第六十七話
周囲に人がいないことを確認しながら、廊下を速足で抜ける。そして角を曲がる前に一旦足を止め、呼吸と身なりを素早く整えた俺は貴族の居住スペースを出て共同施設のあるエリアに入り、リュートの姿を探す。
鍛錬場にはいなかったので、リュートは恐らくこの共同施設の何処かに居るはずだ。駆け回って探したい気持ちを抑え込み、食堂に一歩入り中をざっと見渡して外に出る。次いで談話室へと足を向けたが探している姿が見つからず、焦る気持ちのまま不自然でない程度に歩みを速めて移動した。
俺も急がないと。
心もち急ぎ足で他の施設を見て回りながらそんなことを思う。非難の声をあげていたが、有能なバラドのことだ。既に切り替えて、ルツェ達の元に向かっているはずだ。
あの決闘騒ぎ以来、バラドはリュートに対していい印象を持っていないので反対するのは分かっていた。
しかし、あの頭脳と馬を操る技術は必要だ。
バラドの気持ちは分からなくはないが、今は信頼できる人手が足りない。敵の規模が分からない状況なので、多少の確執があろうとも使える者は全て使わなくてはならない。優先すべきは俺達の感情よりも、クレアの救出を確実にする為の人材だ。その為なら、リュートに頭を下げて頼むくらい簡単である。貴族にとって矜持や対面は重要だが、プライドにこだわって大事なものを失っては本末転倒だからな。
【槍の勇者】の名に固執するあまり、全てを失いかけた記憶は新しい。しかし、一度誤った俺は奇跡的に許された。その僥倖を忘れる気はないし、二度も大切にしたいものを間違える気は無い。
だから、俺は目を瞑る。
俺の持つ全てを使えばリュートをセレジェイラと婚姻させることは可能である。彼女の件に関して幾ばくかの非が俺にあったことも認める。しかし、いくらクレアを悲しませたくないとはいえ、いかなる理由があろうともグレイ様を利用しようとしたことは許しがたく。一から十まで面倒を見てやる義理は無いと思っていた。しかしそう思う一方で、リュートへ貸しをつくったままでは、正道を歩んでいると胸を張って言えないのではという気持ちもあった。
罪悪感と許せない気持ちと大事な子に対する想いへの共感等、俺がリュートへ抱いている気持ちは複雑なのだ。だから様々な感情や要素を加味した上で、セレジェイラの縁談を止め、活躍の場を提供することで俺はリュートへの借りを零とする気だった。用意した場を生かすか無駄にするかはリュートに委ねようと思ったのだ。本人に希望をとった訳ではないので所詮俺の自己満足に過ぎないけどな。
しかし今回の誘拐事件が俺の予想通りならば、犯人は以前クレアに求婚した隣国の殿下とセレジェイラとの縁談が検討されている侯爵子息だ。理由は、既成事実をつくる為。大方、彼女達を攫った盗賊をたまたま捕まえて、保護したとかなんとか名目を付けてそのまま帰さないか、婚姻まで持っていく気なのだ。全て自作自演のくせして図々しい。
王女と侯爵令嬢だ。事実がどうであれ御供を連れずに外泊は不味い。噂が広まってしまったら、有りもしない醜聞を隠すために嫁ぐことになる。だからクレア達が誘拐された件は公にするわけにはいかない。
最善は奇襲の様な形で犯人達と交戦せずに、攫われたクレア達だけを連れ出すことだ。そうすれば、双方に被害を出さなければ事件自体を無かったことにできる。
それを可能にするには、ブランに乗った俺と同等の走りが出来る者が最低でももう一人は必要なのだ。ジンが居ればよかったのだが居ないものは仕方がない。あれほど、クレアを大切にしているグレイ様のことだ。いい顔はしないだろうが、セレジェイラとの婚姻を後押しすることを条件にリュートの力を借りた所で何も言わないだろう。
このままでは最悪の場合、俺はクレアかセレジェイラかを選択せねばならない。答えは決まっているが、どちらかが欠けては事件を完全になかったことにすることは出来ない。全てを望む形で収めるにはリュートの存在が必要不可欠だ。
俺一人で出来ることなど本当に少ない。守れるものは限られている。それでも多くのモノを守りたいと願うのなら、周囲の助けが必要だ。しかしだからといって、バラドやルツェ達を危険に晒すわけにはいかない。ならばそれを可能にするだけの人材を集めなくてはならない。
唯一の救いは今回の件はリュートにとっても起死回生のまたと無い機会であることだ。
今回の件で上手くクレアを救出できれば、その功績を持って念願の貴族になれる確率は高く、何より危険を冒して娘を救出にいってくれた将来有望な青年に対するブルーム侯爵の心証は計り知れない。そこに俺の後押しもあれば、それこそ身分が釣り合うだけの隣国の侯爵子息なんかよりもずっといいと普通の貴族なら考える。クレアを連れ去った国の貴族と縁を繋ぐなど、何かあった時に反逆の汚名を着せられる可能性もあるしな。
それが分からないほど、リュートは馬鹿でない。そうでなくとも、セレジェイラは俺に喧嘩を売ってでも手に入れたかった女の子だ。あれほどまでに惚れ込んでいる彼女を助けにいくのに否など言う理由が無い。きっと力を貸してくれるだろう。グレイ様もジンも居ない今、リュートの協力を得られるのは大きい。
そこまで考え終えた所で、探していた姿を見つけた俺は思考を中断させる。
談話室を出て少し歩いたところに点在している学習室の中の一室。その中でリュートは友人達に勉強を教えているようだった。部屋の中には、主だった施設から少し離れている所為かリュート達しかおらず俺にとって大変好都合な状況である。
思わぬ好条件に、取りあえず彼らに気が付かれないよう開けっ放しにしてあった学習室の扉を閉めて、ドアが開かないよう隙間を氷魔法で埋める。そして風魔法でこの部屋の音が外部に漏れないよう細工しておく。これでリュートを連れ出す際に少し揉めても大丈夫だ。
リュートが一人で無かったのは残念だが、そこまで望むのは贅沢というものだ。これで万が一リュート以外に話を聞かせる羽目になっても、彼らの返答次第では俺達が学園を出るまでの間、全員この部屋に閉じ込めておける。彼らには悪いが、優先すべきはクレア達の救出だ。
邪魔するようならその時は、と覚悟を決めて振り返る。勉強しているテーブルにそっと歩み寄れば、不意に顔をあげてこちらを見たリュートと目が合う。
そして驚き目を見開いたリュートの顔を見ながら、俺は何か言われる前にこちらから声をかけた。
「――――リュート・シュタープ。折り入って頼みがある。着いてきてくれ」
時間が惜しいので開口一番にリュートにそう告げる。俺の存在にいち早く気付いていたリュートは手を止め、無言でじっと見返していた。俺の言葉に嫌な顔をしながら、ちらりと俺の背後にある扉が閉められていることを確認したリュートに【威圧】を使いながら、いいから来いと言わんばかりに見つめ返す。
すると俺に気圧されたのか、はたまた閉じ込められていることに気付き分が悪いと判断したのか、リュートは隠すことなく舌打ちした後、同席していた者達に断りの言葉をかけ立ち上がった。彼らを巻き込まない為の行動だろう。半ば脅す形ではあるものの、素直に従ったリュートに安堵しながら俺は静かにこちらに来るのを待つ。
しかしそんな俺の態度が気に喰わなかったのか、同席した三人がムッとした表情を浮かべ一斉に俺を睨む。そしてブルーグリーンの髪を一つにまとめた気の強そうな少女がおもむろに口を開いた。
「――――アギニス公爵様が、リュートに何のご用でしょうか?」
「っリタ! やめろ」
「俺もリタの言う通りだと思うぜ? 公爵様がお前に一体何の用があるんだよ。勉強も戦闘もお出来になる公爵様が、わざわざ負かした相手に馬術を習いに、ってことはねぇだろう?」
「ワルドも余計な口を挟むな!」
「リュート! リタもワルドも貴方を心配しているのに!」
「俺の心配をする前に、お前らは課題を片付けとけ!」
彼らを巻き込まないよう気に喰わない俺の言葉に大人しく従ったと言うのに、その意を酌まずに俺に喰ってかかった彼等に、リュートは苛立ち混じりに吐き捨てる。
リュートと同席していたのは、弓使いのリタ・サハム、剣士のワルド・ゲーヌ、火属性の魔法が得意なプルハ・サーモスであった。リタとワルドは模擬戦の日、うっかり見てげんなりさせられた青春の一ページを刻んでいた二人だ。リュートを諌めたプルハという少女も確か同じ闘技場で試合を行っており、火属性それも爆発系が得意だった気がする。
…………イイ友人、持ってるじゃないか。
三人とも俺に敵意剥き出しで随分な対応である。俺にそんな口のきき方をして、唯で済むとは思っていないだろうに、それでも友人の為に噛みついてくるとは良い心意気だ。リュートにごちゃごちゃ言いながらも三人は一様にその目に心配の色を浮かべており、権力に媚びず友人を取る誠実さが見て取れる。そして何より、三人とも模擬戦では同じ闘技場だっただけあり、申し分無い戦闘能力を有している。
丁度人手が足りないことだし…………。
模擬戦や授業で見た三人の戦力を思い出し四人に隠れてニィと笑う。思わぬところでいい拾い物である。これ程の戦力を閉じ込めて行くのは勿体ない。悪い噂も聞いたこと無いし、彼らは俺がリュートを連れて行くのが不服なようだから丁度いい。そんなに不満ならば、是非ついてきていただこうじゃないか、と当初の予定を変更し三人も巻き込む算段をつける。この様子だとリュートがくればこの三人はついてくるのだろうし、折角だから一役買ってもらうのも悪くない。
未だ言い争う四人を眺めながらそう結論付けた俺は、見られては困る笑みを消して真面目な表情に切り替える。そして気配を消して四人との距離を詰めた。
「いいから大人しくしてろ!」
「お前はちょっとばかし頭がいいからって、いつそうやって一人で済まそうとするけどなぁ!」
「そうよ! 水臭いのよ!」
「リュート。私達は貴方が心配でですね……」
「――――お取込み中悪いが、こちらは急いでいるんだ。リュートを連れて行くのが不服ならば三人も一緒に聞くといい」
言い争いを遮るように身を乗り出し告げれば、四人はピタリと口論を止めた。そして苦い顔をしたリュートが口を開く前に、血気盛んらしいリタとワルドが表情を変え俺に喰ってかかる。
「っ! それはっ、私達に聞かれてもいいってことですか!?」
「勿論。お前達に聞かれた所でやましいことは何もない。リュートにとって悪い話でないからな」
「そんなに言うなら、聞かせて貰おうじゃねぇか!」
「「――待ってくれ、アギに」そうかだったら言わせて貰うが、つい先ほどクレアと侍女のセレジェイラという女性が何者かに誘拐された。俺はこれから学園を出てクレアの救出に向かう。犯人も行先もほぼ確信しているのだが、救出に向かうにあたり当然失敗は許されない。俺の仮説が正しいかを確かめる為にリュートの頭を貸して欲しくてきた」
「なっ!?」
「今から、攫われた時の状況を言うから、お前の意見を聞かせてくれ。それを踏まえた上で俺はクレアの救出に行く。できれば、お前にも着いてきて欲しい。攫われたクレア達の為にも今回の件は無かったことにしたいと思っている。その為にはお前が必要だ」
不穏な空気を感じ取ったリュートは、友人達を巻き込みたくないのか制止の声をあげるが遅い。聞かせてしまえば無関係を装うのは不可能だ。無関係な三人を危険な事に巻き込む罪悪感はあるが、形振り構っている余裕など今の俺には無い。
だから三人を巻き込む心づもりで、俺はリュートの言葉を遮り用件を告げた。止める暇を与えず一息に言い切ればその内容に、リタとワルドが顔色を変えて息を飲む。プルハに至っては白い顔で完全に固まっていた。
王女の誘拐という事態に直面し唖然とする三人を一瞥して、俺はリュートに視線を戻す。突然知らされた王女と愛する人の誘拐に顔を青くしながらも、じっと何かを思案している様子のリュートは流石だ。
「――――良く聞け。クレアは平常通り侍女と共に迎えの馬車に乗った。しかし、いつもの時間になっても王都の入り口に到着せず護衛騎士とも連絡取れなかった為、不審に思った門番が周囲を見回ったところ、王都の入り口付近で馬車が発見された。馬車の中には護衛騎士達が転がされており、クレアと侍女の姿は無かった。目を覚ました騎士の話では襲撃者は盗賊か山賊を装っていたが、剣筋は訓練を受けたことのある者達だったそうだ。ちなみに情報源は【雷槍の勇者】だ。王城内は四英傑の御二人の引退宣言で揺れているのは知っているな?――――――リュート。以上の情報でお前はどう考える?」
「…………まじかよ」
唖然としたワルドの声が学習室に響く。リタは顔色を悪くしながらも俺に何か言いたそうにしていたが、場の空気を読んだプルハに袖を引かれて大人しく椅子に座った。
大人しくしている三人をちらりと確認した後、俺はリュートに視線を戻す。口元をきゅっと引き結び真剣に考えるリュートの目は酷く真剣だった。
俺の言葉を聞いて驚き動揺したのは一瞬。次の瞬間には呼吸を整えて思考を開始したリュートは指揮官向きだと思う。
俺の話を聞いたリュートは顔色を悪くしながらも、必死に頭を回転させている。思った通り幾ら俺との間に確執があろうとも、この件を放る事は出来なかったようだ。
感情のまま俺を拒否することなく、考えを聞かせてくれる気らしいリュートに、ほっと胸を撫で下ろす。そしてリュートが結論を出すのを、俺は静かに待った。
考えに浸るリュートを眺めること数分。長いような短い時間が静まり返った学習室に流れた頃、思考を終えたリュートがおもむろに口を開く。
「…………エーデル。犯人は隣国のエーデルシュタインの者だと思う」
息遣いだけが聞こえる学習室に、リュートの声が響く。俺の目をしっかりと見ながら、はっきりとした口調で告げるリュートの言葉からは確かな自信が感じられ、言葉の節々には忌々しいといった気持ちが滲み出ていた。顔を歪め国名を告げるリュートの姿に、その気持ちには激しく同感する、と心の中で頷きながら俺はリュートに続きを促す。
「理由は?」
「保身に長けた山賊や人攫いは王家の馬車など襲わない。今回の件は綿密に用意された誘拐計画だろう。馬車は追手を割かせる為の陽動。王城に集まっている貴族達に疑惑の目を向けさせたかったから、と考える。発見場所が王都の外だったのは犯人に王都に入る為の通行証が無い。もしくは、入ると監視が付く人物。訓練された剣筋は犯人達が騎士もしくは私兵だからだ、というか恐らく侯爵家の私兵だ」
「何故侯爵の私兵と言い切れる?」
「…………………………セレジェイラに求婚した侯爵子息の家が先々月から、非公式に私兵の実地訓練と称して国境付近を動き回っていると、得意先の馬車商から聞いた。許可を与えたのはクレア王女様に求婚したエーデルの殿下だ。国境沿いの砦の視察と山賊や人攫いの摘発を謳っているがこっそり国境を越えさせたのだろう。二十もいれば護衛騎士を転がせる」
「一応聞くが、目的は?」
「………………既成事実をつくりたいんだろ。事実はどうであれ、女性が御供も連れずに男の家で外泊は致命的だ。身分の高い女性ならなおさら」
「…………やはりそれしかないよな、」
「はぁっ!?」
「ええっ!?」
俺と全く同様の考えに複雑な気分で安心したのもつかの間、彼女に近づく男の情報を収集していたらしいリュートに内心舌を巻きつつ、一応誘拐の目的も聞いておく。俺としては他の理由でも浮上してくれれば嬉しかったのだが、残念なことにこちらも同意見だった。確実性をおびた犯人とその目的を苦々しく思いながら再度リュートに声をかけようとした所で、女性陣から非難の籠った声が上がる。
「っなにそれ! 信じらんない! 女をなんだと思ってるの!?」
「そうです! 女の敵です!」
ガターン! と椅子を蹴倒して立ち上がった二人は、怒り心頭に発するといった様子で叫んだ。鬼気迫る剣幕に思わず肩が跳ねたが、他二人も同様の反応だったので気にしないでおくとして、彼女達の姿を見て勧誘に適した空気を感じとった俺はこの機を逃さぬよう神妙な顔を浮かべ、怒り狂っている女性二人に声をかける。
「――――その通りだ。そこで相談なのだが、実は救出に行くには戦力が心許なくてな。良かったら手を貸してくれないか?」
「勿論よ! 力ずくで女をどうにかしようなんて、絶対に許さないんだから!」
「そうです! 女の敵は土に還るべきです!」
「ワルドもそう思うでしょう!?」
「…………お、おお! 勿論だとも!」
「ありがとう。お前達が着いてきてくれるなら心強い。――――――それでお前はどうするリュート? と言っても、お前にとって悪い話ではない。むしろセレジェイラとの未来を考えるならまたとない機会だ」
俺の言葉に二つ返事で頷いた女性陣とそんな彼女達の勢いに押されたワルドに、心の中でにんまりと笑いながらリュートに向き直り、そう問いかける。答えは分かりきっているので、「当然行くよな?」とは聞かずリュートの返事を待つ。
しかしリュートから快諾の言葉は返ってこなかった。いつまでも返ってこない返事を不審に思いリュートを見れば、拳を握り何かを堪える様に唇を噛む姿が目に入る。
想像もしなかったリュートの反応に驚き戸惑いを覚えた俺は、リュートの名を呼んだ。
「――――リュート?」
「…………俺は、「勿論、行くわよね!」」
「行きましょう、リュート! セレジェイラちゃんを助けなくては!」
リュートは掌が白くなるほど強く握り締めながら何かを告げようとしていた。浮かべている表情と絞り出したような声に困惑しながら俺はリュートの声に耳をすませる。折角話し始めたリュートの言葉を遮ったリタに、若干苛立ちを覚えながら言葉の続きを待てば、遣り切れない表情を浮かべたリュートは再び口を開く。
「――――――――俺は、行かない」
そして告げられた拒絶の言葉は、抑揚の無い静かな声であったにも関わらずいやに響いて聞こえた。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました。