第七十話 プフェ・フォン・ヘングスト
本日2話目の更新になります。
夕日が沈み一日が終わりかけた時間。本来ならば生徒達が一日の学業を終え、夕食や友人との歓談など休息を取り始める時間帯であるにも係わらず、馬小屋に現われゴソゴソと何やら準備をし始めた生徒達を最初に見つけたのは本当にたまたまだった。
「――――――俺が必ず連れ帰る」
『――ああ。任せたぞ』
それまでの会話の中でも、一際強い決意を感じるアギニスの声と信頼の滲む穏やかなグレイ殿下の声が聞こえたかと思えば、二人のその会話を最後に通信が終わった。
その後、ごそごそと準備している音がしていたが、それもつかの間。彼らはひっそりと馬の準備を終えると、周囲を警戒しながら各々の馬を連れて馬小屋を出て行った。出発間際、アギニスが振り向き、俺達のいる方に頭を下げた気がしたのは、俺の気のせいではないだろう。
「………………本当にいいんですか? アギニス達を行かせてしまって。彼等当然のように馬を連れていきましたけど、そもそもどうやって学外に出る気なんだか……」
「さぁなぁ? まぁ、何仕出かす気は知らんが、責任は俺が取るから気にすんなぁ。んなぁことより、出て行った奴を確認するぞぉ。アギニス達以外に誰が出て行ったかダス先生に報告しとかなきゃならんからなぁ」
「もう! プフェ先生は生徒に甘過ぎます! 俺は知りませんからね!?」
「可愛い生徒には旅をさせろって言うだろぉ?」
「はいはい! まったく! プフェ先生たら、いっつもそうなんですから!」
俺の言葉に声を荒げ、適当な返事を返しながらも、きちんと指示した仕事を開始した部下の背を見送った俺は、アギニス達が出て行った出入り口に足を運ぶ。
馬小屋ならではのドアというには簡易な、押しても引いても開けられる板扉の上部から外を覗けば、広大な馬牧場の中を、暗がりでも良く目立つ白馬を先頭に駆ける馬の集団が、校舎とは逆方向にある最奥の雑木林めがけて、一目散にかけていく姿が見えた。そんな馬の集団を眺めながら、アギニス達が向かったその場所に、俺の予想が外れていなかったことを確信する。
恐らくアギニス達は、雑木林の奥にある崖に向かったのだろう。あそこには緊急時、橋をかけて学外に脱出できるよう、魔力で補強された透明な二本の太い糸とその間に補助用の細い糸が三本張ってある。それだけでは渡ることは出来ないが、適した属性と充分な魔力を持つ者がいれば、糸を媒体に一夜橋が完成する仕組みだ。
アギニスだと、氷の橋かぁ。渡るのに勇気がいるなぁ。
数か月前に、息絶えた魔王と共に目にした透き通った氷を思い出し、そんなことを思う。道があると分かってはいても、崖の中を見ながら渡るのは相当な勇気が必要だ。想像するだけでもぞっとしてしまう。
アギニスについて行くのは、根性がいるぞぉ?
そう、アギニスと共に出て行った生徒達に心の中で語りかけながら、もうすぐ彼らが直面するだろう事象を思い浮べ、くっくっくっと喉を鳴らす。
アギニス自身の能力が高い分、彼の背を追う者達にはそれなりに高い能力が求められる。生半可な能力や覚悟では、彼を追うことさえままならず、下手をしたら彼の足を引っ張るだけだ。
まぁ、心配はいらんだろうけどなぁ。
いつもアギニスの側にいる者達の姿を思い出し、あの面子ならばその程度の恐怖はやすやすと乗り越えていくのだろうと思う。ちらりと見えた他の面子も同様だろう。
【雷槍の勇者】やその同世代の者達がそうであったように、【第三世代】と呼ばれる彼らの能力や精神力は俺達には想像も及ばない次元のものだ。氷の橋に怯え、足を止めるような柔な精神はしていないだろう。
途切れ途切れに聞こえた会話から察するに、アギニス達は誰かを助けに行くようだった。そして、グレイ殿下に伝えられた言葉には、絶対に助けるという強い意志が感じられた。アギニスが、あそこまで覚悟を決めているのだ。必ずや、彼らは目的を成し遂げるだろう。
生徒の自主性を重んじてやるのも、教師の役目ってなぁ。
そんなことを思いながら、すっかり小さくなった生徒達の姿を最後まで見送り、中に戻る。
甘えるように鼻先を伸ばしてくる馬達を、一頭一頭撫でてやりながら奥に向かえば、出て行った生徒を確かめ終わったのか、紙を片手に戻ってくる部下の姿が見えた。
「終ったかぁ?」
「はい。ですが……、」
「何だぁ?」
嫌に歯切れの悪い部下の声に首を傾げながら、差し出された紙を受け取る。そして、そこに連なる名前達を見て、俺は部下の態度に酷く納得した。
「一体奴らは何と戦う気なんですかね?」
「…………まぁ、アギニスとグレイ殿下が繋がってるんだぁ。生半可な相手では無いだろうなぁ。」
「ほっんとうに、行かせて良かったんですか、これ!?」
「っていってもなぁ。もう追いつけないし、何処に行ったのかも分からないんだぁ。諦めるんだなぁ。何かあったら俺が責任取るから気にすんなぁ」
「だからって、この面子は!」
バッと俺の眼前に名前を書いた紙を突き出した後、頭を抱えた部下を「まぁ、まぁ」と慰めながらもう一度紙に書かれた名前を見れば、苦笑いが浮かぶ。
アギニスを筆頭にバラド・ローブとルツェ・ヘンドラ、魔道具のソルシエ・ストレーガに、ハンマー使いのジェフ・ブルカ。さらにはアギニスに反目していたはずのリュート・シュタープに、その友人である一年きっての弓使いリタ・サハムに剣士のワルド・ゲーヌ、変わった火魔法が得意なプルハ・サーモス。
アギニスを抜いても、魔王と一戦やれそうな面子である。ここに一人でマーナガルムを倒したアギニスが加われば、確かに「どこぞの小隊と一戦交える気か!?」と叫びたくなる顔ぶれではある。
まぁ、なんとかなるわなぁ。
受け取った紙に書かれた文字からそっと目を逸らし、紙を丁寧に懐にしまう。
バラド・ローブやルツェ・ヘンドラを除けば、学園の中でも上から数えた方が早い戦闘能力を有する生徒達である。除いた二人も、実戦以外で非常に役立つ。たった九人と侮ることは出来ないその面子を聞いて「早まったかも」と微塵も思わなかったと言えば嘘になる。
ただ、彼らが行うのは破壊活動でなく人助けのようだったし、グレイ殿下も承知の上での行動だ。何とかなるだろう、とも思う。
頑張れよぉ。
発覚した面子に一抹の不安を感じる心から目を逸らし、生徒達の無事の帰還を祈る。そして、これからアギニスが行うだろう大立ち回りを想像し、俺は静かに生徒達の去った方角に向けて声援を送った。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました。