第23話 誇りの価値
建物の窓から漏れる光と街路灯の光。帝都の夜はいつも明るい。路地裏に入れば闇は濃くなるが、それでも完全な闇ではなく、正面に立つ者の顔を認識できる。
目の前にいる人間はロキ。フクロウ便を使って依頼していた、ヒューゴ関係の調査報告を受け取ったところだ。
取引が終わり去ろうとした時、ロキが出し抜けに言う。
「おまえ、ガンビーノ
「はぁ? どういうことだ?」
寝耳に水とはこのことだ。全く身に覚えの無い話に、俺は首を傾げる。
「なんで、俺がガンビーノ
「詳しくは知らないが、ミンツ村の一件が原因だ」
「ミンツ村?」
「そこの村長が、
「馬鹿馬鹿しい」
なんて馬鹿げた話だ。たしかに、ミンツ村の村長はガンビーノ
大方、借金の返済ができなくなったので、その言い訳のために俺の名前を出したのだろう。あるいは、復讐の意味もあったのかもしれない。
どちらにしても、大馬鹿者の妄言だ。俺とガンビーノ
「頭のおかしい村長の言い分を、ガンビーノ
「動機を考えても無駄だよ。ガンビーノ
「狂人、ね。はた迷惑な話だ」
「先代はまともだったんだけどな」
「そうなのか?」
「ノエルが帝都にくる前に亡くなったから知らないだろうが、むしろ人格者として評判の人だったよ。悪をくじき弱きを助ける義賊でもあった」
「そんな人格者の息子が狂人? はっ、子育ての才能は無かったようだな」
俺が吐き捨てるように言うと、ロキは首を振った。
「いや、先代はアルバートを育てていない。アルバートは先代の私生児で、跡目にするために迎え入れた時は、既に成人していたんだ」
「そういう事情か。……うん? それって――」
続けようとした言葉を、呑み込む。
足音だ。深夜の人が来ない路地裏に一人分の足音。しかも、金属が擦れる音もする。武装した何者かが近づいてきている。遭遇するまで距離はあるが、そう遠いわけでもない。
足音に意識を集中していた俺がロキを見ると、いつの間にか互いの距離は開いていた。こうなると、事態は明白だ。
「ロキ、おまえ……俺を売ったな?」
あまりにもタイミングが良過ぎる。ここで足止めし、刺客に引き渡す手筈なのだろう。それ以外に考えられない。
「悪いな、ノエル。俺もアルバートには逆らえなくてね」
「情報屋が依頼主をはめるなんてプロ失格だ。その意味がわかっているのか?」
「わかっているさ。だが、命には代えられない。それに、アルバートには大金をもらっている。この金で別の国に渡り、そこで心機一転頑張るつもりだよ」
「なるほど、悪くない計画だ。だが、一つ抜けていることがある。俺がおまえを殺さない理由が無い、ってことだ」
俺は銀ちゃんを抜き、ロキに照準を合わせる。
「残念だよ、おまえのことは嫌いじゃなかったんだがな」
「それは奇遇だな。俺も大将のことは嫌いじゃなかったよ。あんたは綺麗だからな。……だがまあ、仕方ないか。
てっきり抵抗するかと思っていたが、ロキは逃げるどころか脱力し眼を閉じた。まるで、どうぞ殺してくれ、と言わんばかりに。
「命が大切だったんじゃないのか?」
「大切さ。……だが、命惜しさに情報屋としての禁忌を犯し、初めてわかったんだ。プライドを失くしてしまった俺には、もう何の価値も無いってな……」
「そうか……理解できる感情だよ……」
銀ちゃんの引き金に指を掛ける。そのまま絞ろうとし、だが止めた。
「行け。今日のことは忘れてやる」
ロキは瞼を開け、目を丸くした。
「俺を……許すのか?」
「許さない。だが、殺すほどのことじゃない」
「大将……」
「それと、帝都を離れる必要はない。ガンビーノ
俺が断言すると、ロキは目を見開いたまま静止した。そして、大声を上げて笑う。腹を抱えて笑い続け、笑いがおさまった時には目尻に涙が浮かんでいた。
「……はぁはぁ、笑い過ぎて死ぬかと思った。……大将、本気かよ? 相手はルキアーノ
「だから?」
「いや、だからって……」
「ちょうど入用だったんだ。奴らを潰して金を頂けば、その問題も解決する。そう考えると、ちょっとしたボーナスだな」
「……大将、あんたやっぱイカれてるぜ」
「言ってろ馬鹿」
だんだん会話が軽口になってきた。既に刺客の足音はかなり近い。俺は足音と反対方向の路地裏の出口を指差す。
「さっさと失せろ。戦いの邪魔だ」
戦わず逃げる道は端から無い。逃げて背後を取られるぐらいなら、真正面から迎え撃った方が勝率は遥かに高いためだ。
「……大将、俺にできることはあるか?」
「この場では無い。だが、後でおまえの力が必要だ。その時は力を貸せ。もちろん、タダでな。それで貸し借りは無しだ」
「へっ、了解。……それじゃあ、頑張れよ」
ロキは風のように去って行った。
俺は腰のポーチから戦闘用覚醒剤を取り出して飲んだ。脳の活動を活性化させ、集中力と筋力を向上させる薬だ。持続時間は十分。反動は大きいが戦闘力が約二倍になる。
薬の効果は一瞬で現れた。精神が落ち着き、世界が広がるのを感じる。暗い路地裏の隅々まではっきり見える。静かだ。雑音が全く聞こえない。その代わりに、音の全てを正確に拾うことができる。その種類や性質まで完璧に。
足音は男のものだ。身長は百七十後半。痩身だが筋力量は多い。年齢は若く十代後半といったところか。足取りのリズムからして前衛職だな。武器は剣が二本。二刀流の使い手かもしれない。鎧も着ている。
そこまでわかれば十分だ。この路地裏は狭い。仮に剣の達人だったとしても、その力を十分に活かすことは難しいだろう。
やがて、人影が見えた。
淡い光で明らかになる刺客の風体は、俺の予想通りのものだった。身長百七十後半の若い痩身の男。極東式の鎧と二本の刀を装備している。
だが、その顔は完全に予想外だった。
東洋人だ。彫りは浅いが目鼻立ちはしっかりしており、眉目秀麗だと評価できる。特に、涼しげな目元が特徴的だ。
この顔には覚えがある。もっとも、あの時は泥と垢で真っ黒だったが。俺の記憶が正しければ、この男は――
「お、おどれが、ノエル・シュトーレン?」
俺の姿を認めた東洋人が、驚く声で尋ねてくる。
やはり、間違いないようだ。
「そう、俺がノエル・シュトーレンだ。久しぶりだな、コウガ」
†
†
対峙するコウガは前回と違い、装備が完璧なだけでなく、体力面も万全だ。まだ臨戦状態ではないが、その圧力は既に前回とは比べ物にならない。
「まさか、おまえがガンビーノ
俺が拍手で挑発すると、コウガは眉間に皺を寄せる。
「おどれには、関係ないじゃろ」
「ハーフリングのおっさんはどうした? アルバートに殺されたか?」
「……知らん。ワシの所有権を譲渡してすぐ、どこぞに消えよったわ」
「ふ~ん、なるほどね。それで今は、アルバートのワンちゃんってわけか」
「……なんとでも言えや」
「なんだ、からかい甲斐の無い奴だな。ふん、まあいい。おまえが、俺への刺客ってことでいいんだよな? だったら、剣を抜け。あの時の続きをしようぜ」
俺は銀ちゃんをコウガへ向ける。だが、コウガは微動だにしない。
「あん? 何故、構えない?」
「……これは、何の義も無い戦いじゃ」
「何の話だ?」
「正直、ワシはおどれと戦いとうない。おどれは嫌な奴じゃが、大判銀貨一枚の借りがあるからのう」
その場違いな言葉に、俺は失笑するしかなかった。
「借りってなんだよ。俺が落とした金をおまえが拾っただけだろ」
「ワシは馬鹿じゃから、そういう遠回しな言葉はようわからん。じゃが、よくよく考えてみれば、わざわざワシの前で金を落とすのはおかしいからのう」
「それで? だったら、たった大判銀貨一枚の義理で、俺を見逃すとでも言うのか? 奴隷の癖に、そんな自由が許されるとでも?」
「おどれの言う通りじゃ。ワシにそんな自由は許されとらん。斬れ、言われたら、相手が誰でも斬るしかない。じゃが、ワシにも誇りがある」
コウガは大きく息を吸い込み、声を張り上げる。
「ワシん名前は、コウガ・ツキシマ!!
能力のネタバレだと? それで、フェアな戦いにしようってことか。馬鹿が。
だが――
「ふん、名乗られたら名乗り返すのが礼儀だな。改めて名乗ろう。俺は話術士ノエル・シュトーレン。
「話術士ノエル・シュトーレン、そん名は絶対に忘れん」
「そうか。まあ、覚えていたところで、死んでしまえば意味は無いがな」
「はっ、抜かせ! 勝つんはワシじゃ!」
「楽しいおしゃべりもお終いだ。そろそろ始めようか」
「応! ――いざ、参る!」
たまには、こういう戦いも悪くない――。