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37:規格外-2

「……」

 見られている。

 カミキリ城に背を向けた私が最初に感じたのはそれだった。


「何処……ではないわね。何時については心配しなくてもよさそうだけど」

 幸いにして、見られ始めたのはロズヴァレ村に帰るべくカミキリ城に背を向けた瞬間から。

 だから、肝心要の見られてはいけない部分は見られていない。

 だが、視線の元は……文字通りあらゆる方向と位置に存在している。

 前、後ろ、右、左、上、下、近くも遠くもその間も、ありとあらゆる方向と位置から直視されていると私は感じている。


「悪と叛乱の神ヤルダバオト……ね。私の一挙手一投足も見逃したくないだなんて、ストーカーにもほどがあるんじゃないかしら」

 こんな事が出来る存在など神々しかいない。

 そして、私が今感じている視線はスィルローゼ様たちから新たな魔法を授かってから、マラシアカとの戦いで私の死が確定したはずの瞬間まで続いていたものと全く同じもの。

 つまり、悪と叛乱の神ヤルダバオトのもので間違いない。


「返事は……あるのね。意外だわ」

 私の軽口と言うか悪口に反応したのだろうか。

 ヤルダバオトの視点が私の正面の空間に定まっていく。

 そして、それに合わせるように淀み、濁っているとしか評しようのない力が私の前に集まっていき、形を為していく。


「我ハ……」

 現れたのは、私の身長の倍ほどもある巨大な鎖の球体。

 幾重にも絡まり合った鎖には見るからに新しい輝いた物もあれば、錆びついて今にも千切れそうになっている鎖もあり、こうしている今も古い鎖が千切れては新しい鎖が絡みついているようだった。

 鎖の隙間から見えるのも鎖であり、鎖の中を知る事は出来ない。

 基本的には。


「悪ト叛乱ノ神、やるだばおと」

「軽口なんて叩くものじゃないわね……」

 そう、基本的にはだ。

 鎖の球体には三つの大きな穴が生じていた。

 そして、三つの穴からは……この世の望んだ場所全てを見通せるであろう血のように赤い目、悪心を持つものに神託を授けるための二股の舌を持った大きな口、『フィーデイ』の外へ出ようとしたものを引き戻すための鋭い鉤爪の生えた黒い右手が見えていた。


「創造主ニ反旗ヲ翻スもの」

「想像以上のものが出てきたわ……」

 スィルローゼ様の代行者となった私にはヤルダバオトの姿を見たところで大した影響はない。

 だが、もしも御使いでないものが、御使いであっても真の信仰を持たないものがヤルダバオトを見てしまえば、それだけで心が壊れてヤルダバオトの手先と化してしまうだろう。

 それだけの気配を目の前のヤルダバオトの“一部”は放っている。


「荊ト洗礼……えおな……我ノ敵……我ノ名ヲ畏レヌ者」

 そう、一部だ。

 私の前に現れたヤルダバオトは本体の一部でしかない。

 代行者として必要な知識なのだろう、いつの間にか備わっている私の知識はそう断じている。

 ヤルダバオトの本体はもっと強大で、邪悪である。

 そして、創造主に等しいスィルローゼ様たちにとって致命的な……叛乱の力を有している、と。


「ダガ、手ハ出セナイ。マダ、枷ハ外レテイナイ」

「あ、そう」

 同時に、授けられた私自身の知識ではなく、感情はこう言っている。

 ヤルダバオトはマラシアカたちほど感情的な存在ではない。

 どちらかと言えば機械的……いや、もっと具体的に言うならば、予め定められたシステムに従って動いている存在であると。


「『皆断ちの魔蟲王マラシアカ』ノ消滅ヲ確認。枯れ茨の谷ノ異常ヲ確認。修正……イズレモ不可能。概念封印、るーるノ変更ヲ確認。方法ハ不明。異端ナル魔法ハ確認出来ズ」

 ルナリド様曰く、ヤルダバオトは元々ゲームの敵役として作られた架空の存在であったらしい。

 その言葉に嘘はないだろう。

 こうして対面していても、ヤルダバオトは私を見ているが、私を見ていない。

 機械的に、定められた手順に従って、状況の確認と私が行ったことを覆せるかどうかを考えている。

 なんと言うか……『フィーデイ』に来てから、一番AIらしいAIにあった気がして仕方がない。


「現状、新タナ枷ハ外セナイ。敵ノ排除ハ不可能。当該区域ノ保有ヲ諦メル」

 それにしても枷……ねぇ。

 マラシアカもそんな言葉を口にしていた気がする。

 もしかしなくてもヤルダバオトやモンスターたちには思考面や移動の制限と言った面で様々な制限がかかっていて、それらを一つ一つ開放することによって『Full Faith ONLine』の時には出来なかった行動が出来るようになっていくのだろうか。

 それならば、マラシアカが初日にいきなり仕掛けてこなかったのにも納得がいく。

 まあ、一番の問題はその枷が一度外れたらずっと外れたままなのか、それともリポップする度に枷も戻るのか、と言う点か。

 後者ならば完全な対処が出来ない状態で倒す価値もあるが、もしも前者ならば人間側がジリ貧になるのは目に見えているわけだし。


「帰還スル」

 ヤルダバオトの気配が霧散していく。

 見られているという感じも無くなっていく。

 どうやら、ここに居た一部は本体の元に帰ったらしい。


「ふう、助かったわね……」

 ヤルダバオトが完全に消えて、私は一息吐く。


「アレに対処するとしたら、最低でも代行者が1パーティ分くらいは欲しいわね。一人でアレを相手にしたいとは思えないわ」

 もしも、あのヤルダバオトの分身と戦うならば……少なくとも私一人ではどうしようもない。

 有象無象では何億人居ようとも戦力にはならない。

 そして、スィルローゼ様たち自身が出てくるのは相性的によろしくない。

 本体は……なんと言うか、上手くやるしかないだろう。

 現状ではそうとしか言いようがない。


「ルナリド様の授けてくれた魔法の用途通り、仲間を増やすべきね。でないと勝ち目がないわ」

 私はこれからやるべき事を考えつつロズヴァレ村に続く道を歩き始める。

 今日この日、元からヤルダバオトは叩き潰すつもりだった私の目標は、明確なものとなった。

 仲間を集め、ヤルダバオトを打倒する。

 それこそがプレイヤーたちが元居た世界に生きたまま帰るための方法であり、スィルローゼ様たちの御心に沿う行為であり……それ以上にスィルローゼ様を守ることに繋がる。

 そう、私ははっきりと認識した。

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