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第30話 監獄にようこそ!

 ヒューゴ・コッペリウスは、貧しい靴屋の三男坊として生まれた。


 家庭環境は劣悪で、父親や兄たちから振るわれる暴力に耐え、具の無いスープだけで飢えを凌ぐ日々だった。


 そんなヒューゴは、十歳の時に国が開く無料の鑑定会を受けたことによって、傀儡師(くぐつし)職能(ジョブ)が発現することになる。


 鑑定士は驚いた顔をしながら、熱っぽい口調で傀儡師(くぐつし)について説明してくれた。その説明によると、傀儡師(くぐつし)複合(デュアル)職能(ジョブ)というレア職能(ジョブ)らしい。


 本来は交わることのない、戦闘系職能(ジョブ)と生産系職能(ジョブ)、その両方の特性を有する極めて特殊な職能(ジョブ)なのだとか。


 もっとも、レアな職能(ジョブ)だからといって、それが人生の役に立つかは別問題だ。むしろ、母数が多い一般的な職能(ジョブ)の方が、先人たちの技術研鑽によって体系化されており、更に講師も多いため、初心者は能力を伸ばしやすい。


 一方、滅多に発現する者がいないレア職能(ジョブ)には、ほぼ独力で能力を磨いていかなければいけないという大きなデメリットがあるのだ。


 傀儡師(くぐつし)も当然その類だ。だが、ヒューゴは職能(ジョブ)が発現したばかりなのに、自身の職能(ジョブ)をどう扱うべきか感覚的に理解できた。


 試しにスキルを発動してみると、一瞬にして人形の兵隊が現れた。鑑定士は更に驚き、ヒューゴを天才だと誉めそやした。最初からこうも自在かつ完璧にスキルを扱える者は、滅多に存在しないからである。


 この瞬間、ヒューゴは自分が世界と噛み合うのを感じた。


 鑑定が終わった帰り道、ヒューゴは自宅には戻らず、そのまま出奔。生まれた街を出て、放浪の旅に出ることにした。


 まだ十歳の子どもが独りで旅をするなんて、正気の沙汰ではない。


 実際、夜盗や獣、また変異種(モンスター)に襲われたことは何度もあったし、食あたりや病気で苦しむこともあった。だが、その全てを、傀儡師(くぐつし)職能(ジョブ)で乗り越えていった。


 いくつもの夜を生き延びたヒューゴは、自身の戦闘能力の高さを活かすべきだと考えるようになり、変異種(モンスター)退治等で生計を立て始める。そして、成人してからは、正式に探索者(シーカー)となった。


 養成学校こそ出ていないが、既にルーキーに収まらない実力を有しており、登録初日から数々の功績を上げていくことになる。


 だが、ヒューゴが特定のパーティやクランに所属することはなかった。


 渡り鳥、と呼ばれる類の探索者(シーカー)がいる。


 基本はソロ専門で、パーティ活動をする時も臨時の助っ人として入るだけ。特定の本拠地を持つこともせず、各地を転々と回る。それが渡り鳥だ。


 ヒューゴは渡り鳥だった。凄腕の探索者(シーカー)ではあったが、ソロ活動をメインとし、いくつもの土地でいくつものパーティと、一度きりのみの探索を共にする。それが、ヒューゴの探索者(シーカー)活動だった。


 幼い頃から誰にも頼らず生きる道を選んだせいで、群れることが嫌いだったのもある。だが、それ以上に、探索者(シーカー)を長く続けるつもりがなかったのが一番の理由だ。ヒューゴには、別の夢があった。


 優秀な探索者(シーカー)として名を馳せていたヒューゴには、多くのパーティやクランから連日のごとくスカウトマンが訪れた。帝都最強クラン、七星(レガリア)の一等星である『覇龍隊』から勧誘されたこともあったが、もちろん丁重に断った。


 ヒューゴが二十歳になった時、これまでの活動のおかげで、その手元には莫大な金があった。必死に節制して、これだけの金を貯めたのは、夢を叶えるためだ。


 ヒューゴは帝都の一角に、人形製作のための工房(アトリエ)を購入した。スキルによって生み出せる戦闘のための武骨な兵士人形ではなく、手づから観賞用のための芸術性を持った人形を作りながら暮らすことこそが、ヒュ���ゴの長年の夢だったのだ。


 そもそも、ヒューゴは争いごとを好まないタイプの男だ。幼い頃に理不尽な暴力を受け続けてきたせいもあり、争いそのものを憎んでいると言ってもいい。だから、探索者(シーカー)を続けてきたのも嫌々だったのだ。


 夢が叶ったヒューゴは、精力的に人形作りに励んでいく。そして、その完成品は飛ぶように売れた。作れば作るだけ、欲しいと望む者たちが現れた。人形の製作依頼は、帝都に住む老若男女だけに留まらず、遠い異国に住む者からも届いた。


 こうもヒューゴの人形が愛されたのは、もちろんその精巧さが他と比べてズバ抜けていたこともあるが、なによりも不思議な魅力が秘められていたからだ。


 手に取った者は口を揃えて言う。この人形を見ていると、心が温かくなり家族を大切にしたくなる、と。


 それは、全くヒューゴが意図していない感想だった。ただ自分の望むままに作っていたのだが、無意識にそういった思いが込められていたらしい。家族の愛を知らないせいなのか、気がつかないうちに自分が得られなかった理想が宿っていたのだろう。


 ヒューゴにとっては皮肉な話で、複雑な思いとなったが、自分の作品が評価される分には文句は無い。世に評価される芸術家というのは極めて稀だ。大半は誰にも知られることなく消えるし、評価されても晩年であったり死後だったりすることもある。


 若くして成功したヒューゴは、間違いなく芸術の神の寵愛を受けていた。


 だが、運命の神は、ヒューゴを愛さなかったようだ――。


 その日、ヒューゴは完成した人形を依頼主の下に届けに行った。帝都に限定するが、配達業者を頼らず、自分の手で依頼主に我が子同然の人形を渡すのが、二十二歳となったヒューゴの楽しみだったからである。


 依頼主である富豪の邸宅に入ったヒューゴは――そこで意識を失った。


 気がつくとヒューゴは邸宅内の床に倒れており、その周囲はおびただしい血で濡れていた。そして、目の前にあったのは、依頼主一家と使用人たちの死体だった。


 死体は酷く損傷していた。詳細に言えば、皮が剥ぎ取られ、まるで剥製のようにマネキン人形に貼り付けられていた。中身は中身で、ヒューゴの周囲に散らばっている。


 あまりの異常事態にヒューゴが呆然としていると、すぐに憲兵団が現れた。どうやら、邸宅の前を通りかかった者が、悲鳴を聞いて通報したらしい。


 この凄惨な事件の犯人として、ヒューゴは逮捕されることになる。


 もちろん、取り調べでも裁判でも、必死に無罪を訴えた。だが、訴えが聞き入れられることはなく、ヒューゴは死刑を宣告された。


 事件現場には、ヒューゴ以外の犯人を示す証拠が無かったのだ。裁判官はヒューゴが人形を作り過ぎたせいで精神を病み、その結果として凶行に至ったのだと判断した。


 死刑囚となったヒューゴのことは、すぐに帝都中が知ることになった。各新聞社は天才人形作家の異常犯罪を面白おかしく書き立て、ヒューゴをこう呼ぶようになる。


 近年最悪の猟奇殺人鬼、血まみれの剥製師(レザーマスク)、と。





 牢獄は暗く湿っている。石の壁と床は固く冷たい。ベッドなんて上等なものは無く、無造作に藁が置かれているだけだ。それと、排便するための桶。


 そんな牢獄の片隅に、ヒューゴ・コッペリウスは座っていた。


 かつて美男子として持て囃された面影は、もうどこにも見当たらない。髪も髭も伸び放題で、身体はすっかり痩せ衰えている。ぼろ布のような服を着たその姿は、もはや浮浪者というよりも屍鬼(ゾンビ)に近い。


 あれから二年の月日が流れた。


 実際、今のヒューゴは、屍鬼(ゾンビ)のようなものだ。生きる気力はとうに失っており、顔に蝿が止まっても微動だにしない。


 鑑定士協会(ギルド)が、学術研究のためにヒューゴの職能(ジョブ)を調査しているため、刑の執行はまだ行われていない。


 だが、二年もかかった調査は、ようやく終わりを迎えようとしている。そうなれば、ヒューゴの刑は速やかに執行されるだろう。


 もはや、死ぬことに恐れはない。むしろ、待ち遠しいほどだ。


「百十三番! 起きろ! 面会人だ!」


 不意に怒声がし、看守が牢の扉を開けた。


「さっさと立て!」


 看守に無理やり起こされ、ヒューゴは仕方なく立ち上がる。その首に嵌められている首輪を、看守は用心深くチェックした。


 この首輪は悪魔(ビースト)の素材で作られたアイテムで、嵌められた者がスキルを使おうとすると、その消費される魔力を暴走させる効果を持っている。つまり、スキルが使えないどころか、暴走した魔力で形容し難い痛みに襲われることになるのだ。


「よし、首輪に問題はないな。行くぞ!」 


 手を縄で縛られ、ヒューゴは看守に引っ張られる。


 辿り着いた面会室は、太い鉄格子で分かれている。格子の向こうには、既に面会人が座っていた。


「今から五分間の面会を許す! 問題行動は起こさないように!」


 看守は部屋の隅に立ち、顎でヒューゴが前に行くよう促す。ヒューゴはため息を吐き、面会人の前の椅子に座った。


「……また、君か。ノエル・シュトーレン」


 ノエルは格子の向こうで不敵に微笑む。


「ヒューゴ、また痩せたんじゃないのか? ここの飯が豚の食い残しみたいに酷いのは知っているが、それでもちゃんと食え。おまえに死んでもらっては困るんだよ」


「ここから私を出して、君の仲間にするため、か?」


「その通り!」


 明るく答えられ、ヒューゴはまた溜め息を吐いた。


 こうやってノエルが面会に来るのは三回目のことだ。それ以前は手紙だった。目的は一貫して、ここから出してやるから仲間になれ、である。


「何度も言うが、それは不可能だ。私の刑は既に確定している。あの権威主義の司法省が、判決を翻すことなんてありえない」


「そんなもの、いくらでもやりようがある」


 自信満々に断言するノエル。


 ヒューゴは無理だと言いながらも、それを笑うことはできなかった。そもそも、こうやって死刑囚の自分と気軽に面会できている時点で、何らかの搦手を使っていることは確実だ。


 だからといって、その言葉を鵜呑みにすることもできないのだが。


「信じてない、って顔だな」


「当たり前だろ。君が特別なのはわかっている。だが、それを踏まえても、私をここから出すのは無理だ」


「俺をあまり甘く見ない方がいい。既におまえを釈放させる準備は整いつつある。その力の一端を見せてやろう」


 ノエルは不意に指を鳴らした。


 すると、向こう側の扉が勢いよく開き、別の看守が走ってやってくる。囚人に不当な暴力を振るうことで有名な男だ。ヒューゴも何度も酷い目に遭わされた。


「お、お呼びでしょうか、ノエル様!」


「茶」


「わ、わかりましたっ! すぐにお持ち致します!」


 看守はまた走り、皿に乗ったティーカップを持ってきた。


「お待たせして申し訳ありません! 紅茶でございます!」


「ん、ご苦労。用は済んだ。出て行け」


「はっ! かしこまりました! また御用があればなんなりと!」


 慇懃に礼をして去っていく看守。


 呆気に取られたヒューゴの前で、ノエルは優雅に紅茶をすする。


「良い茶葉だ。高い税金を搾り取っているだけはある」


「……信じられないな。あの看守を脅しているのか?」


「あの、じゃない」


 ノエルがヒューゴ側にいる看守に視線を向けると、看守は顔を真っ青にして奥歯をガタガタと鳴らした。


「この監獄全ての看守は、俺の言うことを聞く。上から下まで全員な」


「……何をしたんだ?」


「企業秘密」


 よくはわからないが、とんでもなく大掛かりなことをしているのはわかる。ひょっとすると、本当にここから出してくれるのかもしれない。だが、ヒューゴは特に喜ぶ気にはなれなかった。そんな気力さえ、もう無いのだ。


「どうした? 嬉しくないのか?」


「……仮に、ここから出られたら、それはとても嬉しいことだ。でも、残念ながら君の仲間にはなれない」


「なぜ?」


「まず、そもそも私は探索者(シーカー)業が嫌いだ。そしてなにより、ブランクがありすぎる。仲間になったとしても、力になれそうにない」


「好きになるように努力しろ。ブランクを埋められるように訓練しろ」


「……君は、無茶苦茶を言うなぁ。だが、ここから出られたら、君に返せないほどの借りができることも事実だ。だから、その時は、何か別の方法で返させてほしい」


「ふん、別の方法なんてあるものか」


 ノエルは腕を組んで不快そうに鼻を鳴らした。


「まあ、いい。その話はまた今度だ。今日は少し頼みがあるんだ」


「頼み? この状態の私にか?」


「近々、クランを設立することになる。ただ、今のパーティ名は少し縁起が悪くてね。その機会に名称を変更するつもりなんだ。そこで質問なんだが、何か良いアイディアはないか?」


「なんで、私に聞くんだ? 自分で考えればいいじゃないか」


「おまえは芸術家だろ? 何か良いアイディアを持ってそうだからな」


「君、そんなこと言って、私を名付け親にすることで、そのクランに情をもたせるつもりじゃないだろうな?」


「そうだよ。悪いか?」


 厚顔無恥にもあっさりと白状したノエルに、ヒューゴは眉をひそめる。


「クラン名なんて、私は考えないぞ」


「なんだよ、ケチな奴だな」


「……君は蛇のような人間だな。狡猾で容赦が無く、人を誑かして丸呑みにしようとする。まったく、恐ろしい少年だよ」


「俺が蛇だぁ?」


 ノエルは怒りで片眉を上げたが、すぐに何やら考え込み始めた。


「……いや、蛇か。悪くないな。……うん、悪くない」


「何をぶつぶつ言っているんだ?」


「良いアイディアをもらった。ありがとう、ヒューゴ」


 何故か笑顔で感謝されたヒューゴ。首を傾げていると、ノエルが立ち上がる。


「そろそろ帰るよ。ちなみに、今ここで仲間になると言えば、食事の改善をするよう指示してやるが、どうだ?」


「余計なお世話だ」


「ふん、また来るよ。それまで元気でな」


 面会人のノエルが去り、ヒューゴはまた牢へと戻される。


 暗い牢獄の中、ふと笑いが込み上げてきた。


「ふふふ、本当に、無茶苦茶な少年だったな」


 笑うと乾いた唇が裂け、血が滲む。こうやって笑ったのは、いつ以来だろうか? 人並みの感情が、麻痺していた心をほぐしていく。


「私が、また探索者(シーカー)に、か……」

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