第九十三話
騎士団の建物に併設された鍛錬場。
陛下に捧げた剣を磨く為、日夜多くの騎士が訪れるその場所には沢山の騎士達の姿があり、その中にはちらほらとエピス学園の生徒の姿も混ざっている。恐らく、休憩中か待機を命じられた生徒達だろう。
実戦経験の少ない生徒達にとって、現役の騎士からの指導は大変貴重である。皆この機会に少しでも多くの技術を身につけようと、真剣に教えを受けていた。
俺達が、というよりも俺が足を踏み入れるまでは。
先ほどまで鍛錬に励む騎士や生徒達の気持ちいい緊張感が満ちていた鍛錬場には、現在異様な空気が漂っている。
「――さぁ! 遠慮せず、何処からでもかかってこいドイル!」
「っラファール! 生徒を下げて守ってくれ。邪魔だ!」
「任せて!」
「ドイル様!?」
言葉と同時に降り注ぐ槍の猛襲をエスパーダでいなしながら、ラファールに命じる。遠ざかるバラド達の声を背中で聞きながら、繰り出された槍をエスパーダで受け止め、お爺様と対峙する。
穏やかとは言い難い挨拶を騎士達と交わし、とりあえず学園に帰還する生徒達と交代したのがつい先ほど。ブラン達を馬小屋につないだ俺達は、引き継ぎを始める為に待っていた生徒達と監視役に残った騎士数名から建物内の説明を受けていた。
そして受付や武器庫、待機室などを見て回り、宿舎を紹介され最後に鍛錬場の説明を受けていた。そして俺が鍛錬場の中ほどまで踏み入れた瞬間、待ち構えていたお爺様が何処かから降ってきたのだ。
一体いつから張っていたのかは知らないが、騎士達も驚愕していたので相当前から俺がくるのを天井で待っていたのだろう。もう六十七歳になるというのに、元気な人である。
「お久しぶりですお爺様。ご健勝なご様子でなにより」
「お主も元気そうじゃな、ドイル――ところで仲間達を下げてしまってよかったのか? どうせなら同時にかかってきてもかまわんぞ」
「ご冗談を。手合せに第三者の介入など無粋です」
和やかに言葉を交わす俺とお爺様の間で、互いの武器がギリギリと音をたてる。俺の言葉にお爺様が僅かに目を輝かせたのを目にし、ちらりと背後を確認する。
命令通り鍛錬場の隅に生徒を集め、風の防護壁を張り終えたラファールの姿を確認した後、俺は準備が整うのを待っていてくださったお爺様と再び目を合わせた。
居合わせた騎士達が慌てて逃げ場を探し、協力して結界を張ろうとしているのが見えたが、俺は敢えて何もしない。バラド達のように俺に守られるなど不服だろうし、彼等は仮にも王都の守護を任されている正騎士達だ。自力でどうにかするはず。
というかしてくれないと困る。この程度の事態を自力でどうにかできない者に、見定められても意味がないからな。
「それに折角の機会ですから。お爺様には私自身の力を味わっていただきたく存じます!」
「よく言った!」
言い切ると同時に力任せに槍を弾き、一旦距離をとる。
好戦的な笑みを浮かべたお爺様が槍に炎を纏わせたのをみながら、俺もエスパーダに氷を纏わせ構え直す。お爺様との手合せは本当に久しぶりだ。俺の記憶が確かなら中等部の一年の時が最後である。
あの時の、落胆を浮かべたお爺様の顔は今でもよく覚えている。
あんな表情は二度とさせない。
この手合せが終わった後は、是非昔のように「流石、儂の孫」とお爺様に言わせてやろう。ラファールの力を借りずとも、それだけの力が今の俺にはあるはずだ。
「「いざ!」」
お爺様を見据え、そんな決意と共に踏み出せば、武器が合わさった衝撃に空気が震えた。
挨拶も何もかもすっ飛ばし、武器を構え対峙する。
久しぶりの再会だというのに容赦なく攻撃し合う俺達を、バラド達や騎士達が唖然とした表情で見守っているが、これが俺とお爺様に相応しい再会だろう。
抱擁を交わし、積もる話を語り合うなどまどろっこしい。
これでまでの日々を上手く言葉にできるかわからないし、数多の言葉を重ねるよりもこっちの方が早い。きっとお爺様もそう思っていることだろう。
槍の基本の型どおりだが、尋常ではない速さと威力で繰り出される炎槍をエスパーダでいなし、弾いて。互いに目を反らすことなく、語らうように攻防を重ねてゆく。
お爺様との手合せは昔からこうだった。基本の型どおりゆえに次の攻撃はわかる。しかし長年積み重ねてきたその技量が、わかっていても簡単に反撃させてくれない。
よく踏みとどまれなくて、吹き飛ばされたな。
変わらぬ攻撃パターンに幼い頃の手合せを思い出す。お爺様は毎回同じ攻撃を繰り返すことで、俺の成長をみていた。
しかし、なんとか槍を受けてもその衝撃で吹っ飛ばされていた頃と今の俺は違う。腕に響く重さを感じながら、槍をしっかり受け止めた俺は口端を上げる。
そんな俺を見て、お爺様も愉しそうに笑っていた。
「どうしたドイル! 受けるだけでは、儂には勝てんぞ!」
「ええ! 重々承知しておりますよ、お爺様!」
手を緩めるどころか徐々に速度をあげているというのに、余裕綽々なお爺様に声を張りあげる。そして同時に、お爺様の槍を斬るつもりで床に叩きつけた。
「お?」
「――いきますよ、お爺様!」
槍を止めたことで、ジュッと音をたて刀身が減ったエスパーダを強化し直し、懐に踏み込む。そして、槍を逆さに持ちかえ柄で刃を止めたお爺様に、即座にエスパーダに纏わせていた氷を水に変える。
「おお!」
水に変えたことで立ち込めた水蒸気に、愉しそうな声をあげたお爺様に苦笑いを浮かべる。そして、風で身を守りながら蒸気に乗じて上に飛ぶ。
お爺様の炎でできた水蒸気は高温で危険だからな。蒸気の発信源にいるお爺様も危険といえば危険だが、あの人はこのくらいでは火傷一つ負わないだろう。火魔法に適性が高いお爺様は耐性も高い。それはジンも同様で、羨ましい限りである。
「――しかし、この程度の目くらましなど無駄じゃ!」
……やっぱりな。
元気な声と共に、紙一重の差で蒸気の中から突き出された槍にひやっとしながら、空中で態勢を整える。的確に俺がいた場所に槍を突き出しただけでなく、そのたった一突きで蒸気を吹き飛ばした炎槍の威力は流石である。
ちょっとやそっとの攻撃では壊れないよう、魔法で強化されているはずの鍛錬場の床が、焦げて抉れていた。
念の為、上に飛んでおいてよかった。
蒸気に乗じて斬りかかるという選択肢もあったが、そうしなくて正解だった。あの一撃を喰らっていたらやばかったかもなどと考えながら、【飛刀】のスキルを使い氷の刃をお爺様の頭上に降らせる。そしてエスパーダに纏わせた氷を解き、再び【飛刀】を使う。
「上か! 何の、この程度ぉ!?」
周囲に目を走らせ、即座に上を向いたお爺様を氷の刃が襲うが、無数の氷の刃は呆気なく槍の一振りでかき消される。そしてお返しとばかりに繰り出された突きと共に、火柱が真っ直ぐ俺に向かって伸びてくる。直撃を避ける為に氷の盾を張りながら落ちるが、それでも多少の火傷を負う。逃げ場のない空中なのでこれは仕方ない。
しかし同時に、お爺様も俺が時間差で降らせた風の刃で同程度の傷を負っていた。続いていた俺の攻撃から視界を守る為に風の刃を腕で受けていたお爺様が、目を見開いているのが見え少し嬉しくなる。
一歩間違えれば大怪我しそうな攻撃の応酬に、生徒達や騎士達が叫んでいるが気にしたら負けだ。
ガンッ! と着地と共に一太刀入れ、防がれた反動を利用して距離をとりながら、くるりと一回転して着地する。
すぐさま体勢を整え最後の一撃を入れる為に魔力を流し込めば、エスパーダも愉しそうに音をたてながらその刃を相応しい強度へ変えていく。
エスパーダの変化を掌に感じながら、お爺様の懐目指して距離を詰める。間合いに入ると同時に肌を焼く熱に怯むことなく、全力で最後の一歩を踏み込めば、穏やかに口元を綻ばせたお爺様と目が合った。
ピタリ、とお爺様の首元にエスパーダをつきつける。
上から注がれる視線に応えた俺の顔の真横には、燃え盛る槍が伸びている。ちりちりと髪を炙るお爺様の槍はあと十センチ、横にずらして突き出されていたら、俺の眉間は綺麗に貫かれていただろう。
流石は炎槍の勇者様である。
「――――強く、なったなドイル」
「ありがとうございます、お爺様」
「流石儂の孫よ。見事じゃ!」
互いに武器を下ろしながら、向かい合う。
場が場の為、手合せを適当なところで切り上げなければならないのが残念だ。どうせなら最後まで本気でやり合いたかった。俺自身全力をみせていないし、叶うならお爺様の全力を受けたかった。そう思ったが、続いたお爺様の言葉に胸が弾む。
しかし、ここいるのは俺とお爺様だけではない。
人目があることを思い出した俺は、弛む口元を引き締めた。喜びに声を上げたいのをこらえ、平静を装いながらエスパーダを鞘に納める。そして後回しにしていた挨拶をすべく、姿勢を正してお爺様に向き直る。
その瞬間、どきりと心臓が跳ねた。
………………お爺様は、こんなに小さかったか?
正面からお爺様を見つめ、抱いた印象に瞬く。
記憶の中のお爺様は、何時だって英雄の名に相応しく。
俺の頭を軽々掴んでしまう手に、見上げなければ見えない顔。必死に追いかけたその背中は、前が見えないほど大きかった。
しかし改めてみたお爺様は、記憶の中よりも小さく。
ほぼ同じ高さで交わる視線に、昔のような威圧を感じない体。前世を思い出してからは遠目に見るだけだったその姿は、こうして向き合ってみると俺とほとんど変わらない。
「ドイル」
「……はい」
お爺様の姿に感じた、言葉にし難い衝撃に戸惑いながら答える。
己のことだというのに、今自分が何に衝撃を受けているのかわからなかった。
今しがた受けた炎槍の技術も威力も、その名に違わず。俺程度では、お爺様が重ねてきた経験とその強さにはまだ遠い。
手合せをして、確かにそう思った。
しかし記憶の中のお爺様とはあまりに違う、声量の減った声とほぼ同じ高さにある視線。増えた皺と、筋の浮かぶ首。目の前にいるのは確かに【炎槍の勇者】と呼ばれた俺のお爺様であり、鍛え抜かれていると一目でわかるその肉体が与える印象は雄々しい。
しかし、筋肉よりも骨が浮き始めた手の甲や首元が、言い表しにくい感情を呼び起こす。
「――――長い間、すまなかった。儂が至らぬ故に、お前にいらぬ苦労させた……申し開きのしようもない」
記憶の中とは違う、お爺様の姿と告げられた言葉に声がでない。頭を下げられたことで目に入る白髪の増えた琥珀色の髪に、何故か胸が締め付けられ喉が詰まる。
落胆や失望とは違う。憧れも尊敬も畏怖も変わらずこの胸にあるというのに、じりじりと炙られているような、気が急くこの感情は一体なんなのだろうか。
「…………お爺様が気に病む必要などございません」
胸中を占める不可解な苦しさに首を傾げながら、俺は絞り出した声でそう答えた。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました。