第九十五話
始まりは昨年の冬。
例年にない大雪の影響で、要塞都市フォルトレイスの城壁の一部が損傷。修復ついでに予てから検討されていた都市の増設を行うことが決まった。それに伴い運び込まれる資材や職人達の護衛として、各国に散っていた傭兵達が次々と要塞都市へ。
その直後、隣国の農業国家アグリクルトにて虫系の魔物が大量発生する。この時、王家から討伐依頼がでたらしい。勿論、フォルトレイスでの仕事を終えた多くの傭兵が、王家からの褒賞を求めアグリクルトに移動した。
すると偶然にもアグリクルトでの魔物狩りが落ち着きはじめた時期と、隣の商業国家ハンデルの祭りが重なる。ハンデルの祭りといえば大売り市が有名だ。
フォルトレイスとアグリクルトでの依頼で懐も温まっているし、折角近くにいるのだからと大半の傭兵団が武具や掘り出し物の魔道具などを求めて、ハンデルに移動した。
そしてひとしきり祭りを楽しみ懐が寂しくなったところで、エーデルシュタインからきた宝石商から帰路の護衛を何組かの傭兵団が受けたらしい。またその頃、マジェスタにある深淵の森でマーナガルムがでた。お前が斬ったやつだ。
その噂は祭りで金が尽き、ハンデルに居残っていた傭兵達の耳に届いた。魔王の噂を聞きつけた商家や貴族達が、護衛の強化をするはずだと傭兵達は移動を開始した。
そして傭兵達の読みどおり、マジェスタ周辺での護衛依頼が増えた。大きな商家や貴族の中には個人でなく傭兵団と年間契約したところも少なくないらしい。
そんな中、炎槍の勇者とセルリー魔術師長の引退表明と、エーデルの侯爵子息が非公式に行っていた国境周辺での実地訓練。それから恐らくクレア王女の件だと思うが、エーデルの王太子がこそこそ動いていると傭兵達の間で噂になっていたようだ。
それで、もしかしたら近いうちにマジェスタ国周辺で戦とまでいかなくても、小競り合い程度は起きるのではないかという噂がたった。
戦とくれば傭兵達の本業だ。奴らはようやく本業に戻れると喜び勇んで、マジェスタやエーデルシュタイン付近に拠点を移し、仲間を呼び寄せた。
実際、マジェスタ国内や近隣ではマーナガルムの一件もあり、護衛や私兵の強化に勤しんでいる貴族や商家が多い。深淵の森付近では魔物の討伐依頼も増え、傭兵達のいい生活費稼ぎになっているそうだ。
オピスに関しては、真偽まではわからなかった。確かに目撃情報は多くあるようだが、傭兵が集まるところには必ずオピスの噂が付き纏う。
俺はセレジェイラと同じ班だったから、王都警備の実習中に確認することはできなかった。彼女を危ない目に遭わせる訳にはいかないからな。
もし、お前が巡回にかこつけて傭兵達の動向を調べにいく気なら、ワルドに頼むといい。
彼奴の親父は元傭兵で、今は王都で宿屋をやっている。親父の繋がりで昔からそういった奴らが多く泊まりに来るとワルドから聞いたことがある。
他に伝手があるならいいが、ないならいい取っ掛りになるだろう。
最近のワルドはお前に御執心だから、上手く使うといい。ワルドの思考は戦士科そのものでアレだが、剣の腕と性根は保証する。きっとお前の役に立つ。
陛下達の前であれだけの大見得をきったんだ。
今までの分も含め、精々身を粉にして働け。
――いわれなくとも、そのつもりだ。
朝方、ワルドを叩きのめして手に入れたリュートからの情報を思い出し、そんなことを思う。
俺がワルドから手に入れた袋の中身は、二冊の本だった。
一冊は『大戦記』、もう一冊はクレアに借りたことのある娯楽小説。
娯楽小説の表表紙に細工がしてあり、中から手紙がでてきた。恐らく騎士に見咎められても、一見してわからないようにしてくれたのだろう。気の利く奴である。
想像以上に詳しい経緯が書かれていたことにも驚いたが、リュートがこれほど協力的なのは正直意外だった。その上、俺の行動を見越した上でのワルドの情報。
親切過ぎて少し不安になったが、最後に書かれていた二行で安心した。あれでこそリュートである。
ワルドの扱いが若干酷いような気がしたが、預ける相手に選んだあたりリュートのワルドに対する信頼が窺える。
ワルドの腕がよく、性根がいいというのは戦士科での付き合いもあり俺も納得できる。
リュートを信じて、ワルドに傭兵を紹介してもらうのは悪くない。傭兵は情報が命。そんな彼等から情報をもらうのは大変だからな。
当のワルドは現在俺の所為で自室のベッドと仲良くしているが、ナディとレオーネに治療を頼んだので、昼前には復活できる。
昼食をとりながら話を聞き、行けそうなら巡回中に、駄目なら夕食の時間に抜け出して行けばいい。
幸いなことに、巡回後から消灯時間までの間、生徒達には自由時間が与えられている。
リュートから得た情報を元に、これからの予定を考えながら羽ペンをインクに浸し、書類の空欄を埋めていく。
書類といってもたいしたものではない。今使っている紙や羽ペンといった消耗品の個数を数え、消費した個数を記入。購入金額とかけ、消耗品にかかった金額を算出するだけの雑用である。
しかしこの雑用、単純作業だが数が半端ない。武器の手入れに使う砥石や甲冑を磨く油から始まり、生活用品や文具と騎士団の建物及び宿舎内で共同使用されている、ありとあらゆる消耗品の消費量と費用を算出するのは中々骨の折れる作業だ。
単調な作業だが面倒臭い。
その上、騎士団にくるような人間の大半は頭脳派でなく肉体派。計算が苦手といった者も多い。
となれば実習中の生徒にお鉢が回ってくるのは、当然といえば当然の流れである。
そんな訳で俺達は今、宿舎の一角にある管理室にいる。
管理室には宿舎内で使われる共同の備品や消耗品が置かれており、此処にある消耗品を数え、書類を完成させて提出したら俺達の午前の業務は終了だ。
室内には俺と班を組んでいるバラド達と一年生二人。それから俺達に雑用の手順を教えているワルドの班員達の姿があり、手分けして消耗品の数を数えている。
ちなみにワルドの班はワルドを長にリタとプルハ、一年生三人だ。
現在ワルドは不在だが、午後の巡回ならまだしもこういった雑用ではいてもいなくても変わらないので問題ない。巡回と違って雑用には騎士もついてこないので、昼前に起こして来ればワルドの不在が露見することもないだろう。
「紙は二十箱と六十四枚です」
「羽ペンは三十五本でした」
「インクはあと三十個です」
「字を書く用の木炭は十箱と三十七本残っています」
「木板は五束と十八枚よ」
「燃やす用の木炭は百箱まるまるあります」
「ろうそく(大)は三十箱と四十一本です」
「了解」
部屋の中にあった消耗品の残量を聞きながら、手元の書類に個数を記入していく。ついでに元の数から残量を引いて消費量をだし、購入費とかける。
大した金額ではないので、これくらいなら暗算で充分。
バラド達やリタ達が数えた物を戻している間に、俺は書類の項目をすべて埋めた。彼等の手伝いもいいが、今のうちに書類を完成させてしまった方が時間の無駄もない。
「しっかし、数え終わるだけで結構時間使いましたね」
「今日は宿舎だからまだいい方よ。本部の方はもっと細々したものが多いわ」
「……騎士団って、巡回とか警備だけじゃないんですね」
「私、鍛錬とかそういうのばかりだと思っていました。計算とか苦手です」
ジェフとリタ、俺の班の一年生達がそんな会話をしている。
うんざりといった顔をしている彼等は、全員戦士科もしくは戦士科志望だ。
ちなみにプルハやバラド、ソルシエやリタ達と組んでいる一年生達は全員魔法科志望。こちらはこういった雑用にそこまで抵抗がないのか、苦笑いを浮かべながらも手を止めずジェフ達をみている。
とても分かり易い構図である。
「ドイル様。書類の計算は私とバラド様がやりますので」
俺達の班への引き継ぎを行うのがワルド達の班だなんて、誰かの作為をありありと感じるなと考えていると、ルツェが俺の手から書類を受け取ろうと寄ってくる。
商家の息子であるルツェや奉公に出ていたバラドはこういった書類が得意なので、気を遣ってくれたのだろう。
「もう終わっているから必要ない」
「! それは、それは。流石ドイル様。大変失礼いたしました」
「え。もう終わってるんですか?」
しかし、手元にある書類の項目はすべて埋まっているので断れば、ルツェは僅かに目を見開く。そして俺の手元を覗き込み、感嘆の声をあげた。
同時にジェフの声が聞こえたので、部屋の中を見渡せば、全員が俺を見ていた。
「……お前らは、俺をなんだと思っているんだ?」
「いや、でも、ドイル様、紙と羽ペンとインクしか持ってないじゃないですか」
「三桁を超えない計算など暗算で充分だ」
「まじっすか」
「……そんなに驚くことないだろう」
俺の言葉にジェフが信じられないといった表情を浮かべる。ジェフを筆頭に多かれ少なかれ驚きを浮かべた彼等の表情に、俺は思わず憮然とした表情でそう返した。
この世界のお金は銅貨、銀貨、金貨、白金貨で成り立っている。その上、銅貨百枚で銀貨一枚、銀貨百枚で金貨一枚と同等というシンプルさ。
お金は硬貨のみの為、商品の金額も計算し易いきりのいい数になっている。その上、消耗品は一つ一つが安いので、大体十や百単位での纏め売りが基本だ。
ろうそく(大)なら百本入り一箱が銀貨二枚。つまりろうそく一本は銅貨二枚。元が五十箱なので、消費量は十九箱と五十九本。消費したろうそくの金額は、銀貨三十九枚と銅貨十八枚となる。
つまり、よほど大量の物を購入しない限り計算が三桁を超えることはないし、あまり細かい値にはならない。
となれば、殆どの欄は暗算で充分だし、合計金額を出す時だって計算用の紙が一枚あれば事足りる。
「この手の書類は中等部にあがる前に、散々やらされたからな」
「いやいや、ドイル様。普通こんな計算やりませんよ。やる必要ないですし」
「やる必要ないってことはないだろう? どんな集団であれ、管理するだけでお金はかかるし、与えられる費用は限られる。効率よく使うなら、この程度の計算はやるだろう?」
「いや、そうじゃなくて」
やる必要ないと言い切ったジェフに、思ったとおりのことを述べれば、困ったような表情を浮かべられる。
「ドイル様。普通は備蓄量と財布の中身の兼ね合いを気にするくらいです。余程お金に細かい性格でもない限り、一か月の間に何をどれだけ使ったなど一般家庭では計算いたしません。こういった消耗品の消費額を算出するのは、商家や店の経営者か貴族、王城や騎士団くらいでしょう。そしてこういった雑務は部下の仕事。まず、ドイル様のお立場ではやりません。正直にお答えしますと、バラド様ならともかくドイル様が説明も受けず、当然のようにすべての欄を埋めたことに私はとても驚いております。商家出身の私よりも早く、そして正確に計算する者など早々おりませんよ」
「……お前の言っていることはわかるがな。しかし我々貴族の持つお金は、民から与えられたお金だ。切り詰め過ぎて部下が体調を崩したり、士気を下げるようなことがあってはいけないが、あればあるだけ使っていいお金ではない。不当に使われていないか管理するのは俺達の仕事だ。それなのに、この書類を見て計算の正誤がわからないなど話にならんだろう?」
ジェフが言いたかったことを説明してくれたルツェに、そう返せば俺の言葉を境に室内がしんと静まり返る。
そして、何故か滅茶苦茶凝視されていた。
確かに学園の授業で算術はほとんどやらないので、計算能力をみせる機会はほとんどない。
特に戦士科はまったくといっていいほど座学がない。恐らく三桁を超える計算を暗算できる者は少ないだろう。必要もないからな。
そしてルツェの言い分もわかる。
俺は立場上こんな雑用をやる機会などないし、これからもやる機会は殆どないだろう。しかし、やる機会がないからできないということはない。
俺は腐っても鯛なのだ。この程度の書類は後継者教育の一環として、幼い頃にやり尽くしている。軍を率いる立場になった時、わからないようでは困るからな。
それに何より、前世では大学までいった俺がこの程度の計算でつまずくことはまずない。
だからそう驚くことでもないのだが、皆はそうは受け取らなかったようだ。
爵位を持つとある一年は尊敬の籠った目を向け「俺もがんばります!」と言っているし、ルツェ達は顔を見合わせ満足そうに頷き合っている。リタやプルハも感心したような表情を浮かべていた。
なんだかとても居心地の悪い視線達に身じろぐ。
彼等を騙しているような罪悪感もあり、思わずバラドに助けを求めれば、彼はうっとりと何処かに旅立っていた。
耳を澄ませば「知の神もかくやといった聡明さ。加えて決して驕らず、民や兵を想うドイル様……素敵です」とかなんとか聞こえる。静かだと思ったらいつの間に。
「……とりあえず、部屋を片付けて、この書類を提出に行くぞ」
「「「「「はい!」」」」」
ご満悦なバラドにこれはしばらく無理だなと判断した俺は、放置を決め込みそう告げる。
ここで下手にバラドに声をかけると、一気に暴走タイムに突入だからな。同学年のリタ達は既に知っているからいいが、一年生達の前では御免だ。
騙しているような罪悪感は少しあるが、折角いい感じに尊敬してくれているのだ。変な主従のイメージを持たれるのは勿体ない。
誤解ではないし、彼等にはこのまま良い印象のままでいてもらおう。彼等が他の一年生達と噂話でもしてくれれば、万々歳だ。
そう結論付けた俺は元気よく返事をした一年生達に頷き、次いでルツェ達に視線をやる。
そして心得たとばかりに退室の準備を開始したルツェ達を眺めながら、書類に不備がないか確認する為、手元にある紙の束に目を落とした。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました。