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第六十五話

――――――― 昨日の昼頃 ―――――――




「――――――身内がご迷惑をおかけし、申し訳ございません。グレイ様」

「お前の所為では無い。気にするな」


 頭を下げた俺にグレイ様はそう言いつつ苦笑いを浮かべる。

 そんなグレイ様の後ろでは、王家の家紋が大きく描かれた馬車とその馬車を護衛する為の騎士達が出発の準備に勤しんでおり、その近くで数名の教師が書類片手に文官と会話している姿が目に入る。時折、書類を指さしては文官に記入させているので、グレイ様とジンが外泊する為の手続きをしているのだろう。危篤等の緊急時以外での外泊が許されない高等部では、いくら王太子であっても多くの手続きが必要だ。




 今回の事の発端は模擬戦まで遡る。

 模擬戦の観覧後、俺に多大な負い目を感じたらしいお爺様は何故か大元帥を退きたいと言い出した。どういった心境の変化を経てその考えに至ったのかは不明なのだが、お爺様もいいお歳なので引退を考えるのは当然で、正規の手順を踏めば何の問題もなかった。

 しかし如何せん、お爺様の引退宣言は唐突過ぎた。その上、他の四英傑も誘うと言ったらしいから、大騒ぎだったことは想像に容易い。

 四英傑の一人であり【炎槍の勇者】の引退は国、特に軍にとっては一大事であり、引退の打診ならまだしも、今日にでも辞めるといったお爺様の引退宣言は当然受け入れられず、騎士団総出で引きとめたようだ。


 結局その時は引き留めに応じたらしいが、その後も何度か引退しようと試みては暴れている、という話はお爺様本人や父上や母上、セバス達から聞いていた。その都度、周囲に考え直し引退日まで何年か期間を設けるよう説得されるが、お爺様は頑として「一刻も早く辞める!」と言って聞かないという話も。

 何がそこまでお爺様を駆り立てるのかはなんとなく、というか恐らく俺の所為かも、とは思っている。しかし同時に、お爺様がこの国を大切になさっていることは周知の事実なので、お爺様もその内妥協するだろうと高を括っていたのだ。俺だけでなく、皆。




「ゼノ殿ももうお歳だしな。いままでよく国に尽くしてくれたと思うぞ」

「そういって貰えるのはありがたいですが、被害が……」

「…………まぁ、ゼノ殿だけではなくセルリー殿も共犯らしいからな。それは仕方ない」


 慰めるようにかけられたグレイ様の言葉に恐縮しつつそう返せば、それ以上のフォローのしようがなかったのか、はたまた昨日の報告を思い出したのか、乾いた笑いを浮かべたグレイ様に俺も同様の笑みを返す。


「…………お爺様が壊したのは騎士の詰め所と使われていない武器庫、鍛錬場の大よそ四分の一、セルリー様が魔術師団の研究所の一部でしたっけ?」

「大よそ三分の一だ。あとセルリー殿は魔術師団用の鍛錬場も追手と一緒に吹き飛ばしたらしい」

「半壊した武器庫からは、廃棄処分予定のまだまだ使える武具が沢山でてきたらしいですね? 魔術師団の方でも、よからぬ使い道しかない魔道具の残骸が多数発見されたとか」

「出所も持ち主も不明の奴がな」


 知らせを聞いてから互いに仕入れた情報を、グレイ様とすり合わせていく。

 グレイ様へ下された帰城命令とその理由を聞いてから、俺もバラドやルツェに情報を集めさせた。その結果、お爺様がただ闇雲に王城の一部を破壊した訳では無いと分かってほっと胸を撫で下ろしたのは記憶に新しい。

 バラド達の集めた情報を疑う訳では無いが、より信憑性の高いグレイ様の言葉を聞いて、改めて胸を撫で下ろす。グレイ様の聞く限り、お爺様とセルリー様が暴れた跡から図った様に不審な物品が発見されたという噂は本当だったようだ。


「ゼノ殿とセルリー殿曰く『引退前の大掃除』だそうだ」

「それはまた、随分と大雑把な掃除方法で」

「報告を聞いた父上も二人が破壊した跡を見て、『……色々な意味で見通しが良くなったな』と仰ったらしいからな」

「でしょうね。お爺様とセルリー様が掃除したなら雑草一本残らなさそうだ」

「その通り。二人が通った跡は辺り一面綺麗なもので、瓦礫を退かせば直ぐにでも工事に入れるらしいぞ?」

「解体の手間が省けましたね」

「四英傑の辞書に『手加減』『控え目』といった言葉は端から存在しないからな」

「「――ハハハハハハ! ……………………はぁ」」


 互いに軽口を叩き、ヤケクソな気分で笑い合った後、ため息を零す。

 引退ついでに王城内に蔓延った汚職や不審な影を露呈させていくのは大いに結構であり、ある意味この国の歴史を支えてきた四英傑の最後に相応しい終わり方である。

 しかし、


 …………元気良過ぎです、お爺様。


 王都のある方角を見つめながらそんなことを思う。

 この度の引退宣言で出した被害は決して可愛いものではなく。容易く想像できてしまう愛槍に炎を纏わせ暴れるお爺様の姿に、対峙した騎士団の苦労を偲ぶ。

 今回の件で俺達の甘い考えなど、四英傑には通用しないと多くの人間が学んだことだろう。今考えれば、何故当時の俺や騎士団の方々は、お爺様のような人種が折れて妥協してくれるといった甘い幻想を抱いていたのか甚だ疑問である。前線は退いたとはいえ、現役の大元帥と魔術師長のタッグは王城に勤める者達にとって、悪夢のような出来事だったことだろう。

 無論、それは国王陛下にとっても変わりなく。実力行使に出た二人に押し切られる形で、引退を許されたらしい陛下の心情は推し量るべしである。


「――――グレイ王太子殿下。出発のご準備が整いました」

「わかった」


 騎士の報告に、グレイ様は先ほどまで浮かべていた表情を消して穏やかに微笑む。そんなグレイ様をみながら俺も表情を整えて、見送る態勢に入る。

 四英傑の半分が引退するという国の一大事であるが、お爺様もセルリー様も後継を指名している為、空いた席を巡っての争いはおそらく無い。しかし、大元帥と魔術師長就任にはそれなりの手続きが必要であり、引退を労う会や新たにその役職に就く者達のお披露目もしなくてはならない。しかもそれら全てを、他国に付け入られることなく済まさなければならず、この度グレイ様はジンを連れて一時帰城することになった訳である。

 目の前で慌ただしく動く人々の姿や、今頃てんやわんやしているだろう王城を想像すると申し訳ない気持ちで一杯だ。お爺様が急に引退を言い出した原因が、十中八九あの模擬戦での俺の言葉だと思えばなおさら。


「ドイル」

「はい」

「――――あまり思いつめるなよ。四英傑の引退は必ず起こる事だった。祖父の代からこの国を支え続けた方々にいつまでも負んぶに抱っこじゃいられない。そう父上も思ったからこそ、お二人の引退を許したんだ。今回の騒動は、四英傑に甘えきっていた全ての者の責任だ。決して、お前の所為じゃない」

「――――わかってる」

「ならいい」


 俺の罪悪感を見透かすようにそう告げたグレイ様に、静かにそう返す。相変わらず俺の幼馴染は敏い。


「ダス先生の話では、国境沿いをうろついている輩はまだ発見されていないそうですから、道中気を付けて下さい。無論、城内でも。この機に乗じようとする者は必ずいます」

「わかっている。城までは騎士団が付いているからそう危険も無い。――――――それに戦闘関連ならまだしも、駆け引きは得意だ。お前に心配されずとも、城内でつっかかってくるような奴は一人であしらえる」


 ニィっと口端を上げて「知っているだろ?」と告げるグレイ様に「知ってます」と返せば、グレイ様はもう一度「心配するな」と告げて馬車に乗り込む。あっさりとした別れの言葉を交わし、その背が馬車の中に入り見えなくなるまで俺は黙って見送る。

 そしてその後を追うように、俺に挨拶して馬車に手をかけたジンを呼び止めた。


「ジン。グレイ様はああ言っていたけど、絶対一人にするなよ」

「はい?」

「グレイ様も承知しているだろうが、お爺様とセルリー様が暴れた所為で騎士団、魔術師団共に人手が不足し王城の警備が甘くなっている。そこに乗じる者は必ずいる。お爺様達とてそれを狙ってのことだろうから対策は十分されているだろうが、それでも万が一もある。誰に何を言われようとも、一時もグレイ様から目を離すなよ」


 不思議そうな声をあげて振り返ったジンは、俺の顔を見ると佇まいを直した。そして表情を変え、聞く態勢を見せたジンの姿に周りの人間、特に馬車内のグレイ様に聞かれないよう周囲の音を散らしながら、抑えた声でそう告げる。

 俺とは違い、グレイ様の付き添いとして国王に正式に招集されているジンの方が役職でいえばよほど上だというのに、ジンは普段から俺をたてる行動をとるし、当然のように俺の指示を仰ぐ。今だって俺の言葉に真剣に耳を傾けており、こういった姿を見る度に此奴の性根は真っ直ぐだなと思う。

 その心のありようは、当然のようにグレイ様と共にいけるジンに焦燥や嫉妬を抱く俺とは大違いであり、その真っ直ぐな心が心底羨ましく、痛い。


「…………共に行く資格さえない俺に言われたくないだろうが、くれぐれも頼んだぞ。グレイ様がどう言って下さろうとも、悔しいことに今の俺には側で守る資格が無い。お前に託すしかないんだ。――――――だから、頼む」

「っ!? お任せ下さい、ドイル様! グレイ殿下の御身は私が必ずやお守りいたします故!」






「…………はぁ」


 出発間際にジンと交わした会話を思い出せば、思わずため息が零れた。頭を下げて頼めばジンは断らないと確信していて、あのように告げた俺は狡い人間なのだろう。

 グレイ様は俺の幼馴染であるが、次期国王である。そんな人を自分一人で守れるなど思わないし、大人しく守られてくれる人じゃないことは重々承知している。ジンだって戦馬鹿だがいうほど馬鹿で無く、愚かじゃないことは分かっている。彼奴はダス先生と違い、苦手分野ではあるが、ちゃんと機微を察し行動できる人間である。戦力としては申し分ない実力があり、グレイ様の側仕えに不足無い人間であることも知っている。

 しかし、知っていても分かっていても、納得したくない己がいる。


 …………難しい、な。


 己の頑張りを大切な人に認めてもらいたい。

 大切な人の役に立ちたい。

 他人の手では無く、大切な人はこの手で守りたい。


 自身の能力ではそれができないと分かっていても、そうしたいと願ってしまう人間は多い。家族だろうだが友人だろうが恋人だろうが、誰だって大切に想う相手に己を必要として欲しいと願うものだ。


 でも、そんな自分勝手な感情で与えられた愛情を、踏みにじる訳にはいかない。


 歩み寄ってくれたグレイ様も、俺をたててくれるジンも、何よりも俺を優先してくれるバラドも、俺に仕えると言ってくれているレオ先輩達やルツェ達も、引退し王城の膿を片付けようとしてくれているお爺様も、今までずっと守ってくれていた両親も、あの日許すと言ってくれた国王陛下も、ずっと待っているといってくれたクレアも、皆、俺が戻ってこられるよう、それぞれができることを一生懸命してくれている事を知っている。

 俺の居場所は確かにこの国にあるのだと、彼らが言葉や行動で示してくれているというのに、出来かけた居場所を俺が壊してしまっては元も子も無い。


 だからこそ、浅はかな考えを行動に移さず、こうして学園で大人しくお留守番してるんだけどな!


 そこまで考えた俺は行き場の無い感情をぶつける様に、しかしそんな己の苛立ちを周囲に悟られないよう控え目に、タンッ! と手に持っていた水を叩き置き、練習用の木刀を手に持ち立ち上がる。

 この胸のもやもやを発散する為にも、今度は声をかけられないよう誰とも目を合わさず、真っ直ぐに練習用に立てられた丸太に歩み寄る。そして、いざ発散! という所で王城内の情報を集めるよう命じていたバラドが戻ってきた。


 取りあえず体を動かしてから報告を聞こうと思ったのだが、こちらに近づいてくるバラドの歩みが心なしか速く、俺しか分からない程度に固い表情を浮かべている。

 何かを告げるでもなく、先ほど俺が座り込んでいた辺りで大人しく待機しているように見せかけて、常に無く焦った様子のバラドに、周囲に悟られては困る何かが起こったことを感じ取った俺は、木刀を構えるのを止めバラドの元に向かう。


 鍛錬を中止し戻る俺を見て、ほっとした表情を浮かべたバラドに嫌な予感が募る。探らせていた情報が情報だけあって事の真相を駆け寄って問いたいところだが、逸る気持ちを抑えて、優雅に歩く。異変を周囲に悟られまいとしているバラドの努力を俺が無駄にしてはいけない。




「――――何があった?」

「ドイル様っ。一大事にございますっ!」

「落ち着け。何があった?」

「お、落ち着いて。落ち着いて、お聞きくださいドイル様っ!」

「取りあえず、お前が落ち着け」


 急げない己の歩みをじれったく感じながらも、ようやくバラドの元にたどり着く。そして開口一番にそう問いかければ、声は潜めているものの、かなり焦った様子でバラドは俺との距離を詰める。

 表情は殆ど変えず、上ずった小さな声で伝えようとするバラドに、俺は落ち着くように声をかけた。勿論口では落ち着けと言ってはいるが、俺も相当焦っている。大声で何があったと問いただしたいくらいにはバラドの顔色が悪く、その分深い動揺が感じ取れ不安になったからだ。


 見送ったばかりのグレイ様やジン、お爺様や王城の現状を考え次々思い浮かぶ嫌な想像に逸る気持ちを抑えながら、バラドの言葉の続きをじっと待つ。

 するとバラドはそんな俺に、とても動揺した様子で声を震わせながら、衝撃の事実を告げた。




「――――――――お、お気を確かにお聞きくださいっ。つい先ほど、クレア王女様が何者かに攫われましたっ!」


ここまでお読みいただき、ありがとうございました。

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