第5話 裏切りの発覚
メートルなどの物理単位はそのまま使わせてください。
この世界独自の物理単位を使うと、一気に情報量が増えてしまうので……。
俺の朝は早い。
前日にどれだけ疲れていても、依頼がある日であっても、必ず早朝五時には起き、トレーニングを始めるからだ。ロイドと昼から話し合う約束がある今日だって、やることは一つも変わりはしない。
帝都の周囲を市壁に沿って二周、約五十キロメートルの距離を大の男三人分の重しを背負って二時間以内に走り切り、宿に帰ってきて朝食をとった後は、指立て伏せや腹筋に背筋、そしてバーベルを使ったウェイトトレーニングを二時間行う。
話術士のスキルは、発する言葉そのものに効果が宿っているため、魔力を消費することはないが、それでも使い続けると大きく疲労する。ましてや、
それに、俺のスキルは、パーティメンバーには効果があるが、俺自身には働かない。つまり、スキルで回復することができないのだ。肝心な時にスキルを使えず、また疲労で頭が回らないようでは、パーティのお荷物になってしまう。
探索時には、傷と体力を回復する
朝の分のトレーニングは終わった。続きは夜だ。熱いシャワーで汗を流し、保冷庫から
「……まずい」
相変わらず酷い味だ。生魚とリンゴを一緒に食べているみたいな味がする。
だが、我慢しなければいけない。トレーニングの後は
火照った身体を冷ますため、上は裸のままで柔軟体操をしていると、廊下から騒がしい足音が聞こえてきた。
「ノエル、大変だッ!!」
ノックもせず部屋に入ってきたのは、仲間のヴァルターだ。
その取り乱し様は凄まじく、目は血走り髪は掻き乱れ顔は汗まみれ、呼吸の度に身体が大きく揺れている。まるでこの世の終わりかのような有様だ。
俺は咳払いを一つし、両手で胸元を隠した。
「お兄ちゃんのエッチ! 部屋に入る時はノックしてって言っているでしょ!」
「なんの冗談だ!? 気もち悪いことするんじゃねえッ!」
怒られてしまった。和ませようとしただけなのに……。だが、俺の話術スキル、
「……ともかく、一大事だ。これを読んでくれ」
ヴァルターから手渡されたのは、一通の手紙だ。握り締められていたせいで汗に濡れ、皺だらけになっている紙を破れないよう広げる。
黒いインクで書かれている文字は見知った筆跡だ。我らがリーダー、ロイドの文字である。署名もあるし、俺は筆跡鑑定ができる。まかり間違っても誰かが偽っているわけではない。これは正真正銘ロイドが書いた手紙だ。
やたらと長々と、四枚もの紙面に渡って書かれている内容には、必要のない部分が多い。だが、内容自体は非常に簡単なものだった。
俺は読み終えた手紙を丁寧に畳んだ。
「ふむふむ、なるほどなるほど。要するに、ロイドは投資に失敗して多額の借金があったんだな。それで、返済のためにパーティ資産の千二百八十万フィルを横領し使い込んでいた。だが、俺がクランの設立を急がせたもんだから、事が明るみに出る前にタニアと一緒に帝都から逃げ出した。あははは、あいつ馬鹿だなぁ~」
手紙は始まりから終わりまで婉曲的に事情を書かれており、しかも自己弁護と都合の良い口だけの謝罪ばかり目立ったが、要約するとそういう内容になる。
慰労会の時に感じていた二人の違和感は、これが原因だったのか。馬鹿馬鹿し過ぎて笑うしかない話だ。俺が笑い転げていると、ヴァルターが怒鳴った。
「何が可笑しいんだ!? あの二人は俺たちを裏切ったんだぞ!」
「だから笑ってるんだよ。まさか、あの品行方正なロイド様が、投資に失敗して横領した挙句夜逃げとはな。ははは、おまえも笑えよ、ヴァルター」
「笑えるか、馬鹿野郎ッ!!」
唾を飛ばして叫んだヴァルターは、腕を組んで壁にもたれかかった。
「……くそっ、どうする、どうすればいい」
「ところで、この手紙はいつどこで手に入れたものなんだ?」
「あ? ……ついさっきのことだよ。昨日の晩に酒場で良い仕事の話を聞いてな。他の奴に取られない内に、受注しようと思ったんだ。それで、朝一でロイドの下宿先を尋ねたら、宿屋の親父からこの手紙を受け取ったんだよ……」
「宿屋の親父は、ロイドがいつ部屋を出たって言ってた?」
「昨晩の八時前って話だな」
帝都の市門は、夜の八時に閉じ朝の五時に開く。つまり、門が閉ざされる直前に、夜の闇に紛れて帝都を出たのだろう。まさしく夜逃げだ。
「今が朝の九時半だから、もう半日は経っているわけか。だが、時間的に駅馬車で移動はできなかっただろうし、足がつくことを恐れて馬を借りることもできなかったはずだ。徹夜で移動したとしても、徒歩じゃ大した距離は稼げていないだろうな。早馬を借りて追いかければ、余裕で夕方までには追いつくだろう」
「そ、それはそうかもしれねえが、どこに逃げたかわからねぇんだぞ?」
「入市審査官に話を聞けばいい。どの門から出たかがわかれば、どこを目指しているかもわかる。夜間の移動で、街道から外れるのは危険だからな。半日も歩けば、どこかの村に着くだろうし、あの二人の体力の限界を考えると、今頃はそこで休憩しているはずだ」
逃がし屋を使われていたら事情は異なるが、ロイドたちが夜逃げを決意してから実行に移したまでの時間を予想するに、それは難しいだろう。
第一、俺やヴァルターと違って、対人関係に潔癖なきらいがあったあいつらに、急な頼みを聞いてもらえる
俺の話を聞いたヴァルターは、指を鳴らした。
「それだ! 今すぐ審査官のところに行くぞ!」
「待て待て、行ってどうするつもりだ?」
「ああ? おまえ馬鹿か? おまえが見つけ方を言ったばかりじゃねぇか。ロイドを見つけて、ぶん殴ってやるんだよ! そうしないと俺の気が済まねぇ!」
こいつ、全く状況を理解できていないな。
たしかに、ロイドたちを見つける方法の一つは教えたが、慌てなくても見つける手段はいくらでもある、という意味で教えてやっただけだ。その方法で解決しようとしているわけじゃないし、それだけじゃ決定的に足りない。
「ぶん殴って喧嘩して和解か? それともロイドが泣きながら謝ったら許すのか? それで元の仲良しパーティに戻れるって? はっ、いかにもお花畑に住む、筋肉フェアリーちゃんの考えそうなシナリオだな。お手手繋いでお歌を歌うことだけが、脳の仕事じゃないんだよ、このメルヘン馬鹿」
「な、なんだとッ!?」
「いいか? 馬鹿はあっちも同じだが、あっちは必死だ。俺たちが追いつけば、それで済む話じゃない。喧嘩どころか、下手すれば殺し合いになるぞ?」
そうでなければ、俺たちから逃げたりなんてしない。
ロイドが横領し、使い込んだ千二百八十万フィルは、既に失われた金だ。この分だと、
だが、それを合計しても千六百八十万フィル。その内、俺とヴァルターの貢献分が八百四十万フィルだから、これが奪われた金になる。
大金ではあるが、優秀な
これは決定的な裏切りであり、関係の断絶だ。
謝罪する道を捨て去った以上、あちらにも相応の覚悟があるのだろう。追いかければ、仲間ではなく、敵対者として認識されることは間違いない。
「ヴァルター、おまえはロイドを確実に倒せるのか?」
ヴァルターとロイドは同じCランクの前衛職だが、タイマンで戦った場合、強いのはロイドだ。それも僅差ではなく、明確な差がある。
「……おまえの
希望的観測だな。俺の戦闘予測だと、二人で挑んで勝率は六割といったところだ。勝てたとしても接戦。深い損傷を受けることになるだろう。
なにより、ロイドは一人じゃない。
「なら、タニアとも戦えるんだな?
ヴァルターは目を逸らし、答えなかった。ようやく状況を理解できたらしい。
タニアはヴァルターの想い人だ。刃を向けることなんてできない。その弱点を抱えたままでは、俺の
仮に腹を据えることができたとしても、俺とヴァルター組より、ロイドとタニア組の方が強い。二対二での勝率は、二割程度だと予測している。
攻撃性能の高い剣士と、戦闘中にも治療のできる
「万に一つ、首尾よく勝てても、まず金は返ってこないな。このまま追いかけても、得られるものは何も無い。徒労に終わるだけだ。あいつらもそれがわかっているから、俺たちが追いかけてくる可能性は低いと考えているだろうな。それも逃げた理由だ」
「くそったれッ! だったら、泣き寝入りするしかねえのかよッ!」
「泣き寝入り? 馬鹿を言うな」
泣き寝入りなんて、絶対にありえない。
あの二人は、夜逃げをする方が得だと判断した。俺たちが、無理をしてまで追いかけてこないだろう、と高を括っているからだ。ヴァルターが、タニアを傷つけられないことも見越しているはず。
ヴァルターの純情なんてどうでもいいが、俺があいつらに舐められることだけは、何があっても我慢ならない。
「俺のモットーは、千倍返しだ。あの二人に、それを思い知らせてやる」
そう宣言した時、部屋のドアをノックする音が聞こえた。
「ノエルさ~ん! 洗濯するのれ、洗濯物出してくらさ~い!」
舌足らずな声の主は、ここ星の雫館の看板娘マリーだ。
扉を開けてやると、フリルのついた可愛らしい給仕服を着た背の低い女の子が、籠を持って立っていた。
「わおわおっ! ノエルさん、相変わらず素敵な細マッチョれすね!」
頬を赤らめるマリーを見て、上が裸のままだったことを思い出した。
このガキンチョ、まだ十歳なのに、男の裸体に興味津々なんだよな。店の親父の話によると、マリーの部屋には、気に入ったイケメンをモデルにした絵が山ほどあるらしい。しかも、単体ではなく、男同士をくんずほぐれつ絡ませたものばかりだとか。
まったく、お子様の癖に、高尚なご趣味をしていらっしゃる。
「洗濯物だな? すぐに出すから待って――」
「はわわわっ、ひょっとして取り込み中れしたか!?」
「はぁ?」
マリーは、俺とヴァルターを交互に見比べ、その目を爛々と輝かせている。
「上半身裸の王子系イケメンと、屈強なアニキタイプのイケメン……。そんな二人が密室にいて、何も起こらないはずがなく……」
「マリーちゃん、何を言ってるの? 洗濯物を取りにきたんだよね?」
「はぁ~~っ! 尊い尊いぃ~~~~っ!!」
俺の問いかけを無視し、妄想の世界でハッスルしているマリーは、狂った奇声を上げながら駆け去っていった。
「インスピレーションがぁぁぁぁっ!!!!」
何のインスピレーションかは想像したくないし知りたくもないが、とにかくマリーは幸せな夢の世界にトリップできたらしい。
そのまま永住して二度と帰ってくるんじゃないぞ、と心から願う。
「な、なんなんだ、あのガキは?」
ヴァルターの質問に答えられる者は、誰もいないだろう。だから、在りのままを伝えることにする。
「見た通り、変なガキだよ」