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第六十四話

「本日はありがとうございました!」

「またお相手お願いします!」

「またな」

「「はい。失礼いたします!」」


 腰を折り、そう言いながら俺の前から立ち去り、先ほどまで行っていた鍛錬に戻ったクラスメートの背を見送る。すると同時に、辺りから俺に声をかけようか迷っている生徒達の相談する声が聞こえてきたので休憩を装い鍛錬スペースから出る。そして、今は席を外しているバラドが置いていってくれたタオルで汗をぬぐいながら、壁にもたれるように座り込んだ。

 見るからに休憩モードに入った俺の姿に、周囲から残念そうな息遣いが聞こえたが無視して喉を潤す。


 …………最近、声をかけてくる生徒が増えたな。


 先ほどの二人や今も声をかけるタイミングを計っている生徒を見てそんなことを思う。最近鍛錬場に顔を出すと、誰がしかに声をかけられる。合宿を境に増えた声掛けは、殆どが手合せや鍛錬を見て欲しいといった内容が多く、今日だって授業も終わり暇だったので鍛錬場に来たところ「ご指導お願いします!」と先ほどの二人に声をかけられたのだ。

 学園商店街の時の反応といい、先ほどのクラスメートの姿といい俺も随分とこの学園に受け入れられてきたなと思う。

 それもこれも俺の今までの努力が実を結び、周囲に変化をもたらした結果だろうから素直に嬉しい。先ほど用事を頼んだバラドも戻ってきたら、喜んでくれるだろう。

 しかし、そう思うものの俺の心は曇ったままで。

 胸にたまった靄を吐き出すように、俺は大きく息を吐いた。






 セルリー王国魔術師長様と衝撃の出会いを果たしてから、早二か月。セルリー様のお蔭で大破した槍は直ったが、それ以上に厄介な人に目をつけられた気がする今日この頃。

 あの日から今日に至るまでは何事も無く、平穏な日々が続いていた。

 しいてあげるなら、合宿の成績発表があった事とマーガルムが国王に徴収された事ぐらいだ。その際、褒賞金を下さるとの話であったが騎士団や魔術師団、治癒師達に恩を売り、貴族や国民に気前の良さを見せつけるこれ以上ない機会だったので褒賞金は丁重にお断りしておいた。

 その旨をグレイ様に報告した所、ご機嫌麗しくしていらしたのできっとあの徴収はグレイ様の口添えだったのだろう。国王直々ってところがいかにもだしな。


 そんなこんなで色々あった合宿が俺にもたらしたものは多く。

 縮まったグレイ様との距離感だったり、バラドとの関係だったり、生徒達から寄せられる敬意の籠った視線や俺におもねろうと近寄ってくる者が増えた事や、頻繁に声をかけてくるようになったダス先生やテレール先生方などが挙げられる。


 当然そんな変化と共に周囲の環境や俺を見る目も変わってきており、入学式の日に受けていた視線と今受けている視線を比べれば劇的に変化した実感がある。勿論いい方向に。

 そう考えるとこの一年間で取り戻したものは多い気がするが、まだまだ先は長く。

 今の状態はマイナスだったものが零になっただけであり、俺はようやくスタートラインに立ったところである。


 もうすぐ一年が終わり、春がやってくる。

 あと数ヶ月もすれば俺達一年生は学科を選択し、将来の方向性を明確に決める時期だ。

 その所為か、現在一年生の間には穏やかではあるが何処そわそわした空気が漂っているのだが、俺の道は既に決まっているので今更迷うことも無く。それは近しい者達にもいえ、グレイ様もジンもバラドもルツェ達も既に学科を決めている為、俺の周囲は至って静かであった。

 そう、とても穏やかで静かなものであったのだ。つい一昨日までは。






「――――人気者だなアギニス」

「ダス先生」

「お前のような同級生を持つ彼奴らは幸せだな。いい刺激になる」

「…………そうでしょうか」


 一昨日、昨日と起こったことを思い返し、すっきりしない気持ちのまま鍛錬に勤しむ生徒達を眺めていた俺に、鍛錬場の監視をしていたダス先生が笑顔を浮かべながら近づいてきた。

 先ほどまでの手合せを見ていたのか、からかうような声色で告げられたダス先生の言葉に俺は呟くように答える。


 ダス先生とはマーナガルムと対峙するという稀有な体験を共有した所為か、合宿後こうやって話しかけられることが多くなった。教師の中では年若いダス先生は戦士科で剣を担当しており、元は騎士団の剣部隊に所属していたこともある、なかなかの実力の持ち主である。


「――なんだ? 元気無いなアギニス。グレイ殿下が居ないから寂しいのか?」

「……………………違います」


 が、残念なことにこのダス先生は、若干間空気の読めない人である。

 バラドの報告を聞く限り人柄実力共に問題なく、むしろいい方に部類される人なのだが、如何せん組織の中の暗黙の了解や貴族の慣習、政治的配慮や人の心の機微に疎い。

 卒業と同時に騎士になれるほどの実力を持ちながら、うだつが上がらず教師になったというのも、さもありなんといった感じの人である。

 たった今俺にしたように、周囲が気を使って話題に出さないようにしている話や、見て見ぬふりしている部分を悪気なく指摘してしまうこの先生では、暗黙の了解が多い王城では生き残れまい。


「そんなに気にかかるなら、グレイ殿下と行けばよかったじゃないか。殿下に誘われていただろう?」

「私はまだ、正式に殿下の側仕えを拝命しておりませんから。拝命されてもいないのに殿下に誘われたからといってのこのこ王城に足を運んでは、俺を面白く思わない貴族達に中傷するいい口実を与えてしまいます」

「…………難しいんだな」

「貴族とはそんなものですよ」

「……何か力になれることがあれば先生に言えよ?」

「ありがとうございます」


 図星とまではいかないが、かなり近いところを指摘された俺は、少し投げやりな気分でダス先生の言葉に答える。

 グレイ様かバラドがいたら機嫌が悪いのかと指摘されそうな態度だったが、当然そんな俺の心情にダス先生が気付くこと無く。

 ダス先生は俺の言葉に頷くと「あまり一人で抱え込まずに、ちゃんと周りに相談するんだぞ」と言い残して鍛錬場の監視に戻っていった。

 そんな熱心だけど少し鈍いダス先生の背を見送りながら、俺は再び大きくため息を吐く。


 …………生徒想いなんだが、惜しいんだよなぁ。


 若干空回り気味のダス先生にそんな感想を抱きながら、昨日から学園に居ないグレイ様とジンに思いを馳せる。

 【炎槍の勇者】と王国魔術師団団長様の引退表明を受けグレイ殿下に帰城の命が下ったのが一昨日のこと。そして昨日の昼前に国王陛下からの命を受けたグレイ様は、正式な側仕えであるジンを連れて城に向かって出発した。


 王城では明日辺りから、次の大元帥と魔術師長を決め、お爺様やセルリー様の今後の身の振り方や四英傑の二人が引退したことによる周辺国への対応などの話し合いが行われる予定で、グレイ様は王太子としてその話し合いに参加する為に帰城された。

 とはいっても、次の大元帥と魔術師長は既にお爺様とセルリー様が指名しているらしく、会議の主な内容は二人の引退式や新しく就任する二人の就任式、各国への対応になるのだが四英傑の半分が引退し、残りの御二方も折を見て引退したい旨を表明しているようで、今王城内は騒ぎの渦中にある。


 ある意味国の一大事である今回の事態を引き起こしたのが、お爺様ということもあり「一緒に行かないか?」とグレイ様は誘ってくれたのだが、俺は断った。

 緊急時以外で私用での外泊が認められていない学園の決まりを、今の俺の立場で破る訳にはいかなかったからだ。


 周囲の俺を見る目が変わり評価が上がったのは確かだが、それも学園内での話である。今回のマーナガルムの件でさらに緩和されるだろうが、王城や砦や民衆の中にはまだ俺をよく思わない者も多いだろう。

 悪い噂は放っておいても広がり根付くが、いい噂を根付かせるには根気がいる。事態が好転しつつある今、下手な手を打つ訳にはいかないのだ。


 正道を行くと誓った。

 ならば正式な拝命も無い俺が、学園の決まりを破り、グレイ様の言葉に甘えてついていく訳にはいかない。だから王城行きは断った。その判断に間違いはない。

 むしろそう判断し実行したことで、礼儀や形式を重く見る古株達には見直して貰えるだろう。グレイ様もそう考えたからこそ、俺を無理に連れて行くことはしなかったのだから。

 俺は何も間違ったことはしていないし、これでよかったのだ。


 ――――って、割り切れれば楽、なんだけどなぁ。


 どれだけ正論を頭の中で並べ立て、己に言い聞かせたところで、現実問題そう簡単に割り切れるものではなく。俺はグレイ様を見送った昨日からずっと、もやもやした感情を抱えている。


 本音を言えば、お爺様の引退はとても気になる。

 入学式前までは未だ現役と明言していたお爺様の突然の心変わりなど、十中八九観覧に来ていた模擬戦が原因であり、さらに正確にいえば、あの時俺がしたカミングアウトの所為だ。

 謝罪の手紙も届くくらいだ。お爺様は俺に相当負い目を感じている。返事の手紙に「気にしないでください」と書いたが、お爺様はそこで「分かった」と了承できるほど器用な方では無い。


 そう考えれば、今回の四英傑引退の引き金を引いたのは、間違いなく俺な訳で。そしてその所為で、グレイ様を呼び戻さなければならないほど混乱している王城を想像すれば罪悪感で一杯である。


 …………それに何より、


 当然のようにグレイ様と共に、迎えの馬車に乗り込んだジンの姿を思い浮べれば、自ずと手に力がこもる。自業自得とはいえ、国の中枢を揺るがすこの騒ぎの中、グレイ様をジンに託し見送るしかなかったあの時の胸中は筆舌に尽くし難い。


 ――――悔しいという資格は、俺には無い。


 それは分かっている。

 あの場所を先に放棄したのは俺だ。

 その咎は重い。

 むしろあそこまで落ちておきながら、ここまで戻ってこられた方が奇跡だと思うし、それが許された俺は十二分に周囲に甘やかされ愛されている。


 今回共にいけなかったのだって全ては過去の己の所業故、と言ってしまえばそれまでである。しかし実際の俺は、そう達観できるほど精神的に大人ではなかったようで。

 鍛錬場のむき出しになった天井の骨組みを睨み付けたあと、発散したくとも向ける対象が元から無い感情を、己の内に押しとどめるかのようにそっと目を閉じる。


 …………人の欲は際限ないから、困るな。


 合宿で距離が縮まった分、欲が出た。

 知らず知らずのうちに、俺は昔に戻った気でいたのだろう。グレイ様に対する口調を戻したのが大きかったのかもしれない。

 下手に調子に乗って、アギニス家を追い落としたい貴族共に上げ足を取られる前に、甘い考えを持っていた己に気が付けただけ良かったと思うべきだ。そう冷静に判断下す己は確かにいる。


 でも! なんだよなぁ……。


 人々の反応を冷静に判断できた己を褒めたいやりたい一方で、今後を考えればよろしくない行動だったとしても、感情の向くままグレイ様と共に王城に行きたかったと思う感情が己の中でせめぎ合う。四英傑の今後を決めるという、重大な会議に参加できない己の立場が酷く歯がゆかった。

 公爵から男爵までほぼ全ての家の当主が招集されている場だ。この機に何か仕掛けてくる者達も沢山いることだろう。どさくさに紛れてよからぬことをしようと考えるくらいには、現在のこの国の中枢は揺れている。


 …………今後お爺様がどうする動く気なのか気になるし、父上の考えも気になる。きっとこの機に乗じて、貴族達の忠誠心を試すくらいはするだろうし……、【勇者】が大元帥をやっているという事実が無くなった以上、今後の周辺国への対応をどう考えているのかも気になるし、四英傑が辞めることで調子に乗る馬鹿貴族は絶対に居るし! そんな奴らや貴族の当主達が集まる場で、グレイ様の補佐が政治とか貴族の機微に疎いジンで大丈夫か滅茶苦茶心配だしっ! ――――ああっもう! なんでこんな時に俺は学園で留守番してなきゃいけないんだ!? 自業自得だけども!


 気を抜けば歯ぎしりしてしまいそうな己を鎮める為に足を運んだ鍛錬場だったが、この複雑な胸中を鎮めるのは容易く無く。もやもやした己の胸の内を誤魔化すように水を一気に飲み干せば、冷たい水は火照った体に心地よかった。

 しかしその程度のことでこの複雑な感情が晴れる訳も無く。俺は消化しきれない己の感情を持て余しながら、昨日見送ったグレイ様の姿を思い浮かべた。


ここまでお読みいただき、ありがとうございました。

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