第29話 王者の器
ヤクザ編の最終話です。
その結末をお楽しみ頂けたら幸いです。
俺は咄嗟に自分の胸に手を当てた。
「……鼓動が、無い」
あるはずの心臓の脈動。それが全く感じられない。全身から一気に汗が噴き出す。いや、冷静になれ。本当に心臓が無くなっていたら、とっくに死んでいる。
なら、これは幻覚の類か? 話術士には精神
だが、直感が告げていた。これは、幻覚の類ではないと。
「取り乱さず、冷静に状況を確認できるなんて、流石ね」
「……おまえ、俺に何をした?」
「これ、
「対人特化の即死スキルか……。だが、俺はまだ生きている」
「空間を超えて、アナタと繋がっているからね。アタシがアナタから五メートル以上離れるか、あるいは握り潰すかすれば、即死だけれども。つまり、文字通り命を握っているってわけ」
フィノッキオは微笑を浮かべながら、俺の心臓を愛おしそうに撫でる。痛みこそないが、全身に吐き気を催す悪寒が走った。
「ノエルちゃん、アナタって少しばかり……ううん、洒落にならないレベルで、優秀過ぎるのよね。とても十六のガキには思えないわ。これはオカマの勘だけど、アナタはいつか、ルキアーノ
「だから、災いの芽は早いうちに摘もうってことか」
「その通り。でも、アタシも鬼じゃないわ。最後のチャンスをあげる。ノエルちゃん、ルキアーノ
「なるほど。それは、お優しいことで……」
俺は思考を巡らせ、この状況を打開する策を考える。身体は先の戦闘でまともに動かない。仮に動けたところで、Aランク相手には逃げることさえ叶わない。
問題なのは、下手に事を荒立てれば、フィノッキオは確実に俺の心臓を握り潰す、ということだ。このオカマが、他者の乱入を許すほど間抜けなわけがない。
なら、どうする? オカマの脅しに屈するのか?
「…………ふっ、ありえないな」
俺はよろめく身体を押して立ち上がり、フィノッキオに歩み寄った。
「なに? 心臓を取り戻すつもり? 言っておくけど、アタシとアナタの戦力差じゃ、そんなこと逆立ちしても無理よ。億に一つ取り返せたとしても、それで終わり。アタシがスキルを解除しない以上、心臓はアナタに戻らないわ」
「フィノッキオ・バルジーニ、おまえは正しい」
「は? 何言ってんの?」
首を傾げるフィノッキオに、俺は更に歩み寄る。
「俺は、いずれ
「ちょ、ちょっと! 急に近づかないでよ! アタシが心臓落としても、アンタ即死なのよ! わかってんの!?」
「俺を殺すんだろ? やれよ。やってみろ」
もう一歩前へ。俺とフィノッキオの距離は、既に互いの息がかかるほど近い。
「だが、忘れるなよ。俺を殺した瞬間、おまえはルキアーノ
「な、なんですって?」
「将来的に厄介な奴は弱いうちに殺す。それは弱肉強食の世界じゃ正しいことだ。だが、漢のすることじゃねぇよな? 言い換えれば、ビビってるってことなんだからよ。そこに、
「ア、アンタ……よくもこの状況で……」
怒りと困惑で顔を痙攣させるフィノッキオ。互いの身長差は頭一つ分あり、背の低い俺はフィノッキオを見上げる形だ。
だが、俺は一歩も退かず、フィノッキオを睨み付ける。
「俺の王は俺だけだ。���は、誰にも縛られない」
「くっ、ア、アンタ……」
その瞬間、フィノッキオは一歩下がった。下がってしまったことに、信じられないという形相をする。
「ア、アタシが……胆で負けた……ですって?」
呆然としていたフィノッキオは、やがて声を上げて笑い始めた。
「アハハハハハハッ! もう、ノエルちゃんったら、怖い顔! 冗談よ、冗談! アタシがノエルちゃんを殺すわけないでしょ? はい、余興はお終い!」
心臓を持っていた手をひっくり返すと、俺の身体に脈動が走った。確かな生きている証。どくんどくん、という音が、胸の奥で休まず打っている。
「ごめんね、驚かせちゃって。じゃあ、もう行くわ。バイバ~イ!」
ドアへと向かうフィノッキオは、去り際にドスの利いた声で呟いた。
「吐いた唾呑み込むんじゃねぇぞ、糞ガキ。このオレを胆で負かした男が、頂点を取らずに終わるなんて絶対に許さねぇからな」
「当たり前だ。おまえは黙って見てろ」
†
†
雨が降りしきる中、フィノッキオは花びらのようなフリルがあしらわれた紫の傘を差し、しかめっ面で黙々と歩いている。
後ろに従う屈強な子分の一人が、溜め息混じりに口を開いた。
「
「はぁ? なにが?」
「ノエルのことですよ。あのまま野放しにして、後で問題になりませんか?」
「知らないわよ、そんなこと! なるようにしかならないでしょ!」
拗ねた口調で答えたフィノッキオは、不意に足を止めて肩を落とす。
「……やっぱ、まずかったわよね?」
「まずかったですよ。絶対に後で困ったことになりますって」
「そうなのよねぇ……。アタシの勘って本当に当たるから……」
「今から殺しに戻りますか?」
「そ、そんな、恥ずかしい真似、できるわけないでしょうが!」
理性とは裏腹に、どうしてもノエルを始末する気になれないフィノッキオ。だが、そんな
「
出し抜けに質問されたフィノッキオは、苦虫を噛んだような顔となる。
「ま、まあ、歳の割には腹が据わっていて、良い漢だったわ……。本当は弱っちぃ癖に、一生懸命頑張っていてさ、見ていて応援しちゃいたくなるところもあるわよ……。で、でもね! あんなチンチンついているんだかついてないんだかわからないような顔の男、全然好みじゃないんだからねっ!!! アタシが好きなのは、ダンディなオジサマなんだからッ!!!」
「
「な、なによ?」
「恋、ですね。素敵です」
「はあああぁぁぁああああっ!!?? アンタ、何言ってんの!? ぶっ殺すわよ!!! このアタシが、あんなガキに惚れるわけないでしょうがッ!!! ア、アンタ、一ヶ月減給よ!!! 減給ッ!!!」
そんな騒々しい会話をしていた時、別の子分が現れた。
「
道端に放り出されたのは、全身泥だらけとなったアルバートだ。あの暴君振りから一転して、まるで子犬のように震えている。
「あらあら、アルバートちゃん。すっかり汚くなっちゃったわね」
「ひ、ひぃっ、フィ、フィノッキオ!」
「お姉ちゃん、でしょ? あ、でも、もうウチの関係者じゃないから良いのか」
「た、たたた、助けてくれ!!! 嫌だ、俺は死にたくない!!!」
無様に命乞いをするアルバートに、フィノッキオは氷のような眼をした。
「片や心臓を握られても誇りを失わない漢、片や守る誇りすら持たないゴミ、とても同じ人種とは思えないわね。……そんなに死にたくないの?」
「死にたくない!!! 助けてくれるなら、なんでもする!!!」
「じゃあ、助けてあげる」
「ほ、本当か!?」
「ええ、構わないわよ」
フィノッキオの顔に、凶兆を含んだ笑みが現れる。
「ウチの養豚場で飼ってあげるわ」
「……よ、養豚場、だと?」
「ええ、養豚場。手足を斬り落とすから、豚さんと同じように歩きなさい。ウチの種豚ちゃんの相手もしてもらうわ」
「な、なななっ……」
あまりにも残酷な扱いに、アルバートは言葉を失った。
「ああでも、豚ちゃんって雑食だから、アルバートちゃん食べられちゃうかもね。その時は、ごめんね。せいぜい、種豚ちゃんのご機嫌を取りなさいな」
「ふ、ふふふ、ふざけるなッ!!! お、おい、やめろ!!! 俺に触るな!!! 放せ!! 放せえぇッ!!! やめろおおおおぉぉッ!!!」
フィノッキオの子分に問答無用で担ぎ上げられたアルバート。その肩の上で必死にもがき、助けを求めて叫ぶが、彼を助ける者は誰もいない。
「種豚ちゃん、新しい恋人を喜んでくれるかしら?」
頬に片手を当てながら首を傾げるフィノッキオ。その口元の歪みは、まさしく
†
†
決闘の後日、俺の口座にフィノッキオから五千万フィルが振り込まれていた。
あんなことがあった後だ。報酬を渡すのに何か条件でも付けてくるかと思っていたが、何も無かった。そういうところは、律義なオカマである。
五千万フィルの内の三千万フィルは、
それと、オマケとして頼んでいた品も届いた。銀色の指輪と血文字が書かれた皮紙。コウガを縛っている隷属の誓約書だ。
「さて、これでおまえの所有者は俺になったわけだ」
俺は足を組んで椅子に座り、皮紙をひらつかせた。
星の雫館に借りている一室。今ここには、俺以外に二人の人間がいる。不機嫌そうな顔のアルマと、無表情で立っているコウガだ。
「だが、はっきり言おう。俺は奴隷なんざいらん」
「じゃったら、なんでそれを手に入れたんじゃ? それがあれば、ワシん力はおどれのもんじゃ。煮るなり焼くなり自由ど」
「多少腕が立つからといって、自惚れるなよ。
「……おどれの望みはなんじゃ?」
俺の望み、か。
そんなもの、二年前のあの日、今際の祖父に誓った日から決まっている。
「俺の望みは、ただ一つ。全ての
俺は手にしていた皮紙と指輪を、コウガに向けて差し出す。
「これはおまえの好きにしろ。おまえはもう自由だ」
「自由……」
「その上で聞く。おまえは痩せた野良犬か? それとも猛る狼か?」
コウガは手に取った隷属の誓約書を見つめる。
「ワシは……ずっと誰かに利用されるだけの人生じゃった……。じゃけぇ、こうして自由になっても、何の実感も得られん。おどれが言うように、今のワシは痩せた野良犬でしかない。……じゃが、一つだけわかっとることがある」
顔を上げたコウガの黒い瞳には、強い意思の光が宿っていた。
「ノエル、ワシはあんたが夢を掴むのを側で見たい。あんたが猛る狼を求めるんなら、それが進むべき道じゃ。じゃから、頼む。ワシをあんたの仲間にしてくれ」
「了承した、刀剣士コウガ・ツキシマ」
窓から射す陽光が、俺たち三人を照らす。
やっと得た、二人目の仲間。これで、パーティとして形となった。振り出しに戻っていたのが、ようやく前に進むことができる。
辿り着くべき目標と比較すれば、あまりにも小さな一歩だが、確かな一歩だ。この一歩を皮切りに、走り出せばいいのだから。
それに、俺は確信している。
このメンバーでなら、必ず最強のクランを設立することができる、と。
「それじゃあ、外に出ようか。さっそく、パーティの動きを合わせる訓練だ」