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第九十話 エピス学園長

 文字を書き始めると家から一歩も出ない友人に、食料品を届けるついでに会いに来たのが昼過ぎ。

 いつになく鬼気迫った表情で机に向かう友人にばれないよう、書きかけの小説を読み始めてからどれだけの時間が経っただろうか。外は既に日が落ち始め、室内にはいつの間にか明りが灯されていた。

 俺が小説を手にしていることに気が付いたのか、書くのを止め俺の動向を見守る友人を横目に俺は書かれた小説を読み進める。一度読み始めたら最後、途中で読むのを止めるなどできなかった。

 どきどきと嫌な音をたてる自身の心音を感じながら、紙に書かれた文字を目で追っていく。

 その際、「俺は四英傑に感謝を捧げる為の本を書く!」と本人許可をとりに飛び出していったにもかかわらず、数日後青い顔をして帰ってきた時の友人の顔が瞼の裏をちらついていた。






 アギニス公爵令嬢と【炎槍の勇者】の結婚式は国王主導の元、国を挙げて行われた。

 純白のドレスに身を包み幸せそうに微笑む美しき公爵令嬢と、戦場での苛烈な雰囲気を仕舞い込み妻となった女性を優しい眼差しで見つめる【勇者】の姿に、老若男女貴賤問わず祝辞を述べその幸せを願った。

 夜の帳が落ちても祝いは続き、本来ならば明日に備え人々は眠りについている時間であるにも関わらず、町中に明りが灯り人々は飲めや歌えやと大騒ぎである。そしてそれは貴族達も変わらず、王城では夜通し二人の婚姻を祝う宴がひらかれていた。

 絢爛な広間の中、宮廷楽士達の音色に合わせ着飾った男女が踊る。煌々と焚かれた明りが華やかに辺りを照らし、色とりどりのドレスが令嬢達の動きに合わせ動きひるがえる様はまるで花畑のよう。

 終戦直後ということで少し控えめに、しかし王家の威光が十分に感じられるその宴の中心では国王夫妻に見守られながら、今日の主役二人が多くの友人や仲間達から祝いの言葉を受けていた。


『まるで、美女と野獣だなゼノ』

『煩い!』

『おめでとう、アメリア。とっても綺麗よ!』

『ありがとう』


 美しき令嬢を射止めた英雄をここぞとばかりにからかう者に、感極まったのか眦に涙を浮かべ公爵令嬢の手を握る者。様々な者が二人を取り囲むが、訪れる人々の顔には笑みが浮かび柔らかい空気が流れる。

 多くの血が流れ、傷ついた戦争の終わりを実感させる幸せに満ちた空間がそこにあった。




「……おめでとう、アメリア」


 ガラス一枚隔てられた向こう側で幸せに微笑む大切な少女の名を呼びながら、一人グラスを掲げ、芳醇な花の香り漂わせる酒をあおった。そして僅かに喉を焼く酒の感覚を味わう様にゆっくりと飲みくだす。叶わなかった恋心と共に。


 君のいない明日など何の価値もない、そういって泣いて縋れたのなら君を取り戻せただろうか。そんなことをぼんやりと考えながらガラスの向こう側を眺めていると、不意にアメリアがこちらを見た。

 そして控え目な仕草で俺を呼ぶ。


『セルリーお兄様!』


 そう俺を呼び、慕ってくれていた幼い頃と変わらぬ笑みで。

 幼い頃の記憶にじくじく痛みだす胸から目を逸らし、愛しい彼女に笑みを返す。そんな俺の笑みをみたゼノが、恐れおののいた表情を浮かべていて笑えた。

 俺が笑みの種類を変えたことで、夫の表情に気が付いたアメリアがゼノを諌める。そんな彼女に反論しつつも、頭が上がらないゼノを周囲の者どもが笑う。皆に笑われ不満そうにしながらも、ゼノがアメリアの肩を離すことはなかった。

 その幸せな光景に、俺はグラスに残っていた酒をあおった。




「――――――叶うのなら俺がそこに立ちたかったよ、アメリア」


 一滴の雫と共に零れた俺の声は、誰の耳に届くことなく消えた。






 現存する最後の一枚を読み終えた俺は、紙の束を丁寧に机に置き固唾を飲んで読み終えるのを待っていた友人の顔を見た。


「お前、これ……」

「聞くな。お前の言いたいことはわかっている。でもこうするより他なかったんだ……折角生き残ったんだ、俺だって命は惜しい!」


 沈痛な面持ちでそう叫んだ友人をまじまじと眺める。

 活字中毒の名をほしいままにするこの友人は本好きが功をそうし、学生時代からそこそこ名の売れた作家だった。様々な分野に手をだしているようだが情報を客観的に考察するのが得意な此奴と相性がよかったのか、特に歴史を題材にした考察書の評価は素晴らしく。幾つかの歴史考察書は在学中にも関わらずエピス学園に置かれ使われたほどだ。


 此奴はこのまま文字に埋もれて生きていくのだろうなと俺や他の友人達は思っていたし、本人もそのつもりだった。しかしそんな俺達の想像が外れたのは、高等部卒業後すぐのことだった。

 訳もわからぬまま始まった戦火に身を投じ生きたこの五年間を、俺達は忘れない。

 何故戦わなければいけないのか、それすらもわからぬまま戦地に足を踏み入れ、ただ生きる為に戦った。先輩友人後輩、同じエピス学園出身の者達は勿論、農民達まで武器を手に生き、散っていった。


 そうやって多くの人々が戸惑い己の身を守るだけで精一杯だった中、この国を守り救ったのは四英傑と呼ばれる人々だった。

 しかもそのうちの三名は俺達と同じエピス学園の卒業生とくれば、此奴が本を書くといい出すのも当然である。

 薬学に身を置いていた此奴はエルヴァ・フォン・リカール先輩とは知り合いだし、学生時代の伝手を頼ってセルリー先輩とリブロ・フォン・ベアード先輩にも紹介してもらっていた。さらに伝手を辿って【炎槍の勇者】やアメリア公爵令嬢にも許可をとり、話を聞いていた。

 本人達公認な上、貴重な体験談を伺ったというのに何故此奴はこんな恋愛小説を書いているのか。歴史的観点を交えた英雄譚を書くんじゃなかったのかお前。

 しかしそう考えたのはつかの間。

 以前、セルリー様の元から青い顔をして帰ってきた友人を思い出した俺は、その答えを静かに察した。


「――――だから、やめておけと言ったんだ」

「生命の危険を感じる微笑みを俺は生まれて初めて体感した!」

「あの人はあれが標準装備だ――――そんな初体験をしたお前に、これは優しい友人からの忠告だ。性格の設定はまだしもこの展開は止めておけ。確かにアメリア公爵令嬢との婚約話はあったがとっくに流れている。そして何より、もし万が一、本当にセルリー先輩がアメリア公爵令嬢に懸想していたらどうする気だ」

「セルリー先輩はアメリア嬢には別人のように優しいって噂もあったし、アメリア嬢も『セルリーお兄様は優しい人です』といっていたな……やっぱし、不味いかな」

「……不味いというか、やばいだろうな。あのセルリー先輩だぞ? お前の憶測って、結構当たるって評判だし……本当に当たっていたらどうするんだ。唯じゃすまないぞ。自殺志願なら俺と縁を切ってからやってくれ」

「…………書き直すわ」

「そうしとけ」






 ――――ってことがあって、あの本が生まれたんだよな。


 英雄達の功績を讃えた英雄譚を書くはずが何故か王道の恋愛小説となり、最終的には英雄譚の面影を微かに残した娯楽小説へと姿をかえたのはいまやいい思い出だ。

 当時、最初にセルリー様への紹介状を頼まれたのは俺だった。一応、在学中は魔法科所属で顔見知りだった為、戦時中も何かとセルリー様の側で働いていたからだ。

 一つしか年の違わない俺とセルリー先輩との間には、先輩後輩としてそれなりの交流があった。だからこそやめておけと俺は止めてやったんだ。他の人々は知らないが、セルリー先輩の武勇伝は数知れず、またその被害も数知れず。

 本人達の許可や思い出話など欲張らず、多くの人間達と同じ噂話や逸話を集める程度で我慢して書けと、言ってやった。

 それを振り切って行ったのは友人なのだから、見捨てたってかまわないだろうと思ったがあとで問題になった時のことを考え、あの日俺は友人宅を訪ねたのだ。出版してしまってから何故止めなかったのかと、俺がセルリー様に詰め寄られては困るからな。

 折角あの戦乱を生き抜いたのだ。長生きしたい。

 そんな俺の自己保身と初対面で命の危険を感じた友人によって、実在する登場人物達のはずなのに本人達の面影を微塵も感じさせないというなんともいえない仕上がりとなったあの小説は当時色々な憶測が飛び交い話題となっていたが、今はどうなったのだろうか。


 同時に二か所も遠見し、しかもその光景を自身で見るだけでなく俺にも見やすいよう水鏡に映してくれたセルリー先輩と共にアギニス達の動向を見守りながら、俺は遠い過去の記憶を次々と思い出していた。

 正直に言おう。唯の現実逃避だ。




 ……これは不味いのではなかろうか。


『――っなんでこんなことに!?』


 在りし日の記憶を思い出しながらアギニスの動向を移す水鏡を眺め、そんなことを思う。

 すべてセルリー先輩の謀とは知らず、懸命に仲間達を探し回るアギニスは凄い形相をしていた。こんな必死なアギニスは初めて見る。

 高等部に入学以降、シュタープと揉めたり単独でマーナガルムを斬ったり、無断でクレア王女の救出にいったりとそれなりにしでかしているが、その辺りを差し引いても優秀で物腰柔らかく、生徒の見本のようなアギニスからは想像もできない剣幕である。

 アギニスにとって殿下やローブ達がどれほど大切な存在なのかがわかる姿だ。


「――ドイル君は大変優秀で将来も楽しみな子ですが、殿下達が関わると少々冷静ではいられないようですねぇ。幾ら私が仕掛けたとはいえこうも簡単にかかって錯乱していては今後が心配です。この辺りの意識改革が必要ですかねぇ」


 だというのに、セルリー先輩はこの言い草である。

 思わず「いやいや、アギニスなら当然の反応だろ?」と厳しすぎるセルリー先輩の評価に心の中で突っ込む。

 アギニスは、殿下は勿論誰がどう見てもローブ達を大切に囲っているし、手を出したら唯じゃ済まさないって感じだ。現にデスフェクタ達に手を出していた貴族達はことごとく痛い目を見せられて手を引いている。アギニスがやったという証拠はないが、彼奴は懐に入れた人間はかなり大事にするのだろう。そして責任感も強い。

 そんな人間が己の目の前で、最優先すべき王太子様と親しい臣下を見失ったら少しくらい錯乱しても許されるのではなかろうか。幾ら規格外な子でも彼はまだ十五歳の少年だ。

 昔から本心を見せず、裏なく人に優しく接しているところなど見たことない人だが流石にこの評価は酷い。


「殿下も殿下です。ドイル君が心配ならば、余計な負担をかけないよう自粛するという選択肢もあったでしょうに、己の感情を優先するなどもっての外です。己の身に何かあればドイル君が心乱すとわかっていて同行するなどいけませんねぇ」


『おい、ドイルは何処だ!?』

『ドイル様がお消えに!?』

『『グレイの兄御! バラド様! こっちです』』

『グレイ殿下、ローブ君、こちらにどうぞ。説明します』

『何故教師がここにいる? ドイルに一体何をさせている!』


 続くセルリー先輩のお小言にもう一つの水鏡を見れば、殿下とローブがテレール先生とダス先生と合流したところだった。

 アギニスを見失い、彼等も相当慌てている。殿下にとってアギニスは幼馴染でもあるし、将来の義弟でもある。王太子として優秀な子だから表立った贔屓はしないが、彼がアギニスを大切に扱い、何かあれば肩を持つのは暗黙の了解である。

 ローブにいたっては言うまでもない。彼奴は自他共に認めるアギニス至上主義者だ。

 セルリー先輩の厳しめな評価に耳を傾けながら生徒達の性格を記憶の中から引きだす。そして再びアギニスが映る水鏡に視線を移した瞬間、馬を止めたアギニスが木を素手で殴り凹ませたのを見て血の気が引いた。


 ……次期国王とアギニスとローブの怒りをかって俺は無事でいられるのだろうか。


 セルリー先輩に生徒達の成長に必要なことだと説かれ、つい了承してしまった生徒達への抜き打ち実力試験。

 日常生活の最中、急に戦闘を強いられた場合どの程度対応できるかを見る為のものだと説明され、安全性が確かならと許可してしまったことを俺は今、激しく後悔している。そして何故あの時、セルリー先輩の「万が一不具合があったとしてもドイル君なら多少のことは大丈夫でしょう」との言葉に頷き、試作の被験者にアギニスを選んでしまったのか。

 セルリー先輩の話ではこの後冷静に情報を整理し、所定の場所に行くと門番がおり、門番を倒せば現在殿下やテレール先生達がいる場所に戻ってこられるらしいが、その戻ってきた後が問題だ。

 その時、果たして俺は無事でいられるだろうか。苛立ち紛れに殴っただけで木が凹むなど何の冗談だ。勘弁してくれ。

 既に六十後半の癖に情けない限りだが、種を明かした後が怖くてたまらない。


 まさかセルリー先輩が別空間をこしらえ、ここまで手の込んだ仕掛けを施すとは思わなかった。それにこの試験の試作に殿下が同行したのも予定外である。

 お蔭でアギニスが想像以上の動揺と焦燥や苛立ちを見せているし、殿下が苛立ちを露わにテレール先生とダス先生の説明を聞いている。

 この後、すべてを知った彼等が一体どんな反応をするのか考えるだけで恐ろしい。


「――おや。ドイル君はようやく気が付いたみたいですね。湖の方へ向かうようです」

「『ようやく』って、十分過ぎる早さですよ」


 恐れ戦く俺を他所に、アギニスへ厳しい評価をくだすセルリー先輩に思わず言い返す。視線を戻せば、先ほどとは異なり落ち着いた雰囲気で馬の手綱を握るアギニスの姿が見えた。


「いえ。ドイル君の能力からすれば『ようやく』でしょう」

「セルリー先輩は、先ほどから一体何を根拠にアギニスを厳しく評価しているのですか?」


 安心しきった状態からの急変と大切な人達の安否がわからない恐怖と焦燥から立ち直り、答えを出すのに一時間と少し。戦時中の人間ならばまだしも、平和なマジェスタしか知らない少年にしては驚くべき精神力である。

 そう俺は思ったのだが、水鏡を見ながらどこか不満そうな表情を浮かべるセルリー先輩の評価は違うらしい。


「では、逆に問いましょう。何故貴方は偉そうに、この程度でドイル君にしては十分だと言っているのですか」

「……え、偉そうって、そんな」

「偉そうですよ。どうせ貴方のことだから、ドイル君の年齢を考えて十五歳の少年なら~とか思っているのでしょう。学園長がそんな考えだから子供達が成長しないのです。子供達を限界まで追い詰めたこともない癖に勝手な物差しで子供等の限界をはかりたがる。そして、己の手の内で守られていればいいとでも思っているのでしょう? 思い上がりも甚だしい。そうやって大人の身勝手な感情が子供等の折角の才能を抑え込んでいると何故気が付かないのです。ドイル君はマーナガルムを倒せるのですよ? そして、本来ならば魔術師三人がかりでかけられる橋を一人でかけても平気な子ですよ? 何故彼を私達の常識ではかるのですか。エスト陛下とアランも危険を遠ざけ、平和な箱庭で彼を飼い殺して償いのつもりですか。馬鹿馬鹿しい。ドイル君が望んでいるのは、守り甘やかされる立場ではないと何故理解しないのです。すべてを背負い立つと、その名を世界に轟かせて見せると言っていたでしょうに。ドイル君が望んでいるのは守りきれる強さであり、何者にも負けない力です。そしてそれを与えてやるのが教師や親の役目でしょう。ドイル君の限界は私達の想像も及ばないところにあるのです。勝手な願望と物差しで子供等の限界を決めつけるのはおやめなさい。迷惑です」


 「馬鹿ですね」といった視線と共に間髪入れず始まった言葉に己がセルリー先輩の尾を踏んだことを悟る。

 どうやらセルリー先輩はここ最近の国内外の情勢について「子供達には何も気取らせるな」という、陛下達のご意向が大層気に喰わなかったようだ。俺の言葉も悪かったようだが半分以上八つ当たりである。迷惑な。

 そうは思うものの、どう足掻こうともセルリー先輩には口でも戦闘でも勝てないので、大人しくそのお言葉を頂戴する。

 例え既に六十後半にさしかかり、栄えあるエピス学園の学園長を務めていようとも、敵わないものは沢山ある。まったく世知辛い世の中だ。


「これから危険な世になるかもしれないとわかっていて何故子供等を囲い、その目を塞ぐのですか。私には意味が解りません。この世に絶対などないのです。過去の大戦のように、もしかしたら明日にでも戦が始まるかもしれないのですよ? それなのに子供等が成長する機会を奪ってどうするのです。守りたいと思うのは結構ですが、同時に平和な今のうちに力を蓄えさせてあげるべきでしょう。守り人が死んだら守り囲われていた子供等にどうしろと? 一緒に死ねと? 無責任な。あの子等を、あの時の私達のように何の覚悟もないまま戦場に立たせる気ですか」


 告げられたセルリー先輩の言葉に何も言えず押し黙る。

 陛下達のご意向もまたその想いもわかっている。子供達が何も知らずに終えられるのならその方がいいとも思う。別に俺だって子供達を早く大人にして、生き急がせたい訳ではない。

 しかし思い出すのは、四十五年前に始まったあの戦の日々。

 訳も分からないままただ生きる為に、終わりのみえぬ戦を戦い抜いた。

 あの時抱いた虚しさと憤りは、今もこの胸にある。

 目の前のこの人と同じように。




「――そんな訳ないでしょう」

「ならば大人しく見ていなさい。きっとドイル君は驚くべき成果を見せてくれます。何しろ私が目を付けて追ってきた子ですからねぇ」


 俺の返事に頷き、視線をアギニスへと戻したセルリー様はそれ以上何も語らなかった。しかし、この人が心からアギニスや殿下達の行く末を心配しているのがわかったので、俺も大人しくアギニスの動向を眺める。


 セルリー先輩は昔から腹黒く若干魔術中毒で、己に厳しく他人にはもっと厳しくといった人だったが、それでもついて行きたいと思わされる人だった。人としてそれでいいのかと思う部分は多々あるが、決して己を安全なところに置いたりしない人だ。

 嫌われても恨まれても確かな信念を持って行動するこの先輩が、覚悟を持って行っていることに間違いはないと俺は思っている。本心が大変わかり辛く、いやらしい性格をした人だが悪人ではないのだ。むしろ優しく損な人なのではないかと思う時もある。

 友人が在りし日に書いた、恋愛小説のセルリー様のように。




「しかしこれ、後で文句がでませんか? 想定外とはいえ殿下も利用した形になりますし、流石にアギニスも怒るでしょう。幾ら生徒とはいえ素手で軽々木を凹ませるような子と対峙するのは怖いのですが」


 丁度、馬達の寝床を確認し、己が居る場所は作られた空間だと確信したアギニスが門番のいる湖に向かうところを眺めながら、ずっと気になっていたことをセルリー先輩に訪ねる。

 しかしちらりとこちらを見たセルリー先輩は、俺にとっては切実な問題だというのに鼻で笑った。酷い。


「何、寝ぼけたこと。ドイル君ならどのような結果になろうとも、今回の件に関して絶対文句など口にしませんよ」

「何故そう言い切れるんですか」

「ドイル君だからです。賭けてもいいですよ? 勿論私は文句を言わない方に賭けます」

「いえ、結構です」


 自信満々にそう答えたセルリー先輩に、俺は即座に答える。セルリー先輩と賭け事など冗談ではない。負けた日には何を要求されるかわからない。老い先短いのだから、平穏に生きさせてくれ。

 何の根拠があるのかは知らないが、文句がでないのならそれでいい。

 今回の件で一番の被害者であるアギニスが文句を言わないのであれば、殿下からも大した文句は言われないだろう。半信半疑で不安が残るが、セルリー先輩がここまで言い切るのだからきっとそうなるに違いない。


 そんな予感を感じながら颯爽と白馬を駆るアギニスを眺め、思う。

 セルリー先輩にこうやって目をかけてもらえるのは光栄なことかもしれない。しかし大事にしている部下達に手を出され、生態不明の生き物を押しつけられ、こうやって実験台にされた上に酷評され、どのような経緯になるのかは不明だが文句をいうことさえ許されず、挙句当然のように今後の訓練が組まれているアギニスは、正直切れても許されると。

 というか俺は許すぞ、アギニス。


 ……強く生きろよ、アギニス。


 恵まれているのか不憫なのかわからない。

 そんな感想を抱きながら、気難しい上にわかり辛い優しさしか持ち合わせてないセルリー先輩に気入られ、期待されているらしいアギニスにささやかな声援を送った。




 ちなみに。

 その後、セルリー先輩が特別に用意したというアギニス用の門番を見て「約束が違う! なんですか、あの化け物スライム!?」と俺が叫んだのはいうまでもない。


ここまでお読みいただき、ありがとうございました。

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