第六十三話 ダス・ヒッツェ
見渡す限り氷に覆われた森の中。
肌を震わせる魔王の雄叫びに思わず足が竦んだ。守るべき生徒達が目の前にいるというのに、畏縮した俺の体はピクリとも動かなくて。生物としての本能が今すぐ逃げろと告げていた。守られる年齢をとっくに越え守る側に回った大人の癖に情けないが、初めて目にした魔王はそれほど禍々しく、恐ろしかった。
しかしそんな恐ろしい魔王と、俺の半分しか生きていないアギニスは対峙していた。離れた場所にいた俺を怖気づかせた咆哮を軽く受け流し、渦巻く竜巻をものともせずアギニスは魔王に駆け寄る。そして砕けた氷がハラハラと舞い落ちてくる中あっさりと、いとも簡単に彼は魔王を両断した。
そして雄叫びを上げるでも勝鬨を上げるでもなく刀身の露を払い鞘に戻すと、何事もなかったかのようにグレイ殿下の手を握り笑ったんだ。
『ほらな。大丈夫だっただろう?』
本来ならば、五十は越える人数で討伐隊を組んで倒す魔王を、あっさりと一人で下したアギニスに俺は生まれて初めて、この世には越えられない壁があることを体感した。
同時に、教師という立場でありながら生徒に助けられた己がどうしようもなく情けなくて、敵を目の前に一歩も動けなかったという現実にずっと剣を握って生きてきた今までの人生が酷く無意味なものに思えた。
そしてあろうことか教師という立場を忘れ、齢十五歳にしてたった一人で魔王を倒したアギニスの才能に、俺は確かに嫉妬したのだ。
「――――お待たせいたしました、ダス先生」
合宿で生徒達が採集してきた素材の値付けをしてくれていた商人に、声をかけられ立ち上がる。
俺の名はダス・ヒッツェ。この学園の卒業生で、卒業と同時に【雷槍の勇者】に憧れて近衛騎士に志願するも夢叶わず。その後二十五歳まで剣部隊で騎士として務めるも、うだつが上がらず。己の限界を感じた始めた頃、高等部で剣士を募集しているという話を先輩から聞いたので受けてみたところ見事合格。そして高等部の戦士科で剣技を担当するようになって早五年、現在三十歳独身。
普段は戦士科で騎士志望の生徒に教えているのだが、それ以外はこうやって集計の立ち会いなど雑用ばかり押し付けられている下っ端教師である。
「はい、確かに。ご苦労様でした」
「ありがとうございます。では、私達はこれで失礼します」
「…………もう王都へ戻られるのですか?」
差し出された班別の合計金額一覧表にざっと目を通し、確認して商人に礼を述べる。その途端、肩の力を抜いた商人が発した言葉に俺は思わずそう聞き返していた。
「ええ。最近国境沿いを見慣れない者達がウロウロしていると商人達の間で噂になっていまして。我々が向かうのは逆方向ですが念の為、明るいうちに王都へ戻ろうと思います」
「それは困りますね。山賊か何かだったら生徒に被害が出る前に討伐しておかないと。――多分近いうちに我々教師で討伐隊を組むことになると思います」
「それは助かります! 護衛を増やすと商品の値が上がってしまいますから。最近は【色紙】で当てたヘンドラ商会が勢いづいていますから我々も頑張らないと」
「お疲れ様です」
雑談がてら商人達から情報を貰いつつ、この後の予定を組み直す。本来ならば今日はこれにて業務終了だったのだが、討伐隊について話し合わなければいけなくなった。また残業かと思うと気落ちしてしまうが、学園付近の治安維持も我々教師の仕事である。この商人もそれを知っているからこそ、俺に教えてくれたのだろう。自分達で討伐隊を派遣すると金がかかるからな。
使える物は学園の教師でさえ平気で使う商人の、面の皮の厚さにはいつも驚かされるが、こちらも普段から世話になっているので仕方ない。持ちつ持たれつというやつである。
「それでは我々はこれで。マーナガルムに関しましては、先ほど魔術師様から説明があった通りになります」
「…………ご協力ありがとうございました」
手慣れた手つきで片付けを終えた商人達を見送り、ぐるりと部屋を見渡し異常がないことを確認してから俺も部屋を出る。職員室に向かう廊下を歩きながら、渡された書類を再度見れば、一番上に書かれたグレイ殿下の文字が目に入る。彼らの班の金額は、二番目の班を大きく引き離していた。
内訳は薬草などの採取物は一つも無く、全て魔獣の毛皮や素材ばかりである。それすなわち、アギニスの班がそれだけ強いということで。スコルやハティを軽くいなした彼らの強さと若さを思い出し、俺にもあれ位の強さがあれば人生変わったかも、などと考える。そして真っ二つに両断されたマーナガルムの巨体を思い出し、ちりりと痛んだ胸を振り払うように歩く。
…………教師って、なんの為に居るんだろうか。
生徒達が森の中心部に入らないよう張った結界の、基点の守護を任された俺とテレールの元に駆け込んできたアギニス達の姿を思い出し、そんなことを思う。
俺とは比べ物にならないほど、強く逞しい彼らに教えることなどあるのだろうか? と、考えたところでまったく答えの出ない悩みに俺は大きく息を吐いた。
今年入学してきた新入生達は大物揃いであった。
次期国王であるグレイ殿下とその側仕えで次期【槍の勇者】と噂されるシュピーツに、主席のシュタープ。その他にもヘンドラ商会の息子やストレーガ魔道具店の息子に、フェルリエラー鍛冶工房の関係者。その上の学年には、薬学科の麒麟児と呼ばれるデスフェクタや両腕であるテラペイア兄妹。自身の実力もさることながら魔術師に広い人脈を持つメッサー家の令嬢。
戦乱の世を生き抜きこの国に平穏をもたらした四英傑の方々を第一世代とするならば、今期の生徒達は第三世代と呼ばれるだろうと言われている。ちなみに第二世代は【雷槍の勇者】様の世代である。
国を支えるエリートを数多く輩出している学園には往々にして、大物達が集う時期があるらしく。いわゆる時代の節目という奴で、今期の生徒達は正にそれにあたる面々だった。
そしてそんな中で最も注目されているのが、ドイル・フォン・アギニス。彼はとんでも無い肩書きをいくつも持っており、魔王を一人で討伐してしまうような規格外な少年である。
しかしそんなアギニスの中等部時代は殺伐としたもので。彼の入学が決定した当時、俺達高等部の教師は戦慄した。唯さえグレイ殿下など大物達が入学するというのに、家柄のいい問題児など厄介者でしかなかったからだ。
しかし、いつか前代未聞の大問題を起こすのではないかと俺達教師をハラハラさせていたアギニスは、高等部入学と同時にガラリとその在り方を変えた。
入学式の宣誓を無理矢理奪ったことさえ、必要なことだったのだと多くの教師達を納得させてしまうほど、まるで別人のようにいい方向に。
何が切欠だったのかは分からない。しかし見違えるほど変わったアギニスは、公爵家継嗣の名に相応しく優雅で理知的だった。
…………俺、教師向いてないのかなぁ。
誰の助けも借りず、大人の階段を何段も飛び越して駆け上がるアギニスを思い出してそんなことを思う。
入学式や模擬戦で知ったアギニスの苦悩は想像を絶するもので。アギニスの苦悩を察するどころか、彼の入学に難色を示していた己が死ぬほど恥ずかしかった。そう思ったのは俺だけではなく、多くの教師が彼に対する態度を掴みあぐねていた。
しかし当のアギニスはそんな俺達教師の戸惑いを余所に、まるで見本のように良い生徒で。教師に対する態度は出自や担当教科関係なく一貫して物腰低く柔らかで、見るからに俺達を敬ってくれているのが分かり、授業態度も素晴らしく成績も優秀である。
アギニスが『馬飼い』等と言われ見下されがちなヘングスト先生に対しても、礼を尽くした態度を取ったことはもはや教師間では有名な話であり、今回の合宿の成果を見れば彼に難癖つける教師は完全にいなくなるだろう。彼の決意や努力をこれだけ目の当たりにして、認めない者に教育者の資格など無い。
けど、俺はあの時確かに、アギニスに嫉妬した。
教師として生徒の成長や、豊かな才能は喜ばしいものである。そしてアギニスが今までどんな気持ちで槍を握ってきたのか、握らざるをえなかったのかはなんとなく分かる。
しかしあの時、比類なきアギニスの才を見たあの瞬間。アギニスが苦しんだという月日が酷くくだらないものに思えて、これほどの実力を持ちながらこの餓鬼は一体何を悩む必要があったのかと、一瞬でも思ってしまったのだ。
騎士としての己に限界を感じ、叶えられなかった己の夢を子供達に託そうと思い教師になった。だというのに、その生徒の才能に嫉妬するなどなんと浅ましい。あまつさえ、彼が足掻きに足掻いてようやく乗り越えた悩みをくだらないと思ってしまうなんて。
…………教師、失格だ。
教師生活六年目にして、初めて知ってしまった己の矮小さに教師としての資格を疑いつつ、俺はようやくたどり着いた職員室の扉に手をかけ重い気持ちで扉を押し開けた。
「………………はぁ」
「――――どうした、ダス? これみよがしに溜息なんかついて」
会議までの時間潰しに書類を自席でパラパラと眺めていた所、思わず零れたため息を学生時代からの先輩であるサウラ先輩に指摘される。俺の二つ上の先輩は昔から面倒見が良く、人に教えるのが好きで子供好きと教師になるべくしてなった人だ。そして俺を教師に誘ってくれた人でもある。
「……ちょっと色々ありまして」
「なんだ? ――――ああ、合宿の結果か。早いな」
「俺にも見せろ」といって手を伸ばすサウラ先輩の手の上に、先ほど商人から受け取った一覧表を乗せた。商人達が値付けしてくれた金額は例年より全体に高く、今期の学生達の優秀さが窺える。
「…………こりゃ、すげぇな。グレイ殿下の所、断トツじゃねぇか! アギニスも頑張ったみたいだし、重畳重畳」
ぱらぱらと紙を捲りながら徐々に表情を綻ばせ、嬉しそうに声を上げる先輩の元に手の空いていた先生方が集まってくる。そして合宿の成績を見て皆嬉しそうに、生徒達の優秀さを褒めていった。
「――――凄いじゃない! 過去最高額じゃない?」
「ですよね。これマーナガルムの金額は抜いてですよね?」
「うむ。なんでもマーナガルムは国王徴収らしい」
「それはまた、アギニス君大喜びね。今回の徴収はやっぱりグレイ殿下の手引きかしら?」
「じゃろうな。幼馴染で同腹の妹も嫁ぐ。アギニスに肩入れするのは当然じゃて」
「…………国王直々というのが、いかにもって感じですしね」
「だな。アギニスもその辺りは承知しているだろう。彼奴は自分のことをよく分かってるし何より己の魅せ方を知っている。頭も実力も一級品だから、上手く立ち回るだろう」
「部下もことごとく大物をものにしとるしな。あれだけ大物ばかり手を出すと、普通他の貴族から反発を喰らうものじゃが、グレイ殿下に恭順を示している以上アギニスの部下はグレイ殿下の部下じゃて。反発しようもないのぅ」
「今期はグレイ殿下を筆頭にまとまっているので、貴族間の争いが無い分楽ですよね」
「王家と公爵家の組み合わせに逆らう度胸のあるやつは反逆者くらいじゃない? 普通の神経してれば、おもねることはあっても表立って反発はしないわよ」
「もし、反発しても引き際は気を付けますよ。シュタープ君みたいに」
「今年の生徒達は色々な意味で優秀だわ。流石は第三世代といった所かしら」
「いやはや、今年の一年はアギニスを筆頭に末恐ろしいのぅ」
「――――俺達教師の出番ねぇしな」
「「「確かに!」」」
交わされる会話をサウラ先輩がそう締めれば、「ははははは!」と楽しそうな笑い声が響く。生徒達の優秀さを手放しで褒める先輩教師方の姿に胸が痛んだ。やはり教師になるべくしてなった人達は、生徒の才能に嫉妬したりはしないのだろう。
無論、俺だって嫉妬しているから足を引っ張ってやろうといった気持ちは微塵も無い。アギニスの努力は認めているし、やり直したいと望むなら教師として全力で手伝ってやりたい気持ちもある。しかしどうしても、矮小な己の心がアギニスの才能に嫉妬してしまうのだ。そんな浅ましい気持ちを抱いてしまう弱い俺に、第三世代と呼ばれる彼らを指導する資格があるのか、酷く惑う。
「――――にしても、今期の生徒達はホントきらきらしてて嫌なっちゃうわ!」
「そうですね。あのマーナガルム見ました? 僕あんな凄い氷魔法初めて見ましたよ。あれだけの魔法を使えるのに戦士科だなんて、世の中理不尽です」
「アギニス達もそうじゃが、わしゃ、シュタープやローブの才能の方が羨ましいのぅ。儂も若い頃、あれだけの頭脳や情報集能力を持とったら人生変わったわ」
「だよなぁ。あいつらの才能の十分の一でいいから分けて欲しいぜ」
「十分の一は欲張り過ぎじゃない? アギニス君の才能なんか、百分の一でも人生変わるわよ」
「「ですね(じゃな)」」
「………………えっ?」
アギニス達を手放しで褒める先輩方の会話を聞いて、やっぱり俺みたいな心の弱い騎士崩れは教師に向いていないんだと考えていると、突然始まった先輩方の「羨ましい」の応酬に思わず目を瞬かせる。
俺が散々アギニスへの消せない嫉妬心に悩んでいるというのに、臆面も無く生徒達の才能が羨ましいと口にする先輩方に開いた口がふさがらなかった。生徒想いで、教師であることを誇りに思っているこの人達が、生徒に嫉妬だなんてそんな。
突然の出来事にポカンとした表情を浮かべていた俺に、サウラ先輩が「どうした、ダス?」と声をかけてくる。訝しげな表情で俺に問いかける先輩に返事をしなければと思うものの、言葉がでてこずあわあわしていると、そんな俺を見た先輩の教師の一人が不意に閃いた表情を浮かべ口を開いた。
「ははーん。さてはお主、初めて生徒に嫉妬したな? 相手は誰じゃ? アギニスか?」
そしてそんな先輩教師の言葉に、他の先生方も「なるほど!」といった表情を浮かべて深く頷いた。
「…………この学園に勤めていると、誰しも通る道よねぇ。きらきら光る生徒達に嫉妬しちゃって、そんな自分が惨めで、教師に向いてないんじゃないかって思い悩んじゃうのよね。私も若い頃散々悩んだわぁ」
「そういえば、ダス先生はマーナガルムが倒された現場にいたんでしたっけ。目の前でみせつけられちゃ、そりゃ嫉妬しますよね」
「あー、そうか。それでお前合宿から帰ってきてから、なんか元気なかったのか」
「うんうん」「あるある」と先ほどまで生徒達に向けて浮かべられていた温かい目で一斉に見つめられ、その居心地の悪さに身を捩る。「若いわぁ」と言いながら俺を見る先生方の目は生徒に嫉妬する俺を軽蔑するどころか、微笑ましいといった感情が浮かべられていた。
「――――わしら教師も感情ある人間じゃ。己より優れた者に嫉妬するのは当然じゃて。その気持ちのままに生徒に手を出したら教師失格じゃが、思うだけはタダじゃよ」
「そうよ? その上、私達がどう足掻いても取り戻せない若さも兼ね備えたあの子達に嫉妬するなって方が無理だもの」
「そうですよ。それにこの学園に入学する子は、能力や家柄など必ず一つは他を凌駕するものを持っている子達です。国が優遇するほど価値ある子供達を前に嫉妬するな、って方が無茶ですよ」
次いでかけられた優しい言葉に目頭が熱くなる。嫉妬して当然だと言い切る先輩方の表情は晴れやかで、心から嫉妬しても悪くないと思っていることが窺えた。
「元気出せよダス! 俺がお前みたいに生徒に嫉妬しまくって教師止めてやろうと思った時に学長に言われた言葉を教えてやるからよ」
「……サウラ先輩もやめようと思ったことがあるんですか!?」
「あるに決まってんだろう? ここに来る餓鬼は皆才能に溢れて嫌んなるぜ? 自分が年喰ってくると尚更な」
かけられる言葉に視界が滲むのを感じ始めた頃、バンッと力強く背中を叩きながらかけられた言葉の、あまりの衝撃に浮かびかけていた涙が一斉に引っ込んだ。
卒業と同時に「俺、教師になるわ!」と宣言し、その翌月には本当に学園の教師になったサウラ先輩がそんなことを一度でも考えたことがあることに、俺は素直に驚く。
「んな顔すんなよ。当然だろ? 俺だって嫉妬心や劣等感ぐらいある」
驚きに目を丸くした俺にそう言って苦笑いを浮かべた後、少し遠い目をした先輩は過去の己を思い出しているのだろう。何かを飲み込むかのようにゆっくりと目を閉じた先輩は、次に目を開けた瞬間にはいつもの顔に戻り、俺の頭をくしゃっと撫でた。
「――――代々、この学園の教師達の間で受け継がれている考え方らしいんだがな。『身になるかは別として、彼奴らは我々の指導を受ける。それ即ち将来、彼らが偉業を成し遂げた時「俺の教え子だった」と自慢できる資格が我々教師にはあるということです。だから今のうちに存分に生徒達に恩を売っておきなさい。そうすれば生徒達が将来、国の重役や英雄、勇者になった時「先生には学生時代大変お世話になりました」と言ってもらえるのだから。我々凡人が、英雄に感謝される日がいつか来る。そう思えば、今日抱いた嫉妬心など些細なものだと思って、生徒に尽くせるでしょう?』ってな。考えるだけで楽しみだろう?」
「わしゃ、もう言われたことあるぞ。【雷槍の勇者】がこの学園いた頃にはもう勤めておったからのぅ!」
「こんな化け物揃いの時に教師やれるなんて、教師冥利に尽きるわよねぇ。十年後が楽しみだわぁ」
「ですよね。アギニス君なんか絶対大物になりますよ! 既に魔王倒しましたからね」
「そうだぜ。俺とお前は運がいいことに戦士科の教師で、来年彼奴らを受け持つことになるんだ。精々たっぷり面倒見てやって、彼奴らが有名になったら呼びつけてやろうぜ!」
そういいながら「深く考え過ぎんなよ」と笑ったサウラ先輩に俺は思わず俯く。そして先輩達からかけられた言葉を、ゆっくりと咀嚼し飲み込んでいった。
…………生徒に、嫉妬してもいいのか。
そう、思った瞬間に、ずっともやもやしていた胸がサァーと晴れていくのを感じた。サウラ先輩が言われたという言葉は、正直教育者としてはどうかと思うが、気持ちが楽なったという点では感動であった。
確かに数十年後、己の子供や孫に『あの英雄は学生時代俺が面倒見てやった』とか言えたら、凄くかっこいいかもしれない。
支えてやりたいと思った気持ちにも、嘘はないんだ。
嫉妬心も劣等感もある。けど、それと同じくらい。いや、それ以上に彼らの行く末を見守りたいと思う気持ちがある。その気持ちが偽善のように思えて自己嫌悪していたが、それでいいのかもしれない。
先ほどの言葉を聞く限り、今まで多くの重鎮や英雄達を世に送り出してきたこの学園の教師達は、そうやって己の感情に折り合いをつけて教鞭をとり続けているらしいから。
「サウラ先輩」
「なんだ?」
「俺、やります! 来年アギニスが戦士科きたらビシバシ指導してやります! そんで老後にでも『あいつは俺の教え子だったんだ』って孫とかに自慢してやります!」
「その意気だ!」
先輩達を前に、力強くそう宣言する。
恐らく、条件無しでアギニスと遣り合ったら簡単にやられてしまうだろうが、彼は幸いにも教師を敬ってくれている。だから精々教師面して、アギニス達が起こす騒動の尻拭いでもしてやろう。これでも彼らの倍は生きているのだ。剣技は無理でも力になれることがきっとあるはずだ。
アギニスの剣技を思い出すと胸がチリリと痛む。しかしそれも誰もが通る道らしいし、ならばせめてこの醜い感情は生徒達に見透かされることが無いよう気を付けようと思う。
それが俺の教師としての、せめても矜持だ。
それで、いつか『ダス先生には学生時代大変お世話になりました』ってアギニスに言わせてやる!
根本的な解決には全くなっていないが、己の嫉妬心と教師の在り方に折り合いのついた俺はそう意気込んだ。
しかし、この時の俺は知らなかった。
この時の決意の所為で、アギニス達が卒業するまでの間、アギニスや彼に係わる人間達が学園内で起こす騒動の後始末に、奔走し続けるはめになることを。そしてそうなるように、先輩教師方が俺を誘導していたことを。
「アギニス君関係の事務処理はダス先生でよさそうですね」
「いやー、上手いこといったのぅ」
「生徒への手助けは惜しまないけど、事務処理とかは面倒だもの」
「だな。まぁ、これもダスにはいい経験つぅことで」
なんて会話が交わされていたなど俺は全く知ることなく、先輩方の優しい励ましと新たに与えられた目標を胸に、教師としての熱意に燃えていたのだった。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました。