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第九十四話

 深く暗い森の中。

 湿った土と青臭い葉の香りを鼻先に感じながら、俺は身を守る為にしゃがみ込み、体を縮めていた。


「ギャ!」

「ギャギャ?」

「ギャッ! ギャギャギャ」

「ギィー」

「ギー? ギャギャ」


 濁った声で言い合いながら、俺を探すゴブリン達の姿にごくりとつばをのみこみ、息を殺す。ウロウロと歩き回る彼等の手には棍棒や錆びた短剣、先の折れた剣など冒険者達から奪っただろう武器があった。

 ボロボロであっても武器は武器。それにあちらは五匹もいる。見つかったら、恐らく負ける。

 己の頭が冷静にはじき出した答えに、汗が滲む。これ以上は無理だとわかっていたが、それでも彼等に見つからないようできるだけ小さくなりたくて、腕や足に力を込め胴体に引き寄せた。


 ――お爺様。


 俺よりも頭一分大きいゴブリン達が、弱そうな獲物を狩る為に草木をかき分け棍棒などを振り回している。その光景を近くの茂みの中からみながら、心の中ではぐれてしまった人の名を呼ぶ。

 きっと助けにきてくれる。そう信じて、できるだけ気配を殺し、誕生日に貰ったばかりの真紅の槍をぎゅっと握る。徐々に近づいてくるゴブリン達の様子を盗み見ながら「くるな、くるな」と心の中で祈った。

 逃げる途中で挫いたのか、ズキズキと痛む足が熱い。


「ギャ!」

「――っ」

「ギャギャギャッ」


 間横に振り下ろされた棍棒が、バキバキと枝を折る。身を隠していた草木を失ったことで、心音が凄い勢いで速度を上げていく。

 目が合った瞬間、歓喜を浮かべたゴブリンの笑みが、ただ恐ろしかった。

 喜色を帯びたゴブリンの声に他のゴブリン達が己の武器を携え集まってくる。目の前ゴブリンは歯をむきだし、顔をクシャクシャにしながらとても嬉しそうに棍棒を振り上げていた。


 ――ごめんなさい。お爺様。


 はぐれてしまったお爺様に謝りながら、ゆっくりと降りてくる棍棒を見る。

 次の瞬間、視界が紅く染まった。

 身に覚えのある熱風と、声をあげる間もなく一瞬で炎にのみこまれたゴブリン達。目の前には馬車が余裕で通れるほど広い、焼き焦げた道ができていた。


「ドイル! 無事か!?」


 聞こえた声に顔を動かせば、酷く焦った表情を浮かべ、頭や肩に沢山の葉をつけたお爺様が愛槍を握って立っていた。






 ――もの凄く、安心したんだよな。


 あの日は確か、騎士団の新人演習か何かだった気がする。

 俺はその年の誕生日に初めて槍をもらって、鍛錬を始めたばかりだった。槍の扱いさえ覚束なくて、戦うなんて次元ではなかったのだが、『一目魔獣を見ておくとよいだろう』というお爺様に連れられて行った森。いや、林だったかもしれない。

 あそこが何処だったのかは、正直覚えていない。何が原因でお爺様達とはぐれたのかも。

 ただ、助けにきてくれたお爺様の姿に凄く安堵したことや、泣き出してしまった俺をお爺様が背負って帰ってくれたことだけは、はっきりと覚えている。

 温かく、しがみついても有り余る大きな背中だった。


 がっかりした、って訳ではないんだよなぁ。


 目線がほぼ同じ高さにあるのも、その肉体から威圧を感じなくなったのも、俺が成長したのだから当然だ。肉体的な差は成長すれば埋まる。

 ならば俺は、一体何に衝撃を受けたのか。何がこんなに、引っかかっているのか。

 考えても答えの出ない己の感情に、自問自答を繰り返す。


 コン、コン、コン。


 今一はっきりしない己の気持ちと向き合っていると、控え目に窓を叩く音がした。

 聞こえた音に思考を中断し、顔をあげる。そして窓を見れば、アインス達が押し合いながら狭い窓枠に張り付いていた。


 ……詰め放題のパンみたいだな。


 宿舎の小さな窓に張り付き、我先に中を覗こうとしているアインス達に、そんな感想を抱く。

 雛から小鳩くらいの大きさに成長したアインス達が、大人の頭くらいしかない場所を取り合い、互いをかき分け、潰し、くの字になりながら張り付く様は、中から見ると大変シュールだ。

 必死な彼女等には悪いが、ちょっと笑える。雛と成鳥の狭間にいる彼女等の柔らかい羽根が窓に押し付けられ、小さい窓枠内に密集している姿は、ビニール袋の中にぎっちり詰められたパンそのものである。ミチミチという音が、何処かから聞こえてきそうだ。

 というか、アインス達はどうやってあんな無理な体勢で窓に張り付いているのだろうか。やはり、落ちないように魔法で補助しているのか……。


 コン……コン……コン!


 微笑ましいとも、気色悪いとも思える光景に思わず魅入っていると、またもや控え目なノックが聞こえる。体勢が苦しいのか震える嘴で、ツヴァイが必死に窓を叩いていた。

 そろそろ限界そうなアインス達の姿に、俺はようやく腰を上げる。鳥の癖に『落ちる!』『ちょ、もっと詰めてよ!』と言い合っている彼女等に、誰かが代表してとまればいいだろう、と呆れてしまう。

 無意味な攻防を繰り広げる彼女等に溜息を吐きつつ、窓の取っ手に手をかける。宿舎の窓は下側に鍵と取っ手があり、内側に引くと窓の下が開く仕組みになっている。二十センチ程度しか開かないのは、脱走と侵入防止だと騎士達が言っていた。

 縋るような目を向けるアインス達に窓を開けてやれば、彼女等は隙間から入るというよりも、部屋の中にポロポロ零れ落ちてくる。その光景は、さながら自販機から出てくる缶のようだった。


『やっと入れたわ!』

『もうちょっと長かったら危なかったね!』

『死ぬかと、思った!』

『あー、もう! 私の綺麗な羽が台無しだわ』

『むぎゅ』

「おはよう。まだ他の奴らは寝ているから静かに。それからフィーア、フュンフが潰れているから降りてやれ」

『あら? ごめんなさい』


 きつい体勢から解放され喜ぶアインス、ツヴァイ、ドライと羽が乱れたとプリプリ怒るフィーアに朝の挨拶をする。ついでに、フィーアの下敷きにされていたフュンフを助け出してやる。助け出されてから辺りを見回すフュンフは、相変わらず鈍い。

 思いっきり下敷きにしていたというのに軽い謝罪ですませたフィーアと、俺が助けるまで見向きもしなかった他の兄弟達。そして、そのことをまったく気にしていないフュンフの様子に、彼女等の序列と日常を垣間見た気がしたのは、きっと俺の気の所為だ。


『『おはようございます! ドイル様』』

『主様』

『おはよう、ご主人様!』

『ごしゅじんさま』

『『『『『ごはん、ください!』』』』』

「少しな。足りない分は自分達で調達しろよ」

『『『『『はーい』』』』』


 気を取り直し、魔力を手に集め差し出してやる。

 少し不満そうだが、それでも大人しく俺の言葉に従うアインス達は一か月間の調教の賜物だ。

 ラファールに衝撃の事実を聞いて以来、アインス達への認識を改めた俺は彼等に対する躾を行ったのだ。勿論、魔力をお腹一杯まで食べさせるのもやめた。

 その甲斐あってか、呼び名を「ママ」から「ご主人様」に変え、幾分従順にさせることに成功したので、俺は現在大変満足している。




「アインスとドライとフィーアは町の噂話を集めてくれ。ツヴァイとフュンフは傭兵達の住処。といっても、まだ傭兵か冒険者の区別ができないだろうから、とりあえず武器を持った人間が十人以上集まっているところ探してくれ。危ないから近寄り過ぎないように気を付けろよ?」


 簡単な食事を済ませたところで、アインス達に町の情報収集を頼む。

 最近のアインス達の成長は目覚ましく。国外など長距離はまだ無理だが、学園から王都までの距離なら飛べるようになったし、人間に対する知識も増えた。今回の情報収集は、今後を考えればいい練習になるだろう。

 それに巡回中は必ず騎士が一人はついてくることになっている。宿舎の門限も考えれば、王都にいる二週間のうち、俺が自由に動ける時間は少ない。ある程度目途をつけてから動かねば、望む情報すべてを手に入れるのは難しいだろう。

 ラファールにも、王都内の精霊達に何か変わったことはないか聞いてきてくれるよう頼んである。

 お爺様や騎士達、情報収集と王都に居られるうちにやっておきたいことは、沢山ある。


『任せてドイル様!』

『フュンフもいますからね。遠くから見るだけにします!』

「ああ。それから全員弓と魔法に気を付けろよ? 王都には手練れが多い。離れていても、油断しないように――――気を付けてな」

『『『『『はーい』』』』』

「行ってこい」


 スゥと音もなく、優雅に飛び去る幼いフェニーチェ達の背を見送る。列をなして飛んでいたアインス達が二手に別れ、昇りはじめた朝日の中に消えていったのを確認し、俺は静かに窓を閉めた。


「俺も行ってくる」

「行ってらっしゃいませ、ドイル様」


 他の班員が未だ眠る中。

 いつの間にか目覚め、頭を下げたバラドからタオルを受け取り、宿舎の部屋を後にした。




 アインス達と別れ向かった鍛錬場には、朝日が昇りはじめたところだというのに人がいた。皆きたばかりなのか、思い思いの場所に陣取り鍛錬の準備をしている。片手で数えられる程度だが、早く出たつもりだったので少し驚いた。

 明日はもっと早く来ようと心に決め、俺も場所を確保すべく鍛錬場に入る。人が少ないこともあり幾人かが俺に気が付いたが、そんな視線など無視して鍛錬場の奥へと進んでいく。そして体を解した。

 腕、足、腰、背中とゆっくり、しっかりと筋肉を伸ばし解していく。夏という季節も手伝い、柔軟が終わった頃には額から汗が滴っていた。

 休憩がてら、床に座り込んだまま流れる汗をぬぐう。

 そうして一息ついたところで、俺はようやく先ほどから熱い視線を送ってきていた奴に声をかけた。


「で? お前は一体何してるんだ、ワルド」

「手合せしようぜ、アギニス!」


 俺の声に「待ってました!」とばかりに寄ってきたワルドに、こめかみが引きつる。

 鍛錬場に足を踏み入れ、中に俺がいると気がついてからというもの、ずっと側で待っていたのでまぁ、手合せしたいんだろうなとは思ったが、予想どおりの答えである。


「俺に頼まなくとも、騎士様方がいるだろう。折角の機会なんだから、お願いしてこい」

「騎士様方は手の空いている時に頼めば、いつでも手合せてくれるからいいんだよ。俺達の相手するのも今回の実習の一環らしいからな。――――でも、アギニスに絶対相手してもらえる機会は今しかない」


 ワルドはそういって、亜空間から袋を取り出し俺に見せる。


「リュートから預かったんだ。『なるべく早く渡してくれ』と注意つきで」

「……なるほど」


 渡してほしかったら、手合せしろってことか。

 ワルドが言わんとしていることを理解した俺は、立ち上がりエスパーダを取り出す。

 そんな俺の行動に目を輝かせたワルドは、いそいそとリュートから預かった袋を亜空間に仕舞うと、代わりに己の武器を取り出していた。


「お前、今日の予定は?」

「アギニスと同じで午前は騎士団の雑用、午後は巡回だ」

「そうか。なら、午前中は使い物にならなくても問題ないな」

「やる気になってくれたか?」

「ああ。たまには本気で相手してやるよ。折角、俺を脅すような真似もしてくれたしな」

「え」


 手に馴染むエスパーダの感触を確認し、笑みを浮かべてワルドに宣告する。

 ここまで俺とやりたいと望まれるのは嬉しいし、ワルドがしたことを脅しというのは大げさだ。しかし、こういったやり方に味を占められては困るので、此処はきっちりお仕置きが必要だろう。

 俺を相手に、物をチラつかせて自分優位な駆け引きしようなんざ、十年早い。


「覚悟はいいな?」

「お、お手柔らかに」




 その後。

 ヤル気をみせた俺に顔を引きつらせつつも、期待に目を輝かせ向かってきたワルドが手合せを楽しむ間もなく、速攻で叩きのめしてやったのはいうまでもない。

ここまでお読みいただき、ありがとうございました。

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