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第八十一話 リェチーチ・テラペイア

 春が終わり、夏が訪れる少し前。

 何日間にも渡り絶えず降り注ぐ雨がざぁざぁと森を打つ。美しい花々を咲かせ春を謳歌した森は、長い雨期を過ぎれば実りの秋と寒い冬を耐え忍ぶ為に、青々とした新緑を身に纏い力強く成長していく。

 夏を目前に一月ほど降り注ぐこの時期の雨は、森と共に生きる僕等にとって恵みの雨だ。


 娯楽も何もない森の中の小さな小さな村だけど、耕した畑で穀物を育て、狩りをして肉を得る。自給自足で生活する村の唯一の収入源は村人達がつくる様々な薬だ。

 自生する薬草採取や村全体で育てている薬草の世話が子供達の専らの遊びで。

 薬草を村に持ち帰れば父や母、祖父や祖母、村の大人達が薬草を擂り潰し、粉にし、抽出し、それらを組み合わせて様々な効能を持った薬をつくる。


 そんな村に生まれた僕とサナが、薬作りに興味を持つのはとても自然なことだった。幼いながらに薬作りを子供がしたがるのは村の通過儀礼の様なものだったけれども、幸か不幸か、僕とサナには薬作りの才能があったんだ。

 教わった薬を再現する度に、村の薬を改良する度に大人達は僕とサナを褒めてくれた。


 両親や祖父母、村の長老、近所のおじちゃんおばちゃんや憧れのお姉さん。大好きな人達が褒めてくれるのが嬉しくて。同じ年くらいの子供達から向けられる尊敬の目が誇らしかった。

 あの時の僕等は、調子に乗っていたんだ。

 責任転嫁する訳では無いけれども、村の皆が口々に『天才だ』って褒めてくれたから。僕とサナは天才なんだ、特別なんだって本気で思ってた。


 持ち前の才能であっという間に村の大人達を越えた僕等は、なんでも出来てしまうが故に気難しく我儘で。王様のように振る舞う僕等を村の人々は、それでも大切にしてくれた。僕等の腕を利用したいって思惑もあったんだと思う。そんな大人達の打算的な思考が僕等を傲慢にしたのかもしれない。散々好き勝手しておいて、何言ってんだって感じだけどね。

 今思えば、あの頃の僕等はなんて傲慢な人間だったのだろうと思う。

 うぬぼれ、つけ上がった人間なんて碌なもんじゃない。

 あの頃の自分に会えるものなら、是非一発殴ってやりたいと思うよ。


 僕等がもう少し謙虚だったら、周りの大人達が良識を持って僕等を諌めてくれていたなら、僕とサナは学園に足を踏み入れることなく今もあの小さな村で森と共に生きていただろうし、優しく大好きだった兄を失うことは無かったんだから。




『お前達が! お前達さえ居なければ、俺だって!』


 恵みの雨が降り注ぐ森の中。

 地に倒れ伏すサナと泣きながら僕の首を絞めた兄を。

 僕は生涯忘れない。








「大人しく吐きなさい」

「バラド様! ちょ、締まってる! 締まってる!」

「――強く生きろよ、サナ」

「余裕ですね」

「ぐふっ」

「リェチ!?」


 僕の胸元を捩じるように掴むことで襟首を絞め、絶対零度の視線を向けながら簡潔に用件を述べるバラド様に、サナが必死に縋る。サナの声に脳裏に浮かんでいた走馬灯に浸っていた僕は現実へと意識を戻した。

 戦闘に関するスキルを持たないはずなのに、僕を持ち上げ壁に押し付けるバラド様が凄いのか、僕が貧弱なのか。そんなくだらないことを考えながら、息苦しさを誤魔化すように戯言を口にする。

 途端にギリギリとさらに締められた襟首に、息苦しさが呼吸困難へと変わっていく。下手したら僕よりも小さく細い体で締め上げるバラド様の目は本気だ。


 ドイルお兄様は「バラドは戦えないから」と仰って合宿中ずっと兄貴や僕等と一緒にバラド様をその背に庇い、守っていたけど絶対その必要は無い。

 『偶に主人愛が過ぎるが気が利くし、有能だ』とドイルお兄様は仰っていたが、バラド様はそんな可愛い表現で済ませていい方ではないと思う。戦闘系のスキルを持てないから表立った被害は無いが、この方が戦う術を得たらドイルお兄様の邪魔者を片っ端から消して歩いているだろう。

 その辺り神様はちゃんと見てると思うよ、本当に。


 自他共に認めるドイルお兄様至上主義なバラド様は、ドイルお兄様の害になりそうなものには容赦ない。少し怪しいと感じただけで、こうやって知らぬ仲ではない僕を問答無用で締め上げてくるし。

 サナでなく僕を締め上げているところには、僕等の見分けがついているバラド様のなけなしの気遣いを感じるけどね。


 きっとドイルお兄様はバラド様のこんな一面は知らないんだろうなぁ。


 そして恐らく一生知ることは無いだろう。

 バラド様はそういう方だから。


「素直に吐いた方が身の為ですよ?」


 優しく諭すように告げるバラド様の笑顔はなんと恐ろしい。




 さて。

 今更だが、何故僕が現在バラド様に首を絞められているかというと、運が悪かったとしか言いようが無い。

 今日は待ちに待ったフェニーチェの卵を加工する日。

 早く早くと浮かれていた僕とサナはたまたま廊下でバラド様と鉢合わせた。浮かれてはいたが別に怪しい態度は取っていなかったと思う。だというのに、今日に限って何かを感じ取ったバラド様は、僕等にご機嫌の理由を問うてきた。


 セルリー様からフェニーチェの卵をいただいたことは、ドイルお兄様には内緒にしている。はっきり言われた訳では無いが、ドイルお兄様は僕等や兄貴にセルリー様と関わって欲しくなさそうだったからだ。

 ドイルお兄様の立場上、利用されないよう貴族と関わらないようにとは言われている。関わらないことが、僕等の安全に繋がるのだと兄貴も言っていた。


 いくら教師とはいえ、セルリー様は歴とした貴族。

 入学式での言動を顧みれば、なかなかやばそうな性格をしているのも分かる。

 当初はフェニーチェの卵を殻だけでも分けて貰えることで皆浮かれていた。

 しかし時間が経ち、冷静になればなるほど受け取ってはいけなかったのでは、と誰もが考え出した。「今回の件は誰がどう見てもドイルお兄様に対する裏切りなのでは」と言い出したのは誰だったか。その言葉に皆で青ざめたのは言うまでもない。


 ドイルお兄様は兄貴の取り巻きでしかない僕等にも、とてもよくしてくれる。

 資金提供は勿論、今まで妬みや嫉妬で兄貴や僕等にしつこく嫌がらせしていた貴族達はいつの間にか全員手を引いていたし、兄貴がドイルお兄様の部下になったことでヘンドラ商会が優先的に僕等にいい薬草を提供してくれるようになった。

 薬の売却だって、足元を見られることは無くなった。むしろドイルお兄様にいいところを見せたいのか、こちらが驚くような高値で買い取ってくれる人もいる。


 それなのに、今回の裏切り行為である。

 これはやばいのではないかと我に返った誰もが思った。

 しかし、フェニーチェの卵も捨てがたく。

 セルリー様とドイルお兄様はお知り合いのようだし、何より相手は四英傑の一人。ドイルお兄様が心配し危惧した状況にはならないだろうと、全員で口を噤むことにした。

 それにフェニーチェの殻があれば、ドイルお兄様にもっといい薬を提供できる。

 新薬ができれば、資金源としても役立てる。

 ばれなければ、ドイルお兄様も傷つかない。

 そう自分達に言い訳して、僕等はドイルお兄様の信頼を裏切った。




「リェチ先輩?」


 思考を他所に飛ばす僕を咎めるように、ギリッと込められた力にバラド様の苛立ちを感じる。ドイルお兄様が関わると、バラド様はとことん心が狭い。

 そろそろ本気でやばいので、全て吐いてしまいたい。

 しかしドイルお兄様に対する裏切り行為をバラド様に知られて、兄貴や僕等の命はあるのだろうか。

 笑顔で僕を締め上げるバラド様を見ながら、言うべきか言わないべきか考える。一番いいのは、ドイルお兄様の元に駆け込むことだろう。傷つけてしまうが、優しいあの人はきっと許してくれる。

 ドイルお兄様がとりなしてくれれば、内心はどうであれバラド様も矛を収めてくれるだろう。バラド様にとってドイルお兄様の言葉は絶対だから。


「セルリー様から【フェニーチェの卵】をいただきました! 熟成も上手くいったので、今日加工します! それだけです! リェチを離してください~」


 あっ、馬鹿!


 そう僕が思った瞬間にはもう遅かった。

 僕がこの場から逃れドイルお兄様の元に駆け込む方法を考えている間に、サナがバラド様に全てを告げてしまった。


「それは、ドイル様もご存じなのですか」

「ごめんなさい! 言ってません!」

「――――そうですか」


 素直に謝るサナの口を塞ぎたいのは山々だったのだが、締め上げられている僕に声をあげる余裕などない。


 ……終わったな。


 そう僕が思うやいなや、どさりと床に落とされる。

 落とされる寸前にグッと力の籠った手と、とても静かに呟いたバラド様に己の死期を悟った。

 新鮮な空気に肺を満たされた反動で咳き込む僕の背をサナが心配そうに撫でてくれるが、首を締め上げられる以上にやばいことがこの後に待っていることの方を気にして欲しい。


 僕と違いサナは天然だ。

 その上、良くも悪くも一つのことに集中すると一切他が目に入らないタイプ。

 締め上げられる僕を心配してくれたのは大変ありがたいが、僕のことよりもバラド様の心情の方を気遣って欲しかったというのが本音だ。

 だって、ほら。


「――――ドイル様を裏切るなんて。いい度胸です」


 抑揚も熱も無い声色で呟き、静かに僕等を見つめるバラド様は表情を削ぎ落とした顔とは裏腹に怒り狂っている。

 その顔を見た瞬間、ぶわっと総毛立つ。

 見なきゃよかった。


「サナ先輩、レオパルド先輩は研究室ですか?」

「……? はい」


 咳き込みながら後悔する僕を他所に、バラド様は兄貴の所在をサナに尋ねる。鳥肌の立った腕を不思議そうにさすりながら答えたサナに僕は色々諦めた。あとは何処かでドイルお兄様に出会えることを祈るだけ。

 怒り心頭に発するバラド様を止められるのはドイルお兄様だけだ。


「いきますよ」

「ぐふっ」

「リェチ!」


 その一言と共に僕の首根っこを掴んだバラド様は、僕をずるずると引きずりながら進む。この体勢はさっきよりも首が締まって結構苦しい。苦しさからか、ジワリと目に涙が浮かんだ。

 引きずられる僕を慌てて追いかけてくるサナを霞む視界で見ながら「これで戦えないとかないわー」と僕は心の中で思った。






「ドイル様が慈悲深くお優しいことは、このバラド重々承知しております! ドイル様は幼き頃より私のような者まで救い上げて御側に置いてくださいましたから。しかし、だからこそ! そんなお優しいドイル様のご期待を裏切ったことは許し難く!」

「取りあえず、落ち着けバラド。やってしまった事を今更責めたてても仕方ないだろう? レオ先輩には謝って貰ったし、二度としないと言っている」

「しかし! だからといって彼等のしたことは到底許容できるものではありません! ドイル様に黙ってセルリー様と取引などっ!」

「あー、それはそうなんだが……。過ちを犯さない人間などいやしないんだ。俺なんか、過ちばかりだが全て許され、今こうしてここにいるしな?」

「ドイル様の人生に過ちなどございません! 全ては予定調和です!」

「そ、そうか」

「そうでございます!」

「――ま、まぁ、なんだ、ほら。別に命に関わる案件でもないし、本人達もこうして反省している。二度とセルリー様には近づかないとも言っているしな?」

「しかし!」


 僕の人生もここまでかと覚悟したのは、つい先ほど。

 結果から言えば、僕等や兄貴は命拾いしていた。

 他ならぬドイルお兄様のお蔭で。


 静かな、しかし空恐ろしいほどの怒りを携え研究室に飛び込んだバラド様を迎えたのは、驚いたことにドイルお兄様だった。そしてバラド様の怒りを感じとったらしいドイルお兄様は、誰に頼まれるでも無く先ほどから一生懸命僕等や兄貴を庇ってくれている。

 僕の思った通り、ドイルお兄様の取り成しをバラド様は無下にできないらしく。バラド様にしては珍しくドイルお兄様の言葉に食い下がっているが、雰囲気的に長く続きそうにない。


「バラド。お前が俺を心配し、想ってレオ先輩方に厳しく言ってくれているのは分かる。ありがとう。……もっと俺がしっかりしていればよかったんだが。不甲斐ない主人で悪いな」

「そのようなことはございません! ドイル様は私の唯一無二のご主人様です!」

「ありがとう。――――あのな、バラド。お前の不満や不安も分かる。心配も痛いほどに。その気持ちを嬉しく思う。でも、レオ先輩方は今後俺にもグレイ様にも必要だ。それはバラドだって理解しているだろう? 俺は勿論、グレイ様やジン、お前だって回復魔法の適性がないのだから」

「それはっ、そうですが……」

「どうしても許せないというのなら、二度とこのようなことが無いようにお前がよく言い聞かせておいてくれ。本当は俺が言い聞かせようと思っていたが、バラドに任せる。そして、お前がしっかり見ていてくれればいい」

「……ドイル様」

「お前は、何があっても俺を裏切ったりしないだろう? 俺もお前になら安心して任せられる。…………お前の仕事を増やして申し訳ないが、任せてもいいか?」

「っ! お任せください! 不肖の身でありますが、ドイル様のご期待は決して裏切りません!」

「――――知ってる。お前がそうやってずっと側にいてくれるから、俺も安心して行動できるのだから」

「ドイル様!」


 穏やかに微笑みながら「お前を信頼している」と告げるドイルお兄様に、バラド様は感極まった表情でその名を呼ぶ。恍惚とした表情でドイルお兄様を見つめるバラド様に、先ほどまでの怒りの気配は無い。


 お見事です、ドイルお兄様。

 そして、ありがとうございます!


 すっかり怒りを収めドイルお兄様を褒め称えるバラド様の姿に、僕も心の中でドイルお兄様を讃える。

 流石ドイルお兄様。

 バラド様の扱い方をよく心得ていらっしゃる!

 己を貶めることでバラド様の怒りを本題から逸らした上で、不甲斐なさを謝りつつバラド様に協力を頼む。

 ドイルお兄様命なバラド様は、いくら本人の言葉であってもドイルお兄様を貶める言葉には反応せざるをえないし、謝罪されればそのような必要は無いと否定する。弱った主人を慰めようとしたところで、お前が頼りなんだと言われれば、そりゃバラド様みたいな方は喜ぶ。その上で信頼している、お前の忠誠心を疑ったことは無いと言外に言われれば、怒りも吹っ飛ぶ。

 ドイルお兄様以外には不可能な、見事なバラド様対処法だ。


 流石はドイルお兄様!

 素敵! 

 輝いてるぅー!




「大丈夫ですか? リェチ先輩、サナ先輩」

「「ドイルお兄様!」」


 見事な手腕でバラド様を宥めたドイルお兄様を心の中で褒め称えていると、そっと側に来て心配してくれるドイルお兄様の姿に、サナと共に目を輝かせる。

 窮地を救ってもらったばかりというのもあるし、それが無くとも僕もサナもドイルお兄様が大好きだ。 この人の側は、温かいから。


「……その呼び名、どうにかなりませんか」

「「なりませんね!」」

「そうですか。まぁ、それはいいです」


 僕等が付けた呼称に文句を言いながらも、笑って許してくれるドイルお兄様は器がでかい。グレイの兄御やジンの兄貴もそうだが、本当に高貴な人間っていうのは僕等なんかとは違う次元で生きているのだなと、ドイルお兄様に出会ってからしみじみ思う。

 今だって、ほら。


「――――それよりも、あまり無謀なことはしないように。レオ先輩にも言いましたが、バラドを怒らせると怖いのは今回で身に染みたでしょう? バラドもそうですが、貴族はさらに怖い。性質の悪い貴族はいくらでもいますから、自衛はしっかりしてください。未だ学生の身である私では、守ってやりたくとも守りきれない事がある」


 床に転がる僕等と目を合わせる為に、当たり前のように床に膝をつく。

 そして己の非力さをちゃんと認め、こうやって僕等を案じてくれる。

 さっきだって馬鹿な僕等を庇ってくれて、必要だと言ってくれた。

 僕等なんかよりも沢山の才能を持ちながら、僕等のように己を甘やかさなかったドイルお兄様は年下だなんて思えない。兄貴も同い年とは思えないほど、頼りがいのある人だけど、ドイルお兄様は別格だ。


 沢山苦しんだからこそ、人に優しくて。

 もがきあがいて乗り越えたから、誰よりも強い人。

 一度間違えたからこそ抱く志は高く、崇高だ。


 そんな人に、これほど心寄せられて本気で裏切れる人はどれだけいるのだろうか。

 バラド様の気持ちがよく分かるとまではいかないけれど、僕もサナも兄貴や他の奴らも。少なくとも今この部屋に居る奴らはこれから先、二度とこの人を裏切ることは無いだろう。

 ドイルお兄様からの信頼を失ってまで得る価値のあるモノなど、この世にいくつも無いと学んだから。


「「はーい」」

「本当に、気を付けてくださいね?」

「「了解です!」」

「……まったく」


 「心配してるのに。あの人達は、本当に分かっているのか?」と呟きながら兄貴の元に戻るドイルお兄様をサナと見送る。


「ドイルお兄様は相変わらず優しいね」

「優しいな」

「あんなお兄ちゃん欲しかったな」

「僕が居るじゃん」

「リェチはお兄ちゃんだけど、生まれた日は一緒じゃん。そうじゃなくて、ドイルお兄様みたいに優しくて、強くて、我儘聞いてくれて、僕達を守ってくれる頼れるお兄ちゃんが欲しかったの!」

「………………いたけどね」


 「もー。分かってないなぁ、リェチは」とぷりぷり怒っているサナに、最後の呟きは聞こえなかったらしい。そのことがちょっと残念で、でもよかったと思う。

 サナは、僕等に四つ年上の兄が居たことを覚えていない。

 驕り高ぶった僕等という存在が追い詰め狂わせ、消してしまった優しかった兄の存在を。


 あの日、優しかった僕等の兄は姿を消した。

 僕がサナと兄を見つけた時には、サナはぐちゃぐちゃな地面に倒れていて。起きた時には、あの日の記憶と共に兄の存在自体をサナは忘れていた。

 僕も、血走った目で首を絞められた後の記憶が無い。

 目覚めたら村に居て。母と祖母が僕等のことを腫れた目で看病してくれていて、父と祖父が厳しい顔で何かを話し合っていた。

 兄も僕等も魔獣に襲われたことになっていて、兄は魔獣によって食い殺されたことになっていた。死体もないし、サナがその存在を忘れたこともあって、兄の葬儀はとても密やかに行われたことを覚えてる。


 僕等が気に入った人を「兄」「姉」と呼び始めたのは、その頃からだ。覚えていないサナは僕の真似をしているだけだけど、僕は兄を忘れない為。

 その所為で「兄貴」の呼称がここで流行るとは思いもしなかったけどね。

 ドイルお兄様や兄貴、グレイの兄御やジンの兄貴、その他にも沢山の兄と姉が僕とサナにいる。大好きな人達との温かな日々の中で、消してしまった兄の存在を忘れないように僕はこれからも大切な人ができる度に兄や姉と呼ぶ。

 僕とサナの所為で居場所どころか、その存在さえ消されてしまった兄を忘れないように。




『リェチ! サナ! おいで』


 いつだって優しく僕等の名を呼び、抱きしめてくれた兄を僕は忘れない。

 忘れちゃ、いけないんだ。


「――――兄さん」

「リェチ? 今、何か言った?」

「ううん。何も」


 久しぶりに呼んだ兄の名は、誰の耳に入ることなく溶けて消えた。

 そのことがちょっと寂しい。

 けど、それでいい。


「リェチ?」

「行こう、サナ。ドイルお兄様のところに」

「? うん!」


 そういって、僕はサナの手を取りドイル兄様の元に向かう。

 いつか僕等の過去を知った時、ドイルお兄様はどんな反応をするのだろうか。

 一人の人の存在を消したのに、のうのうと笑う僕等に一体何を思うのだろうか。

 怒るかもしれないし、軽蔑するかもしれない。

 ドイルお兄様に嫌われるのは悲しいけれども、それは仕方ない。

 それだけのことを僕等はしたから。

 だけど、もう少しだけ。


「「ドイルお兄様―!」」


 僕はサナと一緒に、この優しく温かい人の側に居たい。


ここまでお読みいただき、ありがとうございました。

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