第九十八話
物盗りを素手で捕まえ、同伴していた騎士達に少し見直されたのは一昨日のこと。
その際、バラドにいい返事をしたジェフとソルシエの後ろに蓑虫というか、服の端さえ見えないほど足と頭以外を縄でぐるぐる巻きにされた傭兵の姿を見た。若干ぐったりしている傭兵の姿に一瞬思うことがあったが、しかし相手は所詮犯罪者。一年生達に縄で引かれているが、呼吸はしているようだし己の足で歩いているので「まぁ、許容範囲かな」と見なかったことにしてしまった。あれは流石に可哀想だったと、少し反省している。
現在彼は取り調べを受ける為、騎士団の牢にいれられている。恐らく二、三日中には取り調べが行われ、犯した罪相応の罰を受けるだろう。
一方の俺はどうかといえば、今日を含めこの三日間変化なく。午前を雑用に費やし、午後は巡回をして過ごした。物盗りの件が原因か、ひっきりなしに騎士達から手合せを挑まれることを除けば、特に問題なく日々を過ごしている。
今日はこれからワルドの実家へ案内してもらう予定なので、夕食をとる必要がない俺はするべきこともなく、自由行動中だ。
慣れてきたのか頻繁に話しかけてくるようになった騎士達をかわし、一年生達はナディ達に任せてきた。バラドやルツェ達は、今晩俺とワルドの不在を誤魔化してくれるよう頼んであるのでその準備に追われている。
そうしてようやく一人になれた俺は、騎士団の裏手にある井戸へきていた。
初日に引き続き、日の出と共に送りだしたアインス達から本日の成果を聞くこと数十分。勿論、周囲に人の気配がないのは確認済みだ。
花屋の息子が街中を流れる水路に落ちて夏風邪を引いた話や、肉屋の跡取りが雑貨屋の娘に懸想しているというかなりどうでもいい話から始まり、ようやく絞れてきた傭兵達が拠点にしている宿屋や情報交換に使われている食堂などの重要な情報を聞いていく。
アインス達が空から集めた情報は多岐に渡り、正に玉石混淆といった感じである。とはいえ、何時何処でどのような情報が役立つかわからないので、アインス達が集めてきてくれたすべての情報を記憶に留めておく。
そして褒美の魔力を与え終えた現在、俺はツヴァイとフュンフの苦労話というか、主にツヴァイの苦労話に耳を傾けているところである。
『それでですね、フュンフをどうにか引き離してその場を離れました。その後も魔法薬などにフラフラ寄っていくフュンフを諌めて、どうにか町の外れまで連れていって。そこでいい感じの水辺をみつけたので休憩しようと思って降りたったら、虫の死骸が一杯あったんです』
『不味かった!』
「……食べたのか?」
珍しく、力いっぱい叫んだフュンフに思わず聞き返す。
貴族の生活区域で美味しそうな魔力の持ち主に出会い、食べようとしたフュンフを引き剥がして移動したツヴァイの判断は偉い。魔力を食べる鳥が王都内でみつかったら、今頃大騒ぎだからな。
しかし、その後の話が驚きだ。
てっきり此奴らは魔力しか食べないと思っていたが、虫なんか食べるのか。
セルリー様と俺の魔力で育った所為か、食の質に対して煩い此奴らが虫を啄むなど想像もしなかった。スライムの魔力を喰わせた時も、食べはしたがとても不本意そうだったからな。
いや、まぁ、魔獣か何か不明とはいえ、形は鳥なのだから虫ぐらいは食べるのかもしれないが、それにしても意外である。
『貴方達、虫なんて食べたの!?』
『ない』
『ないわー。虫を啄むなんて気持ち悪い。というか虫に食べる魔力なんてあるの?』
しかしそんな俺の疑問はアインス達によって霧散する。
「虫を食べた」といっても正しくは「虫の魔力を食べた」だったようだ。そしてやはり虫を啄むという行為はアインス達にとってありえないことらしい。
目を見開き驚きを露わにするアインスと、すすすとツヴァイ達から距離をとったドライ。そして二羽を蔑んだ目で見るフィーアの態度がそれを如実に物語っている。
虫と俺の魔力が同列でなくてよかった。俺やセルリー様の魔力が、その辺にある虫の死骸と同じ扱いでは悲しすぎる。
『いやいやいや、誤解しないでください! あんな変なもの食べたのはフュンフだけです! 幾ら魔力があっても虫を啄むなんて僕だって嫌です。それに「魔力の有る虫」というよりは「魔力をおびた何かをかけられて死んだ虫」みたいでした。ドイル様のところに戻ってくれば美味しいごはんがあるのに、あんな変なもの口に入れません!』
アインス達の言葉を力いっぱい否定し、『フュンフじゃあるまいし!』と憤るツヴァイが先ほど告げた言葉について思案する。魔力をおびた何かをかけられて死んだ虫、というのが気にかかった。
「魔力をおびた何か」は、探せばこの世の中には幾らでもある。
魔法薬は勿論薬の原料になる薬草、生き物の肉体や血液、水の精霊や水魔法に適性を持つ者が創った水や力を注いだ水。神々に縁がある地でとれるいわば聖水と呼ばれるものなどなど。
保有量の差はあるがこの世に生きる者は魔力を持つし、精霊や魔獣が関わる場所や物は自然と魔力をおびる。
しかし、それらを普通の虫退治に使うかといわれれば、否である。
虫系の魔獣であればまだしも、その辺りにいる虫を殺すのに魔力をおびたものを使う必要はない。普通の虫ならばそれこそ井戸の水や油でもかければ十分。かなり勿体ない行為といえよう。魔力をおびたものには様々な用途がある。
またツヴァイ達が見つけた虫が虫系の魔獣であった場合、もっと大きな騒ぎになっているはずなので、魔獣という可能性はかなり低い。突然変異という可能はあるが、そんな希少な虫が大量にいる訳ないので、やはり彼等が見つけた虫は魔力を有する虫ではなく、元々普通の虫だったと考えるのが自然だ。
「ツヴァイ。アインス達ともう一度その水辺に行って、件の虫を集めてきてくれないか」
『え゛』
魔力をおびた何かで殺された大量の虫はいささか不自然、という結論に至り虫を持ってきてくれようツヴァイに命じれば、あからさまに嫌な顔をされる。
『ドイル様。そ、それは、ちょっと……』
『やだやだやだ! 幾ら魔力があっても虫なんか食べないわよ、私!』
『絶対、嫌!』
そして嫌そうな顔をみせるアインスと激しく反対するフィーアとドライ。
どうやら集めた虫を食べさせられると思っているらしい。失礼な。
罰としてか他に何も食べさせるものがないなら考えるが、此処まで嫌そうにしているものを本人達に集めさせて食べさせるほど俺は鬼畜思考ではない。セルリー様なら笑顔でやりそうだがな。
「虫が気になるから調べるだけだ。別にお前達の餌にする訳ではない」
『『『『ですよねー』』』』
「まぁ、どうしても食べたいのなら、調べ終わった後に食べさせてやってもいいが?」
『『『『遠慮させていただきます!』』』』
『ごはん、食べるー!』
『『『『お前は黙ってろ!』』』』
『むぎゅっ!?』
俺の言葉に安心したのもつかの間、一人喜びの声をあげたフュンフの口を塞ぐ為、アインス達が慌てて踏み潰す。羽を広げ、僅かに浮いているので手加減はしているようだが、四羽の足の下でパタパタ羽を動かすフュンフは苦しそうだ。
「まぁ、餌にするというのは冗談だから、そのくらいにしてやれ」
『『『『はーい』』』』
「取りあえず全員で行って、これに回収できるだけしてきてくれ。虫がおびている魔力に関して調べたいから、フュンフは決して近づけないように」
俺の言葉に従い、元気のいい返事をしながらフュンフの上から降りたアインス達を横一列に並べる。そして手持ちの中で最も軽く薄い布を亜空間から取り出し、五羽の中で一番体躯のいいドライの首に軽く結ぶ。衣類を包む為の布なので少し大判だが、ドライなら飛べるだろう。当然帰りは虫の分重さが増えるが、その辺りはアインスとツヴァイが調整してくれるはずだ。
『ドイル様。虫の死骸を見つけたのは昼前なので、もしかしたらもう無いかもしれませんよ?』
「その時はその時だ。まだあったらでいいから、出来るだけ多く頼む」
『わかりました!』
「どのような結果にしろ、帰ってきたら褒美をやろう」
『頑張ります!』
「気を付けてな。くれぐれも人、特に傭兵や騎士には見つからないように」
『『『『『はーい!』』』』』
褒美の言葉に目を輝かせ飛び立ったアインス達を見送る。
……ラファールが戻ってきたら、ツヴァイ達が見つけた水辺の精霊達に話を聞きに行って貰うか。
群青色に染まった空を飛ぶアインス達を眺めながら、そんなことを考えた。
現在、ラファールには王都内に住まう精霊達に気にかかることはないか聞いて回って貰っている。この辺りには知り合いの精霊も多いらしく二、三日で戻るといっていたので、明日か明後日には戻ってくるだろう。
アインス達が虫を持ってきたら一部はレオ先輩達の元に送り、残りはナディ達に調べてもらえばいい。量に余裕があればセルリー様に送るのも悪くない。きっと興味を持つだろう。
――俺もそろそろ行くか。
アインス達の姿が空に消えたのをしっかり確認し、俺もワルドと合流すべく宿舎とは反対方向へと歩き出した。
飛び交う注文と乾杯の声や笑い声。
乱雑に扱われガチャガチャとぶつかり合う皿やコップに混じる、武器の擦れる音。
普通の大衆食堂と変わらぬ雰囲気の中、時折聞こえる極限まで潜められた怪しい声。
腹が刺激される香ばしい香りとアルコールの臭いが漂う食堂で、多くの傭兵達が肩をつき合わせ一日の終わりを楽しんでいた。
「店主! 酒と料理追加だ!」
「へい!」
「こっちも料理追加してちょうだい!」
「あっ、あと果実酒も!」
「へい承知! ――おら! 料理あがってるぞ!」
「すみません! 今運びます!」
「さっさと運べ! 冷めちまうだろう!」
「はい! すみません!」
忙しそうな従業員達などお構いなしに、あちらこちらで声が飛び交う。好き勝手注文する傭兵達に慣れているのか、店主が注文を聞き漏らすことはなく。店主は料理を作る手を止めず、従業員達に激を飛ばしていた。
店主の怒声に慌てて料理や酒を運ぶ従業員達も、両手といわず腕や頭まで使い一度に四~五枚の皿を運んでいる。皿やコップを大量に抱え、大柄な傭兵達や乱雑に転がされた荷物を器用に避け、スルスル店内を動く彼等はさながら曲芸師のようだ。
……す、凄すぎる。
どこかのライブ会場かイベントにでも紛れ込んでしまったかのような熱気に、圧倒される。ワルドの実家だという宿に併設されている食堂の賑わいは圧巻だった。
いつ命を落とすかもしれぬ職業故に、傭兵には宵越しの金は持たない主義を掲げる者が多いと聞いたことがあるがそれにしても凄すぎる。
水のように消費される酒に、飲み物を飲むように食べられていく料理。速さもさることながら量も半端なく。日当といわず全財産つぎ込んでいるのでは? と思わされる程うず高く積み上げられた皿やコップに、呆れやら驚きで声も出ない。
「貴族様には信じられない光景か?」
目の前の光景に足を止め立ちつくす俺に、ワルドが可笑しそうに問いかける。
「ここはいつもこうなのか? 凄いな」
「まぁ、うちは大体こんな感じだな。あと一時間もすれば落ち着くから、俺達も飯食って待ってようぜ。親父の手が空いたら紹介してやる」
「そうだな」
感心する俺を笑いながら、慣れた様子で店内を進んでいくワルドに大人しくついて行く。
「――ここにしようぜ。お前はそっち側な」
「ああ」
ワルドが俺を連れて座ったのは、壁際のあまり目立たない隅の席だった。側には使わなくなった椅子や机、空になった酒樽が積まれており、ワルドに促された席に座れば視界を椅子や机に遮られる。
店内の客や従業員からは姿が見えないだろうその席は、ワルドなりの気遣いなのだろう。
「何食いたい?」
「任せる。支払いは俺がするから好きなものを頼んでくれ」
「そうか? なら遠慮なく――メル!」
「はい、ただ今! って、なにしてんのワルド。客席なんて座って親父さんに怒られるわよ?」
「今日は客だからいいんだよ。親父に金払いのいい客連れてきたから、普段高くて売れない食材とか駄目になりそうな食材全部使っちまえって伝えてくれ」
「おい」
「へ?」
ワルドの配慮に感動しつつ、席につく。そして店主の息子のお勧めなら間違いないだろうと注文を任せれば、ワルドは従業員にとんでもない注文をしだした。
遠慮も何もない注文方法に思わず声をあげれば、ようやく俺の存在に気が付いた女性が間の抜けた声をあげる。
「いいじゃねぇか。お前の財布ならうちで仕入れている食材と酒、全部出しても余裕だろう?」
「そういう問題じゃない」
「な、な、なんっ――」
「おっと。それは駄目だぜ、メル。この席にした意味がなくなる」
俺の存在を認識し、目が合うなり叫ぼうとした従業員の口をワルドが素早く塞ぐ。そして静かに言い聞かせたワルドに、従業員は大きく目を見開いた。言いかけた彼女の台詞は恐らく「なんっつう客うちに連れてきてんですか!?」といった類のものだろう。
「色々聞きたいなら、当然売り上げに貢献してくれんだろ?」
「……仕方ないな」
「だそうだから、親父によろしく。ついでに何か飲み物持ってきてくれ」
「酒以外でお願いします」
「固いこというなよ。折角、学園の外にいるっつのに」
「この後、行くところがある。勿論、在庫処理をしてやるんだ。お前も付き合ってくれるよな?」
「チッ。酒の在庫は別の機会にするか――――メル、酒以外で頼むわ。叫ぶなよ」
情報提供の見返りに、ここぞとばかりに店の在庫を処分しようとするワルドには呆れる。しかしここで渋って肝心の情報を得られなければ本末転倒なので、手合せの約束もしているというのにちゃっかりした奴だと思いつつ、了承の意を返す。
そして酒まで頼もうとしたワルドに釘を刺しつつ、従業員とのやり取りを見守った。
短い時間だったが、俺達の会話を聞いている間に少しに冷静になったらしい彼女は、注文を聞き終えるとワルドの腕を叩いて解放するよう要求していた。
そんな彼女に念を押し、ワルドはゆっくりと手を外す。
「大変失礼いたしました。すぐにお飲み物をお持ちいたします!」
拘束が外れた途端、頭を下げて走り去った彼女を見送る。
叫ぼうとし、逃げるように去ったとはいえ普通の店の従業員と考えれば、かなりいい対応だろう。店の裏で不満と驚きを叫んでいるかもしれないが。
「わりぃな」
「いや、十分だろう。というか、俺がくると伝えてなかったのか?」
ふと頭を過った素朴な疑問をワルドに問う。
急な話とはいえ、一昨日の昼食時にはワルドの実家を訪問したい旨は伝えていた。その理由も。
此処は騎士団宿舎からさほど離れていないし、一昨日の昼から今までの間に伝える機会は何度かあったはず。
しかし、先ほどの従業員は何も知らされていないようだった。特別扱いしてほしい訳ではないが、先に訪問を伝えておけば彼女もあそこまで驚かなかっただろうに。
そんな疑問を隠すことなく座り直したワルドをみれば、奴は悪戯な笑みを浮かべながら口を開く。
「んなことしたら、親父やお袋はここぞとばかりに高級食材買い漁ってくるぜ? お前ほどの貴族のご来店なんて、滅多にない儲け話だからな」
「……逞しいことで」
「昔から客の大半が傭兵の宿だからな。肝が据わってなきゃやれねぇよ。此処で育った俺をみりゃ、わかんだろ?」
「それもそうだな」
ワルドから返ってきた答えに、俺は心から納得する。
言われてみれば、このワルドの両親である。それはそれは、図太く逞しい性格なのだろう。
「お待たせしました! 当店オリジナル、特製ドリンクです!」
まだ見ぬワルドの両親を想像すること数分。
威勢のいい声と共にドンと目の前に置かれた、飲み物というよりも果物盛り合わせと表現するのが正しい物体に頬が引きつる。
木製ジョッキに余っている果物全部詰め込みました! といった感じがありありと伝わってくるそれは、特製ドリンクという割には飲み物部分が上から少しも確認できない。ジョッキに何故か添えられていたフォークで盛られた果物を掻き分けるが、重い。中を覗いて見る限り、液体部分が1/4以下しかなかった。下手したら1/5以下である。
しかも盛られている果物達に統一性はなく、すべて今日明日が限界な熟し具合という徹底ぶり。
「なんというか……清々しいくらい俺で在庫処理する気満々だな」
一体この特製ドリンクで、ワルドの父親は幾らとる気なのだろうか。流石に金貨一枚はいかないだろうが、先ほどのワルドの言葉もある。俺の訪問を儲け時と考えるような人柄ならば、一切の遠慮も躊躇もないだろう。
一般的な酒は銅貨三~四枚で飲めるはず。しかしこの特製ドリンクは、少なく見積もっても一杯につき銀貨三枚はとられそうな気がする。
「ハハハハハ! すでに飲み物じゃねぇし! こりゃヤル気だなぁ、親父」
俺の言葉に同じようにジョッキの中を確認し、愉快そうに笑うワルドに「この親にしてこの子あり」という言葉が浮かぶ。と同時に、俺はこの情報代はかなり高くつくことを覚悟したのだった。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました。