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第七十一話

 言葉にし難い感覚に身を任せ、しばらく森の中を進めば、何かを感じ取ったブランが不意に足音を潜める。そんなブランの姿に【気配察知】を使い周囲を探れば、大小多くの気配を感じる中、同じくらいの大きさの生き物が二十ほど固まっている場所を見つけ、何を考えるでもなくそちらに向かう。

 そうして見つけた光景は、確かに【愛の女神】の思し召しだった。




 ブランから降り後ろに下がるよう命じた後、他の場所よりも低いその拓けた場所を、木々の隙間から窺うように観察すれば、人目を避けるように灯された松明と微かに感じる調理された食物の香り。

 そして、盗賊のような服装に身を包んだ明らかに素人では無い男達と、盗賊の野営には場違いな小さめの綺麗なテントが一つ。そのテントの側には四人の男が、主の部屋を守る騎士のように立っており、毅然とした彼等の姿勢や表情が、本来の男達の身分が、その身を包む服装から連想される職業からかけ離れたものであることを示していた。


「――――見つけた」

「………………嘘だろう?」


 遠くに見える野営をしている集団に、同様に馬から降りて横に並んだリュートが俺の気持ちを代弁するかのように呟く。疑問も持たず感覚に従った俺が言うのもなんだが、この広い国境付近の森の中、高等部の教師達でさえ尾を掴めなかった集団をこれほど短時間に、ピンポイントで探し当てられるなど、確かに信じがたい光景である。

 『愛の力』とやらで、離れていても相手の居場所が分かるなど胡散臭いとずっと思っていたが、先ほど体感した不思議な感覚と現在木々の隙間から覗く景色に、帰ったら【愛の女神】に祈りにいくのもやぶさかではないな、と一人思う。


「私でも生き物の気配が多いこの場所では、発見するのにかなりの時間を要したかと存じます。それを迷わず短時間で発見されるなど、正に運命ですね、ドイル様!」

「クレア王女様は【愛の女神】の加護を受けていらっしゃいますから、ドイル様も加護の一端を受けられているのでしょう」

「ドイル様、クレア姫大好きですもんね!」

「『愛の力』ですね」


 ふわりと感じた風の精霊の気配に振り返れば、バラド達がそう言いながら近づいてくる。バラドが下にいる連中に見つからないよう、何かしらのスキルを使ったらしく、小さい声で「これで大丈夫です」と呟いたので、礼を述べて観察に戻る。

 バラド達の言い分は確かに俺もちらりと思ったが、間違っても肯定はしない。グレイ様に筒抜けになるからな。

 口々に告げられるバラド達の言葉にリュート達から視線が集まったのを感じるが、それらは一切無視して、俺は考えていた作戦を口にする。


「皆、聞いてくれ」


 俺がそう告げると同時に、軽口を叩いていた空気は一瞬で霧散する。一瞬で引き締まった雰囲気をピリピリと肌に感じながら彼等を見渡せば、戦いの準備を済ませた八対の瞳が俺を真っ直ぐに見ていた。


「ここからは二つに分かれて行動する。ジェフとソルシエ、リタとプラハとワルドには陽動を頼む。実際に交戦する必要は無い。なるべく派手な魔法や攻撃で彼らの気を引いて、引きつけたら直ぐに撤退してくれ。引きつけるのは数十秒でいい。バラドとルツェはジェフ達のサポートだ。誰かを犠牲にする気は無いから、くれぐれも頼んだぞ、バラド。お前が居れば、安全に撤退出来るはずだ」

「っ! …………かしこまりました。それでドイル様は一体どうなされるおつもりですか」


 作戦を口にする中、バラドが表情を変えたのが分かったので、異議を言わせぬよう先手を打つ。別行動の言葉に露骨に難色を示したバラドだったが、俺の意図も理解しているらしく、最後まで聞くと一瞬表情を歪め、次の瞬間にはグッと堪えるように目を閉じ、了承の言葉と共に俺にそう尋ねた。


「俺はリュートと崖の上の方に行く。本気で奴らと交戦したりしないから安心しろ。上から一気に駆け下りて、クレア達を回収したら撤退だ。――――仮にもシュタープ家の御曹司だ。いけるよな?」


 バラドの忠誠心を痛いほど知っていながら、それでも「来るな」と告げる俺は酷い主人なのかもしれないと思いながら、バラドの気休めになることを祈ってそう答える。そして、リュートと向き合った。


「当然だ」

「では、出発だ。時機はお前達に任せる。クレア達が思わずテントから飛び出してくるような、派手なのを頼むぞ」


 俺の言葉にちらりと崖を見て「馬鹿にするな」と答えたリュートに、問題無いと判断した俺は改めて皆に向き直り、そう締めくくる。

 俺の言葉に力強く頷いた彼らに頷き返し、待機させていたブランを呼び寄せ跨れば、リュートも同じように己の馬を呼び寄せていた。


「――――ご武運をお祈りしております。ドイル様」

「ああ。お前達もな」

「はい」


 ブランに跨った俺の元に来て、しっかりと腰を折ったバラドに倣うように、ルツェとジェフとソルシエも頭を下げる。ここまで来てくれただけでも十分だというのに、この身の案じる言葉を口にする彼らに、何とも言えない気分になった。彼らのそんな姿に、何か声をかけてやりたかったが、バラド達の表情はそんなものは望んでいない。

 だから、俺は余計なことを言うのは止めた。彼らの気持ちに応えるなら言葉で無く、クレアと共に無事な姿を見せることだと思ったからだ。


 また、あとでな。 


 そう、心の中でバラド達に告げながら、真っ直ぐ俺を見る部下達の視線に笑みを返し、俺はリュートと共にその場を後にした。






 誘拐犯が野営しているのは、10メートル程度の高さの崖を背後に持つ、拓けた場所だった。最も高い場所から岩肌は徐々に低くなり、羽を広げるように拓けた土地を囲んでいる。平地の先は木々が生い茂っており、崖側から平地に向けて尻すぼまりなっている卵型の土地は、周囲を警戒しなければならない彼等にとって大変都合がいい地形である。

 その土地の中心部より崖寄りに、クレアとセレジェイラが居るテントが置かれており、崖が低くなるにつれて兵が多くなるよう配置されていた。

 敵の数は総勢二十。皆、剣や弓などを装備しており、その体躯から見て十分な訓練を受けた者達であることが窺える。交代で食事をとっている様子が見受けられ、場に流れる空気は何処となく軽い。


 そのまま、気を抜いていてくれよ。


 追手が来ないと踏んでいるのか、余裕を感じさせる雰囲気を漂わせている侯爵の私兵達を見下ろしながらそんなことを思う。


「…………本当にそれで行くのか?」

「ああ。これなら、よほど当たり所が悪くても、相手は重症程度で済むからな」


 手持ち無沙汰だったので、侯爵の私兵達を観察しながらバラド達の合図を待てば、隣に並び同じように機を窺っていたリュートに問いかけられる。

 不安とは違う、複雑そうな表情を浮かべ俺の武器を見るリュートに、そう答えながら手に持った槍を振って見せる。

 俺の動きに合わせビュッと風を切った槍は、エスパーダとは違った感覚で手に馴染んでいた。


 こんな形で役立つとはな。


 そんなことを思いながら、前世を思い出す直前まで使っていた己の槍を見て、笑う。

 約一年ぶりに握った槍に違和感は無い。むしろ握っていると落ち着いた気分になるこの感覚は、俺がこの武器を握り、過ごした日々の長さを確かに感じさせた。

 幼い俺なりに人生を賭けて振り続けた槍は、結局、一般兵より上手い程度にしかならなった。

 しかし、人を殺めず、蹴散らしたいだけの今。

 その大したこと無い槍の腕前が、丁度いい。


 …………クレアの救出に役立つなら、俺が費やした時間も無駄ではなかったかもな。


 高等部に入学するまでの日々を思い出し、そんな風に思う。

 そうせざるをえなかったとはいえ、可能性の無い槍に固執し鍛錬を積み続けるなど、我ながら無意味な十年間を過ごしたと思っていた。

 しかし、その無駄に槍に費やした日々は今、この時。

 円満にクレアを救出する為にあったのだと思えば、前世を思い出す前の苦悩と葛藤の日々も、救われる気がする。


 下位の魔王とはいえ、マーナガルムを簡単に両断出来てしまうエスパーダでは、何かの拍子に簡単に人を殺めてしまう。無意識にスキルを使って『斬って』しまうかもしれない。

 しかし、何のスキルも無い槍ならばそんな心配も無い。


 万が一、エーデルの人間、しかも侯爵の私兵を殺めてしまい、そのままこの国に放置された日には重大な外交問題である。それこそ、その件を無かったことにする為に、何を要求されるか分からない。

 しかし、大した威力も無い槍を使えばその心配も無い。


 仮にも侯爵の私兵達ならば、新人騎士をギリギリ下せる程度の腕しかない俺の槍で、命を落とすことはまず無いだろう。

 何より、槍は馬上で扱うにはもってこいの武器であり、今から実行しようとしている作戦に恐ろしく適している。


 だから、もし。

 俺が槍の適性を持たず生を受けた事に、何か意味があったのなら。

 それは、きっと。

 今日こうして、クレアを助ける為だったに違いない。




「アギニスっ!」

「ああ! 始まるぞ。用意はいいか、ブラン!」

『はい!』


 無意味だった己の十年間に、初めて意味を見出したその瞬間。

 森の一部が輝き、それを見たリュートが俺を呼ぶ。その声に槍と手綱をギュッと握り直し、俺はテントを見据えた。

 勝負は一度きり。

 バラド達の陽動で、彼女達がテントから出てきた瞬間が勝負の始まりだ。




 リュートと共に、タイミングを計る。

 合図と共にパァンッ! と爆発音が響くと同時に、ズズンっ! と地面が揺れテントから離れた場所の崖がガラガラと崩れ出す。次いでドンッドンッと続けざまに打ち込まれた何かは崖にぶつかり、丁度食事中だった者達の側に転がると、バチバチバチッ! と線香花火のように光を飛ばしながら転げまわった。


「て、敵襲――――!」


 和やかな空気から一変し、騒ぎ始めたエーデルの私兵達をよそにテントの動向に気を配る。初めの爆発音はプルハの魔法、崖を崩したのはジェフのハンマー、線香花火とネズミ花火を足して割ったみたいなものは恐らくソルシエの魔道具。そして何処かから飛来する弓矢と、転がり落ちる木はリタとワルドだろう。

 彼等は、俺が指定した『派手なの』の意図をよく理解している。時折聞こえる爆発音と、地面の揺れ、不可解な物体に矢や木などの攻撃は、人々を驚き慌てさせ、不安にさせるには十分過ぎる代物だった。


「――――お待ちください! 外は危険です!」

「行くぞ! ブラン」

『お任せを!』


 男達の叫び声と共にテントから小柄な黒髪の女性が二人、男達の制止を振り切り飛び出したのが見えた。混乱に乗じて、逃げる気なのだろう。

 彼女達の姿を見た瞬間、俺はブランと共に崖を下る。

 ブランが動くと同時に、隣に居たリュートも崖に飛び込んだ。

 崖を下る最中、ガツッ、ガッ、ガガッと激しい衝撃が体を襲うが、グッと歯を食いしばり耐える。ブランは十分頑張ってくれている。この程度は俺が耐えるべきものだ。


「崖だ!」


 崖を半分ほど下り終えたところで、誰かがそう叫んだのが聞こえた。同時にテントの前に居た四人や近くに居た者達が武器を手にこちらに向かって来ているのが見えた。

 敵が集う姿に槍を握り直し、敵の配置とクレア達が居る場所、そして森に続く道を目に焼き付けながら、崖を下り終える。


「ブラン!」

『はい!』


 ズザザザザッと着地したブランを呼べば、心得ているとばかりに勢いよくクレアの元に駆け出す。そんなブランに進路を託し、俺は槍を振るう。


「敵は二騎だ! 打ち取れ!」


 武器を構え、道を阻む者達を容赦無く槍で薙ぎ倒す。

 俺のすぐ後ろをリュートが駆けているのを確認しながら突き進めば、土地の中心部でこちらを振り返るクレア達の姿が目に映る。俺の姿に足を止めた彼女の元に向かうべく、ブランに速度を上げさせれば、一目で強いと判る男が、身の丈の半分はある斧刃を持つハルバートを手に俺とクレアを遮るように踊り出た。


「先に行け!」


 ガンッ! と男が振り下ろしたハルバートの斧刃の根本を槍で受け止め、弾く。その間に、後ろに居たリュートを先に行かせる。

 リュートは一瞬、躊躇うそぶりを見せたが、学習室で交わした約束を思い出したのか、馬を止めることなく彼女の元へと駆けて行った。


 その姿を横目に、ブランを狙うように振りぬかれたハルバートの柄を狙って、槍を繰り出し受け止める。あの斧刃をまともに受ければ、俺の槍など簡単に折られるだろう。

 そう冷静に判断を下しながら、ガッと交差する互いの武器越しにアイスブルーの瞳と睨み合う。間近で見た斧刃には、太陽を喰らう蛇が彫られており、太陽の部分は透かし彫りになっていた。


「仕事なんでな! 悪いがここは通さん!」

「ブラン!」

『了解です、ご主人様!』


 侯爵の私兵というには纏う雰囲気が違う男は、そう告げると一旦飛退き、ハルバートを構え直す。そして助走をつけ、こちらに向かってきた。


「邪魔を、するな!!」


 駆け寄る男に呼応するように、俺もブランを男に向かって駆けさせる。

 そして、再び横から振り抜かれたハルバートの斧刃を地面に叩きつけるよう、その側面に槍を突きだす。


「なっ!?」


 男の驚愕の声を聞きながら透かし彫りの太陽を突き刺し、ハルバートを地面に縫い止めた槍から手を離し、俺はブランと共に駆けた。

 振り返ることなく一目散にクレアの元に向かい、俺を見つめていたクレアに向かって真っ直ぐに手を伸ばす。

 そして、




「クレア!」

「ドイル様!」


 歓喜の表情を浮かべ、一生懸命伸ばされたクレアのその手を。

 槍を手放した手でしっかりと握り締め、俺はクレアを抱き上げた。

ここまでお読みいただき、ありがとうございました。

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