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第七十四話 エスト・フォン・マジェスタ

 歴代の王達が使ってきた私室から、灯りがともる王都の家々を見下ろす。

 眼前に広がるのは『最後の一時まで、マジェスタと共に』と誓い、城の最上階に私室を作った初代マジェスタ国王が最も好んだ景色。多くの灯りと煙が立ちゆく家々は美しく、民達の営みを強く感じさせるその光景はいつみても目尻が下がる。


 マジェスタ王家が何代にも渡り、守り繁栄させてきたこの国や、住まう民達は文字通り我が宝である。国を負う責は重く、その重さに逃げ出したくなるもあった。しかしそんな時、必ず我の傍らで支えてくれる者達が居た。

 マジェスタには我が想うように、この国を愛し想ってくれる臣下が大勢おり、彼等と共に国に尽くし生きてきた我が人生に、悔いはない。恐らく、これからも。


 …………彼の人生もそうであって欲しいものだな。


 本日の昼間。謁見の間で行われた彼の任命式を思い出し、感慨に耽る。そして、齢十五にしてマジェスタに生涯尽くすと誓ったドイル・フォン・アギニスの、これからの人生を想った。






『もう、いいだろう』

『グレイ殿下』

『俺は待った。だからいい加減その剣を俺に捧げろ、ドイル!』


 そう言い放つグレイの表情は見えなかった。しかし、その声だけで息子がとても喜んでいるのが感じられる。

 大切な幼馴染と妹の為に我に頭を下げて頼みこみ、昨日の今日でこれだけの人間を集めたグレイにとって、彼が告げた言葉が望外の喜びだったことは想像に容易い。この場を用意する為に奔走し徹夜した疲れも、吹き飛んだだろう。表情こそ見えないが、歓喜に沸くグレイの心が我には手に取るように分かった。


 喜びはしゃぐ姿を見守れば、グレイは気分が高揚しているのか、親愛の籠った声とは裏腹に、傲慢な物言いで忠誠を強請っていた。

 そんな息子に対し、先刻まで我と対峙していた彼は黙って帯刀していた刀を抜くと、恭しく己の刀をグレイに捧げ、笑う。


『捧げます。地位も名誉も力も、私が持つ全てを貴方に。――――――代わりに、貴方の背を預かる栄誉をいただけますか、グレイ王太子殿下』

『っ与える! その代り、生涯尽せよドイル。逃げることも道を誤ることも許さない。その生涯をマジェスタの名に捧げろ。――――――お前が辛い時は、俺もクレアも側に居る。頼むから二度と一人で悩むなドイル』

『承知いたしました』


 歓声や称賛の声が響く中、そう誓い笑い合う息子と彼の姿に胸を撫で下ろす。長い間すれ違い続けた歯車が、ようやく噛みあった。


 そんな息子達の微笑ましい姿にちらりと背後に視線を動かせば、我と同様に彼等を優しく見つめるアランの姿がある。決して王を頼ることなく隣に立ち続けた英雄は、今も我の親友としてこの背を守ってくれている。そして、我はそんなアランに支えられここまでやってきた。


 我が父も、祖父もマジェスタと共に生き、その生涯を捧げ死んでいった。我も、同様の人生を歩むだろう。そして息子のグレイも先人達と同様に、この国と共に生きて死にゆくだろう。

 アランの息子と共に。




『はい! 私がこの身をもって【槍の勇者】の名さえ霞むほどの功績を捧げ、『マジェスタにアギニスあり』と世界に言わせてみせましょう!』


 息子の未来を想えば、時同じくして母親譲りの紫色の瞳で真っ直ぐに我を見返し、そう言い切った彼の姿を思い出す。自信と決意に満ちた瞳で挑発的にアランを見上げる姿は、ぞくりとするほど美しかった。


 …………竜の子は竜だった、ということだな。


 昼間見た彼の姿と以前献呈されたマーナガルムを思い出し、そんなことを思う。

 『竜がトカゲを生んだ』などと言って彼を嘲笑っていた者達も、もはやそのようなことは言えまい。齢十五にしてマーナガルムを単独で討伐し、非公式ではあるが他国の魔の手から王女と侯爵令嬢を秘密裏に救ってみせた彼は、確かに英雄達の子孫であり、将来この国の守護者を名乗るに相応しい若き猛将であった。


 ――――――――本当に、よかった。


 今から一年前のあの時。償いを願った彼に許しを与えた己を褒めてやりたい。

 あの時は、まさか彼がここまでの資質を見せつけるとは思いもしなかったが、あの若き猛将を失わずに済んだことはこの国にとっても、王家にとっても僥倖だったと心から思う。

 クレアの救出に関し、彼は橋をつくり学外に出たと聞いている。恐らく、教えたのはセルリーだろう。どんな出会いだったのかは知らぬが、セルリーはいたく彼を気に入っておる。それが幸か不幸かは我に分からぬが、今はよい。そんなことよりも今重要なのは、彼があの橋を『一人で造った』という事実。

 グレイは簡単に口にしていたが、あの橋を作るには最低でも王国魔術師団の隊長クラスの魔力量が必要だ。それをあの歳で軽々とこなし、クレア達を最善の方法で救出し連れ帰った彼は、一体どれだけの魔力をその身に秘めているというのか。


 ――――末恐ろしい。が、味方であればこれほど心強い者もいまい。


 グレイを守ることは当然であり、それが己の望みだという言葉に嘘偽りは感じなかった。その言葉がどれだけ、我の心を安堵させたか彼は知らぬだろう。

 恨まれても仕方のない仕打ちを彼にした。あれほどの才を持ちながら、持ち腐らせるしかなかったのは、周囲に居た我々大人の所為である。

 【槍の勇者】の名は、政治的にも利用価値が高い。その名を望むあまり、あれほど絶対的な強さを持つ存在を失うところだったことに、一体どれだけの者が気付いているだろうか。


 ――彼はいつか、その言葉通り英雄達を越え、世界中にその名を轟かす。


 そう、王として培った我の直感が言っている。

 アランでさえ、魔王を初めて討伐したのは十八の時である。しかも、聖女セレナやモルド、他にも数名の仲間と討伐隊を組んでの話だ。それを踏まえ、ここ一年の功績を加味して考えれば、彼は化け物の様な強さを持っている気がする。否、正真正銘の化け物であろう。

 未だそう囁く者がいないのは、英雄と称される祖父と両親、そして以前までの彼の所業故である。


 セルリーは気が付いているのだろうがな。


 広い王城の敷地内。ぽっかりと更地が広がる一角を見つめながらそんなことを思う。

 彼を追いかける為に、ゼノと共にこれほどの事をやらかしたのだ。ドイル・フォン・アギニスの魔術師としての価値は言わずもがである。

 そしてジン・フォン・シュピーツを軽々下し、マーナガルムを一刀両断する剣技。条件無しで戦った場合、彼に勝てる者はこの王城に一体何人いるというのか。その比類なき能力が知れ渡るのは、時間の問題である。




「陛下、ご報告が」

「何か分かったか、アラン」

「はい」


 若き猛将の未知数な実力に思考を巡らせていると、その父親が部屋を訪れる。公衆の面前で堂々と息子に挑戦状を叩きつけられ、嬉しそうに受けて立った昼間のアランとは違い、その表情は硬い。

 あまりいい知らせを聞けそうにないその表情に、我の気分も自然と滅入る。


 マーナガルムが人為的に造られた可能性があると聞いたのは、最近の事である。学園の合宿と入れ替わりで騎士達を森に派遣した結果得たその事実は、我の胸を酷く重くさせた。

 騎士の報告では、すり鉢状の深い穴をあけその中で魔獣達を共食いさせ、強い個体を森の中に放ったのだろうと聞いた。そしてその個体達がそれぞれ群れをつくり、森の中で成長し、喰い合うことでマーナガルムが誕生したのだろうと。


 実際、森の中には常ならば滅多に見ない強さを持った個体がごろごろ居たという。あらかた討伐したらしいが、森は広く、知能の高い種が隠れて成長している可能性もある。その為これからしばらくの間、深淵の森に騎士団が常駐することが決まっている。

 一体誰が、何の為に我がマジェスタで魔王を造ろうとしたのか。何故マジェスタが舞台に選ばれてしまったのかは、分からぬ。

 しかし我の直感が、深淵の森の一件は序章に過ぎぬと言っている。


「新たに深淵の森で魔王に近い個体を発見、討伐したそうです。それに、エーデルシュタインに【オピス】が集まっているという噂は本当でした」

「真か」

「はい。確認に行かせた者達が、冒険者や私兵、商人に交じる【オピス】と思われる傭兵を見たと。それにドイルも『太陽を喰らう蛇』の彫られたハルバートを持つ傭兵と対峙したと言っていました」

「侯爵の私兵の中に紛れていたのか」

「はい。その男に関してはクレア様もセレジェイラ殿も見たと」

「………………」


 アランが持ってきた報告を聞き、静かに目を閉じる。

 【オピス】とは、古くからある傭兵団の名だ。根城を持たず、世界各国に散り活動する彼らは唯一の繋がりとして、それぞれの武器に『太陽を喰らう蛇』を彫ると聞く。大きな仕事以外は個々に行動している為、彼らの組織形態は不明。

 普段はバラバラに気の向くまま行動し、時には仲間同士で対峙したりする彼等だが、大きな仕事の際は一か所に集結し猛威を振るう。過去のいくつかの大きな戦でも彼らの暗躍はまことしやかに囁かれている。

 そんな彼らが、エーデルシュタインで多数目撃されているという。そして、今回のクレアの誘拐にも係わっているのは偶然か、それとも必然なのか。


 …………何かが、我がマジェスタで起ころうとしている。


 犯人の影さえ見えぬ謀に胸中に暗雲が広がる。

 エーデルの王が【オピス】を集めている証拠は無い。仕事の都合上たまたま【オピス】の面々が集合場所にエーデルを指定したのか、それともエーデルの人間が大仕事をさせる為に【オピス】を集めているのか。はたまた、他の国の者が罪を被せる為にエーデルを隠れ蓑にしているのか。クレアの誘拐に【オピス】の者が係わっていたというのも気にかかる。大仕事までの繋ぎに誘拐に加担したのか、命じた者と集めた者が同一人物なのか。


 …………現時点では、情報が足りんな。


「――――引き続きエーデルとオピスの情報を。それから深淵の森に常駐させている兵とは別にどの程度兵を動かせる?」

「近衛から一部隊と魔術師団から二部隊は確実に。騎士団は深淵の森の常駐に加え、セルリー様と父上が破壊した王城の修復にあたっていますので厳しいかと」

「王城の修復は後回しで構わん」

「でしたら、騎士団から二部隊ですね」

「では、それらの部隊を各国との国境と砦の巡回に手分けして向かわせてくれ。それから各国に放っている間諜達に各国の動向を随時報告させろ。兵士、冒険者、傭兵、薬や食糧、鉄鉱の流れを行き先まで細かくな」

「承知いたしました」


 少な過ぎる情報に内心で歯噛みしながら、アランにそう指示を出す。大元帥、魔術師長が共に引退を表明している今、マジェスタ全軍の指揮権は近衛隊長であるアランにある。今のうちに動かしてしまえば、会議などで時間を浪費せずに済む。

 ゼノやセルリーがそこまで考えていたとは流石に思わんが、早急に事の解明をしたい今、都合がいい。頭の固い連中から横やりが入る前に、我々も混乱に乗じて反撃の準備をさせて貰う。


 そう易々と、我の宝を踏み荒らさせてたまるか。


 きらきらと輝く家々とそこから優しく揺蕩う煙が織りなす絶景を見つめながら、そう強く決意し、未だ影さえ見えぬ敵を見据える。

 今回、民に被害が及ぶ前に深淵の森の異変に気が付けたのは不幸中の幸いであった。

 あの時期に合宿が行われたことも、数多く居た生徒達の中、魔王と遭遇したのが息子達であったことも、共に居たアランの息子が我々の想像を遥かに超えた実力を有していたことも、全てが幸運だったとしか言いようが無い。

 どれか一つでも違っていたらどれほどの被害が出ていたか、考えるだけでゾッとする。


「…………戦になると思うか、エスト」


 退出間際、振り返りそう尋ねたアランをガラス越しに見つめる。真っ直ぐに我を見つめる瞳は、昼間見た紫色の瞳同様、いやそれ以上に強い意志を感じさせる。

 守るべき子を持つ親故の、絶対に守り抜くという強い決意を秘めた瞳。その見慣れた碧の瞳を受け止め、我と同じ気持ちでいるらしい長年の親友をガラス越しに見返す。

 父上やゼノ、セルリー達が時にその手を血に染め、守ってきてくれたように、次代が育ちつつある今、今度は我々が国を、子供らを守り育む番である。

 我々を信じて、マジェスタを託してくれた先人達の為にも。


「させん。――――その為にも、頼んだぞアラン」

「任せろ」


 決して、この国を戦火になど焼かせはしない。

 王として、親として、そしてマジェスタに守り育てられてきた者の一人として、その決意をはっきりと告げる。そんな我に力強く答えたアランは、今度こそ我の命を実行に移すべく、部屋から出て行った。

 音も無く出て行ったアランの背をガラス越しに見送った我は、再び眼下に広がる絶景を眺め、その奥にぽつんと存在する一際大きな灯りを一人眺める。


 王立学園高等部【エピス】。

 今から二十年以上も前、我はあの場所で過ごし王妃やアラン、モルド達と出会った。

 たった三年。されどあの場所で過ごした日々は色褪せることなく今もこの胸にあり、出会った人々は立場や場所を変え、我を支え助けてくれる。


 グレイもあの場所で、生涯忘れぬ日々を過ごすのだろう。


 数多の能力を有する子供らが集う【エピス】は、教師も生徒達も癖のある者ばかりだ。その中でも一際高い能力と育った環境故に、息子達が学園生活を普通に楽しむのは難しいかもしれない。

 しかし息子の側にはアランの息子やシュピーツの息子が居る。あと数ヶ月もすれば、クレアもそこに加わり、息子達の学園生活をさらに華やかなものにしてくれるだろう。


 今はまだ。

 大人に守られ、ゆるりと成長すればよいぞ、子供らよ。


 王都から離れた場所にある【エピス】の灯りを眺めながらそんなこと思い、そっと目を閉じる。そして、我は我の出来ることをする為に、身を翻し部屋を後にした。



ここまでお読みいただき、ありがとうございました。

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