第26話 策謀家は不敵に笑う
その晩、俺とアルマは、
不意に外が騒がしくなる。誰かが叫んだ。
「ガンビーノ
店のドアが騒々しく蹴り開けられる。入ってきたのは、
「――Bランクが四人。Aランクが一人。店の外にも武装した奴らがいる」
Bランク四人については詳しく知らないが、Aランクの男については事前調査で知っている。ガンビーノ
そして、その先頭に立つ金髪の不健康そうな男が、ガンビーノ
アルバート本人は戦闘系
「てめぇが、ノエル・シュトーレンか。女みたいな顔だな」
アルバートは勝手に俺たちの席に座ると、テーブルの上のワインをボトルごと呷り、不快そうに顔を歪める。
「不味い酒だ。はっ、こんな安酒を飲むしかないなんて、
俺のことを調べてきたらしい。アルバートは難しい言葉を覚えたばかりの子どものように、得意げに挑発してくる。
「そういうあんたは、ガンビーノ
「んだと、テメェッ!?」
「おいおい、煽り返されたからって簡単にキレてんじゃねぇよ。こんな公衆の面前で、あの偉大なルキアーノ
ガンビーノは怒りで口を震わせるが、爆発するのを抑え込んだ。
「……まあ、いい。好きに言ってろ。今日は話をしにきたんじゃねぇんだ。てめぇ、随分と舐めた口を利いてくれたそうじゃねぇか。首を取りたいなら直接会いにこい、だっけか? だから、来てやったぞ」
剣呑な笑みを浮かべるガンビーノ。それを俺は鼻で笑う。
「会いにこいと言ったら飛んでくるなんて、まるで付き合ったばかりの恋人だな。嬉しさで尻尾を振っているのが隠せていないぞ」
「ガタガタ抜かすんじゃねぇっ! いいから、表出ろや!」
「おまえの方こそ、ガタガタ騒いでいるんじゃねぇよ。見てわからないか? 俺たちは食事中だ。相手をしてほしいなら、食い終わるまで外で待ってろ。忠犬みたいにな」
「テメェッ!!!」
堪忍袋の緒が切れたガンビーノは、懐に忍ばせていたナイフを抜いた。
「もう面倒だ。ここで相手してやるよ。その綺麗な顔のどこからでも酒を飲めるように、穴を開けてやるから覚悟しろ」
ナイフを俺に向けるアルバート。それを野太い声が咎める。
「ガンビーノの大将、この店で暴れるのはそこまでにしてもらいてぇなぁ」
立ち上がる巨漢、拳王会のリーダーである格闘士ローガンだ。
「んだぁ、てめぇは?」
「あんたとノエルの間に何があったかは知らん。だが、ここで暴れるのは止めろ。あんたらに面子があるように、俺たち
ローガンの言葉に同意するように、店の大半の
「て、てめぇら、この俺が誰だかわかってんのか!?」
「わかっているさ。だが、誇りを守るためなら、相手が誰でも関係ねぇ」
「な、なんだとぉっ!? どいつもこいつもふざけやがってッ!! おまえら、この馬鹿どもを皆殺しにしろッ!!!」
狂乱したアルバートは椅子を蹴って立ち上がり、後ろの子分たちに命令を下す。子分の筆頭であるライオスは一歩前に出て、アルバートに囁いた。
「
「……な、なに?」
「ただでさえ、例の薬のせいでうちは本家に睨まれている。それに加えて、
「くっ、そ、それは……」
「それでも構わないなら、もう一度命じてください。親の命令は絶対だ。俺たちは命を懸けて
「ぐぅっ、だ、だが……」
ライオスの諫言に苦悩の表情を見せるアルバート。
狂人ぶっても、所詮は組織の人間。なんでも好き放題にできるわけじゃない。あれだけ吠えておきながら、本家と国の名前を出された途端に気勢を削がれた無様な姿を、俺は大いに笑ってやった。
「アハハハハハ、滑稽だなアルバート・ガンビーノ」
「な、なんだとッ!?」
「どれだけ悪事に手を染めても、おまえの正体は脆弱な小市民だ。組織の長としての頭も人望も無ければ、器も小さい。できることは、身勝手にルールを破って狂犬面することだけ。先代の遺産を食いつぶすことしか能の無いおまえには、それが限界なんだよ」
「こんの糞ガキがああああぁぁああぁッ!!!」
激昂したアルバートが俺の襟首を掴む。排除しようと構えたアルマを手で制し、俺は口が裂けそうなほど深い笑みを浮かべた。
「なんだ!? なにがおかしいッ!?」
「あまりカッカしない方がいいぜ。血の巡りが良くなるからな」
「ああっ!? 何言ってんだ!?」
「おまえが勝手に飲んださっきのワイン、あれさ毒入りなんだよね」
「……な、なに?」
アルバートは手を放し、後ろに数歩下がった。
「……は、ははは、何を言うかと思えば、毒だと? 嘘を吐くな! 俺が飲んだのは、おまえの酒だぞ! 自分の酒に毒を入れるはずがない!」
「たしかに、俺の酒だが、だからといって必ず口をつける必要はないだろ? おまえが飲んでくれるように取っておいたんだよ」
「この店に、俺がくるなんてわからなかったはずだ!」
「わかるさ。首を取りにこいって言ったのは俺だぜ?
「だ、だが、俺が飲む確証は無かっただろ!」
「もちろん、絶対ってわけじゃない。だが、毒入りの酒を用意するのに、確証なんて必要無いんだよ。俺からすれば、ノーリスクで毎日準備できるんだからな。おまえが来て飲めばアタリ。飲まなければそれだけ。そして、見事にアタリが出たってわけだ。ご理解いただけましたか、お坊ちゃま?」
「ごふっ、うげええぇぇえぇぇッ!!!」
アルバートは喉に指を突っ込み、必死に胃の中の物を吐き出そうとする。
「無駄無駄。とっくに胃から血管に入っている。おまえ、このまま死ぬよ」
「ひっ、ひいいいいぃぃぃっ!! い、いしゃだっ!!! 医者のところへ行くぞ!!! おまえら、俺を医者のところに連れて行けぇぇっ!!!」
か弱い乙女のような悲鳴を上げたアルバートは、子分を連れて一目散に店から出て行った。訂正、全ての子分ではない。ライオスは店に残った。
「大した話術だな。俺まで信じそうになったよ。流石は話術士だ」
「話術? 俺は本当のことを伝えただけだよ」
「とぼけるのはよせ」
ライオスは椅子に座り、アルバートが口をつけたワインのボトルを、何の躊躇もなく一気に飲み干した。
「うむ、美味い。素朴で優しい味わいだ」
「驚いた。毒を入れたって言ったはずだぜ? 自殺願望でもあるのか?」
ライオスは俺の言葉に動じず、太い笑みを見せる。
「コウガの言っていた通りだな。肝の座った良い眼をしている。漢の眼だ」
「はぁ?」
「おまえ、
確信に満ちたライオスの言葉。そこには多分に直感が混じっているだろうが、その通り俺は毒なんて入れていない。
「正解だ。だが、何故それをアルバートに教えなかった?」
「
「なるほど。大切な理由だな。それで、あんたは俺に何を望む?」
「命は見逃してやる。外に控えている奴らも解散させる。だから、帝都から出て行け。おまえがいなくなれば、
「嫌だと言ったら?」
「殺す。この場で」
一瞬、ライオスの身体が、巨人の如く膨れ上がったかのように錯覚した。それほどに強烈な闘気。これは店にいる全員で襲い掛かっても敵いそうにないな。
「わかった。帝都を出るよ。それでいいんだろ?」
「ああ、良い子だ。おまえほどの男なら、どこにいても大成するさ」
ライオスは立ち上がり、他の
「おまえら、迷惑を掛けて悪かったな! 詫びと言っちゃなんだが、今日の酒代は、全部俺が立て替える! 後は好き放題飲み食いしてくれ!」
爽やかに事態を収拾し、颯爽と立ち去るライオス。
あれがガンビーノ
もっとも、その胸中を思えば、同情しか湧かないが。
「俺たちも店を出よう」
「わかった」
俺とアルマが席を立つと、周囲から冷たい視線が向けられる。
当然だ。こんなトラブルを持ち込んだ奴なんて、他の
まあ、
店の外に出ようとすると、ドアの近くにローガンが立っていた。
「本当に帝都を出るつもりか?」
「そういう約束だからな。俺の
ローガンは鼻で笑い、片頬を吊り上げる。
「抜かせ。おまえがそんな殊勝な男かよ」
俺は何も答えなかった。ただ、同じように片頬で笑みをつくり、ローガンの肩を軽く拳で叩いてから外に出た。
†
†
周囲に人がいなくなると、アルマは興奮で頬を上気させた。
「すごい。何から何まで、ノエルの言ってた通りになった」
「まだ感心するのは早い。種は蒔いた。ここからが本番だ」
「わかってる。帝都に戻ってくるのは一週間後だっけ?」
「ああ、その予定だ。一週間後、帝都で落ち合おう。その間、アルマはどうする? 他の街に潜伏するのか?」
「山に籠って、戦いの勘を取り戻す。あの東洋人は、次こそ絶対に殺す」
「了解した」
アルマはそう言ったが、俺はもう二人を戦わせるつもりはない。相討ちになってしまったら、大損だからだ。
「じゃあ、一週間後に」
「うん、一週間後」
俺とアルマは拳を突き合わせ、その場を後にした。
一人になった俺は、夜道を歩きながら内に秘めた闘志を呟く。
「ガンビーノ