第九十七話 近衛部隊長
熱い蒸気が立ち込める鍛錬場。
一歩間違えば致命傷であったゼノ様の攻撃に怯むことなく、首元にエスパーダをつきつけた少年に幼い頃の姿が重なる。同時に、彼の背丈が俺の腰ほどしかなかった頃、何度か手合せしたことを思い出した。
当時、今以上に多忙だった彼の祖父と父親に代わり、騎士団の連中と一緒に彼の相手をしていた。
あの頃は皆で未来の王と英雄の成長を待ち望み、見守っていた。これでも、若き王とその傍らに立つ若き勇者に傅く未来を、心から楽しみにしていたのだ。
朧げに思い描いた未来と期待が打ち砕かれたのは、いつだったか。
『――――強く、なったなドイル』
『ありがとうございます、お爺様』
『流石儂の孫よ。見事じゃ!』
ゼノ様からの褒め言葉を受け、少年は小さく笑う。周囲に悟れないよう本当に小さな笑みであったが、誇らしげな笑みだった。
そして喜びを押し込めた少年は、武器を下ろすと流れるような仕草で腰を折る。
餓鬼は餓鬼らしく、褒められたら素直に喜べばいいものを。相変わらず可愛げのない餓鬼だと思いつつも、少年の美しい所作に視線を逸らすことができなかった。
周囲が静まり返る中。
無言でゼノ様に敬意を示した少年は、背筋を伸ばす。そして顔を上げると、ゼノ様から向けられる視線に俯くことなく、真っ直ぐ見返した。
――ようやく、帰ってきたのか。
昔と変わらず生意気で。
記憶の中よりずっと立派に成長した少年の姿に、そんなことを思った。
「――鍛錬場にはかなり早い時間帯から顔をだしたようです。その後、少し遅れてきたワルドと言葉を交わし、手合せを開始。結果はドイル様の圧勝。あのワルドが防戦一方だった上、大した時間もかけず終了。その後、二時間ほど素振り等の鍛錬を行うとワルドを担いで戻っていったそうです」
夜の帳が下りた頃。
人目を忍んで部屋に招き入れた部下から、生徒達の報告を聞く。
近衛騎士団の部隊長という立場とはいえ、補助要員として王城から派遣されただけの俺が生徒達の動向をいちいち気にする必要はない。生徒達の管理や指導、保護は王都騎士団の役目で、町に万が一の事態が起こった場合に対処するのが城から派遣された俺達の役割だ。
それでもこうして生徒達の行動を報告させるのは、俺個人がドイル・フォン・アギニスという少年に並々ならぬ関心があるからだ。
そのことは、最近部下になったばかりの此奴も知っている。その証拠に部下は分厚い報告書に目を通しながら、ドイルに関する部分だけ抜粋して読み上げていた。
己の業務に関係ない報告書を、担当者に無断で持ち出すのは職務違反だ。しかし俺はこの役目を手に入れた時点で、既に職権乱用等の違反をしている。今更一つや二つ職務違反の事実が増えたところで気にしない。
……決して、褒められたことではないがな。
これまでの行動を振り返り、自嘲する。
騎士、しかも近衛騎士という大変名誉な職につきながら、相応しくない行動をした。俺に加担したこの年若い部下が咎められる可能性もあるだろう。
しかし、後悔はない。
咎められ、近衛の任を解かれようとも、この目で確かめたいことがあった。
「業務に関しても大変優秀だったようですね。雑務だからと手を抜かず、備品の確認も真面目にやっていたみたいです。提出された書類に一点の不備もなく早かったと書かれています。すべて同一の筆記であり、ドイル様の筆跡であることもゼノ様に確認済みみたいです」
……まぁ、此奴は巻き込んでも問題ないだろうしな。
罪を承知で俺に加担し、報告書を読み上げている部下を見ながらそんなことを思う。
目の前の部下が俺の元に来たのは、春先のこと。
此奴は城に運び込まれた魔王を目にして以来、ドイルを尊敬しているらしく。いつかドイルの下につくのが目標だと公言しており、俺の部隊に無理矢理移動してきたのも、この王都警備中にドイルとお近づきになる為という徹底ぶりだ。
この部下は元々近衛所属だが、別部隊の人間だった。しかし俺が王都騎士団の補助要員になる為に根回ししていると知り、侯爵家という出自を利用して無理矢理俺の部隊にやってきた。
目的達成の為ならば権力行使も厭わない奴なので、もし何らかの罰が下ったとしても上手く切り抜けるだろう。
その証拠に、ドイル達に関する報告書を秘密裏に持って来いと命じた俺に、此奴は二つ返事で頷いたからな。
「また、午後の巡回では剣を持った物盗りを素手で捕まえたとの報告がありました。近づいてきた物盗りの腕をすれ違い様に掴み、捕縛したと。以上で本日の報告書は終了しています――――そうそう。これは俺が先ほど食堂でたまたま耳にしたんですが、『一連の動作に無駄は一切なく、新人に見習わせたい身のこなしだった』と同伴した騎士達が感心していましたよ」
嬉しそうに報告書を盗みに向かった部下を思い出しながら、報告を聞き終える。
今日が初日だというのに、ドイルの行動は聞けば聞くほど学生とは思えない仕事ぶりだ。
「……お前はどう見る?」
結果だけをみれば申し分ないドイルの一日に、そう目の前の部下に問いかける。
報告の最後を盗み聞きしてきた情報で締めくくるような喰えない奴だが、この部下の能力は高い。人を見る目があり、先見の明もある。何より此奴は俺や他の近衛騎士達と違い、ドイルと個人的な接点がない。
幼い頃のドイルは周囲の期待を受け、城の騎士団やグレイ殿下達とばかり過ごしていたし、俺達と距離をとり始めてからはゼノ様が表舞台から遠ざけていた。お陰で侯爵家の出でありながら、ドイルと知り合う機会がなかったらしい。
立場上色々な噂を耳にしているだろうが、直接関わったことのない人間が今のドイルをどう評価するのか、聞いてみたいと思った。
「どう見るも何も……剣も魔法も一流で練習熱心。頭もよければ、物盗りに出くわしても街中ということを配慮して素手で対峙する冷静さと、それが可能な実力。しかもこれでまだエピスの二年生という若さ。誰に対しても礼儀正しいですし、腰も低い。ゼノ様に攻撃され、真っ先に部下達の安全を気にする程お優しい。そりゃ部下にも恵まれますよね。ここまで凡人との違いを見せつけられると、感心するばかりで嫉妬もわきません。清々しいくらいです。後々英雄と称されるのは目に見えていますし、王太子殿下の覚えめでたく第三王女の婚約者。是非、気に入られて部下に引きたててもらいたいです。いえ、もらいます。その為に態々この部隊にきたんですから!」
聞き捨てならない台詞もあったが、取りあえず部下が告げた言葉を吟味する。
部下のドイルに対する評価を、甘すぎるとは思わない。高等部にあがったドイルが成したことは素晴らしく、称賛に値する。
家柄も良く、この若さで近衛に抜擢される実力を持つ此奴が傾倒する気持ちも、わからなくはない。
ドイルが道を違えた理由は周囲を納得させるには十分。その件に関しては、俺達にも原因があったし、非があったといえよう。償いなど必要ない。
今のドイルを評価するなら、部下が下したような評価が正しい。
そう、頭では理解している。
しかしそれでも、心の片隅で思ってしまうのだ。
何故、これだけのことを軽々やれる能力があった癖に、一時でも道を違えたのかと。
何故、殿下と王女に求められていると知りながら、その手を離したのかと。
何故、我々の期待を知りながら背を向けたのかと。
それが、どれほど勝手な言い分かは理解している。
ドイルも勝手に方向違いな期待をされ、裏切られたと糾弾されてはいい迷惑だろう。しかし、頭で理解したところで心はままならない。
ドイル達を迎える際、餓鬼のような行動だと思いながら、何人かと共謀して威圧した。向こうは授業の一環としてきており、俺達は騎士の仕事。仕事に私情を挟むなど騎士としてあるまじき行為と知りながら、それでも俺は目一杯威圧した。
しかし、成長したドイルは俺達なんかよりもずっと大人で。
俺達の殺気すれすれの威圧など歯牙にもかけず、ふわりと音もなく白馬の背から降りたつと、俺を真っ直ぐ見つめ返し、笑んだ。
『エピス学園高等部戦士科所属ドイル・フォン・アギニス以下六名、及び薬学科所属ナディ・フォン・トレボル以下五名。これより王都警備の任につかせていただきます。――どうぞご指導ご鞭撻の程、よろしくお願いいたします』
俺達からの威圧に怯えるでも気分を悪くするでもなく、真っ向から宣戦布告してきたドイルに一瞬、時が戻った気がした。
すぐに最敬礼してしまった所為で見えたのは一瞬だったが、ゼノ様やアラン様の様な槍の勇者になる、が口癖だった頃と変わらぬ瞳。
手合せをする度に滾る野心を隠さず、「いつかお前も越えてやる」と真っ直ぐこちらを見据えてくるその瞳に、くそ生意気な餓鬼だと当時何度も思った。しかし同時に、父や祖父の背に瞳を輝かせ、「幼馴染達は俺が守るから邪魔するな!」と主張する紫色に、俺はマジェスタの明日をみていた。
あの頃同様、明るい未来を期待させる力強い意志と光を宿した瞳。
その懐かしい視線が堪らないほど嬉しくて、理不尽な仕打ちに屈しない姿が誇らしかった。
そう。嬉しかったのだ、俺は。
だから仕事に私事情を挟んだことを「大人気ないし、騎士らしくない」と咎められたら素直に謝罪しようと思った。無論、俺達が犯した過去の過ちも。
だというのに、当のドイルは過去の仕打ちも今受けた威圧も受け流した。その上「絶対認めさせてやるから、よく見とけ!」と言外に告げながら、大人顔負けな行動と余裕をみせるから。
とっくに前に進んでいたドイルに少し寂しくなって、愚かなことと知りながら「お前がその気なら」と敵愾心を燃やしてしまった。
泣き喚けとは言わないが、もしもあの時ドイルがもう少し子供らしい態度を見せたなら。過去の仕打ちにでも、威圧に対してでもいいから声をあげていたなら。
大人ぶって、俺から折れてやったのに。
「――しかし、今日の行いが素晴らしかろうとまだ一日目。これからぼろが出るやもしれん。改心したように見える今の姿が唯の虚栄か、本物か。精々この二週間で見定めてやろうじゃないか」
己の口から出た言葉に、ため息しか出てこない。
ドイルの姿を己の目で見て確かめて。明るい未来への可能性を僅かでも感じられたなら、謝罪して和解したいと考えここにきた。
その願いは確かに叶ったはずなのに、子供に大人な対応をされて引くに引けなくなるなど何たるざまか。これでは近衛の立場を放棄し、王都騎士団の補充要員として城を出るという愚行を犯した俺達を、黙って見送ってくれた陛下とアラン様に顔向けできん。
「そんなこと言って。あんまり苛めるとドイル様に嫌われちゃいますよ」
「う、煩い! 俺は別にドイルにどう思われようと気にならん!」
「またまたぁ。運び込まれたマーナガルム見て、同期の方々とはしゃいでいた癖に何を今更。いい歳したおっさん達が意地張っても、可愛くもなんともありませんよ。本当は構いたくて仕方ない癖に、強がっちゃって」
「おい」
だからこうして、部下から小馬鹿にされ蔑まれようとも言い訳できないのだが、此奴の慇懃無礼さは流石にない。俺をおっさん呼ばわりした部下を低い声で諌めるが、当の本人は飄々とした顔で報告書を片付けている。
俺に対する不敬な言動がさも当然、といった態度の部下に相当な怒りを感じた。
子供に大人な対応をされ、引くに引けなくなった俺の所為でドイルに上手く近づけず、苛立っているのだろう。
嫌味がいつもの三割増しだ。
「隊長様や古参の方々とドイル様の間に何があったか知りませんし? 興味もありませんが、隊長達がそうやって意地を張っているからドイル様に声をかけられないって、ここの騎士達から苦情がきているんですよ。マーナガルムを両断した実績は勿論、あの方の剣はこの辺りでは見ないですし、昨日なんてゼノ様と対等にやりあっていましたしね。その上、今日の仕事ぶり。『是非手合わせ願いたいのだが、その辺り近衛騎士様達はどうお考えだろうか?』ってここの騎士達に詰め寄られた俺の身にもなってください。というか俺も先輩達の手前声かけられなくて、いい迷惑です。先輩達と同じ所属の所為で警戒されてるし。一体俺が何の為に、先輩なんかの部下に甘んじていると思っているんですか」
そしていつも以上に容赦がない。
つうか、此奴ついにぶっちゃけやがった!
何食わぬ顔で本音をさらけ出した部下に、頬が引きつる。
赴任以来、歯に衣を着せぬ部下に「俺、此奴の上司だよな?」と思わず自問自答したことは幾度もあったが……。
それにしてもなんて不遜な奴。侯爵の出でなけりゃ、物理的に黙らせてやるところだ。
そんなことを考えながら何とか理性を総動員させた俺は、腰にさげた剣に伸びかけた手をぎゅっと握りしめる。
「別に好きにすればいいだろう! 俺は誰にも『ドイルと関わるな』とは命じていない!」
「じゃ、そう伝えておきます。ついでに俺も相手してもらってきますけど別にいいですよね? そもそも、お近づきになる為に来たんで。俺は、あの歳であれだけのことを成したあの方を尊敬しています。『部下になりたい』って公言してるんで知ってますよね? 先輩方もいい加減素直になられてはいかがです? 率直に申し上げますが、いい歳したおっさん達が子供の反抗期を蒸し返して、いつまでも責めたてるなどみっともないだけですよ?」
部下からまっとうな指摘を受け、思わず「余計なお世話だっつうの!」と叫びそうになり、ぐっと堪える。
んなことお前にいわれなくてもわかってる。八つ当たりだっていうのもな。
俺だって大人気なく馬鹿なことしてると思ってんだよ。
けど、生憎そう簡単に割り切れるほど、人間できちゃいないんだ。仕方ねぇだろ!
声に出せない部下への文句を心の中で唱えると同時に、陛下に献呈されたマーナガルムを思い出す。
両断された魔王の巨体に、年甲斐もなく興奮した。
あれ程の偉業をドイル一人で成したことが誇らしく。彼の帰還を喜ぶ気持ちが込み上げるが、何も相談してもらえなかった過去が頭を過り、拳を握った。かけた期待を簡単に切り捨てられたことが悔しくて。それ以上に、己なりに可愛がっていた少年から、これっぽっちも信頼されていなかった事実を思い出し、打ちのめされた。
ドイルが騎士団に顔をださなくなってから、彼が口さがない者に貶されていることも、道を踏み外しかけていたことも知っていた。けれども俺は何もしなかった。彼の努力を知っていながら、勝手に裏切られた気持ちになって擁護さえしなかった身で、今更どの面さげて会えようか。
「くだらないプライドに拘っていると、英雄が英雄になる瞬間を間近で見られる僥倖を逃しますよ、隊長」
「ガルディ……お前、ほんっとうに嫌な奴だな」
「知っています。というか俺はドイル様に気に入られたいのであって、先輩にどう思われようとどうでもいいです――――それでは失礼いたします。良い夢を」
片付けを終えた部下は俺にそう告げると、退出許可を待つことなく報告書を抱えて部屋から出ていった。
パタンと閉まった扉を睨む。
消えた部下の背に投げかけた視線に含まれていたのは、嫉妬か羨望か。
……おっさんになると、てめぇみたいに融通きかないんだよ。
あの頃にはもう戻れない。
俺自身、凄いものは凄いとありのままに受け止める柔軟性も、人目を憚らず共に戦いたいのだと言える素直さも、とっくの昔に失ってしまった。あるのは、長い年月をかけて得た近衛の部隊長の地位とプライド、張り続けて引けなくなってしまった意地だけだ。
見定めるだのなんだの言いながら、その実ドイルが歩み寄ってくれるのをじっと待つ俺は、ガルディからみたらそりゃ滑稽でみっともないだろう。
ガルディのいうとおりプライドや意地を捨ててしまえば、あの頃のようにとまではいかずとも、今よりずっとマシな関係が築けると思う。
しかし、もう遅い。色々なもので雁字搦めになってしまった俺はもう動けない。
ドイルから歩み寄ってくれるか、あるいは――。
いっそ彼の祖父や父のように、その身が持つ権力のまま命じて欲しいと思う。そうすれば、何も考えず言うことを聞いてやれるから。
アギニス公爵家継嗣に王太子殿下の側近、王女の婚約者、どれをとっても一介の近衛騎士より上だ。国の為に私情を殺して、上からの命に従うのは騎士として当然のこと。そこに俺の意地も過去の蟠りも関係ない。
騎士として唯々諾々と命を受諾する。それならば、今の俺でもできるだろう。次は間違わない。騎士らしく己を殺してみせよう。
ドイルが歩む道は、マジェスタの未来に繋がっているのだと思えたから。
今度は俺達が応える番だ。
ドイルがアギニス公爵家継嗣として命じるのならば、いかなる内容であっても遂行してみせる。
それが餓鬼みたいに情けない俺の、せめてもの矜持だ。
――今度はお前を信じて、最後までついていく。
誰もいない部屋の中。
マジェスタの名に捧げた剣にそう誓った。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました。