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第八十九話

 扉の先には暗く異質な空間が広がっていた。

 暑くもなく寒くもなく上も下もないただ暗い空間がそこあり、その暗い空間の先に小さい光が見える。光自体が小さいのか、それとも光が遠い場所にあるから小さく見えるのかわからないが、長いトンネルの中を覗いたような光景である。


 他に目指すものもないので光を目指し黒い空間の中を歩き出す。同時に、消された瞬間には感じられなかった感覚が身を包んだ。

 一瞬無重力になったような、体が浮いたように感じるその感覚は、過去にも経験ある移動系の魔法特有の感覚だ。不快とまではいかないが肌が粟立つような感覚に、己が何処か別の空間に移動していることが感じとれる。


 鬼がでるか蛇がでるか……。


 様々な可能性を思い浮べながら暗闇の中を進む。

 鍵と扉から察するに人為的なものであるのは確定だが、無差別なものか俺を狙ったものだったのか。

 無差別なら学生の愉快犯の可能性もある。別空間をつくり、そこに人を落とすなど相当の魔力と技術が必要だが、学園には平均以上の能力を持ち何かに秀でた者ばかり。空間をつくる者、移動させるもの、感覚を惑わす者と分担すればできなくはない。

 その場合、恐らくこの光の先は本来の雑木林に繋がっている。流石に空間の出入り口を別々の場所につくり繋げる技術を持つ生徒などいない、というかそこまで高い魔力と技術を持っている生徒ならば俺かグレイ様がすでに囲っている。


 そこまで思案して、雛達から与えられた衝撃がいい気分転換になったのか随分と冷静に考えられるようになった己に気が付き苦笑いを浮かべる。

 騒ぐのを止め大人しく、しかし不満気にスライムをつついている雛達を横目に、俺は再び己の中の考えをまとめていく。


 俺自身が目的だった場合は、俺に危害を加えることが目的なのか、それとも俺が居ぬ間に誰かに何かしようとしていたのかで対処が異なる。目的が俺ならばリュートのように身から出た錆である可能性も否定できないので、とりえず詳しく話を聞こう。

 ただ、後者だった場合はどのような理由であっても見逃す気はない。例え元を正せば俺に非があろうと、俺以外に手を出した時点で重罪だ。

 まぁ、グレイ様やバラドをはじめ俺の周りに大人しく手を出される者などいなさそう……というかよほど綿密に練った計画か手練れを用意しない限り返り討ちに合うだろう。彼等はその身分と名に相応しい実力を有している。

 学内で彼等に敵う人間など数えられる程度。そうそう心配した未来は訪れない。


 ……犯人が学内の人間ならば、そう楽観視できて嬉しいんだがな。


 そうあって欲しいと願いながら、先ほどよりも近づいた光の先を見つめる。

 もしも犯人が外部犯であり、俺とスライムを対峙させた目的が時間稼ぎであった場合、最悪の事態がこの先に待っているだろう。

 時には王族も預かる学園の警備は万全だ。先生方も指折りの実力を持っている。

 そんな学園と教師を欺き、ことを起こせるほどの実力を持つ者がわざわざ俺を隔離して行いたいことなど碌なことではない。


 状況によるがまずは報告。次いでレオ先輩か誰か薬科の先輩を見つけて薬をわけてもらう。回復出来次第、出発だな……。


 暗闇の中、白い光の先を想像し己の取るべき行動を整理する。

 もしこの光の先に敵が待ち受けていた場合は、ラファールに時間稼ぎをしてもらおう。

 ラファールは俺の望みでも命を奪うなら対価を貰わなければいけないといっていたが、裏を返せば生き物の命を奪う行為でなければ無償でやってくれるということだ。俺が敵を振り切るまでの時間稼ぎならばやってくれるだろう。そうでなくともラファールは既に俺に名で縛られている。いざという時は命じればいい。


 そこまで考えちらりと後ろを見れば、彼女は俺と目が合うなりとふわりと微笑む。鼻歌でも歌い出しそうなほど上機嫌なラファールに俺も笑みを作り、再び前を見る。

 彼女達の力を借りなければならない弱い己への不甲斐なさや、俺にできないことを軽々とやってのける彼女への嫉妬はあるが、それくらいの感情見ないふりできる。

 優先順位を間違えるほど、愚かではないつもりだ。


 ……悔しかったら強くなってみせろって。


 そう己に向かって吐き捨てる。

 そもそも俺がもっと強くしっかりしていればこんな事態にはならなかったし、グレイ様の安否がわからない等という失態は冒さなかったのだ。

 成長せず過ちばかり繰り返す癖にプライドだけは高い己に自嘲しながら暗い空間を進む。そして徐々に強くなる光に目を細めながら思考を切り替え、エスパーダを抜いた。

 正直気力で握っている感じで、戦えるのか定かでないがないよりはましだろう。牽制にはなる。あとは、最悪の状況でないことを祈るだけだ。


「ラファール」

『任せて。貴方は私が守ってあげる』


 名を呼べば、続きを口にするより早くラファールが俺とブランの前に踊り出る。

 そんなラファールに笑みを返し、俺は出口と思われる白い光をくぐった。






 様々な可能性を思案し、己が取るべき行動を確認した俺は、白い光に視界を奪われないよう目を閉じ肌に感覚を集中させる。

 ふっと床が抜けたような感覚に次いで、ぐっと地に押し付けられるような感覚に作られた空間から脱出したことを感じ取る。同時に草木が燃える独特の香りと複数の人間が動いた気配を感じ、閉じていた目を開けた。


「――ドイル!」


 感じた気配にエスパーダを握る手に力を込めたが、聞こえてきた声に力が抜ける。声が聞こえた方向を見ればグレイ様とバラドに先輩方の姿まであり、焚火に照らされた彼等の顔は心配を滲ませていた。


「無事だったか!?」

「ご無事ですかドイル様!?」

「「ドイルお兄様!」」


 俺の姿を捉えた瞬間、慌てて立ち上がり安堵の表情を浮かべ駆け寄ってくるグレイ様達に胸を撫で下ろすと同時に、「本当に本物か?」と疑念が生じる。しかし駆け寄るグレイ様達の背後を見た瞬間その疑念は吹き飛び、俺は思わずブランの首に突っ伏した。


 グレイ様達の後ろには、焚火を囲みながら申し訳なさそうな表情を浮かべているヘングスト先生に、顔色悪く身を縮めている深淵の森でご一緒したテレール先生とダス先生。そして手を合わせ、頭を下げる学園長とその横で優雅にお茶を飲むセルリー様とフィアの姿があった。

 俺の姿を見るなり立ち上がり駆け寄ってくるグレイ様達を、本物か偽物か疑うまでもない。


 ――いい加減にしろよ、狸爺!


 目に入った光景にふるふると手が震えるほどの怒りと、一気に襲ってくる安堵と疲労感。そして雛達の追い打ち以上の脱力感と行き場のないやるせなさに、込み上げる罵詈雑言をのみこみ心の中で悪態をつく。

 仮にも教師である人間に対しあるまじき言葉だが、俺を見て笑みを浮かべるその姿に心の底からそう思った。巨大スライムとの戦いで疲労していなければ、魔力が空でさえなければ、まず間違いなく手が出ていたに違いない。

 恐縮と怯えと謝罪と愉悦。

 各々の表情と態度に今回の一件の流れを悟った俺は、なんというかもう、色々言葉にならなかった。


「ドイル! どこか怪我でもしたのか? 大丈夫か?」

「ドイル様!? リェチ先輩、サナ先輩、早く治療してください!」

「外傷はなさそうだから――サナとりあえず体力と魔力の回復薬!」

「ドイルお兄様、これ飲んでください。兄貴の薬だから効きますよ!」


 やり場のない憤りをもてあまし、ブランに身を預けたまま俯き一言も発さない俺を心配したグレイ様達が口々に身を案じる言葉を口にする。そして俺の手からリェチ先輩がエスパーダを抜き取り、サナ先輩が回復薬と思われる瓶を握らせてくれた。

 そんな彼等の態度は、俺を案じていたことを感じさせ素直に嬉しい。しかし申し訳ないことに、セルリー様への罵詈雑言をのみこむので精一杯な俺に答える余裕などなかった。


 グレイ様達に危険がなかったようで何よりである。何よりであるが、セルリー様は俺に何か恨みでもあるのだろうか? 避けていた代償がこれか? レオ先輩達の件とフェニーチェの雛達を押し付けただけじゃ飽き足らず? それとももっと別の理由とか? もしかしてあの娯楽小説にあったアメリアお婆様とお爺様、セルリーさまの三角関係は本当だったとか? だとしたら俺への恨みというよりもお爺様への恨みか……でもそれ俺関係なくないか? とばっちり、というか八つ当たり? いや、流石それはないだろう。そしたら何か。もしやこれがセルリー様の愛情なのか。ちっとも嬉しくねぇ! 


『だ、大丈夫ですか? ご主人様』

『これは立ち直れるかしら? 大丈夫? 元気出して!』 


 ギュッと拳を握り、喉元まででかかっている言葉達をのみこむ。

 隔離されていた間の俺の言動を知っているが故の、ブランとラファールの慰めが胸に刺さった。


『ほら、折角くれたのだからこれを飲んで。気をしっかり持つのよ! 愛しい子』


 慰めの言葉を受けても微動にしない俺にしびれを切らしたラファールに体を起こされ、瓶を持つ手をそっと持ち上げられる。そして彼女はグレイ様達に気が付かれぬようそっと蓋を開けた。

 その間何かを感じ取ったバラドが一瞬顔を上げたが、ラファールに気が付くことはなかった。不思議そうに辺りを探るバラドに、もしかしてラファールの姿は見えてないのか? と思案しフィアに目をやるが、精霊を得たばかりの俺にフィアとラファールの違いなどわかる訳がなく、早々にその思考を放棄した。


 そしてレオ先輩作だという紫色の回復薬を見ながら思い出すのは、先輩方を見失った直後の緊張感に、グレイ様とバラドを見失った時の後悔と絶望感。動揺のあまり半狂乱でブランを走らせた時の焦燥と苛立ちや、巨大スライムとの不毛な戦いで抱いた虚無感。ラファールとの出会いに、その所為で気付いてしまった己の未熟さへの後悔と反省。

 すべて合わせても五時間にも満たない、短い間に起こり感じたことである。


 幾らセルリー様の策略だろうと、そのすべてが無駄だったとは思わない。むしろ矮小な己に気が付けてよかった。結果だけみれば危険なことは何もなく、俺は己の問題点とラファールという新たな力を手に入れられた。ついでにアインス達の衝撃の事実も知れたし、もしかしてそれらの成果をもたらす為に仕組まれていたのかとも思う。そう思うくらい今回の一件で俺が得たものは多い。

 しかし、流石にこれはないのではなかろうか。よりもよってヘングスト先生経由で仕掛け、グレイ様を利用することで冷静さを失わせるなど引っかかるに決まっている。俺はヘングスト先生を信用しているし、グレイ様が大切なのだから。


 …………この狸爺は全部承知の上でやってんだろうがな。


 アインス達の食事による魔力の欠乏に、グレイ様が同行していたが故の動揺と混乱。スライムとの相性やラファールの助け。

 どこまでが偶然で何処からがセルリー様の思い描いていた筋書きだったのかは不明だが、今回もいいように掌で転がされた現実にやさぐれた気分で瓶を見つめる。そして、言いたくても言えない苦い感情と気を抜いたら出そうになる言葉をのみこむように、手に持った紫色の液体を一気に飲み干した。

 じわじわと戻る魔力を感じながら、すかさず差し出された緑色の液体が入った瓶も煽る。こちらは体力を回復してくれるものらしく、徐々に疲れがとれていく。

 そして心とは裏腹に軽くなった体にレオ先輩の薬の効果を実感しながら、俺は静かにブランの背から降りた。


「ドイル。回復薬だけで大丈夫か? 怪我はしてないのか?」

「――大丈夫です。グレイ様もお怪我はございませんか?」

「ああ。俺は何処も怪我はないが…………その、お前本当に大丈夫か? セルリー殿の言葉が正しければ、下位の魔獣との戦闘だったのだろう? その割にはいやに――」

「大丈夫です」

「しかし、」

「大丈夫です、グレイ様。ご心配ありがとうございます」

「……ならいいが、無理はするなよ?」

「はい」


 ブランの背から降りた途端かけられたグレイ様の言葉に笑みを浮かべて答える。次いで、元気そうなグレイ様の姿に胸を撫で下ろしながら念の為怪我の有無を問う。その際、俺の態度に何かを感じとったらしいグレイ様が再度心配してくれたが、その心配はきっぱりと否定した。

 怪訝な顔をするグレイ様に言葉を重ね、無理矢理納得してもらったところで俺はセルリー様へと顔を向ける。


「――実は学園長と今後の教育方針について話し合った結果、今期の生徒達の実力を一度みてみようという話になりましてね。折角の機会ですし冷静さや判断力、敵への対応力など総合的な実力を抜き打ちで見られるよう、こちらのテレール先生にも協力してもらい別空間をこしらえ、そこに下位の魔獣をおいてみました。一応命の危険があってはいけないので、ドイル君で事前に試させてもらおうということになりまして。どうでしたか? 何か不都合はありましたか?」


 見計らったように語りだし、何でもない顔でそう聞いてきたセルリー様に頬が引きつるのを感じる。

 「下位は下位でも我が目を疑う大きさだった」と言ってやりたい。ついでに「俺に何か恨みでもあるのですか?」と嫌味たっぷりに問いかけたい。しかし幾ら胸中で罵詈雑言が飛び交おうともその言葉を声に出すことは出来ない。

 何故ならここでセルリー様の所業を非難すれば、芋づる式にその術中に嵌り慌てふためいた上に、スライムごときで力尽きラファールに助けてもらったことを話さなければいけなくなるからだ。

 今回の一件をすべて説明すれば、グレイ様達はセルリー様を非難し俺を慰めてくれるだろう。しかしあんなみっともない己をグレイ様達に報告するなど俺のプライドが許さない。恥をさらすくらいならセルリー様への文句もろとも口を噤む。


 俺の性格上そう結論付けると踏まえた上で、この方はあの巨大スライムを俺に嗾けたのだ。俺から文句が出るなど露とも思っていない現在の態度がその証拠。

 頭がよく、実力も権力もある人間など本当に性質が悪い。俺がすんなり倒せば報告されても問題なく、苦戦すれば恥をさらしたくない俺が口を噤む。そこまで見越しているこの方は、まったくもって意地の悪い狸爺である。

 その意図を察しても、結局何も言えないのが本当に口惜しい。


「―――急な出来事で最初は戸惑いましたが、不都合はありませんでした」


 自他共に認める強がりな俺が、それ以上何が言えようか。

 俺はグレイ様やバラド達の前では強く、頼れる存在でありたいのだ。苛立ちをのみこむ俺を見て明らかに愉悦を含んだ笑みを向けられようとも、何もなかった顔をするしかない。セルリー様は俺のそんな意地や強がりを見越して仕掛けているのだ。この笑みは挑発。苛立ちはのみこめ。ここで挑発にのり声を荒げて非難すれば、みっともない己の恥をさらすだけだ。

 そう己に言い聞かせ苛立ちをのみこみ微笑めば、目を細めて俺の出方を観察していたセルリー様は僅かに頷く。「よくできました」といった表情のセルリー様から視線を外し、呼吸を整える。腹黒いセルリー様は人の神経を逆なでするのがお上手だ。


「――何も問題はありませんでした」

「アギニスそれは……」

「ドイル君がそういうのなら、大丈夫ですかねぇ」


 深呼吸を繰り返し、何とか気を落ち着かせ答えた俺に、どうやら事実を知っているらしい学園長が信じられないといった表情を浮かべた。そして何かを言いかけたが、俺とセルリー様の視線を同時に受け、口を噤む。

 視線で言葉の続きを制止した俺に驚愕する学園長に「どうです。言ったとおりになったでしょう?」と誇らしげな笑みを浮かべているセルリー様に言いたいことは山ほどある。あるが、俺が俺である限りその言葉達をセルリー様にぶつける日は来ないだろう。

 「マジェスタにアギニスあり」と言わせてみせると大見得きった俺が、スライムごときに歯がたたなかったなど、どの面さげて言えるのか。誰にも言えるわけがない。


 いつか絶対、その顔を驚愕に染めてやる……。


 すべて思いどおりにことを進め、かつ俺の弱みを握ったことで満足そうに微笑むセルリー様にそう誓いをたて、笑みを返す。

 そんな俺の胸中を感じ取ったのか、セルリー様は面白いとますます笑みを深めた。


「――ところでドイル君。実は今回の仕掛けとは別に生徒達を鍛える為に用意したものがあるですが、そちらにもお付き合いいただけますか? 勿論、損はさせません。きちんと手順通り進めば、それなりの実力を得られるように設計してあります」

「セルリー殿! ドイルは俺の臣下です。あまり好き勝手しないでいただきたい」

「ええ。勿論わかっていますとも。ですからこうやって本人にお願いしているのですよ、殿下。貴方も強くなりたいでしょう? ドイル君」


 セルリー様の新たな申し出にグレイ様が口を挟むが、俺が断ると微塵も思っていないセルリー様は何食わぬ顔で俺にそう問いかける。「嫌なら断っていいぞ」と仰ってくれるグレイ様の優しさが身に染みる。

 しかし残念なことに、俺に断るという選択肢は元から用意されていない。


「――――ええ、勿論」

「では、引き受けてくれますか?」

「……よろこんで」

「ドイル!?」

「ドイル様!?」


 俺の返答にグレイ様達が声をあげるが、俺の答えはかわらない。そのことを知っているセルリー様はさも当然のように「ですよね」と小さく呟く。


「貴方ならそう言ってくださると思っていましたよ。ドイル君」


 そう言葉を続け、満足そうに微笑んだセルリー様に「絶対強くなって見返してやる」と俺は固く心に誓った。


ここまでお読みいただき、ありがとうございました。

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