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157:一夜明けて-1

 ケッハメイ枢機卿の部下が屋敷で20人以上殺されるというショッキングな事件は、夜明けとともにフルムス全体に知れ渡った。

 だがそれは凶悪極まりない犯人が逃走し、フルムスに潜伏しているという恐ろしい事件としてではなかった。


「……。自分で自分の右手と首を刎ねた。そして、切り落とされた右手が浮いて、何処かに剣を持って行った……ね」

 何故ならば、夜中の間に犯人と思われていた行商人の男が道の真ん中で突然自殺し、右手と武器であった剣だけが何処かに行くという怪事件と化したからだった。


「物質系のモンスターの一種ですかね?確かそう言うのは居ましたよね?」

「ええ、リビングアーム系統のモンスターとして、そう言うのは居るわ。尤も、持ち手を操る必要があるとなるとリビングアームと言うよりは、そう言う呪いがかかった武器と見た方が適切そうだけど」

「……。スオウノバラですか」

「そこまでは何とも。嫌な事に確率は上がったけどね」

 自殺した行商人の男の名前はサメトレッド。

 所持品から、推定レベル70台のプレイヤーであり、水と調和の神ウォーハをメイン信仰の対象にしていたと思われる。

 仲間の類は見られず、一人で貴重な商品を何処からか集めて、貴族や高位の神官と言った裕福な相手に売る事で日々の稼ぎを得ていたと思われる。

 不誠実な取引を意味するシャークトレードと言う言葉を名前の語源に持つ割には誠実な振る舞いをしていたようだが……まあ、そこは私の気にするところではないか。


「ただ、目撃者の証言だと、サメトレッドが持っていて、自殺した後に一人で何処かに行ってしまった剣は特に目立った装飾の無い、普通の金属剣みたいね。幻影や変身の魔法もあるから確定はしないけど、呪いがかかったモンスターのような剣と見る方が適切そうね」

「なるほど」

 なお、サメトレッドは『悪神の宣戦』以降に行商人としての活動を始めたのだろう。

 何処のギルドにも属していないし、行商人の組合の方でも、詳しいことを知る人物はまだ見つかっていないようだ。


「ま、瓦版程度で分かるのはこれぐらいまでかしらね」

 私は手に持っていた紙を机の上に置く。

 そう、これは瓦版。

 フルムスに居るプレイヤーの一部が、ルナからの依頼を受けて作成。

 フルムス住民への説明と注意喚起のために配っているものである。

 注意事項としては夜中に出歩かない、不審な物品を見つけた時には触らずにフルムスの治安維持部隊に連絡すること、ある事ない事言って変に騒ぎ立てないと言うところであり、実に妥当な物である。


「エオナ様はこれからどう調べていくことになると思います?」

「サメトレッドの足取りは当然追う事になるでしょうね。剣の正体が何であれ、探るならそこから追った方が分かり易いもの」

「なるほど」

「で、ポエナ山地か、その近くまでサメトレッドが行っていたら……一気に警戒レベルは引き上げられるわね。例えスオウノバラでなくても、ポエナ山地近辺で手に入る呪いがかかった剣とか、どう転んでも危険物だし」

 捜査についてはルナたちに任せればいい。

 それは私の仕事ではないし、ルナたちにも面子と言うものがある。

 そもそも瓦版を利用して、自ら事件について広めているのも、この件を利用してちょっかいをかけようとする連中を牽制するためだろう。

 その手の連中にとって一番厄介なのは、正しい情報が先に広まっている事なのだから。


「ま、私たちはいつも通りを心がけましょう。そして異常を見つけたら、ルナたちに連絡すればいいわ」

「分かりました」

 私は『エオナガルド』にいるスヴェダへと意識を向ける。

 今のスヴェダは肉体を失い、魂だけの状態になっている。

 そして、魂だけになったスヴェダは『エオナガルド』の何処かへ行ってしまわないようにと言う事で、『スィルローゼ・ウド・エリア・アルテ=スィル=エタナ=アブソ=バリア・ツェーン』を利用して作成した外に棘を向けている茨で出来た鳥かごの中に入ってもらい、魂が落ち着くのを待っているのだが……


『ーーーーいえwbfsじtxさんxz!?』

「んー、やっぱりドラグノフが落ち着くのにはもう少しかかりそうね」

 まるで落ち着く様子は見せていない。

 鳥かごの中で言葉にならない声を発し続けている。


「自分が死ぬ瞬間を思い出してしまって、それで叫び続けている。でしたっけ?」

「死ぬ瞬間と言うよりは切られた時だけど、だいたいそう言う事ね。まあ、洒落にならない痛さだから、ドラグノフの反応は理解できるわ。魂だけだと、肉体がある時よりも感情や思考が表に出てしまう事になるし」

「あ、そうなんですか」

 まあ、スヴェダの反応は分かる。

 当然と言ってもいい。

 私も何度か経験があるが、死ぬほど痛いと言うのは、本当にそう言う痛さなのだ。

 本当に死んでしまえば、その時は諦観や精神の許容量の問題から耐えられるが、後から思い出したしまった場合は正に地獄だろう。

 だが……スヴェダには精神と魂を保護出来る様な新たな体をまだ与えられない。

 スヴェダを殺した剣の呪いが作用しているのか、茨の人形であっても明確な肉体を与えてしまうと、直ぐに生命力を奪い取られて枯死してしまうのだ。

 だから、今回の件が終わるまでは、残念ながらスヴェダは今の状況から解放してあげられないだろう。


「さて、そろそろウルツァイトさんの所に行きましょうか。いつも通りにね」

「はい、エオナ様。今日の朝から再開すると昨日の内に聞いてます」

 そうして私たちは昨日出来なかった事をするべく、ウルツァイトさんの元に向かった。

08/21誤字訂正

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