第六十六話
「――――――――お気を確かにお聞きください。つい先ほど、クレア王女様が何者かに攫われましたっ」
そんなバラドの言葉を聞いたにも係わらず、握っていた木刀を無言で握り潰す程度で動揺を抑えた俺を誰か褒めて欲しい。
バラドが発した言葉の意味が理解し難くて、一瞬思考が止まる。思考と同時に体の動きも止まったが、その拍子にへし折ってしまった木刀の片側が手から零れ落ち、掌に感じていた重さが軽くなる感覚に己の体が反射的に動いた。木刀の破片が床に落ち、音を立てる前に体が動き受け止めたことで、止まっていた思考も再開する。
急速に動き出した頭の中で、何故? どうして? いつ? 誰が? 何の為に? と多くの言葉がおどっていた。
「ドイル様っ」
目まぐるしく浮かぶ疑問の嵐に混乱しそうになった瞬間、押し殺した声で俺を呼ぶバラドの声が聞こえハッと我に返る。そして珍しく狼狽するバラドの姿を見て、俺は僅かに己を取り戻した。
落ち着け! 俺まで狼狽えたらどうしようも無くなる!
そう己に言い聞かせて、思いっきり息を吸う。それから一呼吸おいてゆっくりと、一定の量を吐き出していく。
そして肺の中の空気を全て吐き出して新鮮な空気を吸い込んだところで、バラドと視線を合わせた。
「――――――落ち着け。詳しい話は、自室で聞く。取りあえずお前はそこの荷物を持って、俺についてこい」
「――――はいっ」
乱れる感情を表すように揺れていたバラドの視線が定まるまでしばし待ち、その眼が俺を捉えたところで言い聞かせるように命じる。混乱しきっている時は、簡単な命を与えやればいい。ここから自室に戻る頃には、バラドの思考も落ち着いているだろう。
…………俺も今は冷静に判断できそうにないからな。
今話を聞いても感情的になってしまい恐らく冷静に判断できないだろうと、己の冷静な部分が判断する。グレイ様とジンを見送った時や今の状況のように、どれだけ感情が荒れていても、主人や部下が側に居ればこうやって冷静に判断を下すことが出来る己がいるのは、長年の間培った貴族としての習慣だろう。
休憩用に用意していたタオルなどを片付けるバラドの姿に、「早くしろ!」と言いたい気持ちをぐっと堪える。他人の目の多いこの場所で感情のままバラドを問い詰めたところで、悪戯に騒ぎを広めるだけだ。助けに行くにしろ、情報を集めるにしろ注目されてしまっては、動きにくくなる。
グレイ様とジンが王城に拘束され自由に動けない今、学園に居る俺が一番動き易い。今俺がすべきことは、人目につかないよう慎重かつ迅速に情報を集め、クレアの身に危険が及ぶ前に助け出す事だ。
「お待たせいたしましたっ」
「――――戻るぞ」
「はい!」
握り潰し折れてしまった木刀を人目につかないよう亜空間に片付け、バラドを連れて鍛錬場を出る。その際、余計な時間を取られないよう最近無意識に使っていた【上流貴族の気品】を意識して発動させ、声をかける隙を与えず真っ直ぐ歩く。荒れ狂う胸の内を微笑みで覆い隠して、気づかれないように周囲を威圧する。
そうすれば、そこ彼処に散らばり各々自由に過ごしていた生徒達は誰一人、口を開くこと無く道を開けていく。薄く口を開き俺に見惚れる生徒達に目を向ける事無く微笑みを浮かべ、バラドを連れて鍛錬場をあとにする。
パタンと閉まる扉の音を背中で聞きながら、俺は寮の自室を目指す。放課後ということもあり鍛錬場から寮にかけての道筋には結構な数の生徒達が居たが、鍛錬場と同様に道をあけさせて足を止めることなく歩き続ける。そしていつもよりも長い距離を歩いている気分になりながら自室に戻るまでの道中、誰が一体何の為にクレアを――――、と答えの出ない問答をひたすら繰り返した。
思考に耽る中、ドクドクドクと絶え間なく聞こえる己の心音が酷く耳障りだった。
静かな貴族専用の居住スペースの中でも、一際静かな高位貴族の部屋が連なる中の一室。職人の技が光る濃い飴色の扉をバンッ! と乱暴な仕草で開けて俺は部屋の中に入る。
「バラド!」
「本日の授業を終えたクレア様は平常通り、侍女と共に迎えの馬車に乗り込んだそうです。ですが、馬車は時間になっても王都の入り口に到着せず。護衛騎士とも連絡取れず、門番が周囲を見回った所、何故か王都の入り口付近で王家の馬車を発見。馬車の中に護衛騎士達が転がされており、クレア様と侍女の姿は無かったそうです! 目を覚ました護衛騎士の話では相手は盗賊か山賊を装っておりましたが、剣筋は訓練を受けたことのある者達だったとか」
「確かか?」
「アラン様からお聞きした情報ですので確かでございます!」
「わかった」
部屋に入るなり情報を求めた俺にバラドは簡潔に状況を告げる。ここに来るまでの間に落ち着くことが出来たのだろう。バラドの報告は簡潔にまとめられていた。
情報の出所が父上というのは意外だったが、情報収集を頼んだバラドは恐らくモルドと連絡を取っていたはずなのであり得ない話では無い。あちらから連絡貰っては異変に勘づく者達もいたかもしれないので、たまたまバラドがモルドと連絡を取っていたのは運が良かった。
陛下の近衛騎士である父上からとなると、今分かっている情報はバラドが告げたものが全てだと思っていいだろう。
腕を組み、与えられた情報から考えることが出来る可能性を思い浮かべていく。
授業が終わっておおよそ三時間。中等部は高等部と王都の大体中間にある。王都の入り口に馬車が乗り捨てられていたと言っていたが、恐らく襲われたのは中等部を出てすぐと思った方がいいだろう。
誘拐の目的は大きく分けて二つ。中枢の混乱に乗じて王家を強請りたい者か、クレア自身に用がある場合だろう。その他の可能性も無い訳では無いが、唯の山賊や人攫いが王家の家紋が大きく入った馬車を襲う可能性は限りなく低い。ああいった連中は保身には長けているので無謀な仕事はしないからな。
――――事故や思いつきの可能性は低い、か?
与えられた少ない情報からそんな仮説を立てる。
四英傑の引退に乗じた内部犯という説も考えられるが、それだったら馬車は王都内に隠せばいい。王都内には馬車は腐るほどあるのだ。納品用の馬車を装い全体を布で覆うなりして王家の家紋さえ隠してしまえば、そう簡単には見つかるまい。ことの発覚が遅れた方がクレアを隠すなり、己のアリバイをつくりやすいだろう。
それなのに犯人がわざわざ見つかりやすい王都の入り口まで馬車を持って行ったのは、あえて馬車を発見させ今王城に集まっている貴族達に疑惑の目を向けさせたかったから、と考える方が自然だろう。それならばわざわざ見つかりやすい場所に放置した理由もわかる。しかしそれならば、王都の外では無く、王都内で馬車が発見された方が罪を被せやすい。
しかし馬車が発見されたのは王都の外だったのは、一体何故か。
…………犯人は王都に入れなかった?
己の仮説に心の中で頷く。犯人は王都に入る通行証が無い。もしくは、入ると隠密が出来なくなる人物と考えると、しっくりくる。
クレアの馬車のように学生の送り迎えの馬車は簡単な審査で門をほぼ素通りできるが、それは入学前に各家の御者が門番と顔合わせをしているからで、馬車や馬が同じでも見慣れない御者は通行証と中を確認される。他の町や都市と行き来している商人達は勿論荷物の検査と通行証の確認があり、他国の者だとさらにチェックが厳しくなる。だから犯人は、都外に馬車を放置しなければならなかった。
罪を着せる気でいるのが早々に暴かれることは了承済み。しかし細工しておけば、こちらは一抹の可能性を捨てきることが出来ず、捜索の手を分散させることになる。お爺様達の引退騒ぎでクレアの捜索にかけられる人員が限られている今の状況では、とても有効な手だ。
となると誘拐犯は複数人。第三王女につけられた護衛騎士達を容易く転がせる程度の実力を兼ね備えているか、それを可能にする人数がいる。前者は難しいので、犯人は二桁もしくは小隊程度の人数は居ると考えるべきだ。そして王都に入る資格が無いか、入れない理由がある者で、そこそこ狡猾で頭が回る者も抱えている奴らだ。
…………そういえば、ダス先生が商人に言われて討伐隊を組んだのに、それらしき者達と未だ遭遇さえしてないと言っていたな。
国境沿いをうろちょろしている連中がいるという話を初めて聞いたのは、確か合宿を終えてすぐのことだったから、今から二か月も前の話だ。目立つ被害は無いそうだから軽視していたが、商人達にわざと目撃されて噂を広めつつ先生達とはかち合わないよう細心の注意を払っていたのだとしたら、相手は相当前から準備を整え、機を窺っていた可能性が高い。
――――厄介な奴らめ。
徐々に形になってきた犯人像に眉間にぐっと皺が寄る。思わず舌打ちが出たが、聞こえたはずのバラドは思考の邪魔をしないよう肩を揺らしただけで口を噤み、じっと俺の命を待っていた。そんなバラドの姿に気を取り直し、俺は思考を再開させた。
充分に準備を整え実行したとなれば、当然逃走経路も用意している。俺の想像通り周到に準備された計画ならば、クレアはこの国の第三王女、クレア・フォン・マジェスタと承知した上で攫われたとみていい。となれば今すぐ命の危険は無い。しかし、犯行が国内犯でなく国外犯となると、別の危険性が生まれる訳で。クレアの救出は急いだ方がいい。
…………ただ残念なことに、俺の考えが正しいと自信を持って言い切れないんだよな。
それぐらい、俺は今動揺している。クレアの誘拐の知らせでこんなにも心揺らすことになるとは驚き、とまでは思わないが、自身が思っていた以上に、己の中でクレアの存在が大きかったことを思い知らされた。
クレア個人が誘拐されるほど恨みをかうとは思えない。そして、王家に対しての人質等ではないなら、犯人はクレア本人に価値を見出していると考えられる。欲目と言われてしまえばそれまでだが、攫ってでもものにしたい価値をクレアは持っていると思う。となれば、今回の犯人像に当てはまり、その動機を持っている者を俺は知っている。そして実行犯人達が向かっている先も予想出来る。
しかし己の動揺を自覚している以上、俺の考えが正しいと言い切ってしまうのは危険だ。
…………他の奴の意見を聞きたいな。
確たる証拠の無い仮説を元に動くのはリスクが高い。そういった時は同じ情報量で他人の仮説を聞くのが一番である。意見が己のものと近ければ、それだけ己が立てた仮説に確証が持てるからな。
しかし残念なことに、今一番頭を借りたいグレイ様は王城だ。学園からグレイ様と連絡を取るのは時間がかかるし、バラドやルツェ達は指揮を執るというよりは使われる側の人間なので、意見を参考にするには少し頼りない。
絶対に口外せずに、少ない様々な要素を加味して答えを導ける人間の意見が欲しい。さらに言えば今回の件をネタに利を得ようとしない人間が望ましい。
…………待てよ?
今すぐに頼ることが出来て条件に合う者を頭の中で思い浮かべては消していく。近しい者からクラスメートや教師、最近係わった人間と記憶を探る中、今求めている能力を有しているだろう人間を一人、思いついた。
俺同様、動揺するだろうが彼奴ならそれを押し殺して冷静に考えることが出来き、ついでに連れて行ってやるだけで報酬は十分、というかむしろ恩を売れるという、うってつけの人材が一人この学園にはいる。
「バラド」
「はい!」
「攫われたのは、クレアと侍女だと言ったか?」
「はい! ブルーム侯爵の令嬢です。クレア王女もブルーム様も同じ黒髪で、緑色の瞳ですので見分けがつかなかった可能性があるとのことです!」
「――――見分けがつかなかった、ねぇ」
髪と瞳の色が同じだったからと言って、自国の王女の見分けがつかないなどよほど田舎の出身でなければあり得ない。そもそも、色は同じでもクレアとセレジェイラは顔の系統が全く違う。特徴を聞いていれば、どちらがクレアか迷うなどあり得ない。そして田舎者が訓練された剣筋を持つなど、ほぼあり得ない。だからこの時点で、よほどの田舎者という元から薄かった線は完全に消え去り、残った可能性からいえば恐らく犯人は他国の者、と断定できる。
となれば次はこの国に隣接する国はいくつかあり、そのうちのどれだという話になるのだが、俺はこんなことを仕出かすのは一国しかないと思っている。少しは他の国の可能性も加味していたのだが、セレジェイラも連れて行ったという時点で犯人は確定だろう。あの国なら、どさくさに紛れてクレアの侍女も一緒に連れ去る動機がある。
確信しているとはいえ、あまり当たって欲しくはないんだが。
バラドから聞いた情報に、先ほど立てた仮説が正しいことをほぼ確信する。しかし行動に移すには、信頼できる後押しが欲しい。クレアの身がかかっているのだ、勘違いや万が一での失策など絶対許されない。クレアの救出は慎重かつ迅速に、密やかにけれども確実に行わなければいけない。
となれば俺が取る行動は一つだ。
「バラド」
「はい!」
「至急ルツェ達に連絡を取って、戦闘準備をさせて連れてこい。無論、教師や他の生徒の目につかないよう気を付けろ」
「かしこまりした。ドイル様は――、」
「出発前に寄るところがある」
バラドにそう告げながら、己の服装を確認する。先ほどまで鍛錬場で剣を振るっていたお蔭で着替える必要はなさそうだ。この服装ならば衣類から素性を割るのは難しいし、戦闘するのに不足は無い。
服装に不備が無いか確認した俺はエスパーダを取り出しかけて止める。これから引っ張ってくる人間が居そうな場所を思えば、帯刀は悪目立ちしてしまうと考えたからだ。
「時間も無いからいってくる。バラド達は準備出来次第、馬小屋で待機。馬の手入れをする振りでもして出発の準備を整えておいてくれ」
「承知いたしました。――――差し出がましいようですが、ドイル様は何処に? 何か必要なものがおありでしたら私がお持ちする方が早いですし、ドイル様自らが動かれるよりは目立たないかと存じますが」
扉に手をかけながらそう告げれば、ようやく落ち着いたらしいバラドはいつもの調子で俺の命を請け負った。そして立ち寄る場所があるといった俺に、必要なものがあるとでも勘違いしたのかそう尋ねてきた。
「リュートを連れてくるだけだ」
「――――えっ」
「使える人材が欲しい。彼奴なら馬の名手で、状況を分析して己の采配で行動も指示もできる。その上、助けるのは俺に喧嘩売る危険を冒しても手に入れたかった女だ。働かせた後の憂いも無い。うってつけだろう? ――――――時間が惜しいから、行ってくる。お前も急げよ」
「ちょっ、お待ちください! ドイルさ――――」
俺の人選に驚きの声をあげるバラドを無視して扉を閉める。我に返ったバラドが追ってくる前に、俺は廊下に人の気配がないことを確認して走り出した。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました。