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第七十五話

※4月24日に書き直しました。

 今から一年前。

 恵まれ過ぎた環境と出自、生まれ持った高い能力を持ちながら、唯一手にすることの出来なかった才能故に人としての道を大きく踏み外しかけていた俺は、幸か不幸か原因不明の病によって前世を思い出し、己のそれまでの所業を猛省した。


 同時に、己がどれだけの多くの人々に愛され生きてきたかを知り、もう一度人生をやり直したいと願った。

 その願いは国王陛下によって聞き入れられ、俺はここ王立学園高等部【エピス】にて、やり直す時間を与えられた。そして多くの人々と出会い、向き合い、共に過ごすことで周囲の人々の想いを知り、同時にこの甘く優しい世界と人々を守りたいと強く思った。


 そしてジンとの模擬戦や才能の欠如の告白。レオ先輩やブランとの出会い、リュートとの馬術勝負やグレイ様との合宿を経て迎えた、四英傑の二人の引退宣言とその陰で実行されたクレア誘拐。

 リュートの予想外の反応に戸惑ったり、ワルドやリタ、プルハとの出会いや【愛の女神様】の加護を実感。ハルバートの男との邂逅など中々濃い体験の末、俺は多くの人に助けられながら無事クレア救出を果たした。

 そして国王陛下直々に、グレイ様の側近という立場とこの国で【アギニス公爵継嗣】として生きていくよう告げられた。


 その時の心境は言葉にし難く。

 全てを背負って生きていく覚悟と共に、このマジェスタこそが俺の居場所なのだと実感した。そしてそんな俺に、追い打ちのように騎士の誓いを強請ったグレイ様に泣きたくなったのは、俺だけの秘密である。


 それが今から数ヶ月前の話。

 任命式の後、ルツェやジェフ、ソルシエ、リュート達と別れ城に残った俺を待っていたのは、任命式を派手に行う代償にグレイ様が与えられた大量の雑務の処理と、お爺様とセルリー様の引退に伴う諸々の式典達だった。

 式典や行事中は婚約者として張り切るクレアに連れ回され、何も無い日はグレイ様と書類に追われ、休憩時間にはジンから手合せを強請られるという中々ハードな日々だった。王家主催の華やかな社交界なども何度か開かれていたはずだが、曖昧な記憶しかない。


 あれほど多くの式典や催事に参加したというのに、側近としての初仕事とお爺様達との記憶が濃すぎて他の印象が薄く、貴族や王城の者達に顔を売るいい機会だったというのに生かしきれなかったことが悔やまれる。

 書類仕事に俺とグレイ様が忙殺されている最中、戦力外を言い渡され周りをウロウロするジンに苛立ち、息抜きと称して鍛錬場で八つ当たりしたら逆に喜ばれ脱力するという暇があったのだから、もっと当主達や王城の者達と顔つなぎや根回しに力を入れておけばよかったと深く反省している。

 将来の事もあるし、今後はチャンスを逃さぬよう貴族や騎士、魔術師などなど多方面へ恩を売り、顔つなぎを積極的にしていく予定だ。


 そんな感じで王城での日々に関して反省点は多々あるものの、なんだかんだとグレイ様達と毎日を過ごしている間に無事引き継ぎも終わり、お爺様とセリルー様の引退騒ぎは収束していき、城内が平穏を取り戻しつつあるのを確認した後、俺達は再び学園へと戻ったのだった。


 そして、再び巡ってきた春。

 今年の入学式は昨年と違い、何の問題も無く粛々と行われ、クレアも無事入学した。

 そして俺とグレイ様とジンは戦士科、バラド、ルツェ、ソルシエとジェフは魔法科へと別れ、新たな学園生活が始まった。







 高等部の一角にある、戦士科専用の鍛錬場の一つ。

 新たに二年生へと進級し戦士科を選んだ生徒達に囲まれながら、ダス先生立会いの下、四角く張られたロープの中で木剣を持ったワルドと対峙する。

 好戦的な笑みを浮かべ俺を見つめるワルドに俺も笑みを返し、体の横に木刀を構えて柄を握り直す。そんな俺にワルドも笑みを深めながら、木剣を体の前で構えた。


「――――始め!」


 すっかり準備が整った俺達を交互に眺めたダス先生は、スッと後ろに下がりロープの外へ出ると、上げていた手を振り下ろす。

 そんなダス先生の合図と共に、俺が間合いを詰めて木刀を抜刀するのと、ワルドが飛び出し木剣を振り下ろすのは、ほぼ同時だった。


 カァン!


 振り下ろされた木剣を、抜刀した勢いを乗せて振り上げた木刀で受け止める。剣を間に睨み合いながら、ギチギチと腕に伝わる重さに負けぬようグッと己の腕に力を籠め、力づくでワルドの木剣を弾く。


「うぉっ」


 下から、しかも己の木剣よりも細い木刀で押し返されたワルドは、小さく声を上げながら驚きの表情を浮かべ、後ろに数歩下がりながらよろめく。態勢を崩したワルドに態勢を整える暇など与えず、今度はこちらが上から木刀を振り下ろす。


 カンッ!


 態勢を崩していたものの、俺を木刀を木剣で受け止めたワルドと睨み合う。先ほどは逆転した態勢でギリギリと互いの武器を合わせた後、俺は先ほどのように押し合うこと無く飛退き、間合いを空ける。

 その間に態勢を立て直したワルドは、俺が攻めずに引いたことで僅かに表情を歪めながらも、かといって俺の次の攻撃を待つことなく、むしろ勢いを増して俺に向かってくる。


 憂さ晴らしでもするかのようにカンカンカンッ、と絶え間無く繰り出されるワルドの木剣を受けながら期を窺う。

 そうやってしばらくの間打ち合いを続け、不意にワルドの木剣が僅かに大振りになったその瞬間、俺は振り下ろされる木剣の軌道に合わせるように木刀の剣先を添え、木剣を木刀の背で滑らせ流す。

 そして木と木が擦れあう音を聞きながら、ワルドの横をすり抜け、木剣をいなされ空振ったことで前のめりになったワルドの首筋に背後から木刀を振り下ろした。


「そこまで!」


 木刀をワルドの首筋にぴたりと当てたところで、ダス先生の声が鍛練場内に響く。

 本日の戦士科の授業であった、魔法無し、スキル使用無し、使用武器は剣という条件で行われた模擬戦の優勝者が決まった瞬間だった。


 


 戦士科では、扱う武器によってグループ分けされる基礎訓練以外は、大体実力順で分けられ授業を受ける。内容は様々で、今回のように指定された武器で魔法・スキル使用無しの模擬戦であったり、逆に武器自由のなんでもありの模擬戦もある。

 実践となれば相手は勿論、己の武器だって選べない場合があるわけで。環境や状況によっては魔法やスキルが使えない場合もあるので、当然と言えば当然の授業形態である。己の得意分野を伸ばすことは元より、どのような状況・状態でも戦え抜けてこそというわけだ。  

 基本的に戦士科に小難しい授業は存在せず、一に鍛錬、二に鍛錬、三、四も鍛錬、五に手合せといった感じの学科である。その為、脳筋と戦馬鹿の生息率が恐ろしく高いことで有名だ。


 ちなみにそんな学科故に、戦士科で最も重視されるのは【強さ】一択である。

 流石に人道から外れるような者を慕うことはないが、基本強ければ慕われ、多少の粗は目を瞑る。何かといえば「手合せを!」という奴ばかりの為、その並々ならぬ熱意に閉口させられることも多々あるが、その代わり過去を持ち出し因縁つけてくる者もおらず、純粋な気持ちで向けられる尊敬や畏敬、憧憬や羨望といった感情はこそばゆいが、悪い気はしない。俺の過去を知っていてなお、技量を見せつける度に深まるその感情達は、強者への称賛を惜しまず、細かいことは気にしない大らかな学科柄だ。




「ありがとうございました」

「…………アリガトウゴザイマシタ」


 ダス先生の声を聞き、ワルドの首筋に当てていた木刀を退ける。

 そして対戦相手だったワルドに向き直り礼を言えば、木剣を持ったまま唖然とした表情で固まっていたワルドも、ぎこちない動きで振り返り、礼を口にする。

 放心状態のワルドを一瞥し周囲を見渡せば、俺達が対戦していた闘技場を囲むように散らばり観戦していた生徒達が「最後のアレ見えたか?」「無理無理。その前の打ち合いだって目で追うのがやっとだ」「だよなぁ」といった会話を交わしながら、俺とワルドの模擬戦の話で盛り上がっている。そして向けられる俺とワルドに対する称賛の声と健闘を称える声。鍛錬場内は最高潮に沸いていた。


 …………バラドが見ていたら、喜びそうだな。


 先ほどまでの緊張感が嘘のように騒ぐ生徒達の姿に、バラドがこの場に居ればこの状況に彼等以上の情熱を持って言葉を尽くし、俺を褒め称えてくれただろう。

 バラドがこの場に居たらどんな態度をとるかなと想像しながら、今頃魔法学科でソルシエやジェフと補助魔法を学んでいるだろう従者の姿を思い浮べる。


 魔法科は戦闘に重きを置いた攻撃魔法と、回復魔法や結界、生活魔法などの補助魔法に分けられ、バラドやソルシエ、ジェフは補助魔法、ルツェは攻撃魔法に進んだ。

 戦う術を持たぬバラドが戦士科に来ることは無く、進級すれば受ける授業は自ずと別れる。それは入学前からわかっていたことだが、ずっと側らにあった存在が居ないとのいうのは変な感じである。別に今生の別れでもなく、あと一時間もすれば戻ってくるのだが、それでも今のようなふとした瞬間に感じるこの感情は、


 ――――物足りない。

 …………………………って、んなわけないだろう、俺!


 聞こえないバラドの声に抱いた違和感の正体に考えを巡らせ、思い至ったその感情を振り切るように頭を振る。

 慣れとはなんと恐ろしいものか。ドキドキと嫌な感じで鳴りだした己の心臓を感じながら、想像以上にバラドの暴走タイムが日常の一部と化していた事実にこめかみを一筋の汗がつたう。

 バラドが側に居なくて寂しいと思うならまだしも、称賛の声が無くて物足りなく感じるなど、由々しき事態である。あの称賛を気持ち良く感じるようになったら人として色々終わりだ。


「おら! いつまでも騒いでないで集合!」

「「「「「はい!」」」」」


 バラドの暴走タイムが日常の一部になりかけていた己の感性に、多大な衝撃を受けていると鍛錬場内にサウラ先生の声が響く。興奮冷めやらぬ生徒達の注目を集める為、サウラ先生は手を叩きながら、己の元に集まるよう大きい声で生徒達に告げる。騒がしい鍛錬場でもはっきりと聞こえた声と音に、はっと我に返った俺はもう一度頭を振ることで思考を切り替えワルドに向き直る。


「俺達も行くぞ」

「…………ああ」


 サウラ先生の声と音に釣られて顔を上げた生徒達は、サウラ先生に元気な返事を返すと我先にと先生の元へ集まっていく。そんな生徒達に後れを取らぬよう、俺も頭を巡っていた恐ろしい事実に一旦蓋をしてワルドに声をかける。

 己の掌の上で木剣を滑らせ、何かを確認していたワルドは何処か夢見心地な様子であったものの、俺の声に反応し顔を上げると「負けて悔しい。でも強い相手にわくわくする」といった、相反する表情と目で俺を見つめ、どこか熱の籠った声で呟いた。

 そんなワルドにジンと似たりよったりな気配を感じつつ、声をかけたワルドと共にサウラ先生の元に向かう。その間、横から刺さるワルドの熱い視線は当然黙殺した。


 …………悪い奴では無いんだが。


 横から注がれる熱意をひしひしと感じながら、そんなことを思う。ワルド自身はとても気のいいやつであり、その剣の腕はかっているのだが、如何せん、二年に進級し同じ戦士科になってからというものジンが「是非、再戦を!」と煩い。ジンだけでも手に余るというのに、これ以上戦闘馬鹿の相手は御免こうむりたい。


 クレア救出の際、行動を共にしたことで慣れたのか、それとも元々持つワルドの気質なのかは不明だが「強い奴と戦いたい」という欲求を満たす為ならば、相手がどのような身分であっても引かず、己の希望を口にするワルドは間違いなくジンと同種の人間である。

 それでも初めのうちはリュートと仲がいい手前、俺に積極的に声をかけるのは遠慮していた。しかし、授業を通し何度も剣を交えているうちに、友人の面子よりも己の欲求が勝ったらしく、最近は遠慮なく手合せを頼んでくるようになった。


 そしてその要求は戦士科の授業中に留まらず、学内で顔を合わせる度に行われた。あまりのしつこさに、一度その場に居合わせたリュートに「いいのか」と尋ねたことがあるくらいだ。

 勿論、その時は「こんな奴と関わるな」といった類の言葉を期待してのリュートへの問いかけだったのだが、リュートから返ってきたのは「別に、好きにすればいいだろう。剣の鍛錬など俺には関係ない。…………それに、お前と関わることはそれほど悪いことではないと、今は思っている。以前、『出来損ない』とか言って悪かったな」との言葉だった。


 不意に告げられた意外過ぎるリュートの謝罪の言葉にバラドと共に驚き、間違いではないかと聞き返してしまい、リュートを怒らせてしまったのは記憶に新しい。

 非公式ながらクレア救出の件での功績が認められ、卒業後折を見て貴族位を授かることになったリュートは最近丸くなったと評判だ。その上、入学式以降セレジェイラと共にいる姿を度々見かける。グレイ様が仰るにはブルーム侯爵の反応も悪く無いそうで、上手くまとまりそうな雰囲気にほっとしている。


 …………って、今はリュートじゃなくで、ワルドだった。


 それた思考を戻しながら、この後の己の行動を考える。

 元来、戦士科に来るような奴は好戦的で戦うのが好きなジンのようなタイプが多い。その為、授業後こうやって再戦を申し込まれるのは初めてでなく、もはや俺の中で日常茶飯事と化している。その為、俺も彼等を上手く煙に巻く術を身に着けているのだが、最近のワルドは俺の行動を読みつつある。

 実際サウラ先生を見ながら絶えずこちらを意識するワルドは、この後の俺の動きに即座に対応できるようつま先を僅かにこちらに向け、重心を傾けているのが見て取れる。恐らく、話が終わった瞬間に俺が逃走を図ると踏んでいるのだろう。


 ――――しかし、そう易々と折れてやる気は無い。


 ワルドの集中力を見るに、俺は恐らく捕まるだろう。共に来たことが災いし、俺達の間には腕を伸ばせば触れられる距離しかない。これはワルドならば容易く撒けると思っていた俺の失策だ。

 しかし己の認識の甘さを突き付けられることなどこの学園に居ればよくあることである。才能溢れる生徒達は、同じく才能溢れる生徒達に影響され、出し抜き出し抜かれることで成長し合っているのだ。その壁を乗り越え更に成長するか、はたまた挫折し留まるかは己次第。

 捕まったならば、上手く逃げ出してみせるだけの事である。


「今日の授業はここまで! 質問とかある奴は今日の内にこいよ。わからねぇことを明日に持ち越した所でいいことなんて一つもねぇからな」

「「「「「はいっ!」」」」」


 授業終了の雰囲気が漂い始めたサウラ先生の声に、時折横から向けられる視線が熱を帯びていく。刻一刻と迫る勝負の瞬間に「捕まった後、どうやって気を逸らせるかなだな」と思案しながらも、決して剣一辺倒で無い学友との駆け引きに気分が高揚する俺は、歴とした戦士科の一員なのだろう。

 相手を出し抜いてやりたい気持ちと共に、つい口元に笑みが浮かぶ。


「んじゃ、解散!」

「「「「「ありがとうございました!」」」」」


 何度逃げられようとも向かってくる学友達は嫌いじゃない。学園の名に恥じない実力を持つ彼等と手合せして過ごすのも悪くないが、今日はレオ先輩との約束もある。残念だが、先ほど授業で手合せしたことだし、今日のところはワルドに諦めて貰おう。

 そう結論が出ると同時に聞こえた解散の声に身を翻す。と同時に腕を引かれ、強制的に足を止めさせられる。


「――――逃げんなよ。あんた、やっぱし強いな。魔王を切っただけある」

「そりゃ、どうも」


 予想していた通り、逃走を図った俺の腕を絶妙な身のこなしで掴んだワルドは、してやったりといった顔で嬉しそうに目を輝かせる。そんなワルドに何食わぬ顔でおざなりな返事を返す。


 …………これも楽しい、ってところが戦士科なんだろうな。


 楽しそうなワルドの笑みに触発されたのか、再び顔を出した好戦的な己を内に押し込めながらそんなことを思う。そして実戦であれ心理戦であれ、戦いと名がつくものに心沸き立つのは戦士科の性なのだろうか、などと考えながらどこかわくわくした気持ちで、ワルドに腕に放させる方法を考えるのだった。






「――――――ワルド殿!」

「――――――いいぜ、こい! シュピーツ!」


 好戦的な笑みを浮かべて、それぞれの剣と槍をぶつけあう二人を何とも言えない気持ちで見つめる。ガッという音と共に立ち昇る火柱とキンッと舞い散る火花をものともせず切りつける音。二人の派手な戦いぶりに、鍛錬場内の視線が集まる。


「…………単純過ぎる」

「扱い易くていい。お前だって嫌いではないだろ」

「まぁ、否定はしませんが……、」

「が?」

「…………これからが不安過ぎる」


 疑問符のつかない問いかけにそう返せば、グレイ様は俺の顔を見て楽しそうに喉を鳴らす。二人に対しさらっと辛辣な言葉を吐きながら笑顔で言葉の続きを促すグレイ様に、こういう所は昔から変わらないなと考えながら、心からの言葉を返す。以前にも似たようなことを思ったが、戦争など心理戦を含む戦いで敵将にいいように転がされないか、すこぶる不安である。


 卒業までには学園で揉まれるか? 

 それとも何か対策を立てるべきか。


 単純過ぎる彼らの将来を心配しながら楽しそうなグレイ様から視線を外し、武器を交える二人を眺める。不得手な剣、しかもスキルも魔法もなしだった授業の鬱憤を晴らすかのように生き生きと戦うジンと楽しそうに応戦するワルドを見れば自然にため息が零れる。


 解散の言葉の後、迫るワルドを俺から退けたのは意外にもジンだった。そしてワルドそっちのけで、模擬戦の健闘を称え手合せをして欲しいと言い募ってきたのだ。しかし、そうなると当然ワルドが不満を口にするわけで。

 俺を挟み始められた二人の口論は、段々ヒートアップしていった。そして俺の意見などそっちのけで、どちらが手合せするのか延々言い合う二人に「力ずくで沈めてやろうか」と俺が思い始めた頃。二人の口論はグレイ様によって終止符が打たれた。

 穏やかな笑みを浮かべながら突然割って入ったグレイ様は、その表情に見合う優しげな声で「ひとまず、お前達が戦って、勝った方がドイルに再戦を申し込むというのでどうだ?」と仰った。

 すると、戦馬鹿二人はグレイ様の言葉にぴたりと口論を止め、顔を見合わせた次の瞬間、好戦的な笑みを浮かべそれぞれの武器をもって走り出した。

 そして、今に至る。


 高めに作られているはずの天井に届きそうな魔法やスキルの応酬。今期の生徒達の中でも上から数えた方が早い二人の、何でもありの手合せはある意味壮観である。鍛錬を目的に作られた場所なので、物を壊す心配が無いのが不幸中の幸いだろう。このままでは建物自体を吹っ飛ばしそうな勢いではあるが。


 …………このまま放っておくのは不味いよな。


 全力を出し合える相手だからこそ、盛り上がる気持ちは分かる。俺だって全力で戦いたいと思うからな。しかし、学園の建物を吹っ飛ばすのは色々不味い。

 小さくため息を吐きながら、強者を前に「待て」が出来ない二人の戦いの所為で鍛錬場が炎上しないよう鍛錬場内に薄らと、しかしジンの炎に溶かされない程度の強度で氷の膜を張ってやる。それにともない壁に預けていた背中に、ひんやりした感覚が広がる。

 結界とは違うので、どれ程の効果が望めるかは分からないが、取りえず建物が全壊するような事態は避けられるだろう。


「優しいじゃないか」

「ジンの父親には、お爺様もお世話になったので。それに二人を嗾けたのはグレイ様ですし?」

「悪いな」

「はいはい」


 二人が戦う原因を作った張本人だというのに、からかうような口調で俺の行動を揶揄するグレイ様にそう言ってやれば、悪びれない表情と声の謝罪が返ってきた。その微塵も悪いと思っていない様子のグレイ様の様子に、今日は機嫌がいいなと思いながら俺もおざなりに返事を返す。

 次いで防護もれが無いか鍛錬場内を目視する。そして天井や壁などが一通り氷で覆われていることを確認した俺は、ついでに目に入った時計に目を止めた。


 そろそろ行くか。


 時計を見れば、レオ先輩との約束の時間が迫っていた。

 今日は近いうちに行われる一年生の馬の捕獲の手伝いを頼まれたので、「初心者達の安全確保」の為、同じ場所を担当する薬学科の生徒と打ち合わせがある。「当日、円滑に行動できるよう顔合わせしておきたい」という名目の元行われる打ち合わせは、俺の将来の人脈作りも兼ねているので時間に遅れるわけにはいかないのだ。

 折角渋るレオ先輩を説得して王城の薬師志望と研究連志望の生徒、その中でも一際優秀な生徒達を俺と同じ配置にして貰ったのだ。遅刻して無駄にするわけにはいかない。

 ヘングスト先生はそんなつもりで俺に初心者への馬術指導を頼んだわけでは無いだろうが、伝手は色々な場所にあったほうがいい。薬学科と関われる折角の機会だ、一年生の人脈作りを兼ねた場だが、手伝いながら人脈を広げるくらいは許されるはずだ。

 そろそろこの騒ぎを聞きつけた戦士科の先生方もいらっしゃる頃だし、この場はグレイ様に任せて俺は一足先にお暇させて貰おう。


「取りあえず、先ほどはありがとうございました。グレイ様」

「気にするな。レオパルド先輩と約束しているのだろう? あれは俺が見といてやるからもう行っていいぞ」

「ええ。後のことは任せても?」

「一つ、貸しだ。よさそうなら後で紹介してくれ」

「勿論」


 暇を乞う前に助け船を出してくれた礼を述べれば、俺の予定を把握していたらしいグレイ様に退出を勧められる。俺の用事も知っているらしい幼馴染は、二つ返事でこの場を請負うと悪い笑みを見せる。そんなグレイ様に同様の笑みを返し、俺は壁に寄りかかっていた身を起こした。


「――――ああ。夕食を終えたら談話室にこいよ。クレアと待っている」

「わかった」


 そして足を踏み出せば、グレイ様から約束というには一方的な言葉を投げかけられる。壁に背を預けたまま「断らないだろう?」と言外に滲ませた視線を寄越すグレイ様に、苦笑いが浮かぶ。


 相変わらず周到なことで。


 誰に聞いたのかは分からないが、完璧に俺の本日の予定を把握しているらしいグレイ様に肩をすくめながら了承の返事を返した俺は、今度こそ薬学科に向けて歩きだした。


ここまでお読みいただき、ありがとうございました。


予約投稿し忘れていた為、少々遅くなってしまい申し訳ございませんでした。

今日から二年生編スタートですので、これからもどうぞよろしくお願いいたします。

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