第六十話
さて、今更だがこの学園は大きく分けて四つの学科に分けられる。
剣士や槍使い、弓使いなど主に武器を主体に戦う者達が属する戦士科と、魔法を主体に戦う魔法科、薬や毒を専門に扱い治癒士などを目指す薬学科、そして一年生が所属する総合科の四学科があり、生徒達は二年生の進級時に戦士科か魔法科か薬学科の三学科のうちどれか己に合った学科を選ぶ。
二年生からの授業は大学の授業に近く、礼儀作法や合宿等の学年共通授業以外は自身が選んだ学科内で必要な授業を選択し己の才能を磨いていく。
一方、一年生の授業形態は二、三学年とは異なり、どちらかというと中学校の授業に近い。適正や目標関係なく適当に振り分けられた教室で、一年間学園が定めた語学や算学に礼儀作法、様々な武器や魔法を使った戦闘の基礎訓練を行い己の適性や将来の方向性を見極める形だ。
どの学年、学科も授業の厳しさに変わりはなく、だからこそこの学園を高等部まで卒業することに意義がある。高等部の生徒達は三年間、最高の設備を使い、一流の教師陣に導かれ将来国を担うエリートの一員として高い能力と志を持った同級生や先輩後輩に刺激を受けながら育ち、ゆくゆくはこの国を支えていく礎となる。
それだけ聞くと、この学園はとても素晴らしい場所に感じられるのだがそんな甘い話があるはず無く。この学園は、決して綺麗事だけで過ごせる場所ではないのが現状である。
平民達はその才能や能力を潰されないよう自身を守り、能力を生かす場を与えてくれる主人を探さなければならず、貴族子弟はここで培った人脈や派閥がそのまま将来の人脈や派閥に影響するので、人材の青田買いや友好的な貴族との人脈作り、非友好的な貴族の弱みを握るのに忙しい。
言うなればこの学園は、貴族社会と国の中枢を担う官僚や政治家、または国を発展させる研究所といった国の主要機関全てを凝縮した小さいこの国そのものである。その為、ライバル達を在学中に上手く排除できれば万々歳と思っている者も少なくはない。
そういった権力闘争がある以上、それによって学園を去る者も少なからず居る。しかし、それと同じくらい無二の親友や命を預けられる仲間を得る者もいる。唯一の主人に出会い、想像もしていなかった大出世をする平民もいれば、その身を挺して己を守ってくれる部下を得る貴族もいる。
とどのつまり、その者の過ごし方次第で天国にも地獄にもなる学園なのである。
とはいえ、そんなエリート意識が高く弱肉強食を地でいく学園の生徒達にも楽しみはあるわけで。その中でも今日開催されている【学園商店街】は最も身近で、親しまれている学生達の楽しみである。
月に一度訪れる【学園商店街】中は、普段馬や走り込みをしている生徒くらいしか通らない寮と馬牧場の狭間に横たわる大きな一本道の両脇に、夏祭りの出店のようにズラッと店が立ち並ぶ。店の種類は多岐に渡り武器や防具、文房具などを取り扱う雑貨屋に、装飾品や菓子類などを取り扱った娯楽系の店と生徒達を楽しませてくれる。
さらに【学園商店街】では国の協力の元、王都に店を構える店や職人達から将来への投資として、格安で商品や武器点検等のサービスが受けられるようになっている。どの店も普段は王都に店を構えているだけあって高品質な商品やサービスが受けられる上に、この閉鎖された学園内でも最先端の流行を知ることができる【学園商店街】はまさに生徒達にとっての憩いの場なのだ。
「いらっしゃいませー! 一年生の方は三割引でナイフ磨きを承りまーす!」
「さぁさぁ、これが今王都で一番人気のお菓子だよ! 残りは今出ているだけだからね。早い者勝ちだよ!」
元気のいい売り子達の声と楽しそうな生徒達の声が飛び交う学生商店街は、多くの人で賑わっている。道を行き交う客達が十五~十八歳の少年少女だけでなければ、王都の大通りと遜色無い光景だ。
…………元気だなぁ。
にぎやかな学園商店街の雰囲気に押され、若干現実逃避していた俺は少年少女特有の元気の有り余った声を聞きながらそんなことを思う。三年生はまだしも一、二年生は昨日合宿から返ったばかりだというのに学園商店街には普段と変わらぬ数の生徒達が溢れていた。
「おい、あの人――――、」
「ああ。合宿で――――、」
合宿の疲れなどまるで感じさせず久々の学園商店街を友人達と楽しむ生徒達の姿を見て、今更ああはなれないなと思いながら歩いていると、武器の手入れにでも来たと思われるボロボロの剣を持った二人の男子生徒が不意に足を止める。
そして往来で足を止めた男子生徒達に釣られるように、たまたま彼らの側をすれ違った女生徒の一人が足を止め振り向いた。
「! ――――ねぇ、あそこ」
「――わぁ」
「……まぁ、あの方は」
最近有名な菓子店の袋を持った女生徒は、突然噂話を始めた男子生徒達の視線の先を追うと側にいた友人に声をかける。声をかけられた友人二人は女生徒の密やかな声に一瞬怪訝そうな表情を浮かべ、女生徒が視線で示す方角を見る。そして一人は感嘆の声を、もう一人は驚きの声を上げて頬を染めた。
「流石、公爵様。普段着も素敵ですわ」
「きゃっ! 今目があったわ!」
「えー? うそだぁ」
「嘘じゃないってば。ほらっ、こちらを見てるわ!」
そういいながらはしゃぎだした女生徒達に周囲も何事かと辺りを見渡す。そしてその視界に俺とバラドの姿を捉えると、先に足を止めていた生徒達のようにこちらを見ながら一緒にいる友人達と噂話を開始する。
「……アギニス公爵家の、」
「合宿でマーナガルムを倒したって本当なのか?」
「お強い上に、あのご容姿」
「ええ。性格もお優しいそうでクレア王女様が羨ましいですわ」
「そういえばこの間、クレア王女様にとても素敵な贈り物を――――、」
そうやってパズルの連鎖反応のように、徐々に足を止める生徒達が増えていく。そして口々に噂話をする生徒達の姿と次第に増える視線に、俺の眉間の皺も徐々に深くなっていった。
やはり妥協すべきではなかったか。
集まりだした視線に、朝食後ほとんど俺を待たせることなくこの服を持ってきたバラドを思い出してそんなことを思う。
どう考えても初めからこの服を用意していたとしか思えない素早さで行動したバラドに思うことは多々あった。しかし期待に満ちたバラドの目に負けて服を受け取ってしまったのだ。あの時の判断を今更後悔したところでどうにもならないのだが、どこに行っても集めてしまう視線に後悔が募る。今日一日この状態で過ごすのかと思えば、文句の一つや二つは言いたくもなるというものだ。
確かに動き易くて、装飾品は一切無いけどな…………。
集まる視線を避けるように、己の服に視線を落とす。
今の俺の服装は、ダークグレーの布に金糸で裾や袖口や襟元に装飾が入れられた詰襟のジャケット風の上着に、揃いのズボンとベスト。白いシャツに瞳の色に合わせたという紫のアスコットタイを締めている。これに肩章や飾緒などをつければ、軍人の礼装として通用しそうな服装である。
バラドの見立てだけあって着心地は良く動き易いし、最近少し大人っぽくなった俺の容姿にはとてもよく似合っていた。というか、似合い過ぎている所為で先ほどから多くの人々がすれ違っては振り返っている。
父上と母上の顔からすれば当然と言えば当然の結果だが、唯でさえ人目を引きやすい俺の容姿に加え、バラドの選んだ服の所為で視線がいつもより三割増しである。これで装飾品があったらもっと視線をいただいていたことだろう。
容姿か雰囲気かは分からないが、とにかく俺に目を引かれた生徒達は振り返る。そして俺が誰だか気が付くと足を止め、今度は服装や合宿等の噂話で盛り上がり、その騒ぎ見た別の生徒が原因を探し、俺に気が付き同じように足を止めるという悪循環。
「装飾品を全て無くした質素な装いでありながら、これほどまでに人目を集めてしまうとは流石ドイル様でございます! 蝶達が花を探し集まるのが自然の摂理であるように、ドイル様の滲み出る気品と高貴さに目を引かれてしまうのは、人の性なのでしょう! かくいう私も、初めてお会いした日からドイル様に魅了されておりまして――――――!」
そして振り返り噂話をする生徒達の姿を見ては、感極まってスイッチの入るバラドという負の連鎖。着替えを済ませ外に出てからというものずっとこの繰り返しである。
以前から話題が多く何かと噂話に上りやすかった俺だが、合宿でマーナガルムを倒したのが駄目押しだったらしく、今日はいつも以上に多くの生徒達から注目されている。聞いている限りどれもいい噂のようだが、こうも注目されてしまっては行動しにくくて仕方ない。
「思い返せば、ドイル様は幼い頃から――――、「バラド」――はい! いかがされましたかドイル様?」
「店に着くまでは、まだかかるか?」
「いえ。あの右手のテントの影に目的の場所がございます」
「そうか」
気にしないようにしていても鍛えられた己の体は反射的に人々の視線や会話を感じ取ってしまう為、俺は告げられたバラドの返答に心から安堵した。
……あそこか。
バラドが示した先を確認し、目的地まであと50メートルも無い距離に胸を撫で下ろす。
部屋を出てからここまで大した距離は無いにも係わらず、その間、何度となく繰り返された負のスパイラルに、偶にはバラドの称賛モードに付き合ってやろうと考えていた朝食時の余裕は既に無く。鬱陶しいほど集まる視線と、繰り返されるバラドの称賛に俺は帰りたい気持ちで一杯だった。
しかし今日を逃しては学園商店街が開催されるのは、約一月後である。その上、修理には相当な時間が必要とされるのは容易く想像できる為、ここで逃げ帰る訳にはいかなかった。
…………しかし狙っていたとはいえ、こうもあからさまだとな。
集まる視線の多さと、中等部時代と比べると手の平を返したような周囲の反応に苦笑いが浮かぶ。
入学式から今日まで、できる限り人当たり良く過ごしてきたつもりだ。教えを請われれば相手が理解できるまで付き合ったし、誰に対しても礼節を忘れずに接してきた。模擬戦や合宿もできる限りの努力はしてきた。お蔭でドイルの評価は入学当初と比べれば格段によくなったと思う。
実際、こうして肌に感じる視線は興味、好意、尊敬、憧憬などで満ちており偶に疑心暗鬼な視線も感じるものの、中等部時代に感じていた視線とは異なり概ね好意的だ。当初の目的であった己に立っていた死亡フラグを折るというのは達成できたと思っていいだろう。模擬戦とリュートとの馬術勝負、合宿での成果を加味すれば俺がグレイ様の側にいようとも正面切って文句を言ってくる者もいないはずだ。
視線は鬱陶しいが、努力の結果だと思えば悪くはない。
どれだけ意識をそらそうとも無意識に周囲を探ってしまう為、集まる視線を鬱陶しく感じるのは確かだ。しかし、中等部時代と明らかに異なる質の視線達は入学式から今日までの行動によって俺の評価が好転した証でもある。
出歩けば係わりたくないとばかりに顔を伏せられていた中等部時代を思えば、喜ばしい変化だと思うべきだろう。それに努力してきた分、評価が上がるのは素直に嬉しい。
「…………ねぇ、お声をかけてみましょうよ」
「そうね。もうすぐお昼時だし、もしかしたらご一緒してくれるかも?」
だがしかし、その好意が能力に対するものではなく異性に向けた好意となれば話は別である。
この学園に通う生達の上昇意識は男女ともに高く、基本はエリートとして国の礎になると言っても男女の目的の違いはある訳で。働く女性が増えたと言っても、国の風潮として嫁いで子を成すことが女性の一番の仕事とされている以上、玉の輿を狙う女生徒は後を絶たない。
そして自分でいうのもアレなのだが、廃嫡の危機を脱した今の俺は家柄、容姿共に優良物件である。クレアの存在を知っていても、お近づきになろうとする令嬢方が後を絶たないくらいには。
「バラドっ」
「はい。こちらです、ドイル様」
こちらに来ようとしている女生徒の姿を視界に収めた俺は、バラドの名を呼ぶ。そしてそんな俺に心得ているとばかりに歩く速度を速めたバラドの後を同じように速足で歩きながら店を目指す。
グレイ様と同じ班に選ばれた時から女生徒からのお誘いは後を絶たず、今日だってここに来るまでの間に何度も声をかけられた。というか、それがこの疲労感の一番の要因と言っても過言では無い。令嬢達のあしらい方を知らない訳では無いが、女性の集団を相手にするのは骨が折れる。彼女達のプライドを傷つけず、かつ期待を持たせないように断るのは大変な労力が必要なのだ。できるだけ避けたいと思うのは俺だけではないだろう。
だから目を引く服装は嫌だったんだっ!
互いに牽制しつつ、速足で歩く俺との距離をじりじり詰めながら声をかけるタイミングを計る彼女達に肉食獣の気配を感じる。ここで目を合わせようものなら確実に声をかけられ、捕まるだろうことは想像に容易い。
足を止めた瞬間やられる! と思わせる雰囲気を感じ取った俺はバラドの足元へと意識を集中させる。虎視眈々とタイミングを計る彼女達に声をかける隙を与えないよう、バラドが足を止める瞬間を見計らい店に足を向けなければならないからだ。
「あっ!」
「アギ「こちらが、ドイル様ご所望のお店でございます」」
思った通り、足を止めた途端俺に誘いをかけようとした令嬢の声にわざと被せ、周囲に聞こえるように言ったバラドに心の中で親指を立てる。
そのままバラドの機転に乗っかり、令嬢達の声に気が付かなかった振りをして店の敷地内に足を踏み入れる。背後から残念そうなため息が聞こえてくるが店の敷地に入ってしまえばこっちのものである。
学園商店街にはその性質上、普段だったら俺達のような餓鬼など相手にしない一流の職人も他の職人に紛れて店を構えていることが稀にある。生徒達に人を見抜く目を養わせる為と職人達の好奇心らしいが、うっかり気を抜いていると学生時代の粗相が原因で将来本当に必要とした際に相手にして貰えないなんてこともある。
その為、武器屋や薬屋、何でも屋など職人や玄人筋の人間が構えていそうな店に用も無いのに足を踏み入れる愚か者は滅多にいない。
着いた!
無事に店の敷地内に入れた喜びに顔が綻ぶ。
貴族である以上、女性に声をかけられたのに無視するといった非紳士的な態度とることは醜聞に繋がる。だからこそ、ここに来るまでに大変な労力を払いながら声をかけてくる女性達に丁寧な対応をせざるをえなかったのだが、ここまで来てしまえばその心配も無い。
先ほどのバラドの行動も非紳士的ではあるが、あれくらいはまぁ、ギリギリセーフだろう。
己の評価が上がりいい意味で周囲に注目して貰えるのは大変喜ばしいのだが、女性からの好意は正直いらない。クレアも幸せにできるか不安だというのに、側室や愛人など立候補されても困るのだ。
お淑やかに見せつつその実、積極的に自身を売り込む令嬢達を思い出し大きく息を吐く。女性の集団は何故あんなに手強いのか、などと考えながらバラドに目で助かったと伝えれば、俺の心情を正しく理解しているらしい従者はひっそりと笑いながら俺を労わる言葉を口にした。
「お疲れ様です。ドイル様」
「バラド」
「――――失礼いたしました。人望を集められるドイル様のお姿が嬉しかったもので、つい」
「…………元はと言えば、お前がこんな服を用意するからだぞ。こうなるのが分かっていたから、普段着でいいと言ったんだ」
「本日の服装はアギニス公爵としては質素過ぎる装いでございます。将来的には公爵に相応しい装いを日常的にされるですから慣れてくださいませんと。――――それにどれだけ豪華絢爛な装いをしようとも、中身が伴わなければそれまでです。この学園の者達は見てくれに騙されるほど甘くはありません。そんな生徒達が男女問わずあれほどまでに魅了されるのはドイル様だからこそでしょう! 今更ドイル様の魅力に気が付いたのかと思うと口惜しい気持ちもございますが、バラドはドイル様の素晴らしさを知る者が増えて大変嬉しゅうございます!」
女生徒達から逃げ切りほっとしている俺を見て、ほくほくと満足気に笑ったバラドに不満を述べればさらに笑みを深めてそう切り替えされる。そんなバラドの態度に言いたいことは山ほどあったが、今日のテンションを見る限り言っても無駄だろうと判断した俺はそれ以上不満を述べることなく口を噤む。
周囲の俺を見る目が好転したことを喜ぶバラドに感謝すべきか、それともこうなることが分かっていながら敢えて俺の容姿が引き立つように飾りたてたことを叱るべきか激しく悩む。
「ドイル様が至上の主であることは今も昔も当然のことでございましたが、このように多くの方がドイル様に魅了されている様を拝見すると感無量でございます! ようやく! ようやく、皆様方もドイル様の偉大さに気付かれてっ!」
上機嫌なバラドの姿を見て複雑な気分になりながら悩んでいた俺に、バラドは大・満・足! といった表情を浮かべながらそう言い切った。
握った拳を震わせながらそう告げるバラドは本当に嬉しそうで、相変わらず突っ走っているバラドの言動に俺は思わず脱力して笑ってしまった。
「ドイル様?」
先ほどまで不満気な顔をしていた俺が急に笑い出したのを見て、バラドが不思議そうな表情を浮かべて俺を呼んだ。自身の言葉が可笑しいとは露ほども思っていないだろうバラドに、何とも言えない気持ちがこみ上げてくるのを感じる。
いつだって俺を信じて一番だと言い切ってくれるバラドに、色々どうでもよくなった俺はひとしきり笑ったあとバラドに声をかけた。
「…………いい加減入るか」
「? はい!」
そんな俺に首を傾げながらも元気よく返事を返したバラドに笑いかけ、俺は当初の目的であった何でも屋の敷居をまたいだ。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました。