第六十二話 セルリー・フォン・テルモス
新人時代を思い起こさせる懐かしい【なんでも屋】のテントの中で緩やかに漂う魔力の残り香を追いながら、先ほど帰って行った友人の孫の姿を思い出します。
私の出した悪戯半分の質問にも怯むことなく答えた少年は、拝礼一つとっても粗野なゼノからは到底想像できないほど優美で、きちんと着こなされた上質な服と相まって公爵を名乗るに相応しい風貌をしていました。
…………中身も悪くありませんでしたしねぇ。
周囲をよく観察しており、頭の回転も悪くない。十年近く前に一度会っただけの私と、少ないヒント達を結び付ける発想の良さも、正体に気づいたにもかかわらず最後までこちらに悟らせず素知らぬ顔を貫く度胸も気に入りました。
「面白い子でしたねぇ」
「…………セルリー様」
「なんです? ニーウ」
「本当によろしかったのですか? 馬牧場からの学外への脱出経路って機密事項でしょう?」
「構わないでしょう。彼はグレイ殿下の右腕ですから。それに知っていたとしても、あの抜け道は並みの魔力では使えませんし、適した属性を持っていなければ意味がありません」
軽薄そうな見た目をしている癖に中身は三人の中で一番真面目なニーウが、心配そうに問いかけてきたのでそう言い切ります。
ニーウは縁繋ぎ料だと言って店の規定金ギリギリを置いて行ったドイル君に、私がサービスとして学園の中でも学園長と馬牧場の管理者しか知らない秘密の抜け道を教えたことを心配しているのでしょうが、それは杞憂に過ぎません。短い間でしたがドイル君は知ったところで悪用はしないと断言できます。
これでもゼノ達と共に長い間、魑魅魍魎が蔓延る王城で王を助け、この地位まで登りつめてきたのです。人を見る目には自信があります。
「ドイル君は心配いりませんよ」
「でも、脱走されると困るので、あの抜け道はご卒業されるまではグレイ殿下にも秘密にしておくようにと副魔術師長様が……」
「私は魔術師長ですよ? 私がいいと言ったらいいのです。それともなんですか? 貴方達は私の決定に逆らう気ですか?」
「「「いえいえ! 滅相もございません!」」」
「よろしい。それではそろそろ転送の準備が整う頃でしょうから私は戻ります。ここを訪ねてくる生徒は少ないでしょうが、あと半日しっかりと励みなさい」
「「「はっ!」」」
心配そうな彼らを権力という名の力で黙らせ、私は【なんでも屋】のテントを後にします。そして【なんでも屋】の敷地内の一角で自身に不可視の魔法をかけて、校舎への転移陣を組みあげていきます。
実をいうと、あの抜け道を使うのにドイル君は十分過ぎる魔力を持っている上に、橋を作るのに適した氷属性を持っているので、抜け道を使って学外に出放題なのですが、あの三人は口煩そうなので黙っておきます。ゼノの孫であることを差し引いても、興味をそそられた少年への私なりの餞別です。
生憎彼の生い立ちに同情してあげるほど私は優しくはありませんが、今日出会ったドイル君には大変興味をそそられました。これほど興味をそそられた子は四英傑を除けば、現副魔術師長を務めている彼以来です。
魔力を与えずとも、精霊の力を借りられる子など初めて見ました。
組み上げるにつれ淡く光り出した魔法陣を見ながら、ドイル君を思い出します。
加護や寵愛を受けた人間であっても、神々や精霊の力を借りる際には代償として己の魔力を差し出します。私だって例外ではありません。
しかしドイル君との会話の最中に感じたのは風の精霊の気配だけでした。俯いて表情を隠していましたが、長年培った私の勘が精霊を動かしたのはドイル君だと告げていました。しかしいくら探ってもドイル君の魔力に動きは無く、隣の従者の魔力にも動きはありませんでした。
勘違いかとも思いましたが、精霊はニーウ達とドイル君の間を行ったり来たりしていたので、ドイル君が何らかの方法を使って風の精霊の恩恵を受けていたのは確かです。
不思議な子でしたねぇ。
その時点で大変興味を引かれたのですが、その後見せた彼の機転の良さと度胸の良さにはやられました。驕る馬鹿や勘違い野郎は魔法の実験台にしたいくらい嫌いですが、大胆不敵な者は大好きです。昨今の子供達は頭でっかちで小心者が多いですからねぇ。慎重なのは大いに結構ですが、ドイル君くらい豪胆でいて下さらないと相手取るにしても面白くありません。
私の与えた情報を生かすか殺すかは、君次第ですよ。
家臣達に貰ったという緑色の槍を望み通り直してやれば、嬉しそうに振って顔を緩ませたドイル君の姿を思い出しながら、マーナガルムを王城に転送する為の準備をしている魔術師達の元へ戻る為、私は己の組んだ魔法陣を発動させます。
「【転移】」
己の組んだ魔方陣の光りに包まれながら、近い未来に己が起こすだろう騒動を思い私は笑みをこぼしました。
【なんでも屋】の敷地内から転移して校舎に戻った私はマーナガルムを転送する為の輸送陣を組んでいるグラウンドへと足を進めます。
途中通りがかった教師と二、三言葉を交わしましたが、その教師は戦士科らしく今一話が盛り上がらず、それどころか早々に逃げられてしまいました。どうやらあの教師は私のことを知っていたようです。残念。
魔術師長の職についてからは王城の研究室に籠りっぱなしだったので、若い世代の子達は私の容貌を知らない子の方が多く。彼らの無知を逆手にとって、最後に正体を明かし反応を見るのが外出時の楽しみだったのですが仕方ありません。
今日はドイル君という思いがけない収穫もあったことですし、そろそろ大人しく仕事をすることにします。
あとでゼノに、お前の孫に会ったと連絡を入れてやりましょう。
きっと面白い反応を返してくれるでしょうね、と旧友の反応を思い浮かべ胸を弾ませます。ゼノをからかうのは私の生き甲斐の一つです。
最近ようやく孫の苦悩を知り、見る目を変えたらしいゼノは孫とここ数年間で出来た溝を埋めたくて仕方ないようで。卒業まで待てばいいものを、老い先短いのだから待てないと言っては周囲の者を困らせています。
日がたつにつれてボロボロになっていくゼノの側近達を見る限り、ゼノの引退の意志は固く。今はまだ弟子達に手加減してあげているようですが、近いうちにこの国の大元帥は代替わりするでしょう。
ゼノの誘いに乗るのもまた一興ですねぇ。
かく言う私も一緒にどうだと誘われています。
引退して研究三昧の生活は魅力的でしたが、王城の研究設備に未練があったので今まで保留にしていました。しかし、次に誘われたら頷いてあげようと思います。王城と比べれば学園の研究施設は質が落ちますが、ドイル君ほど興味をそそられる存在は王城にはいませんからね。ゼノの想いとは少々違いますが、私もドイル君の行く末を側で見守りたいと思います。
是非、近くで研究させてもらいましょう。
対価の魔力を払わずとも、力を借りることができる稀有な子です。これほど興味を引かれる体質の子はそうはいません。久方ぶりに私の研究者魂がうずきます。
引退した後は、学園の名誉教授にでも潜り込みましょうかね。五月蝿い連中もいるでしょうが、権力で黙らせれば済む話です。私はゼノと違って穏便に済ませる気は毛頭無いので、邪魔する者は全て潰してしまえばいい。
私とゼノがそろえば王だって折れるでしょう。私もゼノもまだまだ若い者達には負けませんし、仮にもこの国の大元帥と魔術師長です。いざとなれば強行突破すればいいだけです。
そうと決まれば、目の前の仕事を片付けて引退の準備をしなくては。ゼノ達と共に長い年月を国に捧げてきましたから、片付けなければならないモノが沢山ありますからねぇ。
くすくすと笑みを零しながら、これからの余生を想像します。思い浮かべた未来図に、年甲斐もなくうきうきしながら皆の元に戻れば、私の指示通り魔方陣を組み終えたらしい弟子達が私を出迎えてくれます。
「おかえりなさいませ、セルリー魔術師長様。丁度今ゼノ大元帥様からご連絡がきております」
「貸しなさい」
「はい」
噂すれば何とやら。こちらから連絡を取ろうと思っていたというのに、向こうから連絡を寄越すとはこちらの手間が省けます。ドイル君との邂逅も偶然の賜物でしたが、偶然とは続く時は続くものなのですねぇ。
「貴方の孫に会いましたよ、ゼノ。とても興味がそそられるいい子でした」
『相変わらず挨拶もすっ飛ばして話し出したかと思えば、ドイルに会ったじゃと!? 儂だって模擬戦以降会っておらんというのに、貴様のような魔術馬鹿に先を越されるとは何たることか! お主、よもやドイルにちょっかいかけてはおらんじゃろうな!?』
「煩いですよ、ゼノ。貴方もお孫さんを見習ってもう少し優雅にできないのですか。仮にも元公爵の癖にまるでならず者のような騒がしさです。粗野な貴方を必死に公爵らしく見せようとしていた、セバスの苦労が偲ばれます。何故アメリアは貴方の様な人を選んだのか、未だに理解できませんねぇ」
『余計なお世話じゃ! アメリアは数多居た男共では無く儂を選んだ。その事実は一生変わらぬ! 現にこの世にはアランもドイルもおる!』
「二人はアメリアの血が濃く出たようで何よりです。アラン殿はアメリアの面影がありますし、ドイル君はアラン殿とセレナ殿の血を継いで美丈夫ですしねぇ。話した限りドイル君は気風も良く頭の回転も速い。数年前の噂と同人物とは思えませんよ」
騒がしい旧友の声を聞きながら、今日出会ったドイル君の感想を聞かせてあげます。
悪い噂ばかり聞こえてきていたドイル君でしたので、あれほど興味をそそられる存在だとは思ってもみませんでした。魔術師としての才能も申し分ありませんし、中身も大変よかったので、私が直々に鍛えてあげてもいいくらいです。
『お主、会っただけではなく言葉を交わしたのか!?』
「たまたま時間が空いたので【なんでも屋】に視察に行ったら、お客様として現われまして。面白そうだったので私が対応しました。アラン殿の腰辺りまでしかない時期に一度会ったきりだというのに、偽名とテントに満ちる魔力量で私の正体を当てましたよ。依頼はマーナガルムとの戦いで粉々になってしまった緑の槍を直して欲しいというものでした。大破していたので諦め半分で持ち込んだようでしたが魔法を使って直してあげれば、目をキラキラさせて顔を綻ばせて。大人びた雰囲気でしたが、貴方に似ず素直で可愛らしい子でしたねぇ。――――――ところで何の用です、ゼノ?」
『散々自慢して、今更用件か! この性格破綻者め!』
「失礼な。私は人よりもほんの少し、遊び心があるだけですよ」
『その遊び心が性質悪いんじゃろうが! 大体昔からお主は加虐嗜好で――――、』
「はいはい。それで用件は?」
『ぬぉーーーーーー!「ちょ、元帥、通信機は壊さないで下さ――」』
ブッチン!
側に置けるのでドイル君を弟子にする案はいいかもしれません、等と考えながら旧友との通話にいつのも調子で返せば、不穏な音をたてて通信が切れました。先ほどまで淡く光りながら、ゼノの声を届けてくれていた通信機は光を失い沈黙しています。ついでに私の側で会話に聞き耳を立てていた魔術師達も沈黙してしまいました。
まぁ、またそのうちかかってくるでしょう。
ぐるりと周囲を見渡しそう結論付けた私は、光を失った緑の魔石を近くにいた魔術師に渡し、マーナガルムの元に向かいます。そろそろ王城に戻らないと副魔術師長が煩いですからね。何も難しいことは無い、規模が大きく魔力量が必要なだけのつまらない仕事でしたが、これも最後の大仕事と思えば悪くありません。
何事もなかったかのように行動を再開した私に、周囲の者達が顔を引きつらせていますが、いつものことです。
ゼノが先ほど叫んでいたように性格破綻者とか加虐嗜好とよく言われますが、私自身としましては独善的で少々遊び心があるだけだと思っています。
ゼノに言わせれば、その遊び心は獲物を嬲って遊んでいるだけらしいのですが、私にはよく分かりません。まぁ、私の興味は人知を超えた神々や精霊達、そしてその恩恵を強く受ける魔法ですので、他人にどう言われようとも構いませんけどねぇ。基本は己がよければそれでよしですし。
「転送陣は出来ましたか?」
「へっ? は、はい! 出来ています!」
「そうですか。では魔法陣にマーナガルムを乗せて下さい。そろそろ帰りますよ」
「はっ、ただちに! ――――――――ところで、セルリー様先ほどの通信はよろしいのですか? 大元帥様は現在深淵の森に向かっているはずですが……」
「大丈夫でしょう。ゼノはそう簡単には死にませんから」
「いや、でも……」
「重要な用件ならすぐにかけ直してきますよ。そもそも、ゼノは貴方ごときに心配されるような脆弱な人間ではありません。仮にも【炎槍の勇者】なのですから、心配するだけ無駄ですよ」
そう、ゼノは殺そうとしたって簡単には死にやしないのですから、心配など無用です。私の魔術を受けて生きている人間など数えるほどしかいません。ゼノはその一人ですから、魔獣ごときに遅れを取りはしないでしょう。
「魔術師長様、通信機が……、」
「貸しなさい」
【炎槍の勇者】の名を轟かせた旧友を思い返せば、先ほど通信機を渡した魔術師がおそるおそるといった様子で再び淡く光り始めた通信機を差し出してきたので受け取ります。そして、交信を求める通信機に己の魔力を流して許可を与えます。
『セルリー!』
「はいはい。用件は?」
『ぐぬぅ……!「大元帥! 抑えてくださいよ!」わかっとるわ! …………用件はドイルが斬ったマーナガルムじゃ!』
「ふむ。ドイル君が斬ったマーナガルムの具合が知りたかったのですか。孫馬鹿ですねぇ」
ドイル君の成果を知りたかったらしいゼノにそう返します。王命で深淵の森に向かっているというのに、森の様子よりも孫の成果が知りたいとは最近のゼノは孫馬鹿ですねぇ。まぁ、【炎槍の勇者】が率いる部隊が魔獣狩り程度で怖気づくとは思いませんから、予想通りといえば予想通りの内容ですが。
『無駄口はいらんからどんな状態かだけ話せ!』
「気の短い男はみっともないですよ、ゼノ。――――君のご所望の情報ですが、見事の一言ですね。マーナガルムの巨体を、眉間を境に尾まで綺麗に一刀両断です。細かい傷もありましたが間違いなくドイル君が仕留めたんでしょうねぇ。断面はきれいに純度の高い氷魔法で覆われていましたよ。透通るような美しい氷で彼が高位魔法の使い手であることが伺えます。これほどの使い手なら是非、魔術師団に欲しいですねぇ。重さからいって後から氷漬けにした訳では無いです。あの重さは血液が体内に残っている証拠です。そうそう断面を見ればわかりますが、斬り口も綺麗なものでしたよ。素晴らしい剣技と氷の純度が高いお蔭で中身までくっきりです。情けないことにその綺麗すぎる断面に新人が何人かやられてしまいましたが、血管から臓物の配置まで綺麗にみ『~~分かった! もうよい!』――そうですか?」
『何故お主は、いちいち感に触る話し方しか出来ん!? こっちの新人まで潰す気か!』
「普通に話しているつもりなんですがねぇ? この程度で気分を悪くするなど、騎士を諦めた方がいいのでは? 死体などこれからいくらでも見るのですから」
『お主の話し方が恐怖を煽ると昔から言っておろうに! これだから、無自覚な加虐嗜好は性質が悪い。――――もうよい。用件は済んだから切るぞ』
「はいはい。私もそろそろ帰らないと煩いのがいますからね。お仕事して研究室にこもるとしましょうか」
『――――――例の件、考えておいてくれ。この国に老骨はもう要らぬ』
「そうですねぇ。貴方が深淵の森から帰ってきたら一緒に国王の元にいきましょうか」
『!』
「気取られると周囲が煩いので詳しい話はまた後で。早く帰ってきてくださいね」
『おい、まてセルリー! 一体どういった風の吹きまわ――』
押し殺した声で付け加えるように告げられた言葉に私も密やかな声で答えます。そして通信機から聞こえるゼノの声を無視して、プツンと交信を切りました。その後も交信を求め通信機が瞬いていましたが、無視して通信機を袖にしまいます。袖越しに緑の光が点滅しているのが見えますが、その内静かになるでしょう。
「さぁ! 王の元に帰りますよ! 皆配置につきなさい!」
「「「「「はっ!」」」」」
私を見つめる魔術師達にそう命じれば、バタバタと慌てて動き出します。そんな彼らを見つめながら、ゼノが帰ってきた後を想像すればクスリと笑みが零れました。
私が引退すると告げればこの弟子達もゼノの弟子達のように騒ぐのでしょうが、そろそろ彼等にも親離れして貰わなければいけません。孫世代が育ち始めているのに、親世代の彼らが我々四英傑の名に負んぶに抱っこでは示しがつきませんからね。丁度、余生をかけて研究するのにいい題材も見つかりましたし良い機会でしょう。
こうやって見守るのもまた一興、ですねぇ。
私達が戦乱を乗り越えこの国の歴史を刻んできたように、目の前の弟子達やドイル君達がどのような行動を選択し、この国の歴史を刻んでいくのか静かに見守るのもまた一興です。きっとこの子達なら、私達が志し渇望した未来を築いていってくれることでしょう。
残り少ない余生、子供らの側で過ごすのも悪くありません。
私達が数多の出会いと別れを繰り返し、時にこの手を血で染め守ってきたこの子達がこれから築いていく温かな未来を想像しながら、自身の御役目の終わりがすぐそこまで来ていることをひっそりと確信しました。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました。