に鏡のように周囲の風景が映り込んでいる池。
そして、月の光を浴びて銀色に輝く西洋式の教会に似た神殿と、その神殿の入り口に掲げられている迷路のような不思議な文様が映り込んだ大きな鏡。
「そりゃあね。一度だけだけど」
「あ、はい」
そう、ここは鏡と迷宮の神ミラビリス様の神殿である。
「お、おい、誰かが外から来た……エオナッ!?」
「ふぁっ!?なんで狂信者が此処に!?」
「お、おおっ、なんと神々しい御姿……」
「ううっ、私たちの努力が報われる時が来たのか……」
と、迷路庭園の方から土汚れが目立つ姿の人間が何人か出てくる。
私を見て失礼な反応を示したのはプレイヤー、感極まっているのは元NPCでいいとしてだ。
彼らが背負っているのは……農産物か。
どうやら、食料として迷路庭園の中で育てているらしい。
まあ、植物成長系の魔法を使えば、昼夜関係なく食料の生産は出来るから、人数次第で何とかはなるのか。
「シュピー!?無事だったのか!?」
「あ、はい。何とか……その、私の本体の方も運よく。ただ……」
私はシュピーの言葉に応じる形で、背負っているシュピーの本体の顔を彼らに見せる。
それを見て彼らの表情が変わる。
「本物の方か!?脱出できたんだな!?」
ある者は喜んだ。
どうやら、シュピーの本体はファシナティオたちによって長らく囚われていたらしい。
「ヒドイ顔だ。熱は……だいぶ引いているみたいだな」
ある者はシュピーの本体を気遣い、快方に向かっている事を知って安堵する。
これだけでシュピーが彼らに慕われていることが分かる。
「誰かゆっくり休んでいられる部屋の準備を。ここでまたリポップさせるわけにはいかない」
ある者はシュピーの本体の為に動き出す。
リポップさせるわけにはいかないと言う事は……たぶん弄られているのだろう。
「すみません。通してください……お二人とも、まずは奥へ。何があったのかを聞かせてください」
「分かったわ」
「はい」
そしてミラビリス神官と思しき男性がやってきて、私たちを神殿の方へと案内し始める。
どうやらシュピーはこの場に居る人たちに対してかなり重要で、大切な何かをしたらしい。
そのために代行者である私以上にシュピーの本体は気遣われているようだ。
「エオナ、お前が此処に居るって事は、直にそうなるって事か?」
「私からは何も言えないわ。まずは此処の一番に会わないとね」
「そうかい。まあ、しょうがねえか」
私の事を知っているプレイヤーも居るようだが……残念ながら、私には彼らの顔に見覚えはない。
まあ、例の公式生放送とかの影響で一方的に私の名前を知っているプレイヤーはかなり多いみたいだし、これについては勘弁してもらいたい。
「準備、しておくべきだと思うか?」
「何とも言えねえな……ゲーム時代から単独先行が常みたいな奴だったし」
「とりあえず最悪でもこの神殿を守り切れるようにはしておかないとな」
「ああそうだな、可能性が低くても抜けてくる可能性はあるんだからよ」
「高レベルプレイヤーの意地、見せてやろうじゃねえか」
「おうともよ」
とりあえず神殿の守りについては路地様の迷宮に加えて、プレイヤーが数PT分にNPCも相当数居て、中には高レベルのプレイヤーも混じっているようだから、明後日のフルムス攻略の際も防衛に専念してもらえていれば何とかはなりそうか。
「こちらで少々お待ちください。私の他に流れの神官様たちのまとめ役になっていらっしゃる方も居ますので、呼んできます」
「分かったわ」
やがて私たちは神殿の中に入り、迷路のような通路を抜けて、広めの部屋に通される。
そこにはベッドと毛布が用意されていたので、とりあえずシュピーの本体はそこで眠らせておく。
「そう言えばエオナさん」
「何かしら?」
さて、私たちを案内してきた神官が目的の相手を連れて帰ってくるまでしばらく時間があるだろう。
その間にシュピーが此処の人たちに何をしたのかを尋ねようと思ったのだが……どうやらシュピーの方から何かあるらしい。
「その、今は関係ないことだと思うんですけど、此処、ミラビリス神殿ってフルムスの何処にあるんでしょう?路地様が居る場所の両脇の建物の屋上から此処を覗いてみても何も見えないですし、入ることも出来ないって聞いているんですけど……すみません、今は気にする事じゃないですよね」
「ああその事」
シュピーの質問は今は答える必要が無い物ではある。
が、折角なので答えられる範囲で答えておいていいだろう。
「簡単に言ってしまえば、此処は折り畳まれた空間なのよ。亜空間、と言う方が分かり易いかもしれないけど」
「折り畳まれた空間……ですか?」
「ええそうよ。私が感知した限りだと、この空間の面積はフルムス全体の四分の一くらいはある。それぐらい広大な空間なのよ」
「そんなに広かったんですか!?」
まずミラビリス神殿の面積だが……かなり広い。
私の感知方法では正確な距離は掴みづらいが……私の位置から一番遠くに居る上っ面だけヤルダバオト神官とフルムスに居る本物のヤルダバオト神官の間を境界として考えるならば、それくらいは確実にある。
そして、その殆どが恐らくは迷路庭園であり、今はミラビリス様の許可をもらって農耕地に変えているのだと思う。
「広いのよ。で、此処は空間が折り畳まれている。だから、外から見た時と中に入った時の空間の広さにとてつもない差が生じているみたいなのよね。そして、路地様の作った迷路と言う正規ルート以外で入ろうとすると、その空間の変化によって……攻撃的な処理をするならボンッと行くだろうし、安全な処理をするなら特定の場所にワープさせられる。と言う事になるようね」
「ボンッって……。えーと、でも、そうなると路地様に万が一があったら……」
「そうなった時にどうなるのかは、正確には読めないけど……一気に空間が拡張されるか、ゆっくりと空間が拡張されるか、新しい門が出来るまで出入りが出来なくなるか……まあ、そんなところでしょうね。ミラビリス様が製作に携わっているだろうから、中に居る人ごと何処か未知の時空へ飛ばされる、なんて事にはならないと思うわ」
「な、なるほど?」
これはたぶん代行者としての知識だろう。
流石にただの大学生であった私には覚えのない知識だ。
しかし、そうなると、私が関わる範囲で何処かに折り畳まれた空間があることになるが……どうやら、今はそれを考えている時間ではないらしい。
「お待たせしました」
「悪い。寝てた……」
「どーもですよー」
「俺なんかがここに居ていいのかねぇ……」
部屋の中にミラビリス神官の男性、それに男女一人ずつプレイヤーと思しき人、加えて見覚えのある顔の元NPCが入ってきた。
「では、まずは自己紹介から」
そうしてミラビリス神官の男性から順に自己紹介を始めてくれた。