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第六十九話

 身を低くし、ブランに体を預ける形で雑木林の中を駆ける。人の手が加えられていない雑木林は自然豊かで、生い茂る草木が進路を邪魔する。普通の馬では抜けるのに苦戦しそうな雑木林ではあるが、しかしそこはブラン。鼻歌を歌いながらご機嫌な足取りで、すいすい先進んでいく。

 ちらりと後ろを見れば、リュートを先頭にバラド達も順調に後を追ってきているのが見える。以前クリス先輩にお褒めいただいたバラド達の馬は勿論、流石はリュートとその友人達といったところだろうか。それぞれ良馬を捕まえている。


『任せて下さい、ご主人様! ようやくブランの出番ですからね! このブラン、どの馬よりも早く駆け、敵を蹴散らし姫君救出に尽力を――――――!』

「お前の気持ちは嬉しいが、静かにな。興奮し過ぎだ」

『っは! 申し訳ございません、ご主人様! ついつい興奮してしまいました!』

「取りあえず落ち着け。お前の出番はもう少し後だ。頼りにしているから、へばるなよ?」

『ご主人様!』


 間に少し距離はあるものの、大した差も無くブランにきっちりついてくる面々に感心していると、少し興奮気味なブランの声が聞こえてくる。やる気に満ちた言葉と共に、パカラッパカラッと軽快な様子でさらに速度を上げた愛馬に、もう少し落ち着くよう言いつける。ついでに頼りにしていると声をかければ、さらにやる気を見せるブランは、相変わらず扱いやすくて何よりである。

 時折バラド達やリュート達を確認し、興奮するブランを宥めながらひたすら雑木林の中を進む。未だ焦燥感は尽きぬものの、ここに至るまでに散々驚き動揺した所為か酷く落ち着いた気分だった。




 リュートを説得し、リタとプルハとワルドという戦力を手に入れ馬小屋に向かった俺達は、何故か馬牧場の職員に見咎められることなく出発し、現在順調に馬牧場の敷地中を駆けている。学外へ出る道は馬牧場の奥の崖にあるので、現在そこに向かっている最中だ。


 出発間際、ルツェからグレイ様と繋がった通信機を差し出され、知らぬ間に繋がっていた二人に驚かされたのは記憶に新しく。最近できた繋がりではなさそうな二人に色々思う事はあったが、救出前にグレイ様と今後の方向性について確認ができてよかったと思うことにしている。

 二人が繋がりを持った日から今日に至るまで、ルツェからグレイ様にどれだけの情報が流れされたのかを想像すると空恐ろしい気もしたが、今気にすることではないとの判断だ。決して紙薔薇の件に関して、グレイ様が情報通だった原因を目の当たりにし、現実逃避した訳では無い。実際、出発前に連絡が取れたお蔭で、王城内の情報操作はグレイ様が請け負ってくれることとなり、後顧の憂いも無くなった。

 後はこの雑木林を抜け、セルリー様に教えていただいた道を使って学外に出るだけである。






『ご主人様! 崖が見えてきました!』

「――――ああ」


 ブランの声に意識を切り替え集中する。ザッと勢いよく雑木林から飛び出したブランは、カカカカッと綺麗なステップを踏んで直角に曲がると、崖の手前で華麗に停止した。

 そんなブランの動きに合わせて勢いを逃がした俺は、そのままブランから飛び降りる。そして崖一面にざっと目を走らせ、他の部分よりも少し地面がせりだしている場所に移動し、崖ギリギリに座り込み身を乗り出した。


『ご主人様!?』

「大丈夫だ」


 腕を伸ばし、崖の側面を撫でる様に動き出した俺にブランが心配そうに声をあげる。そんなブランに声をかけながら崖の淵を進んでいけば、ピンと腕に引っかかる感触を感じ、空いている手でロープのようなそれを握り、魔力を込める。そして俺が流した魔力に反応して、キンッと硬度を帯びたそれを指で軽く弾き固さを確認する。


「ブラン。ちょっとここに立っていてくれ」

『ここですか?』

「そうだ。動くなよ?」

『お任せください!』


 目に見えなくとも確かに感じた感触と、チンッと金属を弾いたような音を出したそれに顔を上げ、ブランを呼ぶ。俺の言葉に従い軽く嘶いたブランに、その場から動かぬよう指示して、先に進む。

 セルリー様の話ではこの崖には見えない糸が五本張ってあるらしく、今見つけたのは両端を支える太めの糸の一本だ。間に補助目的の細めの紐が中心に真っ直ぐ一本とその上を交差するように張られた二本の計三本、その奥に一本目同様太めの糸がもう一本架かっている。魔力を込めると一定時間、鉄柱のように固くなる特殊な魔法糸だ。この五本の魔法糸を土台に氷魔法で橋を架ければ、一夜城ならぬ一夜橋の完成である。この橋を渡り反対側の岸を少し走れば、国境と王都を結ぶ大通りに出られようになっている。


「ドイル様!」

「――――少し下がってろ」

「何するんですか?」

「まぁ、見てろ」


 一本目の場所に目印代わりにブランを立たせ、手早く残りの四本に魔力を込めた俺は、改めて中心の魔法糸の前に座り込み、バラド達を待つ。

 その後、そう時間を置かず雑木林から出てきたバラド達を手招きで呼び寄せ、少し後方に下がらせる。そんな俺の指示に従いつつも、疑問の声を上げたジェフに、曖昧な返事を返しながら俺は地面に手をついた。

 そしてリュート達やバラド達が見守る中、両手に魔力を集め、ここから反対側の岸まで張られた糸を土台に氷の橋を作る。ただ氷を張るだけなので難しい技術もスキルもいらない。張られた糸の魔力に沿って、糸を飲み込むように一思いに魔力を流し込めばビシビシっと音を立てて氷が五本の魔法糸を伝い広がっていくのが分かる。そして、目の前に氷の橋が形作くられていくにつれて、俺の周りの地面に霜が降り、凍り付いていく。そして瞬く間に広がっていく霜が、丁度橋の幅と同じくらいまで広がったところで、氷の橋も完成した。


「こい! ブラン」

『はい!』


 橋の仕上がりを確認した後、呼べば直ぐに駆け寄ってきた愛馬の鼻筋を撫で、素早くその背に乗る。そして鐙に足をかけ手綱を握り直した後、俺はブランに語りかけた


「ブラン。ここに氷の橋がある。所々月明かりが反射しているし分かるな? 幅は丁度霜と同じくらいはあるから心配せずに、真っ直ぐ駆けろ。出来るよな?」

『無論! 月明かりが無くとも、ご主人様の気配を感じますから心配無用です! 勿論、全く見えない橋であってもご主人様がそこに道があると仰るのなら、ブランは信じて駆けましょう!』

「ありがとう」

『はい!』


 お姫様救出にいつも以上に張り切り、やる気を見せるブランは心強い。迷わず俺を信じると言い切ったブランに笑みを返しながら、俺は手綱を取る。そして氷の橋を数歩進み、ブランの巨体が完全に橋の上に乗ったところで、背後のバラド達を振り返った。


「ここはセルリー様に教えていただいた国と学園が定めた緊急の脱出経路だ。見た目はアレだが、ちゃんと頑丈に作ったし中には王国魔術師団が架けた特殊な魔法糸が土台として中に入っている。手順も教えられた通りやったから、見ての通り問題無いから安心して渡るといい。橋の幅は大体霜の広がっている範囲と同じだから、真ん中を渡れば危険は無い。少し駆ければ舗装された道に出るから、そこから国境までは一気に行くぞ」


 そう言いながらバラド達を見渡す。氷の橋を凝視している者や忙しなく俺とブランの足元を交互に見る者、若干青ざめる者に、口元を引きつらせている者と様々だったが、そんな彼らに口を挟む隙を与えず一気に言い切る。そして、ブランの手綱を握り直し、俺はバラド達に最後の一言を告げた。


「渡れない者は置いていく! 俺を信じてついてこい!」

『はい!』


 言い終わると同時に手綱を捌き、嘶くブランに身を翻させた俺は、そのままブランの腹を蹴り氷の橋を一気に駆ける。その際俺の名を呼ぶ声が聞こえたが、振り返ったりはしなかった。


 信じてるからな!


 そう心の中で告げて、前だけを見据え、ブランと共に氷の橋を行く。

 これは一種の賭けだった。

 氷の橋に対するバラド達の戸惑いは十分理解しているが、それを問答している暇は無い。俺があいつ等にしてやれるのは、こうやって実際に先を行く姿を見せて、大丈夫だと思わせてやることくらいだ。


 俺は前世でタワーのガラスの床などを経験しているし、この橋を作ったのは自分自身なので大丈夫だという確信がある。その為、多少の恐怖心はあっても進めるが、バラド達は違う。アトラクションが無いこの世界で、谷底の見える氷の橋は唯の恐怖体験である。それは先ほど見渡した彼らの表情も物語っていた。

 しかしだからといって他に学外に出る道は無く、俺以外に橋を作れる魔力量を持つ者はいない。他の属性で作ってみてもいいが、氷魔法以外では強度が不安だ。俺が一番得意なのは氷だからな。となれば、底が見える橋というのは中々スリリングだが、ブランのように信じてここを渡ってもらうしかない。


 だから、俺は賭けることにした。彼らならついてきてくれると信じて。

 元々バラドの忠誠心は疑いようも無い。俺が行くなら必ず来ると信じている。ルツェやジェフは中々逞しい精神を持っているからこの程度の橋はものともしないだろうし、ソルシエは二人が大丈夫だと判断すれば来るだろう。

 リュート達だってそうだ。仮にも高等部で上位に名を連ねる者達だ、この程度で竦み動けなくなるようことはないはずだ。そうでなくとも、友人の為なら俺に平気で噛みついてくるような奴らだ。きっと追ってくるだろう。


 駄目かもしれないという不安に蓋をして、そう己に言い聞かせながら振り向くことなくブランを走らせる。

 長く短い時間、不安に苛まれながらも彼らを信じて橋の中ほどまで駆ければ、「お待ちください、ドイル様!」というバラドの声と共に馬が駆ける音が聞こえてきた。そして、バラドが俺を追って橋に足を踏み入れたのを皮切りに、次々と蹄が氷を蹴る音が聞こえてくる。


 背後から聞こえてくる音達に笑みを深めながら、橋を渡り終えたブランの手綱を引いて振り返れば、そこには予想通り俺を追ってくるバラドとルツェにジェフ、ソルシエの姿があり、その後ろにはリュート達の姿も見える。


 ――――来た。


 誰一人欠けること無く橋を渡ってきた彼らの姿に、弾む心のまま、笑みを浮かべた俺は、再びブランを走らせる。ガサガサと草木をかき分けて進めば、ほどなくしてお目当ての街道へ出た。一旦後ろを振り返り、バラド達が俺の姿を捉えたのを確認した俺は、彼らの到着を待つことなく再度国境に向かってブランを走らせる。

 目指すは国境。クレアの元だ。






「――――――おい。こっちで本当に合っているんだろうな、アギニス!」

「ああ。間違いない」

「国境は広いぞ!? 何を根拠にっ」

「知っている。でも、こっちで間違いない」


 途中幾度なく見かけた分かれ道を、迷うことなく駆け抜ければ、いつの間にか隣に並んでいたリュートに、押し殺した声でそう問いかけられたので、俺は自信を持って答える。

 納得できず訝しげな表情を浮かべるリュートを無視して、ブランを走らせる。枝分かれする街道を迷うことなく、何かに導かれるように。


 クレアは、必ず連れ帰る。


 救出への緊張と焦燥、久方振りの再会への喜びなど、様々な感情を感じながら、その決意を胸に刻む。リュートを説得する為に告げた言葉とはいえ、あの時の言葉に嘘偽りは一つも無い。クレアは俺の婚約者だ。エーデルの殿下になど渡さない。

 そう強く思うと同時に、バラドやルツェに促されるように花束を贈った時を思い出す。奇しくもあの時伝えた言葉が、現実になるとは誰が思おうか。こんな再会、クレアだって想像もしなかっただろう。

 俺だってクレアとの再会までは、まだ時間があると思っていたし、その時になったらなんて言おうか、なんて考えていたくらいだ。思わぬ形での再会に、動揺してないと言えば嘘になる。こんな形で望まれるほど、彼女が誰かに思われていたという事実に焦りを感じるし、未だに俺でいいのかという気持ちもある。

 しかし、俺は『待っている』と言ってくれた彼女に『迎えに行く』と約束したのだ。今果たせなければ、一生叶うことの無い約束となってしまったが、生憎俺にその約束を違える気は無い。


 ――――今、迎えに行くから。


 その決意を胸に、俺は何かに導かれるように舗装された道から外れ、森の中を進む。背後から俺を呼ぶ声も聞こえていたが無視して進めば、諦めて追ってくる気配を感じたので不思議な感覚に導かれるまま、道無き森の中を突き進む。

 リュートが言っていた通り国境は広い。誘拐犯達が正規の検問所を通る可能性は薄く、国境のどの辺りを越える気なのかは予想するか、手分けして探しまわるしかない。しかし、今の俺にはクレアが直ぐそこに居るという確信があった。


 …………クレアも、こんな感じだったのかもな。


 説明はできない。しかし確信を持ってクレアはこっちにいると感じる感覚に、そんなことを思う。

 そういえば、幼い頃の彼女はいくら撒いても気が付けば俺の側で笑っていた。そして、どうやって見つけたのかと尋ねる俺に「愛の力ですわ!」と笑うのだ。

 あの時は「そんな馬鹿な」と聞き流していたが、何かに導かれているようなこの不思議な感覚を彼女は幼い頃から感じていたのかもしれない、と今更ながらに思う。


 だとすると、これが【愛の女神】の加護ってやつか。


 遠くに見つけた光景を眺める中、ふと頭を過ったそんな考えに苦笑いを浮かべつつ、俺はブランの手綱を引いた。


ここまでお読みいただき、ありがとうございました。

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