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第9話 ウィスキーの味

途中までヴァルター寄りの三人称視点です。

それ以降はノエルの一人称視点に戻ります。

「ほら、おまえの取り分だ」


 ノエルはテーブルに、金貨七十枚――七百万フィルの入った革袋を置いた。


 ロイドとタニアを売った金の残りは、翌日の朝には口座に振り込まれていたそうだ。その受け渡しのため、ノエルから一般人も利用する場末の酒場に呼ばれたヴァルターは、じっと革袋を見つめた。


 たしかに、金は回収できた。だが、少しも嬉しくはない。どんな理由があったにしろ、これは仲間を売って得た金だ。


 かといって、突っぱねる漢気があるわけでもない。ヴァルターは黙ったまま革袋を鞄にしまい、帝都名産のウィスキーをロックで呷る。


 飲まなければやってられない気分だ。なのに、どれだけ飲んでも酔える気がしない。実際、ノエルに呼び出される前から自宅で酒を飲み続けていたが、意識はずっと明瞭なままだ。


 ヴァルターが愛飲している、このウィスキーの味も今はわからない。それでも、縋るように酒から離れることができなかった。


「……これから、どうするつもりだ?」


 ヴァルターが尋ねると、ノエルは淡々と答える。


「まず、あの二人が抜けた穴を埋める。それから新しいパーティが噛み合うように訓練を重ね、特に問題が無ければ以前のように活動する」


「抜けた穴を埋められると思っているのか?」


「まあ、簡単にはいかないだろうな。優秀な人材は既に自分の仲間を持っている。引き抜くにしても、半壊状態のパーティに好んでくる奴はいない。だから辛抱強く募集を続けるしかないだろう。穴が埋まるまでの間は、深淵(アビス)に潜ることはできないし、二人でもやれる仕事で凌ぐしか――」


「そういうことを聞いているんじゃねぇっ!」


 ヴァルターは叫び、椅子を蹴って立ち上がった。


「ロイドとタニアの代わりなんて、いるわけがねぇだろうがっ! 俺たちは四人で蒼の天外(ブルービヨンド)だ! どんな優秀な奴だって、誰にも代わりなんて務まらねぇんだよ! なぁ、ノエル! そうじゃねぇのかよ!? なぁっ!?」


「違うね」


 ノエルは表情も変えず断言した。


「たしかに、ロイドとタニアは優秀だったが、替えがきかないほどじゃない。才能はあっても所詮はまだCランク。この帝都では掃いて捨てるほどいる」


「だから、そういうことを言っているんじゃ――」


「いや、そういうことだよ。探索者(シーカー)は、子どものお遊びじゃない。情や感傷で判断するなんて愚の骨頂だ」


「……ぐっ」


 ヴァルターは言い返せなかった。冷静な判断をできていない自覚はある。だが、本当に自分は間違っているのだろうか?


「ふん、馬鹿馬鹿しい」


 ノエルは鼻を鳴らし、酷薄な笑みを浮かべる。


「おまえ、結局のところ、タニアの本性を見て傷ついただけだろ。おセンチも大概にしろよ。あいつは、そういう女だったんだよ」


「……てめぇ」


「お、怒ったか? あんなにボロクソ言われてもまだ好きとは、忠犬ここに極まれりだな。だったら、おまえがタニアを買ってやれよ。そうすれば、ずっとおまえだけのタニア様だ。めでたしめでたし」


「ノエル、てめぇッ!!」


 ヴァルターはノエルの胸ぐらを掴み、拳を振り上げる。


 だが、最後まで振り抜くことはできなかった。


「なんでだ……。なんで、おまえは……」


 ヴァルターに殴られそうなのにも拘らず、ノエルはいつもと変わらない達観した表情をしている。まるで、進んで殴られようとしているかのように。


 いや、実際そうなのだろう。ヴァルターの胸の内に渦巻く、行き場の無い感情。それをノエルは受け止めようとしているのだ。


 ――おまえの気が晴れるなら、一発ぐらい殴られてやる。


 ノエルの言葉にしない真意を、ヴァルターは察せずにはいられなかった。


「なんで……なんでなんだよ……」


 ヴァルターは手を放し、力無く椅子に座る。


 ノエルは二つも年下で、まだ背だって伸び切っていない年齢なのに、なんでこんな振舞いができるんだ? 俺とこいつで何が違う?


 ノエルと比べ自分はなんて矮小な男なのだろうか。それが悲しくて、酒が無ければ嗚咽を漏らしてしまうところだった。


「……新しい仲間なんて、見つかるわけがない。仲間を奴隷にする奴らと組みたがる馬鹿が、いったいどこの世界にいるってんだ」


 ヴァ��ターが拗ねるようにぼやくと、ノエルは首を振った。


「たしかに、臆病な奴は嫌がるだろうな。だが、本当に優秀な奴なら、こちらにも事情があったことは理解するはずだ。むしろ、パーティ内の不祥事を有耶無耶にせず、きちんと制裁したことを評価してくれるだろう」


「だが、大半の奴は、俺たちに反感を抱くぜ。……みんな臆病だからな」


「有象無象を気にしても意味は無い。本当に恐れるべきなのは、敵を作ることよりも味方を作れないことだ。そして、味方を作るためには、自分の方針(スタンス)を明確にする必要がある。――新進気鋭の悪役ヒール。ふん、悪くないじゃないか。どこにでもいる有象無象とは違うって、わかってもらえるんだ」


 ノエルは確信に満ちた口調で言い切った。


 一理ある気はする。なんだかんだ言っても、探索者(シーカー)の本質は荒くれ者だ。軟弱な奴には誰もついてこない。ノエルが言うように、周りから悪役ヒールだと恐れられるぐらいが、ちょうど良いのかもしれない。


「……強いな、おまえは」


 思えば、出会った時からそうだった。どんな時も冷静で、決して判断を誤らない。もはや嫉妬する気にもなれず、感心することしかできなかった。


「俺とは違う……。俺は……弱い……」


 言葉にすると、それは自然に受け入れられた。突っ張ることで守ってきたプライドが、氷のように溶けていくのを感じる。穏やかな気もちだ。だからかもしれない。ヴァルターには、自分がどうするべきか、理解できた気がした。


探索者(シーカー)を辞めるつもりか?」


 図星を突かれ、どう告げるべきか迷っていると、ノエルは言葉を続ける。


「たしかに、おまえにはメンタルの強さが欠けている。だが、おまえがいなければ生き残れない戦いも多かった。おまえが何を言おうと、俺はおまえの強さを知っている。誰よりも一番な」


「……ノエル」


「ヴァルター、もう一度はじめからだ。パーティメンバーの入れ替えなんて珍しいことじゃない。もう一度、俺とおまえで蒼の天外(ブルービヨンド)をやり直そう。俺には、おまえが必要だ」


 正直、嬉しかった。


 ノエルとは反目することもあったし、心にも無い言葉をぶつけたこともある。だが、ノエルが素晴らしい探索者(シーカー)であることは、ヴァルターもまた誰よりも知っていた。


 通常、支援職(バッファー)は弱い。支援(バフ)の効果は強力だが、支援職(バッファー)自体に戦闘能力がほぼ無いためだ。


 そうなると、常に誰かが支援職を守る必要が出てくるため、パーティの動きが制限されてしまうことになる。だったら、支援職(バッファー)の代わりに他の職能(ジョブ)を入れた方が、柔軟に動けるし勝率を上げられる。


 それが一般的な支援職(バッファー)への評価だ。


 他職への知識に乏しい新人探索者(シーカー)が、支援職(バッファー)をパーティに入れた結果、その存在を次第に重荷に感じるようになり放逐したというのは、酒場でよく聞く話である。


 だが、ノエルは違った。


 話術士であるノエルには、やはり戦闘能力が不足している。なのにノエルを役に立たないと思ったことは一度も無い。戦闘能力が低くても常に自分の身は自分で守れているし、むしろ安心して背中を任せられるほど敵の攻撃を捌くことが上手い。


 英雄だった祖父から英才教育を受けたことも理由の一つだとは思う。だが、それ以上に、ノエル自身がたゆまない努力を続けているためだ。


 支援職(バッファー)だからといって支援(バフ)だけを自分の役割と決めず、広く戦いに貢献できる道を探すノエルの在り方は、理解できても簡単に真似できるものではない。


 また、ノエルは毎日、大半の探索者(シーカー)が根を上げるような、厳しいトレーニングを行っている。ヴァルターもトレーニングを怠ることはないが、ノエルと同じ内容を、探索者(シーカー)業をこなしながら毎日継続できる自信は無い。


 最弱と言っても過言ではない支援職(バッファー)でありながら、ノエルがヴァルターを含め多くの探索者(シーカー)から一目を置かれているのは、その不屈の意思こそが一番の理由だった。


 そんな素晴らしい探索者(シーカー)に必要とされていることが、嬉しくないわけがない。ヴァルターは涙を堪え、だが自身の決意を伝えた。


「すまん、俺は探索者(シーカー)を辞める……。本当に、すまない……」





 下宿先を引き払い、銀行の金も全て下ろした。装備やアイテムの下取りも終わった。手元に残った金は、ノエルが回収してくれた分と合わせて九百十一万フィル。


 なんとも中途半端な額だが、今の自分には相応しい。一年間頑張ってきた成果だと考えれば、むしろ十分過ぎるほどの金だ。


 故郷に帰ってから何をするかは決めていないが、九百十一万フィルもあれば色々なことができる。探索者(シーカー)の経験を活かして商隊の護衛業を始めるのも悪くないし、いっそのこと大きく方向転換して酒場の店主になるのも良いだろう。


 探索者(シーカー)として大成することはできなかったが、可能性は無限に広がっている。捨て鉢になることはない。これからの人生を楽しむことにしよう。


 そう考えるべきなのはわかっている。なのに、帝都への未練は消えなかった。


 ロイドとタニアはどうなるのだろうか? 誰かに従って戦うことしかできなかった自分が、まともな仕事をやっていけるのだろうか?


 考えても答えが出ないことばかり、頭の中を駆け巡っていく。鬱々としながら、停留所で故郷へと向かう駅馬車の発車を待っていた時だった。


「よお」


 声をかけられて振り返ると、そこにはノエルがいた。


「なんだ、見送りにでも来てくれたのか?」


「ああ、そのつもりだ」


「へぇ。そりゃ、悪いな」


 意外だった。こいつが、そんなことをしてくれるなんて。


「餞別だ、受け取れ」


 ノエルから手渡されたのは、愛飲している帝都名産のウィスキーだ。


「これを俺に?」


「故郷じゃ滅多に飲めないだろ?」


「あ、ああ。まあな……」


「じゃあ、用は済んだから帰る。達者でな、ヴァルター」


 言葉通り一度も振り返らず去っていくノエル。その後ろ姿をヴァルターは呆然と見送った後、手に持ったウィスキーを矯めつ眇めつした。


「まったく、情があるのか軽薄なのか、わからん奴だな」


 不思議に思いながらも、悪い気はしなかった。さっきまでの暗い気もちが消え去り、なんだか笑いたい気分になってくる。


「……知ってたか? タニアが本当に好きだったのは、おまえだったんだぜ」


 だが、ノエルの隣に、タニアは立つことができなかった。ノエルが求めているのは、恋愛のパートナーではなく、強く優秀な仕事仲間だからだ。


 好意を伝えても断られることはわかっていた。そして、その悩みをロイドに相談している内に、二人は恋仲になった。


 もし、相談を受けたのがロイドではなくヴァルターだったら、タニアはヴァルターを選んだのだろうか? それはわからない。だが、そうなったとしても、結局はノエルの代用品にしかなれなかっただろう。


「おまえの言う通りだよ、ノエル。俺たちの代わりなんて、掃いて捨てるほどいる。違うのは、おまえだけだ。おまえだけが特別だった」


 才能だけを見れば、ロイドとタニア、それにヴァルターの方が上だ。


 だが今回の件が無かったとしても、探索者(シーカー)の頂点を極めることができるとしたら、それは間違いなくノエルだけだろう。


「おまえは、俺たちにはもったいない司令塔だった」


 ヴァルターはウィスキーの蓋を開け、一口飲む。


「頑張れよ、ノエル。おまえなら絶対に、最強の探索者(シーカー)になれる。おまえは……最高の戦友(ともだち)だ」


 いつもと変わらないウィスキーの美味さが、ヴァルターの頬を濡らした。





「全部、最初からやり直しだな」


 ヴァルターも抜けた以上、もはや蒼の天外(ブルービヨンド)は解散したも同じ。その知名度を利用することはできるが、ほとんど価値は消失してしまった。


 だが、焦りは無い。そもそも、蒼の天外(ブルービヨンド)を創ったのは俺だ。俺が三人を集めて、パーティを結成した。だから、また同じことをすればいいだけだ。


 もちろん、今回の反省点を活かす必要はある。やはり、他人にリーダーを任せては駄目だ。最初はロイドに任せても構わないだろう、と考えたのが失敗だった。俺がリーダーだったら、こんなつまらない問題なんて絶対に起こさないし、起こさせない。


 たらればの話なんて無意味だが、せっかくの優秀な人材たちを腐らせてしまった、という後悔は大きい。甘かった、経験が足りなかった、そんな言い訳をしたところで、失ったものは永遠に戻らないのだから。


 次は上手くやらなければ。二度も同じ失敗をしては目も当てられない。


「さて――」


 俺は人通りの少ない路地裏に入ると足を止めた。


「そろそろ出てきたらどうだ?」


 その言葉に誘われるように、四人の男たちが姿を現す。見知った顔――髭面の男のパーティだ。ずっと俺を尾行していた奴らは、出てくると同時に武器を抜いた。


「報酬を受け取ったのに、まだ何か用があるのか?」


 俺が質問すると、髭面の男は下卑た笑みを浮かべた。


「ヴァルターにも見限られたようだな。ざまあみろ、おまえは独りだ」


 要するに、今ならコケにされた復讐ができる、と踏んだわけか。愚かだな。愚か過ぎて笑いも起こらない。こいつらの低能具合には反吐が出そうだ。


「一つ聞きたい」


「あん?」


「なぜ、もっと人を集めなかった? パーティ以外にも知り合いはいるだろ?」


「てめぇなんざ、四人いれば十分だろうが。暴力団(ヤクザ)と知り合いでも関係ねぇ。その綺麗な顔をグチャグチャに潰して、ドブに浮かべてやるよ」


 四人なら十分、ね。逆を言えば、単独では勝てないと理解しているわけか。


 俺のことを最弱だと罵っておきながら、集団でしか戦えないなんて、素敵なプライドをお持ちなことで。カッコ良過ぎて、俺なら自殺するレベルだね。


 しかも、残念なことに計算ミスだ。


「おまえたちの実力じゃ、十倍は集めないと勝てねぇよ」


「話術士如きが、抜かしやがれ。その余裕を後悔させてやる」


 髭面の男は得意気に口元を歪めるが、慢心しているのは、おまえたちの方だ。


 おそらく、俺が狼の咆哮(スタンハウル)に頼ると思っているのだろう。その対策として、仲間の魔法使いが、異常(デバフ)を防ぐスキルを使っているはずだ。狼の咆哮(スタンハウル)さえ防げれば勝てると慢心しているのは、その態度から手に取るようにわかる。


 愚か者共め。後悔するのはどちらか、その身体に教えてやる。


「くくく、強がるなよ。おまえたちだって、俺に勝てないのはわかっているんだろ? だから、ハンデをやろう。俺は目を閉じたまま相手をしてやる」


「なんだとッ!?」


「ほら、どうした? さっさとかかってこいよ雑魚共」


 宣言通り目を閉じて手招きすると、髭面の男のパーティは異口同音に怒鳴る。


「ふざけやがって! ぶっ殺してやる!」


 男たちが挑発に乗って判断力を鈍らせた瞬間、俺はコートから閃光弾を取り出し、目の前へと放り投げた。


「なっ!? ぎゃあぁっ!!」


 強烈な閃光が、目を閉じていた俺以外の目を焼く。俺は目を開け、全員の胸に全力の右ストレートパンチを叩きこんでいった。


「ぐっ!? ……ぅっ」


 たった一撃だが、その一撃が全員を昏倒させる。胸を強打されたことによって心臓震盪(しんとう)を起こし、意識を保てなくなったためだ。


「街中だから命は取らないでおいてやる。代わりに――」


 俺はナイフを抜き、気を失っている全員の右耳を削ぎ落した。


「その耳で、宣伝してもらおうか。俺に手を出せばどうなるかをな」


 男前になった髭面の男のパーティから離れ、路地の出口へと向かう。

 その途中、珍しいものを発見した。


「蛇の抜け殻」


 街の外ならともかく、街中ではそうそう見かけないものだ。ペットか食用か、そのどちらかが逃げ出して、下水にでも住んでいるのだろう。


「……進化するためには、脱皮が必要か」


 蛇はより強い鱗を手に入れるために、古い鱗を脱ぎ捨てなければいけない。蒼の天外(ブルービヨンド)も同じだ。古い鱗は無くなった。これから手に入れるのは、新しく強い鱗だ。


蒼の天外(ブルービヨンド)は新生する。今日、この日を以って」

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