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第八十三話

「――――黙って馬に身を任せておけば、勝手に走ってくれる。馬はお前らが思っているよりもずっと頭いいからなぁ。余計なこと考えずに馬達を信じて乗ればいいぞぉ」


 俺達も去年受けた説明を、少し緊張した面持ちで聞いている一年生達の姿に懐かしさを感じる。

 本日は馬の捕獲週間、初日。

 リュートと共に初心者達への指導を任されている俺は、指定された場所で待機中だ。俺達の時同様、強張った表情を浮かべる貴族達が見ていて微笑ましい。

 ちらりと横を見れば、リュートも目を細めて一年生達を眺めている。その表情から感情は読みとれず、あの時のことを思い出しているようにも見える。

 しかし、もしゃもしゃと愛馬に髪を食まれている所為で、なんだか間抜けな姿だ。


 ……まぁ、俺も人のことは言えないけどな。


 始めは大人しくしていた癖に雛達の『髪の毛食べてる!?』『違うよ。あれは確か馬の親愛行動だ』『親愛行動?』『なぁにそれ? 美味しいの?』『ごはんー?』『仲良しだってこと! ごはんじゃない!』という会話を聞いてから俺の髪の毛を食み始めたブランの所為で、俺の頭も大変なことになっている。

 その上、リュートの馬とは違いブランの頭から首にかけて雛達がとまっている。少し大きくなった雛達を頭から一列に乗せている所為で、ブランの頭に水色のモヒカンができていたはずだ。水色のモヒカンをこさえたブランに髪を一心不乱に食まれる俺は、さぞかし間抜けな姿だろう。


 …………別に対抗しなくてもいいのに。


 今更親愛行動をとられずとも、ブランの愛情は十二分に感じている。その愛情を疑う余地などない。

 だというのに、何故リュートの馬をちらちら見ながら髪を食むスピードを上げるのか。何故必要のない対抗心を燃やすのか。

 時折食むのを中断しては、『俺の方がご主人様を好きですから!』と力一杯叫び、再び髪を食むブランは一体誰と何を競っているのだろうか。

 そんなブランに、雛達が楽しそうに茶々を入れるものだから騒がしくて仕方ない。


『私もママ好きー』

『僕も!』

『美味しい』

『今度のママは美味しいよね』

『ごはん、好きー』


 と言った具合だ。

 後半聞こえてきた言葉に、あの三羽は後できゅっと軽く握っておこうと思ったのは言うまでも無い。幼かろうと躾は大事だからな。奴らにはどちらが上か思い知らせる必要がある。

 ちなみに雛達の名前は上から、アインス、ツヴァイ、ドライ、フィーア、フュンフである。覚え易さ優先で付けた名前だったが雛達には中々好評だった。与えられた名前に喜ぶ雛達に少し悪い気がしたので、由来については一生心の中に仕舞っておくつもりである。

 性格はアインスがハキハキしたお姉さん、ツヴァイは一番知能が高く好奇心旺盛、ドライは言葉少なくフィーアは逆によく喋る。フュンフは…………撫でつつそっと目を逸らしたくなる子である。


 毎日お腹いっぱい食べさせている所為か丸々としてきた彼等は、最近意思疎通ができるようになった。俺を見ると『ママ』か『ごはん』としか言わなかったのに、一週間でここまで育つとはたいした成長速度である。

 知能は個体差があるようだが簡単な言葉や命令なら理解できるし、アインスやツヴァイは文字を教えたら簡単なものは読めるようになったので、きちんと訓練すれば役に立ちそうだ。もう少し成長し、色々理解できるようになったら彼等に彼ら自身について聞いてみるのも悪くないだろう。


『煩い! ご主人様! ご主人様の一番はブランですよね!? ねっ?』

「ああ」

『ご主人様!』


 楽しそうにおしゃべりに興じる雛達の今後の教育方針について考えていると、苛立ちのこもったブランの声聞こえる。雛達に向けた声とは異なり、甘えた声で俺を呼ぶブランは先ほどから何と競い、俺にどうして欲しいのだろうか。

 先ほどまではリュートの馬を気にしていたというのに、今度は雛達に対抗心を燃やすブランに「お前は倦怠期の恋人か」と心の中で突っ込みながら返事をしてやれば、喜んで髪を食み始める。

 適当な返事でも満足し、喜ぶブランは単純で扱い易く可愛い。可愛いが、どちらにしろ髪は食むんだなと、ぐしゃぐしゃになっていく己の頭を想像して少し悲しくなった。


 嘶くブランとピヨピヨ騒がしい雛達。

 もうしばらくかかりそうなヘングスト先生と一年生を遠くに見ながら、騒がしい動物達に色々面倒になった俺は一つため息をこぼす。そしてクレア借りた読みかけの本を亜空間から取り出し、書かれた文字へと意識を集中させたのだった。






 大陸の端にある小国、ファタリア。

 農耕と漁業を主産業した穏やかな国。

 王と王妃の仲も良く、小国故に民と王族の距離も近かったファタリア国では、王は民の為に心砕き、民は優しき王の元穏やかな暮らしを営む。そんな優しき王と善良な民達を守る為、騎士や貴族は身を粉にして仕え働く、絵に描いたような温かく穏やかな国だった。

 そしてそんな穏やかな国で誰よりも望まれ、祝福されながら生まれた子供。

 第六代ファタリア国国王、ロウェル・フォン・ファタリア。


 彼は幼き頃からよき王子であった。

 穏和な性格をしていたが、一度武器を手に持てば誰よりも勇敢に戦い、分け隔てなく公明正大な政を行った。そんな王子を慕う者は多く、国王、王妃共に存命であったにも関わらず彼は僅か十六にしてファタリア国の王位を継ぐ。

 その後、ロウェル王は長きに渡り多くの人々の期待に応え続けた。

 多くの災害対策を国に施し、貧富の差を無くした。元々あった農耕や魚業をより発展させたことは勿論、銀山の発見を元に細工物などの産業も栄えさせた。


 そして建国史上最もファタリア国を栄えさせたロウェル国王は、五年前。大陸中を戦火に包んだ大戦を引き起こし、狂王の名と己が守り慈しんできたはずのファタリア国と共にこの世を去った。

 名君と呼ばれていた彼の国王の身に何があったかは未だ分かっていない。

 一体何故、何を思い、ロウェル国王は大戦を引き起こしたのか。

 ファタリア国亡き今、我々は誰も知る術を持たない。


 唯一つ、私達に言えることは、【炎槍の勇者】ゼノ・フォン・アギニスを筆頭に、稀代の魔術師と名高いセルリー・フォン・テルモス、聖女をも超えると言われた薬師エルヴァ・フォン・リカール、その慧眼で多くの策略を看破したリブロ・フォン・ベアード。

 戦乱により多くの国々が荒れゆく中、四英傑と呼ばれた彼等が守るマジェスタ国に住まう我々はとても幸運だったということだけである。


 彼等が居なければ私がこうやって、再びのんきに筆を持つ日は二度とこなかっただろう。その身をていし、命がけで多くの命を救った彼等に感謝の言葉を捧げたい。

 そして、彼等の偉業が後世まで語り継がれることを願い、私はこの本を世に残す。






「――――貴族共は乗れて当然だろうから好きにしろよぉ。今更俺達教師の指導なんざいらんだろうしなぁ。お付の奴らも主人と行っていいぞぉ。残られて文句言われても、俺達も困るからなぁ」


 微かに聞こえるヘングスト先生の声に説明も終盤に入ったことを感じ取った俺は、あとがきの最後の一字まで目を滑らせパタンと音を立てながら本を閉じる。草原を吹き抜ける爽やかな風を頬に感じながら、俺は読み終わった本の表紙に目を落とした。


 …………クレアになんて言おう。


 最後は駆け足で読み終えた本の、何ともいえない読後感に次いで思ったのは、この本を貸してくれたクレアに感想を聞かれたらどうしようというものだった。

 四十年前の大戦をベースにお爺様とお婆様、お婆様の幼馴染であるセルリー様の三角関係を主体に書かれたこの娯楽小説になんと感想を言うべきか大変迷う。

 突如現れ窮地を救ってくれた少し粗忽で不器用だけど優しい【炎槍の勇者】と、優秀な魔術師であり兄同然な優しい貴公子の間で揺れる、美しき公爵令嬢。

 ありがちであり、令嬢達が好みそうな設定ではある。

 しかしそもそも、お婆様とセルリー様の間に婚約話があったらしいが、実際婚約していたわけではない。お爺様とセルリー様の間にそのような確執があるなど聞いたことが無い。

 その上、お爺様とセルリー様が「誰これ?」というくらい美化されていた。信じられないことに、作中のセルリー様がとても真っ白な好青年だったのだ。ありえないだろう。


 そんな感じで本文の七割が真偽の怪しい三人の恋愛模様なのだが、あとがきも含め残り三割ではとても真面目に大戦について触れており、当時の凄惨さや混乱がひしひしと伝わってくるから無下にしにくい。大戦の原因についてなど当時飛び交っていた憶測なども交えて追っていくさまは大変興味深かった。

 しかし、大半を占める娯楽要素の強い三人のメロドラマの所為で、真面目な部分の真偽に疑惑を持たせる。

 一言でいえば、微妙。

 女性は好きそうであるが、男は感想に困る本である。




「まだ説明は終わらないようだぞ」

「いや、丁度読み終わった」

「そうか。微妙な顔をしていたが何を読んでいたんだ?」


 本を勧めてくれたクレアを不快な気分にさせないよう、当たり障りない感想を考えていた俺にリュートが告げる。一年生の集団を眺めていたリュートは、本を読んでいた俺に気をつかい声をかけてくれたらしい。

 救出劇以降、態度を軟化させたリュートとは気安い仲とまではいかないが、こうやって雑談をする程度には関係が修復された。これでグレイ様が居たりすると微妙な空気になるのだが、それ以外の場面では概ね良好な関係である。

 そんなリュートに持っていた本の表紙を無言で見せれば、たちまち憐れみを含んだ視線を向けられた。


「…………俺もセレジェイラに勧められて読んだな」

「感想、どうした?」

「適当に笑って誤魔化したに決まっているだろう」

「……そうか」


 憐れみの視線の後、呟かれた言葉に俺は目を見張る。既に勧められ読んだことがあるらしいリュートに僅かな希望を持ってなんと答えたか聞けば、返ってきたのは何とも情けない対処法だった。

 力ない返事をしたことでがっかりした俺に気が付いたのか、リュートは不服そうな表情で反論してきた。


「他にどうしようも無いだろう? この本は感想を語り合うには言いたいことが多すぎる。楽しそうに勧めてくれた彼女に本音を告げればご機嫌を損ねるだけだ」

「……それは、困るな」

「ああ。困る」


 俺の力無い返答に深く頷いたリュートの言葉は、重い実感が込められていた。可愛い彼女に気を遣うのは、何処も同じらしい。

 リュートの重い言葉を境に会話が途切れる。ここで互いに笑い飛ばしたり、男の癖に情けないと言えない辺り、恋人への対応に関して俺とリュートは似たり寄ったりなのだろう。


「………………まぁ、それは恋愛色が強いからアレだが、同じ作者が書いている『大戦記』の方はよかったぞ。真面目な文体でより細かく、当時について書かれている。ファタリア国や狂王ロウェル・フォン・ファタリアの生涯。近隣諸国の動きや民達の混乱。傭兵についても書かれていて、とても身になる本だった」


 微妙に共感してしまった所為で訪れた沈黙を破ったのは、リュートだった。漂う微妙な空気を流すかのように続けられた本の話題は、今の俺には興味深いもので思わず食いつく。

 確か、四十年前の大戦でもオピスが活躍していたはずだ。


「オピスについても?」

「あったぞ。オピスに興味があるのか? かなり優秀な傭兵団らしいが、奴らは金でしか動かないそうだからアギニスが使うには具合が悪いんじゃないか?」

「いや。最近目撃されているとよく聞くから調べているだけだ」


 今一番興味のあるオピスについて問えば、当然のように返事が返ってくる。戦いに主軸をおかない癖に傭兵の知識まで持っているとは流石だなと、リュートの幅広い知識に感心しながら会話を続けていく。

 戦になる確証は今のところ無い。しかし匂わせるものが多いのも確かだ。セルリー様に情報をいただいてから父上やお爺様、セバスやモルドに探りを入れてみたがどうも怪しい。疑ってみているからそう感じるだけかもしれないが、意図的に隠そうとしている気配を感じる。その為、今は父上達から情報を得るのは諦めて他の所から情報を集めている最中だ。

 父上達に口を割らせるのは骨が折れるし、何よりやり過ぎて余計巧妙に隠されても困る。今は一旦引いて、機を窺うべきだろう。


「…………なるほど。それならば実家に頼んでおこう。商人や冒険者、傭兵達には顔が利く。多分、彼等がどこを巡り辿り着いたのか分かるだろう」


 子供は関わらなくていいと言いたげな父上達の態度を思い出したところでかけられた言葉に、俺は改めてリュートの秀才さを思い知る。

 「目撃されている」という言葉だけで、俺が何の目的でオピスについて調べているのか理解できたらしいリュートは、頭の回転が速い。

 無駄に詮索してこないところも立場の違いを弁えているといえよう。


 俺やグレイ様の発言には力がある。黒いものも俺達が白と言えば白になるくらいには。貴族には貴族の事情があり、だからこそ言えないことが多い。その辺りの事情も踏まえてリュートは己が足を突っ込んでもいい領域を正しく理解し、出来る事を提案してくれている。

 出来る事と出来ない事、やってもいい事とやってはいけない事。

 己の手札を踏まえその境界を見極めるのが、リュートはとても上手い。


「そうしてくれると助かる。いいのか?」

「ああ。世話になったからな」


 願っても無いリュートの申し出に頷けば、リュートはそれ以上余計な発言はせず口を噤む。打てば響く会話をしながらも、余計なことは一切口にしない。そんなリュートの態度に主席は伊達じゃないなと俺はしみじみと実感した。




「それじゃぁ、馬に乗ったことの無い奴は俺の所、乗ったことはあっても馬術に自信の無い奴はあっちの先輩達に教えて貰え。後は好きな馬連れて自由行動。以上! 解散!」


 一連の会話が終わったところで、訛りが残る独特なヘングスト先生の声が辺りに響く。同時に一年生達が指示された通りに散り始めた。

 僅かな緊張とともに友人同士楽しそうに馬に向かっていく者や初めて見る馬に怯えながら先生の元に向かう者。その中でも、不安げな表情を浮かべながらこちらに向かってくる者達を確認した俺は、リュートに声をかける。


「雑談はここまでだな」

「そうだな。ところで、アギニス。…………お前、その頭をどうにかした方がいいぞ」

「…………わかった」

『あっ』


 俺の呼びかけに身なりを正したリュートはちらりと俺を見た後、冷静に告げる。呆れを含んだその声に、俺は亜空間からタオルを取り出し軽く拭いてから手櫛で髪を整えた。

 そして名残惜しそうに俺を見るブランに声をかける。


「出番だブラン。後輩達が見ているから、格好良くな」

『っ! 任せてくださいご主人様! ご主人様を乗せて、一番輝けるのはブランしかいませんからね! ブランに乗ったご主人様に目を奪われないような輩は、そいつの美的センスがおかしいのです! このブランがご主人様を誰よりも格好良く引き立ててみせますからー!』

「……ほどほどに頼む」

『喜んでー!』


 俺の言葉にやる気を見せるブランの鼻筋を一撫でし、今度はブランの頭上でピヨピヨ騒ぎ出す雛達に手を伸ばす。


『出番ですって!』

『頑張らなくちゃね!』

『頑張る』

『私達の素晴らしさを、子供達に見せつけてやる時が来たようね!』

『……ごはん』

「――残念ながらお前達はこっちだ」

『『『『『えー!?』』』』』

「『えー!?』じゃない。まだ飛べもしないのに、馬が走るところでうろちょろしたら危ないだろう。お前達はここでお留守番だ」


 ブランに話しかけたはずなのに、何故かやる気を見せる雛達を掴みポイポイポイと籠の中に入れていく。勿論その際に、俺を餌扱いしていたドライとフィーアを軽く握り「大人しくしてろよ」と言いつけるのも忘れない。フュンフは先ほどから『ごはんー』とうるさいので軽く握った後少し魔力を食べさせておいた。

 締められ苦しんだ直後だというのに、手に魔力を集めた途端『ママー!』と目を輝かせて喜びすり寄るフュンフには何も言うまい。そんなフュンフの姿に「鳥頭」という単語を思い浮べながら、最後にアインスとツヴァイの頭を撫でてやった。


「アインス、ツヴァイ。他三羽をしっかり見ていてくれ。お前達は賢いからできるよな?」

『『頑張ります!』』

「ん。お前達もイイ子にしてろよ?」

『『『はーい』』』


 しっかり者の二羽に監視を頼み、面白くなさそうなドライとフィーアの頭も撫でてやる。

 そして大人しくなった雛達を確認した俺は、五羽に別れを告げて籠を柵の端にかけた後、一年生達に馬術指導をするべくブランの背に跨りリュートを追った。


ここまでお読みいただき、ありがとうございました。

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