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第八十八話

「ラファール」


 そう、聞こえてきた名を呟けば風が明確な意思を持ち巨大スライムを襲う。

 息をすることもままならない強風が吹き荒れる中、薄らと目を開けばスライムがその巨体を宙に浮かせていた。その上スライムは、脱水にかけられた洗濯物のようにその身を周囲にまき散らし、みるみるうちに小さくなっていく。

 塵も積もれば山となるという言葉を体現する巨大スライムは俺を苦戦させたのが嘘のように、渦巻く風に揉まれ身を削られると、あっという間に核だけの姿となった。核から削り取られたスライムの体は、地面のそこかしこにスライムの水たまりをつくっていた。


『再生する前に止めを刺しちゃいましょう――はい。貴方の剣よ』


 その呆気なさに何ともいえない感情を抱きつつ巨大なスライムの核を見つめていると、ラファールはそういいながら落としたエスパーダをそっと俺の手に握らせ、身の丈ほどあるスライムの核を風の精霊達と一緒に運び俺の前に持ってくる。


『ごめんね。私達が倒してあげたいところだけど、愛しい子の望みでも命を奪うなら対価を貰わなければいけないの。他のことなら幾らでも助けてあげられるのだけれど……』

「――いや、十分だ」


 申し訳なさそうに眉を下げたラファールに、そう答えてエスパーダを握る。酷く情けないことに「ありがとう」の一言がいえなかった。


 悔しい、と思うなど馬鹿げている。


 そう自嘲しながら、エスパーダをスライムの核に突き立てる。

 ラファールは「力が欲しい」といった俺の願いを叶えてくれただけ。苦戦した敵を僅かな時間で片付けられ、悔しいと思うなどお門違いだ。

 普通、人は魔力を対価に精霊から力を借りる。その上、精霊の力というのは魔力を与えれば誰でも借りられるものでなく、精霊に好かれていなければ借りられない。しかも好かれていれば魔力を対価に必ず力を貸してくれる訳ではなく、契約し名を知っていなければ精霊の気分に左右される。

 そして、自由な気ままな精霊に契約してもいいと思わせるのはとても難しい。今回のように自主的に名を教えられ力を貸してもらえるなどこれ以上ない僥倖なのだ。俺はとても運がいい。

 だからここは、ラファールや風の精霊達に力を貸してもらえたことを喜び、感謝を捧げ「ありがとう」と笑顔で礼をいう場面だ。

 間違っても、込み上げる悔しさに礼をいいたくないなどと思う場面ではない。




『早くしないと、再生しちゃうわよ?』

「――ああ。悪い」


 ラファールの声で我に返った俺は、うぞうぞと再び核を包もうとするスライムの体を見ながら、渾身の力でエスパーダの刀身を根元まで押し込む。


 ――――強くなりたい。


 そんなことを考えながら、柄を握り直し僅かに残っている魔力をエスパーダに込める。

 俺の魔力に呼応しスライムの核の中で刀身を伸ばすエスパーダを掌に感じながら、身も心も、今よりもずっと強くなりたいと改めて思った。


 二度と、こんな苦戦をしないないように。

 二度と、受け継げなかった適性に未練を抱かぬように。

 二度と、助けてくれた相手の強さに嫉妬するなんて情けないことをしないように。


 助けられ、よかったと喜び礼を告げられないどころか、自分にはない力に嫉妬する己はなんて矮小な人間なのか。己にない力を羨み嫉妬心を抱いているようでは、槍に固執し続けた頃と何ら変わらない。

 そもそもセルリー様の腹の底が見えないからといって敬遠するなど何様だったのか。手段を選べるほど偉くもなければ強くない癖に、くだらない恐怖心で力を得る機会を先伸ばしにしたのは己自身。

 するべき努力を怠った者に、無力な己を嘆き悔しく思う資格などない。




 伸びた氷の刀身が核の反対側から顔を覗かせた頃、巨大なスライムの核は砕けて消えた。同時に求めていた鍵が音をたてて地に落ちる。

 本体に戻ろうと蠢いていたスライムの体達が完全に動きを止めたのを確認し、俺がとどめを刺しおえるのを見守っていたラファールに向き直り口を開いた。


「ラファール」

『? なぁに?』

「――力を貸してくれて、ありがとう」


 全身に感じる疲労の所為かのみこんだ悔しさの所為か、そう告げた俺の声は震えていたように感じた。

 しかしそう感じたのは俺だけだったのか、ラファールは俺の言葉に瞳を輝かせ破顔する。


『お礼なんていらないわ。私の力は貴方の力だもの! 今までもこれから先も私が力になるわ、愛しい子。私の力だけで足りないのなら、他の風の精霊にも頼んであげる』


 とろけるような笑みを浮かべ告げられた言葉は優しく甘い。

 しかし、その甘い優しさが今の俺には痛かった。


 強くなろう。

 身も心も、もっと強く。


 悔しさに喉を詰まらせるのではなく、胸を張ってラファールの力は俺の力だといつか言えるようにその決意を胸に刻む。そして同時に、今抱いているこの感情を忘れないようにしようと思った。

 悔しくて情けなくて不甲斐なくて少し惨めな、喉がつまり言葉が出にくいような、言い表し難いこの感情を忘れぬ限り、俺は力に驕ることなく父上達の様にたゆまぬ努力を続けられると思うから。


「ありがとう、ラファール」


 僅かに感じる痛みと決意を胸に刻みながら、嬉しそうに笑うラファールに笑みを返した。






『ご主人様!』

『『『『『ママ!』』』』』


 言葉にできない胸の痛みと自業自得という言葉を噛みしめながら、落ちた鍵を拾おうと膝をつけば、ブランと雛達の声が聞こえた。

 近づいてくる蹄の音に俺が顔を上げるよりも早く、ブランは間横で足を止め、時同じくして雛達が声をあげながら降ってくる。そして頭や肩や背中など様々なところにポスポスポスと降ってきた雛達はいつもの調子で鳴いた。


『ママ! お疲れのところ悪いけどそろそろごはんの時間なの』

『お疲れ様ですママ。悪いのですが、もうお腹が空っぽなのです。ごはんをください!』

『大丈夫? お腹、空いた!』

『ママ大丈夫? 私達お腹空いちゃったの!』

『ごはんー!』


 ――俺の心配よりごはんか。ごはんなのかお前ら!


 聞こえてきた元気な声とその内容に心の中でそう返しながら、途轍もない脱力感に思わず地面に手をつき肩を落とす。

 まだ幼い雛であり動物の本能だから仕方がないといえば仕方がないのだろうが、流石にこのタイミングでこれはないのではなかろうか。


 ――というか、もうそんな時間なのか。空が明るいままだからまったく気が付かなかった。この空間の時間は一体どうなっているんだ? 遅いのか早いのか……それよりも雛達のごはんか。魔力は使い切ってしまったし、どうしよう――って今は、悠長に雛達に魔力をやっている場合じゃないだろう! しっかりしろ俺!


『ご主人様はお疲れなんだから、ごはんは後!』

『だって、お腹空いちゃったんだもの』

『そうです! これでも結構我慢しました!』

『お前らご主人様が優しいからって調子に乗るなよ!』


 雛達らしいといえばらしい、しかしあんまりな追い打ちに「かなりの時間スライムと戦っていたんだな」とか、「此奴らの中で親=ママでなくママ=餌なのではないか」など色々な考えが一瞬のうちに頭を過ったがすぐに現状を思い出し、頭を振る。 

 疲労の所為か魔力切れの所為か、気を抜けば散漫になる己の思考に喝を入れる。その間に始まった言い合いにより、苛立つブランの気配を背後に感じた俺は、とりあえず背中でピヨピヨ煩い雛達を振り落とすかと腕に力を入れる。

 しかしいざ立ち上がろうとした瞬間、俺が動くよりも早くラファールが動いた。


『――愛しい子に強請らなくても、ごはんならここに沢山あるでしょう?』

『嫌! ママ、美味しい!』

『こんなスライムのより、ママの方が美味しいの! ほら私達早くおっきくならなきゃだし!』

『ごはん!』

『愛しい子の魔力が美味しいのはわかるけど、今日は駄目。それに貴方達はとっくに親以外からも魔力を食べられるでしょう。過ぎる我儘は嫌われるわよ?』

「――は?」


 背後から聞こえたドライとフィーアの主張と聞き捨てならないラファールの言葉に思わず振り向けば、俺が急に動いた振動で『きゃ』『ととっ』『ごはんー』と声をあげながら背や頭に乗っていた雛達が落ちる。

 転がり落ちながらも小さな羽根をパタパタとはためかせ、バランスをとり着地した雛達を見つめれば、アインス、ツヴァイ、ドライ、フィーアはびくっと小さな体を跳ねさせた。フュンフは着地するなりスライムまっしぐらだったが、彼奴はとりあえずいい。食べた後でなければ話が通じないというか、食事以外ですんなり意思疎通できたことがないからな。

 そんなこともよりも、今もの凄く聞き捨てならない台詞を聞いた気がする。「とっくに親以外からも魔力を食べられる」とかなんとか。

 そして実際俺の目の前で、フュンフが普通にスライムをつついて魔力を食べている。


「――どういうことだ」

『…………ご、ごはんにいってきまーす』

『アインスずるい! ぼ、僕もごはんにいってきます!』

『お、俺も!』

『あんた達、私を置いていかないで! ママ、私もお腹空いちゃったからごはん食べてくるわ!』

「おい」


 目が合うなりテテテテテテッと勢いよく駆けだした四羽に手を伸ばすが平時と違う俺の体では捕まえることができず。あっという間に三メートルほど離れた場所まで駆けていった雛達は、一心不乱にスライムの残骸をつつき残っている魔力を食べている。

 そんな雛達の姿に、俺は震える声でラファールに尋ねた。


「ラファール。あいつらって……」

『貴方と出会う前に住んでいた森にいたフェニーチェの雛は一週間も経てば親が魔力を与えなくても勝手にその辺りの空気や草木、魔獣の遺体から魔力を食べていたわよ? 親の魔力だけでは多くの子を養いきれないみたい。だからフェニーチェは魔力保有量の高い神樹とか、精霊や魔獣が多く住む魔力の濃い場所に巣をつくるの。まぁ、あの子達は生まれてからずっと極上の魔力しか食べてなかったから、その辺に漂う魔力なんて見向きもしなかったけれど。――幾ら可愛くとも甘やかし過ぎはよくないと思うの。好き嫌いもさせちゃ駄目。我儘に育って困るのはあの子達なんだから、たまには厳しくしないと!』

「…………もっと早く教えてくれ」

『何度も言ったわよ?』

「……そうか」


 時折顔を上げ俺が見ているのを確認するとすぐさま食事に戻る雛達に、ラファールの言葉が真実であることを悟った。


 俺以外の魔力、というか魔力が含まれていれば何でもよかったのか!


 今まで苦労はなんだったのか。

 その言葉が頭の大半を占める中、俺は手近にいたフュンフを鷲掴みついでに側にあったスライムの残骸を適当に集めいっしょくたにブランにかけた籠の中に入れる。スライムは既にこと切れていて危険はないし、魔獣の一種という一説があるフェニーチェならば多少荒く扱っても怪我はしないだろう。


「ラファール。あの四羽をスライムの残骸ごと籠に入れてもらってもいいか?」

『いいわよ』


 二つ返事で頷き実行してくれるラファールに礼を述べ、ブランの背に乗るべく手綱をとる。その際、俺がこれ以上体力を使わぬよう屈み、背に乗せてくれたブランに礼をいいながら扉に向かった。

 スライムの残骸と共に風で巻き上げられ、籠に入れられていくアインス達が悲鳴を上げているが、スライムの残骸がいい感じに衝撃を吸収してくれるだろう。


『開けてあげるわ』

「ありがとう」


 扉の鍵を開ける為にブランから降りようとした俺を気遣ったラファールが、代わりに鍵を開けてくれるというので任せる。

 その間、籠の中で『足元がぷにゅぷにゅする!』『ちょ、アインス! 僕に寄りかからないでよ!』『無理、転ぶ!』『何これ立つのがやっと、ってドライ転びそうなら巻き込まないで!』『ごはんいっぱい!』となにやら騒いでいるが、俺の知らぬ間に随分とずる賢く育っていたらしい雛達にはいい薬ということで放っておく。

 ブランもラファールも素知らぬ顔をしているので、問題はないだろう。


『開けるわよ?』

「ああ」


 鍵を開けドアの取っ手に手をかけたラファールに意識を切り替える。雛達の所為で脱力感一杯だが、俺にはまだやることがある。最低でもこの空間を脱出し、学園に戻らなければならない。

 この扉の先に何が待ち受けていようとも。


「行くぞ、ブラン」

『はい!』


 呼吸を軽く整えた後、エスパーダに手をかけ周囲への警戒を高めた俺は、ラファールが開けてくれた扉をブランと共にくぐった。


ここまでお読みいただき、ありがとうございます。

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