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第8話 最弱にして最凶の探索者

 光あるところには必ず影が差す。


 繁栄を極める帝都も、例外ではない。むしろ、より強い影が蔓延っている。すなわち、非合法組織――暴力団(ヤクザ)の存在だ。


 中でも、帝都で最大規模を誇る暴力団ヤクザが、ルキアーノ(ファミリー)である。他国にも支部を持つ奴らは、売春、薬、賭博、強請(ゆす)り、殺し、といった裏の仕事はもちろん、表社会でも絶大な影響力を持つ。

 なにしろ、皇室とも繋がりを持っているのだから、もはや帝都の影の王と言っても過言ではないだろう。


 そんなルキアーノ(ファミリー)の若頭補佐の一人にして、二次団体であるバルジーニ(ファミリー)組長(ドン)を務めるのが、フィノッキオ・バルジーニだ。


 主な稼ぎ口(シノギ)は、奴隷販売と娼館経営。帝都の奴隷販売はバルジーニ(ファミリー)が全て仕切っているため、帝都で奴隷商と言えばフィノッキオの事を指す。


 故に、その存在を知らない者は帝都にいない。


 洒脱にして悪趣味。陽気にして残酷。太っ腹にして狡猾。非暴力主義にして生粋の加虐趣味(サディスト)

 オカマとしての生き方はその一環で、人生全てが極端な二面性で構成されていることから、気狂い道化師(マッドピエロ)とも呼ばれている。


「あら~ノエルちゃん! おまた~!」


 両手を小刻みに振りながら、フィノッキオが内股で歩み寄ってきた。その背後には、屈強な護衛が二人付き添っている。


「遅かったな。もう少し早く来ると思っていたんだが」


「もう! 厭味はよしてよ! これでも飛ばしてきたんだから! 他ならぬノエルちゃんの頼みだから飛んで来たのに!」


 フィノッキオは頬を膨らませて身を捩る。本人は可愛いと思っている仕草かもしれないが、陸に上がったウナギのようだとしか思えない動きだ。


 このオカマとは、知り合って半年ほどになる。ちょっとしたバイトをした時に、繋がりを得ることができた。以来、互いに利用し合う仲にある。


 そのことを知らない他の奴らは、狐につままれたような顔をしていた。


「それで、さっそく商談に入りたいんだけどぉ~、もう二人からは、許可を得ているってことでいいのよね?」


「ああ、問題無い。ロイドとタニア、この二人を奴隷として売らせてもらう」


 俺が答えると、周囲から驚愕の声が上がった。


「ノエル、あの時に言ってた、おまえの用事ってまさか……」


 信じられないという顔をしているヴァルターに、俺は頷く。


「察しの通りだ。ロイドとタニアが金を持っていないことは、予想していたからな。失った金を取り戻すために、フィノッキオを手引きしておいたんだ。二人の居場所は絞れていたし、俺たちと合流できたところで受け渡す、という約束でな」


 ヴァルターを先に行かせたのは、その約束を取り付けにいくためだった。


 まさか、フィノッキオ本人が来ることになるとは思っていなかったが、蒼の天外(ブルービヨンド)のメンバーを買えるなら部下には任せておけない、と乗り気で引き受けてくれたのである。


「悪い冗談は止めろ!」


 ロイドが涙目になりながら叫ぶ。


「なんで、俺たちが奴隷にならないといけないんだ!」


「そうよ! そんなこと承諾するわけがないでしょ!」


 タニアも同調して叫ぶが、その声は恐怖で震えていた。


「奴隷は嫌か?」


 俺が尋ねると、二人は食ってかかるように即答する。


「あたりまえだ!」


「嫌に決まっているじゃない!」


「なら、憲兵に突き出すしかないな。さっきも言ったが、横領罪は強制労働十年と決まっている。ろくに飯も食わせてもらえず、劣悪な環境の鉱山で働かせられ続けた囚人の生存率を知っているか? たったの二パーセントだ」


 その数字に、ロイドとタニアの顔が恐怖で大きく歪む。


「そんな生活をするぐらいなら、優しいご主人様に買ってもらえるかもしれない奴隷の方が、ましだと思うがな。おまえたち二人は、若く見た目も良い。何をさせられるにしても、大切に扱ってもらえるだろうさ」


 二人は答えに窮するが、それは肯定と同意義だ。生きられる可能性は、圧倒的に奴隷の方が高い。最初から選択できる道など無いのだ。


「てなわけだ。フ���ノッキオ、良いご主人様を探してやってくれ」


「まっかせて~! それじゃあ、査定に入らせてもらうわね!」


 蛇に睨まれた蛙のように固まっている二人の身体を、フィノッキオは触診を交えながら隅々まで調べ上げていく。


 タニアへの触診があっさりと終わったのに対して、ロイドへの触診はやたらと長く掛かったが、あえて突っ込むことはしなかった。


 帝都での奴隷の平均的な価格は約五百万フィル。それを元にロイドとタニアの価値を鑑みると、最低でも合わせて三千万フィルぐらいだと予測している。


 もちろん、これはフィノッキオが顧客に売る際の価格。慣例的にこちらに入るのは、その三分の一、一千万フィルのはずだ。


 それでも、横領された八百四十万フィルは十分に取り戻せるし、髭面の男に報酬を支払っても、僅かながら金が増える計算になる。


 だが、パーティの穴を埋められるまでの損失を考えると、総合的には決してプラスではない。できれば、少しでも予想より良い価格がついてほしいものだ。その価格次第で、今後取れる動きが大きく変わってくるのだが、果たしてどうなることやら……。


「うん! わかってはいたけど、二人とも良い身体をしているわね! 頑丈で歪み一つ無い。これは長生きするわ。ロイドちゃんはちょっと怪我しているけども」


「捕らえる時に手こずってね。不可抗力だよ」


「不可抗力? 無抵抗の状態でつけられた傷のように見えたけど……。まあ、いいわ。買取価格だけど、こんなもんでどうござんしょ?」


 フィノッキオは、懐から東洋伝来の計算道具であるソロバンを取り出す。


 木製の枠に小さな球がいくつも刺さっており、これを動かすことで計算をする代物だ。便利な道具であるため、俺も一つ持っている。


「……どういうことだ?」


 ソロバンの球が示す数字に、俺は眉をひそめた。


「六百万フィルだと? なぜ、こんなに安いんだ?」


 予想を遥かに下回る買取価格だ。これでは損害金を回収できない。


「ごめんねぇ~。でも、これには理由があってね、公式な発表はまだだけど、聖導十字架教会が清貧の教令を出すのよ。要するに、無駄遣いする金があるなら、教会に寄進しなさい、ってことなんだけど、貴族や豪商も教会には逆らえないから、大人しく散財を控えるしかないの」


 聖導十字架教会とは、創造神エメスを崇める宗教団体のことだ。帝国に複数ある教団の中でも、最大規模の信者数を誇っており、歴代皇帝や諸侯も信仰している。


 その不興を買うことは、先祖を裏切り自らを否定するのと同意義であるため、最も格式と伝統を重んじる皇室を筆頭に、信者は誰も逆らうことができない。


 ある意味、暴力団(ヤクザ)よりも恐ろしい組織だ。


「そんな期間中に高価な奴隷なんて買ったら、後で教会から何を言われるかわかったもんじゃないわよね? だから、顧客も私は清貧ですよ~って振りをするために、財布をかた~く締めるってわけ。かといって、うちも奴隷が売れなきゃオマンマの食い上げだし、仕方なく一時的に、販売価格を大幅ダウンすることにしたの」


「買取価格が異常に安いのは、その煽りってことか」


「そゆこと~。まあ、タイミングが悪かったわね。教令の期間が終われば、また適正価格に戻すことができるんだけど、今は無理の助だわ」


 フィノッキオが嘘を言っているとは思えない。嘘を吐くにしても、後ですぐにわかるような嘘は吐かないだろう。となると、これは誰も覆すことのできない確定事項だ。清貧の教令か……リサーチ不足だったな。


「わかったよ。苦しいのは、お互い様だからな」


「ものわかりが良くて助かるわ~。ノエルちゃん、大好き! ちゅっ!」


「だから、一千百万フィルで売ってやる」


「ありがとありがと。一千百万フィルで納得してくれるなら、すぐに……えっ!? 一千百万フィル!? なんで、五百万フィルも値上がりしてんのよ!?」


 目を剥いて驚くフィノッキオに、俺は淡々と続ける。


「今、一千二百万フィルに値上がりした」


「はぁ~~~~っ!? だから、何言ってんのかって――」


「一千三百万フィルだ」


「ちょ、ちょっとちょっとちょっと!」


「一千四百万フィル」


「おい、ノエル!」


「やっぱり、一千五百万フィルだ」


「てめぇっ、糞ガキ、ゴラァッ! いつまでわけわかんねぇこと抜かしてやがんだ! このオレを馬鹿にしてんのか? あぁっ!? そんなに豚の餌になりたいなら、今すぐここでミンチにしてやんぞコラッ!?」


 フィノッキオは怒りのあまり、道化の仮面が剥がれて野獣のような狂暴性を見せる。ここらへんが限界か。俺はフィノッキオに近づき囁いた。


「一千五百万フィルで買い取ってくれるなら、倍の三千万フィルで買い取ってもらった、ってことにしておいてやる」


「……アンタ、自分の売値を偽って、商品価値を上げるつもり?」


 流石に察しが早い。一瞬で冷静さを取り戻したフィノッキオに俺は微笑んだ。


 通常、市場において物の価値というのは、需要と供給の相互作用によって決まる。だが時に、価格が物の価値を決めることもある。つまり、値段が高いほど、それだけ希少価値も高いと判断され、購買意欲を強く刺激するのだ。


 清貧の教令が控えているにも拘らず、奴隷商フィノッキオが、三千万フィルも出して購入した奴隷なら、その価値は間違いなく増大する。仕入れ価格が三千万フィルということは、販売した時の合計価格は九千万フィル。実際、ロイドとタニアには、それだけ価格が吊り上げられても納得できる価値がある。


「たしかに清貧の教令を出されたら、大半の富裕層は余計な支出を抑えようとする。だが、人間は我慢しようとするほど、手を出したくなるものだろ? とりわけ、希少価値が高く、早い者勝ちの商品ともなれば、無理をしてでも買いたいと思う者は必ず出てくる。だからこそ、売れる見込みのある商品は、安くするのではなく逆に値を上げるのが正解だ」


「正直なところを言うわ。ノエルちゃんが口裏を合わせてくれるなら、アタシとしては万々歳よ。三千万フィルで仕入れたとなれば、アンタが言うように希少価値が跳ね上がるからね。でも、バレたらお互いにタダじゃすまないわよ?」


「その程度のリスク、ピクニックみたいなもんだろ? 何か問題でも?」


 逆に問い返すと、フィノッキオは額に手を当てて天を仰いだ。


「かぁ~っ……アンタって前々から頭おかしいと思っていたけど、やっぱりプッツンしているわ。帝都中を探しても、アタシから金を搾り取ろうとすんのは、アンタぐらいなもんよ。どう、ウチの(ファミリー)に入らない? 幹部待遇で迎えてあげるわよ」


「遠慮しておくよ。俺の天職は探索者(シーカー)なんでね。それで、返事は?」


「はいはい、わかってるわかってるわよ。……一千五百万フィルで買い取ってあげる! わかってると思うけど、今回だけだからね! もう! バカバカ!」


 商談成立。フィノッキオが損得勘定のできる男だったから上手くいった。これで、新しいパーティを組むまでの損失を、埋めることができる。


「マジかよ……。あの気狂い道化師(マッドピエロ)を、交渉で負かしやがった……」


 髭面の男が呆然と呟く。その声を聞いたフィノッキオは、髭面の男を指差した。


「そこの髭面の汚いオッサン!」


「ひゃ、ひゃいっ! な、なななな、なんでしょうか?」


「今日の事を他所で話したら、アンタだけじゃなくて家族や恋人や友人も、み~んな生きたまま豚さんのディナーだからね! わかった?」


「わ、わかりましたっ! 絶対に誰にも話しません!」


「他の奴らも! わかった?」


「は、はいっ! わかりました!」


「よろしい! あ、ノエルちゃん。これ約束してた、前金の百万フィル。残りは明日中に、銀行の口座に振り込んでおくから」


 フィノッキオから渡された革袋を、俺は髭面の男に放り投げる。


「約束の報酬だ」


「お、おう……」


 取り戻すものも取り戻したし、払うものも払った。これ以上、ここにいる理由は何も無い。さっさと帝都に戻って、今後の事を再考しよう。


「ヴァルター、帰るぞ」


「ま、まってよ、ノエル!」


 観念したと思っていたタニアが、縋るように叫ぶ。


「ほ、ほんとうに、私を売り飛ばすの? お願い、助けて……仲間でしょ?」


「他人の金でギャンブルするような人を、仲間とは言いません」


「ごめんなさい! 許してもらえるとは思っていないわ! でも、チャンスをくれるなら、必ず何倍にもして返すから! お願いよ!」


「無理。信じられない。バイバイ、サヨウナラ」


 一度裏切った奴は、何度でも裏切る。信頼できない者を傍に置いても、百害あって一利無しだ。俺が突き放すと、タニアはヴァルターにターゲットを変えた。


「ヴァルター、お願い! 助けて!」


「……俺には何もできない」


 ヴァルターが気まずそうに目を逸らした瞬間、タニアはこれまでに聞いたこともないような金切り声を上げる。


「ふざけんじゃないわよ! あんた、私のことが好きだったんでしょ!? だったら、助けなさいよ! 肝心な時に役に立たないなんて、あんた童貞のイチモツ!? あんたの頭には、小鬼(ゴブリン)の鼻くそでも詰まってんの!? 死ね! 死んじまえ! この無能ゴミカス筋肉ダルマ! 死にかけの老犬でも、あんたよりは役に立つわよ!」


 これが聖女の正体か、酷いもんだな。


 タニアは堰を切ったように罵倒を続け、ヴァルターは言われるがまま視線を落としている。ロイドは放心状態で、心ここにあらずという様子だ。


 地獄かよ、ここは。


「フィノッキオ、さっさと連れて行ってくれ。もう、うんざりだ」


「あら、アタシは楽しいわよ? 素敵なショーじゃない」


 俺が睨みつけると、フィノッキオは肩を竦める。


「はいはい、わかりましたわよ。じゃあ、子犬ちゃんたち、行きましょうか」


 フィノッキオが合図をすると、屈強な護衛たちがロイドとタニアを肩に担ぎ、馬車に押し込んだ。その間も、タニアの罵詈雑言は、豊富な語彙で続いている。


「ノエルちゃん、まったね~! ばっはは~い! ん~~まっ!」


 フィノッキオが、去り際に投げキッスをしてきたので、身を捩って躱した。帝都へと帰っていくフィノッキオ一味の馬車を見届け、俺は盛大なため息を吐く。


「はぁ~っ、疲れた……。ヴァルター、今度こそ帰るぞ」


「……ああ」


 その時、髭面の男がぼつりと漏らした悪口を、俺は聞き逃さなかった。


「最弱の支援職(バッファー)ごときが、暴力団(ヤクザ)と知り合いだからって、調子に乗るんじゃねぇよ……」


 随分と貧相な悪口だな。タニアを見習って欲しいもんだ。


「そうとも、俺は仲間がいなければ戦うこともできない、最弱の支援職(バッファー)だ。そんな俺でも、こうやって金儲けをできるんだから、まともな職能(ジョブ)のあんたらも頑張らないとな?」


 満面の笑顔を浮かべ煽ってやると、髭面の男と仲間たちは悔しそうに歯噛みした。プライドばかり肥大化した落ち目には、こういう厭味が一番良く効く。


「それでは諸君、健闘を祈っているよ」


 踵を返した俺の背中に、髭面の男が悔し紛れの言葉をぶつけてきた。


「くそっ、仲間を奴隷にした悪魔が!」


 何を言うかと思えば、悪魔ときたか。


 悪魔(ビースト)を狩る探索者(シーカー)にとって、相手を悪魔と呼ぶのは最も忌まわしい存在であることを意味する。


 最弱にして最凶か、上等だ。


「だったら、そのレッテルも利用して、世界最強になってやるよ」

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