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第八十話

『『『『『ごはんー』』』』』 

「お腹が空いているようですねぇ。食べやすいよう手に魔力を集めて差し出せば勝手に食べますよ」

「……そうですか」


 己で仕掛けておきながら恩に着せてきたセルリー様に苦いものを感じながら、俺は受け取ったフェニーチェの雛が入った箱を再度開ける。ピヨピヨピヨと口を開けながら一生懸命餌を強請る雛達は確かに可愛い。可愛いのだが、押しつけられた感が半端無いのはなぜだろうか。

 己の手に群がり、美味しそうに魔力を啄んでいる雛達を見ながらため息を零す。


 名前はどうするかな。


 凄い勢いで魔力が食べられていくのを感じながら、五匹の雛達の名前を考える。

 寮内で生き物を飼うことは禁止されていないが、生態不明の生き物はどうなのだろうか。それどころか育てていく上で、フェニーチェが魔獣だと判明したらどうする気なのか。まぁ、咎められたところでセルリー様の名を出せば問題ないかと、投げやりな気分で雛達の名前へと思考を戻す。

 さりげなく育成日記を求められているあたり、この雛達を誰かに譲渡することは不可能だ。そもそも餌が魔力という時点で人にあげるには気が引ける。さらに言えばセルリー様が『結構な量』というほど魔力を喰う生き物を人に任せる訳にいかない。


 それなりの時間「本当によく喰うな」と思いながら魔力を貪る雛達を眺めていると、満足したのか一匹また一匹と掌から離れていく。

 お腹が満たされたのか、大人しくなった雛達の姿に俺は箱から手を抜いた。そして箱を閉じようと蓋を持って中を覗きこんだ瞬間、箱の中の毛玉達が一斉に俺を見上げる。

 じっ、と俺を見上げる五対のつぶらな瞳が輝きを増す光景に嫌な予感を感じた俺は、急ぎ蓋をかぶせようとしたのだが、蓋が閉まりきる寸前のところで隙間から雛達が飛びだしてきた。


『『『『『ママー!』』』』』

「ママ!?」

「ドイル様!?」



 ポフポフポフポフポフッと軽い衝撃を胸に感じたかと思えば、同時に聞こえてきた可愛らしい雛達の声。胸元に飛び込んできた雛達が落ちて怪我しないよう慌てて腕に抱き込んだ途端、告げられた呼称に驚いた俺は思わず叫ぶ。

 叫んだ俺に驚いたバラドが一拍遅れてあげた声を聞き、我に返った俺は「しまった!」と己の口を塞ぐも時すでに遅かった。


「――おやおや。ドイル君は動物の声を聞けるスキルを持っているのですね。それならば飼育もし易いでしょうし、適任ですねぇ」


 たった一言で、俺が動物の言葉を聞けるスキルを持っていることを察知したセルリー様は、興味深そうに俺を観察しながら愉しそうに呟いた。






「――という訳で今に至ります」


 人がまばらに残る談話室。

 寛ぎやすいよう設置された四人掛けのソファをクレアと二人で陣取るグレイ様と向かい合う形で腰かけた俺は、グレイ様に求められるまま今日の出来事を語っていた。

 セルリー様に翻弄され続けた一日を思い返し、つい遠い目になってしまうのも仕方ないだろう。


「――なるほど。それで、その毛玉達を受け取らされてきたのか」

「……ええ」

「それは、なんというか、災難だったな」


 神妙な声と表情でかけられた労いの言葉に相槌を打つ。

 思い出せば思い出すほど苦々しい感情が湧き上がる、今日一日の出来事をグレイ様に報告し終えた俺は胸中に広がる何とも言えない感情をのみこむように、目の前で湯気を立てるお茶に口を付ける。

 ちらりと前を見れば、静かに俺の話を聞いていたグレイ様も同様にお茶に手を付けていた。穏やかな笑みを浮かべお茶に口を付ける一連の動作は【王子様】の名に相応しく、大変優雅な所作であったが、その優雅な動作と表情に反し手元の茶器が耳障りなほどカチャカチャと音を立てている。

 夕食を済ませ、約束通り合流した時から平静を装っているが、話の最中チラチラと俺に視線を寄越しては必死に笑いを堪えているのがバレバレであった。


「…………手がふるえているぞ、グレイ」

「ふっ! だって、ドイルお前っ!」

「ドイル様! クレアは可愛らしくていいと思いますわ!」

「そうでございます、ドイル様! 懐くフェニーチェの雛達を御身に乗せ、愛でる姿は聖女様も裸足で逃げ出すほど麗しく! 小さな命に自由を与え接する様はあまりに優しげで、慈愛に満ちた視線に思わず雛達に嫉妬してしまいます!」

「ふっ! ははははは!」


 溜息と共に笑いに震える手を指摘すれば、俺の指摘に堪えきれず吹き出したグレイ様を皮切りに、クレアとバラドが矢継ぎ早に声をあげた。

 クレアとバラドは頭や肩、胸元と五つの毛玉を乗せている俺を必死にフォローしようしてくれる。してくれるのだが、そんなクレアとバラドの努力虚しく限界を超えたグレイ様が声をあげて笑い出すから台無しである。グレイ様は水色の毛玉を頭や肩に乗せた俺の姿が、よほどツボに嵌ったようだ。


『ママー』

『なぁに?』

『どうしたの?』

『ごはんー?』

『ママ?』


 突然上がった笑い声に反応したフェニーチェの雛達は、肩や頭、胸元や袖の中から顔を覗かせ俺を呼ぶ。餌をくれる=お母さんの図式が成立しているのか、セルリー様の研究室で魔力を与えてから俺を『ママ』と呼び、片時も離れようとしないこの雛達を一体どうすればよいというのか。

 あの後、再びセルリー様が魔力を与えようとしても雛達は見向きもしなかった。

 「満腹だからかも」という俺の希望的観測も虚しく、魔力を集めた手を差し出すセルリー様から顔を逸らし『こっちのママにするー』と言って、各自俺の体の好きな場所で寝始めた雛達に立ち尽くしたのは言うまでもない。

 ちなみにその時のセルリー様は口では「雛達はドイル君が気に入ったようですねぇ。残念です」と言いながら、その表情はとてもイイ笑顔だった。


 ダチョウの子供は実の母親よりも強い母親についていくと聞いたことがあるが、フェニーチェにも似たような習性があるのかもしれない。

 セルリー様でなく俺を選んだ為、彼らが何を基準に親を選んでいるのかは不明だが、無理に離して箱に入れようとすると鳴いて抵抗する雛達は完全に俺を親として認識している。

 セルリー様が餌を与えていた時は箱の中で大人しくしていたというのだから、今の状況には頭を抱えるばかりである。


『ママー?』


 ……何故だ。


 一体俺の何が雛達の琴線に触れたのか。何がどうして雛達は俺に引っ付いたまま離れないのか、誰か説明して欲しい。

 しかし小首を傾げて強請るように俺を見上げるつぶらな瞳には何も言えず、取りあえず『ママ、ごはんー?』と言いながら移動してきた雛の為に手に魔力を集めてやれば、他の雛達も集まり思い思いに俺の魔力を啄む。

 その光景にさらに笑いを誘われたのか、グレイ様は再び吹き出すと声を堪えるように談話室のソファに身を沈めた。


 ……他人事だと思って。


 雛達と戯れる俺を完全に面白がっているグレイ様を恨めしく思い睨めば、「わ、悪い」と全く誠意の無い謝罪が返ってくる。完全に他人事である。

 まばらに人が残っている談話室で笑い転げるのはプライドが許さないのか、必死に声を堪えようとして苦しんでいるグレイ様に冷たい視線を送り、ため息を零す。

 笑い潰れるグレイ様と本日何度目になるか分からないため息を零す俺を見比べ、クレアとバラドは先ほどから可哀想なくらいおろおろしていた。


 「お兄様!」とクレアが一生懸命兄の笑いを止めようとしているが、グレイ様の笑いはその程度の制止では収まらず、一方のバラドは流石にグレイ様に強く言えないのか俺のフォローに尽力を注いでいる。

 しかし水色の毛玉を体に張り付ける俺を誉めあぐねているらしく「隠そうとも隠しきれない慈愛に満ちたお心を雛達も感じ取っているからこそ、ドイル様を慕っているのでしょう!」とかけられる言葉が先ほどから微妙である。

 混沌とした状況で時折聞こえる可愛らしい雛達の鳴き声が、大変不釣り合いだった。


「バラド、お茶のお代わりを」

「かしこまりました!」

「クレア、グレイは放っておけ」

「ドイル様、でも……」


 しばらく復活しそうに無いグレイ様は諦め、俺はバラドにお茶のお代わりを求め、クレアに声をかける。

 グレイ様の態度には物申したいところだが、立場が逆だったら恐らく俺も似たような反応を返していた気がするので放置だ。その内勝手に復活してくるだろう。

 俺の言葉に従いお茶のお代わりを淹れ直すバラドから視線を外し、グレイ様を気にするクレアに向き直る。入学してから顔を見ることは増えたが、こうやってゆっくりクレアと話すのは久しぶりだ。これ以上この時間を無駄にするのは、好ましくない。


「いいから。それよりも学園にはもう慣れたか?」

「――はい。セレジェイラも側に居りますし、皆様よくしてくださいますわ」

「そうか。授業はどうだ?」

「まだまだ始まったばかりですから、どうとおっしゃられても……あっ! でも、今日は授業で建国史の復習をしましたわ」

「懐かしいな」

「大戦のお話の際にゼノ様達のお名前があがりましたわ。そこからドイル様のお話になりましたの。先生もドイル様のことをお褒めになられていましたわ!」

「俺の話?」

「はい! もうすぐ馬を決める授業が行われるでしょう? それでドイル様が去年お連れになったのは大変な良馬で、馬術の腕も素晴らしいのだと先生が感心されていましたわ。『シュタープとの馬術勝負は今も語り継がれている。あれは学園でも歴史に残る名勝負だった』と仰られて、授業の途中から建国史では無くお二人の馬術勝負を熱く語ってくださいましたの!」

「……あれか」


 いい思い出とは言い難いリュートとの勝負を持ち出され言葉に詰まるが、楽しそうに話すクレアを見れば頬も緩む。

 俺が褒められて嬉しかったのだと話すクレアは文句無しに可愛く、セルリー様の所為で荒んでいた心が癒されていくのを感じる。

 今までが今までだった為、なかなかクレアを呼び出せない俺に気を使ってこの場を用意してくれたグレイ様に感謝である。例えいつの間にか復活し、お茶を淹れ直しているバラドと生暖かい視線と含みある笑顔で俺とクレアを眺めていようとも。

 ニマニマと俺達を見る二人から視線を逸らし、満面の笑みで今日の出来事を語るクレアに意識を集中させる。話の続きを促せば嬉しそうに話すクレアは、間違いなく今の俺にとって一番の癒しだった。


「それで?」

「それで今年の初心者への指導役にドイル様やシュタープ様が選ばれているので是非ドイル様達に教わりに行きなさいと仰られて。皆様にドイル様はどのような方か聞かれたので、『この世で一番素敵な方です!』とお答えしましたの!」

「……そうか」


 ストレートな愛情表現をしてくれるクレアに内心で盛大に照れつつ、何でもない顔で相槌を打つ。 

 「ちょっと、素っ気なかったか?」と一瞬思ったが、クレアは俺のそんな態度に気分を害することも無く言葉を続ける。


「はい! ――――だって、白馬に乗って迎えに来てくださったドイル様は、絵本に出てくる王子様そのもので本当に素敵でしたもの」


 何処か熱の籠った声色で告げられた言葉に、心臓が跳ねた。

 色を感じさせる声色に、ドキドキしながらクレアを見つめる。あの時のことを思い出しているのか、頬を染めて俺を上目づかいで見つめるクレアの瞳が潤んでいるようにみえた。

 大切な女の子に潤んだ瞳で見上げられて、平気な男などいないだろう。俺もご多分に漏れずそんなクレアに思わず手を伸ばそうとしてーーーー、


「っ!? と、ところで、その本はどうしたんだ?」


 突き刺さった視線に慌てて手を引っ込め、話題を変えた。


「…………こちらの本ですか?」

「そう! 先ほどから気になっていたんだ」


 急に話題を変えたことで少しつまらなそうな表情を見せたクレアに、再び心臓が跳ねる。すねた表情を見せるクレアにもったいないことをしたと思う。

 しかし、殺気とまでとはいかないが鋭い視線を寄越すグレイ様を見る限り、俺は限りなく正しい選択をしたはずだ。


 ……あ、危なかった。


 無理矢理話題を変えたことで緩んだグレイ様の視線を受け止めながらそんなことを思う。

 クレアのうっとりとした声に救出後の甘い時間を思いだし、一瞬理性が飛んだ。少ないとはいえ人の目があるこの場所で、クレアを思わず抱きしめようとしてしまった。

 そしてその先も。


 無論、何よりもクレアを大切にしているグレイ様が、自身の目の前でそのようなことを許すはずも無く。向けられた視線は一瞬であったが、俺を正気に戻すくらいには本気だった。

 現に今もクレアに気づかれぬよう唇の動きだけで「触れてもいいが、手は出すなよ」と告げるグレイ様の目は全く笑っていない。

 お兄様的には仲を取り持ってくれる気はあるが、婚姻前に手を出すのは言語道断なのだろう。


「この本は、クラスの子にいただきましたの。四十五年前の大戦を元に書かれた物語で、ゼノ様とアメリア様の恋物語なども詳細に綴られているのです」

「……お爺様とお婆様の恋物語」

「もう少しで読み終わりますから、ドイル様もお読みになられますか? お父様やセルリー様も登場いたしますわ」

「そうか。ならクレアが読み終わったら、借してくれるか?」

「はい!」


 俺に釘を刺し終え、寛ぐグレイ様の姿に胸を撫で下ろしながら、クレアの話を聞く。本音を言えばお爺様とお婆様の恋物語など興味はないのだが、クレアが勧めるのならば読まない訳にはいかない。本を借りる時と返す時を口実に、また呼び出せるしな。


「――――クレア。そろそろ夜も更ける。送るから部屋に戻れ」

「お兄様。もう少しだけ……」

「いくら婚約していても、遅くまで共にいるのは外聞が悪い。お前はよくともドイルの風評を考えろ」

「…………わかりましたわ。ドイル様。直ぐに読み終えますから、待っていてくださいね」

「勿論。お休み」

「お休みなさいませ」


 本を口実に次に会う算段をつけていると、グレイ様から終わりを告げられる。

 渋るクレアを言いくるめて立ち上がらせると「お前はここで待ってろ。すぐ戻る」とだけ告げて、グレイ様はさっさと歩き出した。余韻も何もない性急な別れに、何とか就寝の挨拶を告げることに成功した俺は、名残惜しそうに振り返りながらグレイ様にエスコートされていくクレアを見送る。


 ……グレイ様をどうにか出し抜かない限り、クレアとの甘い時間は無いな。


 有無を言わせず逢瀬を終わらせ、クレアを退出させるグレイ様にそんなことを思う。

 己で触れ合う機会を用意しておきながら、いい雰囲気になると釘を刺してくるなど生殺しもいいところである。妹に対するガードが固すぎる。…………俺の婚約者なのに。


「よろしいのですか?」

「残念だが、仕方無いだろう。グレイ様の気持ちも分からなくもないからな。後二年くらい我慢する。……隙があれば別だけどな」

「いつでもお手伝いいたします!」

「機会があればな」

「はい!」


 そうして二人の姿が完全に消えた所で、バラドとそんな会話を交わしながら再び席に腰かける。

 直ぐに注がれた新しい紅茶に口を付けつつ、一度くらいは二人っきりで学内デートしてみせると決意新たに、俺はうとうとしている雛達を撫でながら大人しくグレイ様の帰りを待った。


ここまでお読みいただき、ありがとうございました。

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