第38話 善悪の彼岸
「今日から酒場を変える。
夜、酒場が
「
「なんだ、知ってたのか。その通りだ」
俺が頷くと、コウガは目を丸くして仰け反った。
「ほ、本気か? ワシは
「普通ならな。だが、何事にも抜け道はある。そうだろ、アルマ?」
その実演者であるアルマは、笑って肩を竦めた。
「店の常連たちに、腕っ節の強さを認めさせればいいんだよね? ボクがお猿さんを叩きのめした時みたいに。でも、Bランク最上位が相手だと、今の戦力じゃ難しいと思うよ。ノエルはランクアップしたてだし、ボクとコウガはまだCランク」
CランクとBランクの間には絶対的な差は無く、状況が整えばCランクでもBランクに勝つことは十分に可能だ。だが、基本的なスペックが高いのは、やはりランクアップの恩恵を受けたBランクである。戦術を駆使して戦っても、単純な力勝負に持ち込まれてしまえば、容易く負かされてしまうことだろう。
「じゃけぇ、店を変えるにしても、身の丈に合った店の方がええじゃろ」
心配そうに眉をひそめるコウガに、俺は笑って首を振る。
「
「い、いや、じゃけぇ……」
「まあ、見てろ。皆が俺たちを歓迎してくれるさ」
足を速めると、二人がその後をついてくる。やがて、目的の店が見えてきた。俺は躊躇することなく、店のドアを開いた。
店内にいたのは、一見してわかる歴戦の猛者たち。その威圧感は、
新参者の俺たちに向けられる視線は、大半が鋭く敵意に満ちていた。あるいは、これから俺たちに起こることを期待する眼差しである。
「見ねえ顔だな、嬢ちゃん。どこの
下卑た笑みを浮かべて近づいてきたのは、黒い甲冑を身に纏った鷲鼻の大男だ。その傷だらけの顔は、数多の戦場を駆け抜けてきた証である。
「俺は嬢ちゃんじゃない。男だ」
「男だぁ? はっ、そんな綺麗な顔をしていて、男も糞もあるかよ。例え金玉が付いていても、てめぇはお嬢さんなのさ」
大男は顔の傷をこれ見よがしに撫で、傲岸に俺を見下ろしてくる。コウガとアルマは今にも武器を抜きそうな気配だ。それを手で制する。
「顔に傷があれば男か。じゃあ、あんたはよっぽど男になりたかったんだな。金玉はちゃんと生えてきたかい、お嬢さん?」
「なんだと、てめぇ……」
色をなす大男を俺は冷たく笑い、店内の全員に聞こえるよう声を張り上げた。
「自己紹介がまだだったな。俺は、話術士ノエル・シュトーレン。
その宣言に、周囲は一瞬で騒然とし、すぐに怒号が飛び交い始めた。
「新参が、ふざけんな! 誰がてめぇを客として認めるもんか!」
「
「話術士なんて糞雑魚
「目障りだから、さっさと叩き出しちまえ!」
ギャラリーの罵詈雑言に、大男は勝ち誇ったように口元を歪める。
「これが皆の総意だ。怪我したくなかったら、失せな」
「野蛮だな。だが、そういうシンプルなのは嫌いじゃない」
「話術士風情が粋がるじゃねぇか。いいぜ、表���出な。まとめて面倒みてやる」
大男が顎で店の外を示すと、俺は一歩前に出る。
「俺たちを一人で相手するつもりか? 大した自信だな。
大男――エドガーは、鼻白んだ様子を見せたが、すぐに気勢を取り戻した。
「ふっ、俺のことを知っているから、対策は完璧だと言いたいのか? 甘いんだよ、素人が。おまえと俺では、対応力が違うってことを――」
得意気に話すエドガーの言葉を遮り、小声で囁く。
「男ならブルーノ。女ならカチュア。良い名前じゃないか。愛を感じるね」
「…………え?」
一瞬にして血の気が失せて固まるエドガー。俺は更に一歩前へと出る。
「仲間にはまだ言っていないんだよな? 付き合っている女に子どもができた、ってことは。おめでとう、エドガー。初めての祝福は俺が贈らせてもらうよ」
「な、なんで、そのことを……」
「企業秘密。そんなことより、俺と喧嘩をしたいんだったな?」
俺はエドガーを見上げて満面の笑みを浮かべる。
「おまえが望むなら、相手になってやるよ。ただし、これだけは覚えておけ。俺と喧嘩をしたいなら、おまえの全てを賭けてもらうぞ」
「て、てめぇ……」
暗に家族に害を加えると言ったことで、エドガーは怒りと恐怖が複雑に入り混じった顔になる。もちろん、そんな小物染みたことをする気は無い。
だが、エドガーのように自分だけが一方的に他者を踏み躙れると勘違いしている馬鹿には、この手の脅し文句が効果覿面だと端からわかっていた。
嘘も方便とは、よく言ったものである。
「おい、エドガー! どうかしたのか!?」
エドガーの仲間が異変を察知して立ち上がろうとする。仲間にこられると面倒だ。すかさず、俺はエドガーに囁く。
「お仲間がきたら開戦の合図と見なす。覚悟はできているだろうな?」
「こ、こっちに来るな! 俺だけで大丈夫だッ!」
従順に従うエドガー。こうなったらもう敵ではない。
「どうやら、俺との喧嘩は避けたいようだな。賢明な判断だ」
「……こ、この悪魔が」
「悪魔か、良い響きだな。悪い気はしない。ところで、用が無いのなら邪魔だ。そこをどいてもらおうか」
「ぐ、ぐぅっ……」
エドガーは歯を噛み締めて唸るだけで、動こうとしない。俺は肩を竦めて鼻で笑い、それから――殺意を込めて睨み付ける。
「どけ。殺すぞ」
「ひっ!」
小さく悲鳴を漏らして飛び退くエドガー。俺は開かれた道を堂々と歩き、空いていた席に座った。アルマとコウガも、呆れた顔をしながらやってくる。
エドガーを黙らせたことで、他の
エドガーは、この
「ノエル、ワシは今日のことで、ようわかったわ。あんたが一番怖い」
「業腹だけど同感。ノエル、完全に悪役」
しみじみと漏らす二人に、俺は苦笑する。
「心外だな。俺ほど優しい人間はいないぜ?」
†
†
新しい酒場で飲み食いするのは、やはり新鮮で食も進む。これから世話になる店主のご機嫌取りのために、高い酒と食事ばかりを頼んだので、アルマとコウガも上機嫌だ。
店に入ることはできた。だが、一番の目的はまだ達成できていない。俺はワインを飲みながら、店のドアをずっと注視している。
やがて、ドアが開き、新しい客がやってきた。
「来た、天翼騎士団だ」
目にしたのは初めてだが、ロキの情報通りの風体だ。リーダーのレオンを先頭に、三人の仲間が店内に入ってくる。
さて、どう接触しようか?
様々なパターンを考えていた時、まったく予想外の展開が起こった。
「あれ、アルマちゃんだ。え、新人じゃなかったの? どうして、ここに?」
メンバーの一人、エルフのオフェリアがアルマに反応したのだ。
『アルマ、知り合いか?』
話術スキル:
念話を送ると、アルマから返答があった。
『知り合いなのは、リーシャ。ボクは一度会っただけ』
『へえ、リーシャの』
『ノエル、気を付けて。あのエルフは、ノエルのことを風評で誤解している。ひょっとしたら喧嘩になるかも。まあ、別に喧嘩してもいいけど。ノエルのことを悪く言ってたから、好きじゃないし』
『了解した』
誤解、か。俺としては好都合だな。火を付けるのに最適だ。
『それと、もう一つ』
『まだあるのか?』
『ノエルは女の子だって広まっている』
『…………そ、そうか』
それは不都合だな。まあ、いいか。いや、良くは無いが。
「オフェリア、こんばんは」
アルマが返事をすると、オフェリアがテーブルに近づいてきた。
「そっちの二人が、アルマちゃんの仲間?」
「そう」
「へ、へぇ……。両方とも見ない顔なんだけど、よく追い出されなかったね?」
「皆、親切だったよ。笑顔で歓迎してくれたし、お菓子もくれた」
オフェリアは眉間に皺を寄せる。アルマの言っていることが嘘なのは明白だからだ。薄っすらとだが、敵意が混ざった警戒心も感じる。
「……そういえば、パーティの名前を聞いていなかったよね?」
「そうだった。ボクのパーティは、
「なんですって!?」
驚くオフェリアに、アルマはくすくすと笑った。
「ごめんね、オフェリア。黙ってて」
「じゃ、じゃあ、そっちの女が、リーダー?」
指を差されたので、俺は努めて鷹揚に頷く。
「そう、俺がリーダーのノエル・シュトーレンだ。あと、訂正させてもらうが、俺は女じゃない。男だ。絶対に忘れるなよ。次は無いからな」
「ノエル・シュトーレン……あんたが、あの……」
よほど酷い噂を耳にしたらしい。オフェリアの顔には、明確な敵意が表れていた。今にも弓で射抜かれそうなほどの敵意と嫌悪感だ。
「おや、怖い顔だな。何か俺に言いたいことでも?」
「……別に。気になるなら、自分の胸に手を当てて聞いてみたら?」
俺は言われた通り胸に手を当て、それから首を傾げる。
「心臓の音しか聞こえないんだが?」
「仲間を奴隷に堕とした奴が、よくもそんなことを……」
「ああ、そのことか。あいつらは良い糧になってくれたよ。
「あんたッ!!!」
激昂したオフェリアが俺に掴み掛かろうとした瞬間、コウガが椅子を蹴って間に立ちはだかる。その手は、刀の柄に触れていた。
「エルフの姉ちゃん、乱暴はあかんのう。こんなんでも、ワシの大事な親分なんじゃ。それに手ぇ出すんなら、相応の覚悟をしてもらうど」
「大した忠犬ね。仲間を奴隷に売るリーダーにはもったいないわ」
「ワシんことは、なんぼでも好きなように言えばええ。じゃがのう、次からは慎重に言葉を選んだ方がええど。――ワシに刀を抜かさせるなや」
「なっ……」
コウガが凄むと、オフェリアはたじろいだ。ランクが上の相手を威圧できるなんて、やはりこの男は優秀だ。
ちなみに、アルマは一緒に立ち上がっていたのだが、鼻っ面をコウガの鎧にぶつけて鼻血を出してしまっていた。今は鼻血を止めるために、涙目で上を向いているところだ。
「オフェリア、どうかしたのか?」
リーダーのレオンが、心配な顔をして様子を見に来た。
「あんたの仲間が、いきなり俺に掴み掛かろうとしてきたんだよ」
俺が先に答えると、オフェリアは顔を真っ赤にしたが、反論できず閉口した。
「そうなのか、オフェリア?」
「……ご、ごめん。ちょっと頭に血が昇っちゃって……」
「そうか……」
レオンは俺に向き直り、潔く頭を下げる。
「うちのメンバーが、申し訳ないことをした。本当にすまない」
「別に構わないさ。だが、二度と同じことがないように、きちんと躾ておけよ。犬でも教えれば人を襲わなくなる。あんたの仲間は犬以下だぜ?」
「……犬以下、だと?」
立ち昇る凄まじい怒気。顔を上げたレオンには、鬼神のような風格があった。
「今の言葉、取り消してもらおうか」
「居直るつもりか? 大した倫理観をお持ちだな」
「非礼は詫びる。望むなら何度でも頭を下げよう。だが、だからといって、オフェリアを侮辱して良い理由にはならないはずだ」
「要するに、喧嘩両成敗に持ち込みたいってわけか。あんた、策士だね。流石は、Bランク帯最強のパーティ、天翼騎士団のリーダー様だ」
俺が厭味な口調で皮肉を言うと、レオンは不快そうに眉を顰める。
「君は……」
「レオン、まともに会話しちゃ駄目だよ。こいつ、あの悪名高き、ノエル・シュトーレンなんだから。やっぱ、あの噂は全部本当だったみたい……」
オフェリアの言葉に、レオンは驚きながらも得心したように頷く。
「そうか、君があの……」
「噂話が好きだなんて、まるで乙女だな。天翼騎士団ってのは、副業でおままごともやるのかい? それとも、お人形遊びかな?」
「君は、最低だな。仲間を大切にできない者に、
レオンの愉快な台詞に、俺は思わず吹き出してしまった。
��資格ならとっくに発行してもらっているよ。それとも、あんたからも認めてもらわないと駄目なのかな? おやおや、気がつかなかった。どうやら、とっくに天翼騎士団様は、
「そうやって、他人を侮辱して生きていけばいい。だが、いつかは報いを受けることになるぞ」
「なんだ、今度は神様にでもなったつもりか? あんた、ちょっとばかり頭が高いぜ。身の程ってもんを知った方が良い。じゃないと、いつか報いを受けることになるぞ」
俺の鸚鵡返しにレオンは怒りで肩を震わせたが、それ以上は何も言わなかった。静かに踵を返し、店を出ていく。
「レオン、ちょっと待ってよ!」
追いかけるオフェリア。ようやく事態に気がついた他の二人の仲間も、その背中に続いて店から姿を消した。
「あの時の答え合わせをしようか」
前置き抜きに俺が言うと、アルマとコウガは首を傾げる。
「何の話じゃ?」「どうしたの?」
「大きな実績をすぐに得る方法だ。……まさか、忘れてないよな?」
二人は勢いよく首を振るが、どうにも怪しい。忘れてたな、こいつら?
「そもそも、実績というものは相対的なものだ。比較対象があってこそ意味を成す。つまり、俺たちが他の優秀な
「あ、わかったかも」
アルマは呟き、困ったように笑った。
「やっぱり、ノエルは悪人」
「え、どういうことじゃ? ワシにはわからんぞ」
察しの悪いコウガのために、俺は説明を続ける。
「
「あ、ワシもわかったかも……」
やっと理解できたコウガは、苦虫を噛んだような顔になった。
「やっぱ、ノエルは悪人じゃ。要するに、
「その通り!」
俺は指を立てて、陽気に笑った。
「天翼騎士団には、俺たちの踏み台になってもらいます」