第17話 伝説の真実
今回はアルマ寄りの三人称です。
次回からはノエルの一人称に戻りますです。
アルマが
帝都の片隅にある寂れた教会の
訪れる約束は、既に仲介役を通して取り付けてある。とある場末の酒場で合言葉を告げると、
「よく来た。アルコルの孫、アルマよ。ついてきなさい」
出迎えた白いローブ姿の男に、アルマは隠れ家を案内される。
連絡を取る際にアルコルの印章を押していたからか、血縁を疑われることはなかった。いや、疑われているかもしれないが、今のところは孫として扱ってくれるようだ。
どのみち、教団に入るには試験をクリアしなければいけない。教団側も、その実力如何で真偽を見極めるつもりなのだろう。
やがて、案内人は大きな鉄製の扉の前で止まった。
「アルマ・イウディカーレ。改めて確認する。汝は、我らが教団の同胞となることを、真に望む者か?」
「そのつもり」
「よかろう。ならば、この扉の先に進むといい。汝が試練に打ち勝った時、我らが冥府の神は、汝にも祝福を与えることだろう。さあ、いきなさい」
案内人に促され、アルマが扉に手を掛けると、ゴゴゴという重い音が響き渡る。普通なら大人の男が数人がかりで開ける扉を、アルマはその細腕で容易く開いた。
扉の先には、修練所と思しき空間があった。そして、そこに一人の男が立っている。東洋の着物を着た長髪の男で、両手に鉤爪を装備している。その佇まいや伝わってくる闘気の質は、紛れもなく
「おまえが、アルコルの孫か。話には聞いていたが、とてもそうは見えないな」
見下すように睥睨してくる男に、アルマはため息を吐いた。
「こんな三下でも教団に入れるの? ……がっかり」
「なんだと、貴様っ!」
「あなたが試験官なんでしょ? だったら、さっさとはじめよ」
「Cランク風情が、粋がるな! 本当の
風のような身のこなしと速度で、男はアルマに飛び掛かってくる。ただのCランクなら、一瞬で細切れにされることだろう。
だが、ここにいるのは、ただのCランクではない。
伝説の殺し屋アルコルの血と技を受け継ぐ、アルマ・イウディカーレだ。
「……ば、ばかなっ!?」
刹那の交差。血飛沫を撒き散らし倒れたのは、鉤爪の男の方だった。
「やっぱり、三下。話にならない」
倒れ伏す男に、アルマはゆっくりと歩み寄る。今度は、男が見下ろされる番だった。その信じ難い状況に、男は慌てふためく。
「ありえん! 貴様のその力は、一体なんだ!?」
「馬鹿?
「貴様、本当に……あの、アルコルの孫なのか?」
「そんなこと、対峙した瞬間にわかるべき。三下にしても救い難い馬鹿。でも、安心して。もう、自分の無能さに悩む必要はないから」
アルマは微笑を浮かべ、ナイフを振りかぶる。
「ま、まてっ! 試験はもう終わった! 俺の負けだ!」
「ううん、まだ終わってない。あなたを殺したら、終わり」
「やめろぉぉっ!」
男の悲鳴を無視し、アルマはナイフを振り下ろす。
だが――
「そこまでだ。刃を収めろ」
アルマのナイフが、男を仕留めることはなかった。その刃は、たった指二本に止められている。全く気配を感じさせず現れた乱入者、その指に。
尋常ならざる強者であることは明白。アルマは態勢を立て直すために、バックステップで大きく距離を取る。
乱入者は、白い立襟の祭服を着た褐色の男だっ���。外見から判断して既に中年を迎えているようだが、服の上からでもわかる屈強な肉体をしている。その鍛え上げられた肉体と、短く刈り込まれた白髪は、男を僧侶というよりも僧兵として印象付けていた。
「……あなたは?」
「教団長、サイモン・グレゴリー」
低く良く通る声で、男は自分が何者であるかを告げた。
「……なるほど。教団長なら、その強さも納得」
アルマはナイフを鞘に納め、首を傾げる。
「でも、わからない。なぜ、止めたの?」
「逆に問おう。なぜ、止めを刺そうとする?」
「じっちゃんからは、そういう試験だと聞いていた。強者のみが生き残り、敗者はその命を冥府の神に捧げるのが役割だって」
「過去の話だ。私の下で、そのような古く忌まわしい掟は許さない」
教団長は有無を言わせぬ声で断言し、長髪の男を目配せ一つで出て行かせた。
アルコルが
だが、だからといって、異論があるわけではなかった。
「理解した。それで、ボクは合格?」
「合格だ。……戦闘技術はな」
「まだ何かあるの?」
「簡単な質問をさせてもらう。それに答えてくれるだけでいい」
深く身の内を探るような教団長の眼が、アルマへと向けられる。
「アルコルを殺したのは、君か?」
「そうだよ」
アルマは即答した。手紙では老衰だと伝えていたが、バレているなら隠す必要もない。アルコルは老衰ではなく、アルマの手によって命を落とした。
「EXランクでも耄碌すると駄目。簡単に殺せた」
「一応、なぜ、とも聞いておこうか」
「それ、聞く必要ある?」
「……いや、必要ない。愚問だったな」
アルコルに殺意を抱くようになったのは、物心がついた頃からだった。
あの男から、家族の愛を与えられたことなんて一度も無い。与えられたのは、
心と身体が擦り切れていく日々。その先に待つ死を拒むなら、アルコルを殺すことで自由になるしか道は無かった。
「アルコルは、力の求道者だ。その精神は、もはや人よりも幽鬼に近く、ただ死を振り撒くだけの存在だった」
教団長の瞳は過去へと向けられ、その追憶を言葉にする。
「心底、恐ろしい人だったよ。私も今は教団を預かる身となり、
「だけど、
「そう、負けた。上には上がいるものだ。死の体現者であっても、不滅の悪鬼には勝てない。考えてみれば道理だな。そして、その時から、アルコルはおかしくなり始めた」
不意に、教団長の瞳に憐憫の色がにじむ。
「アルマ、君はアルコルの孫じゃない。本当は娘だな?」
どうやら、全て調べ尽くされているようだ。そのことにアルマは苦笑する。
「そうだよ。ボクは、アルコルの孫じゃなくて娘。あの男が、どこかの村から攫ってきた女に産ませた子どもの一人」
アルコルは
正常な判断能力を失ったアルコルは、狂信者へと成り下がり、歪んだ妄想に取り憑かれるようになる。――自分は負けてはならない戦いで負けてしまった。なら、敗北しない自分を生み出せば、過去を無かったことにできる。そう、考えたのだ。
「あの男は、後継者が欲しかったんじゃない。自分と同じ存在を生み出したかった。そうすることで、過去の汚点を消し去れると、本当に信じていた」
「……哀れだな。それが伝説の末路か」
「違う。哀れなのは、あの男の被害者たち。村から攫われ産みたくもない子どもを産ませられた女たち。そしてアルコルの妄執に取り殺されたボクの兄さんや姉さんたち」
多くの罪無き命が、アルコルの妄執に振り回され、そして消えていった。その無念を思えば、父殺しの禁忌など何の罪にもならない。少なくとも、アルマはそう考えている。
「あの男にとって、ボクは一番の成功品だった。それでも、
「
「え?」
「住んでいた街が
「……そう、
残されたのはアルマだけ。清々しくも、寄る辺を失ったような気分だ。
「アルマ、正直に言おう。君は教団に相応しくはない」
教団長の予想だにしなかった言葉に、アルマは頭を殴られたような衝撃を受けた。強制されていたとはいえ、物心が付く前から修行してきた自分が、
「どうして!? 力は示したはず!」
「たしかに、君の力は素晴らしい。いずれEXランクに至る片鱗すら見える。だが、それと教団に相応しいかは、また別の話だ」
「わけがわからない! ちゃんと説明して!」
アルマが詰問すると、教団長は悩まし気に顎髭を撫でる。
「……ここから先は、他言無用だ。約束できるか?」
「わかった、約束する……」
「
「……それって、もう殺しはしないってこと?」
「残念ながら、完全に殺しを辞められるわけではない。だが、これまでが目的としての殺しだったのに対して、これからは手段としての殺しになる。似ているようで、両者の違いは大きい。少なくとも、後者には未来がある」
「未来……」
それがどんな未来なのか、アルマにはわからない。だが、どんなに素晴らしい未来だろうと、そこにアルマの居場所は無い。それだけは、よく理解できた。
「君の心には修羅が眠っている。そんな危険な人物を、国を護るための仕事に就かせるわけにはいかない」
「…………ははは」
乾いた笑いが込み上げてくる。なんて酷い悪夢なんだろうか。いや、これは現実だ。生まれた時からずっと続いている、悪夢という名の現実だ。
「……二十一年、二十一年も無理矢理に費やさせられた結果が、これ? 何も楽しいことなんて無かった。友だちもいない、恋人だっていない。ずっと……ずっと、あの男の妄執に付き合わされて、その挙句、ボクの力が何の役にも立たないなんて……。じゃあ、ボクは何のために生きてきたの? これまでの二十一年は……何だったの?」
涙が止まらなかった。あまりにも虚しくて、悔しくて、その思いが涙となって、止め処無く溢れ出してくる。
「返してよ! ボクの人生を返してよッ!!!」
この男に訴えたところで、無意味なことはわかっている。それでも、叫ばずにはいられなかった。この世界で、アルマのことを思ってくれる人間は、アルマ一人しかいないのだから。
「君の人生は、君のものだ」
教団長はそれだけ言うと、踵を返した。
「待って! ボクはどうすればいいの!? 教えてよ!」
「好きに生きればいい。教団だけが、君の力を活かせる場ではない。君を求める者は、いくらでもいる。例えば、
「……
たしかに、
「そういえば、面白い話がある」
アルマが困惑していると、教団長は背中を向けたまま言葉を続ける。
「あの
「……なにそれ?」
教団長の意図がわからず、アルマは首を傾げる。
「
「だが、彼の
「話術士!? あの
「そう、
驚くアルマに、教団長は振り返って笑みを見せる。
「誰もが知る、最弱の
「なのに、
「いや、本人の意思だ。そもそも、
「……そうだった。でも、だったら、どうして?」
「そこまでは知らない。だが、一つだけ明らかなことがある���
「その話、本当なの?」
「本当だとも。現に彼は、大物食いのルーキーとまで呼ばれている。まだ
「信じられない……」
「だから言っただろ。面白い話だと」
教団長はアルマを見据え、笑みを深くした。
「もし興味があるのなら、彼を訪れてみるといい」
†
†
「
あの言葉は、半分正しくて半分嘘だった。正確には、
弱者であるはずの話術士が、どうやって強者の列に入れたのか。純粋な強者であるアルマには、不思議でならなかったのだ。
「他とは眼が違う。勝つためなら、なんでもやる、って眼」
実際に会って、強者と呼ばれる所以は理解できた。ノエルの強さの根源は、精神の在り方にある。戦いの世界では容赦の無さが強さに直結するため、精神構造が頑強で苛烈な者ほど結果を残し易い。そのことは、一目で見抜くことができた。
だが、それだけでは不十分であることも、アルマは見抜いていた。
「その身体を作るには、不屈の努力が必要。並大抵の鍛え方じゃ、そうはならない。でも、ノエルがどれだけ鍛えても、本職の前衛には敵わない。所詮は、才能が伴わない、努力だけの成果。だから、残念。もし、ノエルの
そんなことは、ノエルにもわかっていたはずだ。あえて口に出す必要は無かった。だが、報われない努力を続けている姿が痛ましく、思わず不用意な発言をしてしまった。
たしかに、ノエルは強い。一緒に盗賊団を討伐して、その見事な戦術にアルマも大いに感心させられた。だが、それはやはり、努力さえすれば誰でも辿り着ける領域だ。強くはあるが、特別ではない。本物の才能を持つアルマには、ノエルの限界が近いと簡単に予想できた。
なのに――
「
ノエルは不遜にも、届くはずのない空へ手を伸ばそうとしている。
愚かだと思った。一笑に付して終わる話だと思った。仲間なのだから、正直に伝えて止めてやるべきだとも思った。
だが、そんな理性とは裏腹に、アルマは胸が熱くなるのを感じていた。
報われて欲しい。こんなにも努力し、必死に足掻いている人間が報われないのなら、この世界は全部嘘っぱちだと、本物の才能を持つアルマの心が動かされたのだ。
「平気へっちゃらだ。つまらないことは、思い悩むだけ損だからな」
そう言った時のノエルの顔に、僅かな陰りがあったことは見逃せなかった。
考えてもみれば、ノエルはまだ十六だ。いくら精神構造が頑強とはいえ、成人を迎えたばかりの心には、まだ幼さが残っている。子どもに悲しい憎悪を向けられ、それでも平気でいられるなんて、成熟した大人でも難しい話だ。
ノエルの尊大な態度と冷徹で容赦の無い思考も、自らを強く見せるための努力の一環だとアルマは考えている。この世界には、つまらない奴が多い。そんな奴らに侮られないために、ノエルは本来の心を隠して、あのように振舞っているのだろう。
また、面接を受ける前に調べた話によると、ノエルは前のメンバーに裏切られた経験があるらしい。その制裁自体は済んでいるようだが、一年も苦楽を共にした仲間に裏切られた悔しさは、部外者のアルマにとっても察するに余りある。それでもなお頂点を目指そうというのだから、その意志の強さには感服するしかない。
強者は努力し続ける者が好きだ。
努力する者の姿と、まだ弱かった頃の自分を重ね、そこに共感を抱くためである。ましてや、掴もうとする夢が大きく、困難にも挫けず藻掻いている者ほど、応援したい、助けてやりたい、という気もちが湧いてくる。
「ボク、ノエルの性格が、だんだんわかってきた。――すごく可愛いって意味。だから――」
だから、アルマにとって――
「ずっと一緒に戦ってあげるね」
その決意は、本物だった。