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第32話 ランクアップ

「これはランクアップができる証だな」


 職能(ジョブ)は条件を満たすことで、ランクアップすることが可能となる。その証となるのが、身体のどこかに現れる紋様だ。


 右手の甲に現れた、本の形をした紋様は、それに間違いない。


「おお、そいはおめでとうさん!」


「おめでとう、ノエル」


 二人に拍手をされた俺は、正直なところ複雑な気もちだった。小鬼(ゴブリン)を倒してランクアップというのは、どうにも締まらないからだ。


 まあ、尻に紋様が現れなかっただけ良しとしよう。


「ノエルもランクアップできるようになったから、仲間外れはコウガだけ」


 アルマの意地の悪い言葉に、コウガは目を丸くする。


「え、アルマもランクアップできるんか?」


「そうだよ。余裕」


「ほいじゃあ、その証拠を見せてみ」


「はぁ? 変態。死んでくれる?」


「なんでじゃ!?」


 またぞろ始まったくだらない喧嘩に、俺は頭を抱えた。


「アルマ、新人いびりはもう止めろ。おまえ、この中だと最年長だぞ。少しは大人の振舞いってものを身に着けたらどうだ?」


「……うっ」


「コウガ、知らなかったようだから仕方ないが、ランクアップの紋様が現れる場所は人それぞれだ。デリケートな場所に現れることもあるから、軽々しく見せろと言うのは止めておけ」


「あ、そういえば、そうじゃった……。アルマ、すまんかった」


 律義に頭を下げるコウガに、アルマは複雑そうな表情をする。


「別に、謝らなくてもいい……」


 ばつが悪そうなアルマ。その顔が面白くて、俺は忍び笑いを漏らした。


「まあ、コウガもすぐにランクアップできるはずだ。仲間外れになるなんて心配をする必要はないさ」


「ランクアップって、そがいに簡単じゃったか?」


「簡単ではないな。だが、Bランクに関しては、条件さえ達成できれば、高い確率でランクアップが可能だと言われている」


 もちろん、絶対というわけではない。条件を達成してもランクアップできなかった探索者(シーカー)はたくさんいる。だが、コウガの才能なら確実だろう。


「例えば、話術士のランクアップ条件は、支援(バフ)を使用した戦闘の経験値を、累計で一万ポイント溜める、だ」


「その一万ポイントって、どうやってわかるんじゃ?」


「統計的に、同格相手との戦闘が、一回につき一ポイントだ。この数値は、敵の強さと数に応じて、指数関数的に上昇していく。つまり、安全な戦闘だけをこなしていたらランクアップするのに膨大な時間が掛かり、逆に危険な戦闘をこなせば時間を短縮できるというわけだ」


「なるほどのう。そいなら、すぐにランクアップできそうじゃ。これからずっと、ギリギリの戦いに挑んでいくんじゃろ?」


「そういうことだ。なにより、コウガには地下闘技場での経験値もあるし、その分を考慮すれば、ランクアップに掛かる時間が長くなるとは思えない」


 大物食いのルーキーと呼ばれていた俺が、一年間ほとんど休むことなく戦い続けて、ようやく紋様が現れたことを鑑みると、ランクアップが茨の道であることは間違いない。だが、数さえこなせば達成できる条件でもあるため、戦闘を恐れない者なら必ず超えられる壁だ。


 これがAランクになると、また話が違ってくるのだが……。


「そうそう、言い忘れていた。これからは深淵(アビス)を探索し続けることになるが、少しでも心身に異変を感じたらすぐに言うように」


「なにか問題でもあるの?」


 首を傾げるアルマに、俺は頷く。


深淵(アビス)というのは、つまるところ魔界(ヴォイド)だ。長く留まり過ぎると、あちら側に魂が引っ張られることになる」


「死ぬってこと?」


「死にはしないが、魂が変質して精神に異常をきたす。そうなった探索者(シーカー)を、深淵憑き(ダークシーカー)、と呼ぶ」


「対処法は?」


「簡単だ。仲間同士が互いに声を掛け合えばいい。陳腐な言い方になるが、人の絆こそが魂を守る一番の防壁だ。だから、ソロ活動しているのでもなければ、滅多に深淵憑き(ダークシーカー)になることはないが、念のために伝えさせてもらった」


「戻す方法はな���んか?」


 コウガの質問だ。俺は少し考えてから首を振った。


「無い」


「ほうか」


 コウガが神妙な顔をした時、遠くから馬車のやってくる音が聞こえた。


「回収班が来たようだな。この臭い場所ともおさらばだ。アルマ、帝都に帰ったら俺はランクアップするが、おまえはどうする?」


「……ごめん、もう少しだけ待って」


「わかった。心が決まったら教えてくれ」


 職能(ジョブ)のランクアップは不可逆だ。一度決めたランクアップ先を、後から変えることはできない。だから、アルマに限らず、迷う探索者(シーカー)は多いし、そのことに対して不満は無かった。


 俺が即断できるのは、単に選択肢が無いからである。





 職能(ジョブ)を発現させるのに鑑定士が必要なように、職能(ジョブ)をランクアップするのにも鑑定士の助けが不可欠だ。


 鑑定士は全ての職能(ジョブ)の中でもかなり特殊で、その力は鑑定を必要とせず、生まれながらに備わっている。また、ランクアップも無い。


 鑑定士として生まれた者は各自治体から帝都に集められると、鑑定士協会(ギルド)で専門の教育を受けていくことになる。


 一人前になった鑑定士の主な仕事は、帝都や各自治体で人々の職能(ジョブ)を発現させることだ。その仕事が無い時は、これまでに鑑定してきた職能(ジョブ)の研究をする。各スキルの数値も、鑑定士が秘蔵されているデータを基に算出したものである。


 鑑定士の存在は、人々の営みに欠かすことができない。もし鑑定士がいなければ、この世界は一変することになるだろう。当然、悪い方に。


 だが、正直なところ、俺は鑑定士が大嫌いだった。


「本日はよくいらっしゃってくれました、ノエル・シュトーレン様」


 白亜の荘厳な神殿調の建物――鑑定士協会(ギルド)館に入り、長い待ち時間に耐えた俺は、担当者がいる部屋に通された。部屋にいたのは、ノームの若い女だ。


「ランクアップをご希望だとか。大変素晴らしいです。あなたの新たな門出に立ち会えること、鑑定士として心から嬉しく思いますよ」


 担当の鑑定士は笑顔で話すが、その眼はちっとも笑っていない。


 こいつらは幼少期から特殊な教育を受けてきたせいか、人に対する興味が全く無く、その知識欲求の全てが職能(ジョブ)の研究にのみ向いている。まるで実験動物を見るような眼を向けてくるのだから、相変わらず好きになれない人種だ。


「それでは、話術士であるノエル様がランクアップ可能な職能(ジョブ)をお伝えしますね。まず、吟遊詩人。次に戦術家。最後が魔獣使いになります」


 事前に調べた通りの内容だ。


 話術士のランクアップ先は三つ。


 歌の力で支援(バフ)を更に強化することができる職能(ジョブ)、吟遊詩人。


 集団戦に特化した多彩な支援(バフ)を使うことができる職能(ジョブ)、戦術家。


 変異種(モンスター)と意思疎通し従えることができる職能(ジョブ)、魔獣使い。


 だが、この三つの中からでは、俺が選べる職能(ジョブ)は一つしかない。


 まず、吟遊詩人の支援(バフ)を強化できる特性は魅力的だが、歌いながら司令塔の役割をこなすことは不可能だ。よって、吟遊詩人は却下。


 次に、魔獣使いだが……話にならない。


 たしかに、変異種(モンスター)を従えられる特性にはロマンを感じる。だが、変異種(モンスター)を従えるということは、その飼育もするということだ。この地価の高い帝都で、十分な広さの飼育場を設けることは現実的ではない。強い変異種(モンスター)は総じて大型であるため猶更だ。エサ代だって馬鹿にならないだろう。


 なによりも、既に人間の仲間がいるのに、あえてそこに変異種(モンスター)を加える意味を感じられない。人間と変異種(モンスター)では戦い方が全く異なるし、完全に連携できるようになるまでの苦労を想像すると、それだけでげんなりとしてしまう。


 だから、魔獣使いも却下だ。


 となると、残された選択肢は、必然的に一つしかない。


「ノエル様は、どの職能(ジョブ)をお選びになりますか? ちなみに、私のおススメは、魔獣――」


「戦術家だ。戦術家で頼む」


 鑑定士が何か言おうとしたが、それを遮って俺は自分の意思を伝える。


「……戦術家、でございますか。なるほど、たしかに探索者(シーカー)の方ならば、より汎用性の高い戦術家が好ましいでしょうね。ですが、この魔獣――」


「戦術家だ。戦術家以外になるつもりはない」


「……ふむ。ですが、やはりなんと言っても、私のおススメは――」


「おまえのおススメなんて知ったことか。いいから戦術家にしろ」


 俺が苛立ちながら急かすと、鑑定士は悲しそうに眉尻を下げた。


「……どうしても、ですか?」


「どうしても、だ。問答無用」


「……ちっ」


 この糞鑑定士、舌打ちをしやがった。


 こうも俺を魔獣使いにさせたいのは、単に魔獣使いのデータが少ないからだ。新しい研究対象を欲しいがために、しつこく俺の人生を狂わせようとしているのである。


 まったく、これだから鑑定士は嫌いなんだ。


「はぁ、わかりました。戦術家、でよろしいんですね?」


「だから、何度もそう言っているだろ。早くしてくれ。俺は忙しいんだ」


「では、決意も固いようなので、儀式を始めさせて頂きます」


 鑑定士は両手を広げ、共通言語とは異なる言葉で歌を歌い始めた。専門家ではないので詳しくは知らないが、古代ノーム語の歌らしい。


 そもそも、鑑定士という特殊な職能(ジョブ)は、ノームから発祥したものだ。したがって、全体の八割近くがノームである。他の人種も、先祖を辿ればノームの血が混じっている者たちばかりだ。


 歌の意味は、こうである。


「我、汝の新たな扉を開かん。我、汝の新たな扉を開かん。汝、大いなる力を欲する者よ。その眼を、己が内なる海に向けよ。暗き水面を照らすは、叡智の光なり。光は扉となりて、現世へと至る。我、汝の新たな扉を開かん。我、汝の新たな扉を開かん――」


 やがて青い燐光が俺を包み、身体の奥底から不思議な力が湧いてきた――。





 話術士系Bランク職能(ジョブ)、戦術家。その特性は、思考速度の超補正だ。


 元々、話術士の知力補正は、全ジョブ中でトップクラスに高い。それが新たに得た特性のおかげで更に強化され、今や思考を分割して疑似人格を複数生み出し、その処理速度を保ったまま並列思考することさえ可能となった。


 この特性を利用すれば、戦況をリアルタイムであらゆる視点から分析できるため、未来予知に近い精度の戦闘予測を導き出せる。予測できる時間こそ極短いが、まさしく戦術家に相応しい特性だ。


 もっとも、この特性を実戦に活かせるかは、俺次第である。確実な未来がわかっていても、対応できなければ無意味だからだ。つまり、俺の手足となるアルマとコウガとの連携が、これまで以上に重要になってくる。


 ランクアップが済んだ俺は、鑑定士協会(ギルド)館を出て、探索者(シーカー)協会(ギルド)に向かっていた。目的はクランを創設する手続きだ。


 その道中、黄色い歓声が沸く人だかりに出くわした。


「キャーッ! カッコイイッ! こっち向いてー!」


「一緒にご飯食べようよ! 私、奢っちゃう!」


「すいません! この剣の鞘にサインを頂けませんか!?」


 どうやら、中心にいる人物はかなり女からの人気があるらしい。若い女から年配の女まで、しかも一般人だけでなく、明らかに探索者(シーカー)と思われる者たちもいる。


 探索者(シーカー)は人々のアイドルだ。帝都では年に一度、各新聞社が合同で調査をする、抱かれたい男ランキングと彼女にしたい女ランキングがあるが、その上位の全てを探索者(シーカー)が埋めているほどだ。


 だが、同業者からも憧れる者ともなれば、かなり限られてくる。興味が湧いてきた俺は、集団の中心にいる人物を見てやろうと背伸びをした。囲んでいる者たちが女ばかりなので、苦も無く目的の人物を視界に捉えることに成功する。


 軽く癖がついた亜麻色の髪の美青年だ。年齢は二十代半ば。俺よりも頭一つ身長が高い。柔和な顔立ちをしていて、常に目を細めている。羽織っている紺色のコートが髪の色とよく合っていた。そして、腰の剣帯にはロングソードが吊るされている。


 知っている男だ。なるほど、女どもが群がるのも無理はない。なにしろ、帝都の抱かれたい男ランキングで、三年連続一位を取っている男だからだ。


 もちろん、顔人気だけの男ではない。その実力も肩書も圧倒的だ。


 帝都最強クラン、七星(レガリア)の一等星である『覇龍隊』。そのサブマスターを若くして務める天才剣士の名は、探索者(シーカー)なら誰もが知っている。


玲瓏たる神剣(イノセント・ブレイド)――ジーク・ファンスタイン」


 俺がその名を口にした瞬間、ふとジークがこちらに視線を向けた。


「あれ? 君ってノエル・シュトーレンだよね?」


 歓声の中でもよく通る声は、たしかに俺の名前を告げた。ジークは女たちを掻き分け、俺へと歩み寄ってくる。


「やっぱり、ノエル君だ。わぁ、奇遇だなぁ」


 穏やかだが白々しさを感じる物言いは、この男が最初から俺目当てだったことを察するのに十分な証拠である。


 そして、その理由も、おおよそ見当がついていた。

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