第五十八話
シャッと勢いよく開けられたカーテンとともに、柔らかい日差しが寝台に差し込み、瞼を閉じていても感じる光の強さに眠りからゆっくりと意識が浮上していく。だんだんはっきりしていく意識の中、肌に感じる日差しの強さに、ああ、今日はいい天気だなと思う。
差し込む暖かい日差しが心地よくてついつい二度寝したい気分になるが、部屋の中に広がる美味しそうな朝食の香りに食欲が睡眠欲を上回るのを感じ、寝起きで焦点の合わない目をこすり寝台から身を起こす。
「――――おはようございます、ドイル様」
「……おはよう」
バラドと朝の挨拶を交わしながら、バキバキと寝起きの体をほぐす。
合宿も無事終了し、学園に戻って一日目の今日。合宿の疲れを癒す為に与えられた連休の初日は、からっとした空気が気持ちのいい晴天だった。
合宿の2日目。
マーナガルムを斬った後の事を言い表すなら、「大変だった」の一言である。
興奮する戦馬鹿と、心配なのか称賛なのかよく分からない言葉を言い募るバラドと、全部吐けと迫りくるグレイ様。いくら槍を巻いていたから大丈夫だといっても「いやいや、ありえねぇから!」といって怪我を探すレオ先輩と、凍りついた周囲で遊びだすリェチ先輩とサナ先輩。慌ただしく他の先生方と連絡を取るテレール先生と、マーナガルム達一体一体の生存確認に奔走するダス先生。
九死に一生を得た直後だから仕方ないと言ってしまえばそれまでだが、とにかくもう、収拾をつけるのが大変な状況だった。
「――――な、何が『大丈夫だったでしょう?』だ!? 何故一人で倒せる!? ありえないだろう! 説明しろ!」
「いや、説明しろといわれても――――」
「この状況は何だ!? 何であんな一撃で森が凍りついてんだ!? その上、マーナガルムを一刀両断だと!? ふざけるのもいい加減にしろ、ドイル!!!」
唖然としているグレイ様を立たせてやれば、次の瞬間我に返ったグレイ様に胸ぐらを掴まれガクガクと揺さぶられる。色々なことに驚き過ぎて怒りに変わったらしいグレイ様は、俺の胸ぐらをつかんだまま執拗に「説明しろ!」と迫ってきていた。
「んなこと言われても――――「ドイル様!」」
「ば、バラド」
「ご無事で何よりですドイル様! ドイル様が大丈夫と仰るなら大丈夫なのだろうと思っておりましたが、マーナガルムに腕を噛まれた際にはもう駄目だとっ!」
グレイ様への返答に困っていると、空いている手をガシッと掴まれる。「今度は誰だ!?」と掴まれた手の先を見れば、バラドが縋り付くように俺の手を握っており、感動か心配か分からないその表情に「面倒な状態できやがって!」と心の中で悪態をついてしまう。
怒っているグレイ様と、心配と感動から涙を浮かべるバラドに四苦八苦していると、さらに間の悪いことに興奮したジンと薬箱を抱えたレオ先輩が俺の元へとやってくる。
「ドイル様! 素晴らしい戦いでした! 私ではドイル様のお相手になれないのは重々承知しておりますが、是非俺と再戦をっ!」
「んな話は後にしろ、シュピーツ! 今はそれどころじゃねぇだろうがっ! う、腕は!? 腕はついてるか!?」
尻尾をブンブンと振りながら再戦を申し込んでくるジンにレオ先輩同様「今はそれどころじゃねぇんだよ!」と心の中で悪態をつく。その間にレオ先輩はバラドが掴んでいる手とは逆の左腕を優しく、しかしガシっという表現が似合いそうほどしっかりと握り固定すると、異常はないか診察を開始していた。
「「すっごーい! 一面キラキラしてるー!!」」
「待ちなさい! まだ生きている奴がいるかもしれないから、危険だ!」
場にそぐわない楽しそうな声をあげ走りだしたリェチ先輩とサナ先輩を制止する余裕など既に無く。未だスコル達の死体が転がる場所で遊び始めた二人をダス先生が慌てて追っていったのを見ながら、俺も一緒に行きたいと心の底から思った。
しかし、いくらそう願ったところで現状に変化がある訳もなく。右、左、正面と三人に固定され身動きが取れなくなった俺は、助けを求め周囲を見渡すがそんなものはどこにもなかった。
「ドイル様! 何で傷がねぇんだ!? ありえねぇ!」
「ドイル様! 手合わせがお嫌なら是非、ご指導を!」
「ドイル様! 大丈夫だとは思っていましたが、それでもバラドの胸は心配で押し潰れそうでございましたっ! ドイル様のお守りくださるとの言葉は本当に頼もしかったのですが、今後は私を盾に――――っ!」
「ドイルっ! とにかく今すぐ隠していること全部吐け!」
…………カオスだった。
唯でさえ今回の合宿はグレイ様に怒られるわ、過去話することになるわ、魔王に遭うわで色々あったというのに、ようやく命の危機が去ったと思ったら皆からのあの仕打ちである。
心配してくれていたのは重々承知していたが、グレイ様に胸ぐら掴まれ揺さぶられながら高等部の合宿とはかくも激しいものなのかと、気が遠くなった俺は悪くないだろう。
その後、「帰ってから話すから!」となんとかグレイ様を説得し、レオ先輩を本当に大丈夫だからと言い聞かせリェチ先輩達を回収に行ってもらい、ジンを「今度な」とあしらい、声高らかに俺を称賛するバラドを宥めた。
それら全ての収拾がついた頃には日はとっぷりと暮れており、既に倒したとはいえマーナガルムに追われていた俺達は特別に先生達と共に最後の晩を過ごし、翌日は特に問題もなく集合場所に向かい合宿は終了した。
そして、再びブランに跨り学園へと帰還したのが昨日の夜。そして今日明日は合宿で疲れた体を休め、消耗した武器や諸々の雑貨を補充できるよう連休となっている。
合宿中大いに役立ってくれたことだし、折角なのでバラドもこの連休は好きにするように昨日言ったのだが、しっかりと身支度を済ませた状態で俺の世話に勤しむバラドは従者の鑑というか相変わらずである。
「ドイル様」
「ありがとう」
俺が体をほぐし終わるのとほぼ同時にぬるま湯を溜めた洗面器のセットを差出してきたバラドに礼を言いながら、寝台に腰掛け顔を洗う。ふわふわのタオルで顔を拭い、ようやくスッキリした頭で部屋を見れば、寝台の脇に用意された飴色のテーブルに美味しそうな朝食が一人分用意されていた。
焼きたてのスコーンのいい香りに食欲を刺激され吸い寄せられるように寝台から立ち上がりテーブルに向かえば、いつの間にか洗面器のセットを片付けたバラドが椅子を引いてくれたので、そのまま席に付き朝食に手を付ける。
「お飲み物はいかがなされますか?」
「…………紅茶を」
「かしこまりました」
返事と同時に注がれた琥珀色の紅茶をすすりながら、ちらりとバラドの後ろを見れば紅茶以外にも果物を使ったジュース二種類と牛乳らしきものが用意されているのが目に入る。次いで手元に視線を落とせば、サラダとオムレツにスコーンのセットというホテルのルームサービスを思わせるような朝食。
そして視線だけ横に向ければ、嬉しそうな笑みを浮かべながら世話を焼く機会は逃さんとばかりに張り付くバラド。俺の一挙一動に集中しているバラドの姿は、高等部に入学した当初から変化を見せず、日々、俺に実家と変わらない至れり尽くせりなサービスを提供してくれている。
「…………起きるのが遅くて悪かったな」
「滅相もございません。むしろドイル様の寝顔を拝見できるなど滅た――――んんっ! あのような過酷な合宿の後だというのに、今日一日くらい寝て過ごされても文句を言う者などおりませんよ」
「大変な目に遭ったからな。戦いに慣れないお前の方が疲れているだろう? 折角の休日なのだから、バラドも俺の世話などせずゆっくり休んでいいんだぞ?」
「いいえ、ドイル様に一般生徒も使う食堂を使わせるなど、断じてなりません! それに、いついかなる場合でもドイル様のお世話をするのは私でございますっ!」
「そ、そうか」
「はい!」
じっとこちらを観察している視線に居心地の悪くなった俺はそれとなく休むようにバラドに告げてみる。しかしいい笑顔でその申し出を断られた俺は、それ以上何かを告げるのは止め口を噤む。
以前同じような問答の末、バラドに着替えなどは自分でできるからやらなくていいと告げたところ『私にご不満があるのでしたら遠慮せずに仰ってください。ただちに直しますのでっ!』と泣きつかれたことがあるからだ。
色々思いだした俺としてはバラドに世話をされなくても己のことは自分でできるし、正直な気持ちを言えばバラドの至れり尽くせり世話を受けるよりも、ルツェ達に交じって食事をとる方が気楽だし好ましい。それに一生に一度の学生時代なのだからバラド自身にも俺の世話ではなく学園生活を楽しんで貰いたい故の申し出だったのだが、主人の世話をしないというのは従者としては勿論、バラド的にも色々とアウトだったらしく。
最終的は『私はもう必要ございませんか!?』とまで言われてしまった経験がある。
凄い剣幕だったからな。
別れを切り出された恋人ばりに『私のどこがいけなかったのですか!?』と言い募るバラドを思い出しつい遠い目になる。
あの時のバラドの剣幕には正直少し引いてしまったのだが、勿論バラドの仕事に文句があった訳では無いのでその旨を説明して事無きを得た。そしてその後、従者の職務にかけるバラドの熱い想いを語られたのは今ではいい思い出だ。あれ以降、俺はバラドが世話をしたいのだといった時は断ってはいけないことを深く学んだ。
たかだか日常生活の補助を断っただけでそんな大げさな、と思うのだがバラドからすれば従者としての沽券に関わる大問題だったらしく。どうやらあの時、バラドは俺に暇を言い渡されたと勘違いしていたらしいというのは、後日ルツェ達に聞いた話である。
何故そんな勘違いをバラドがしたかというと、この学園内における貴族と従者の在り方に原因がある。
まずこの高等部の寮は大まかに一般生徒達が暮らすエリアと貴族階級とその縁者の生徒達が暮らすエリアに分けられている。双方行き来は自由なのだが、暗黙の了解として一般生徒が用もないのに貴族エリアに足を踏み入れることはまずない。
さらにこの二つのエリアの間には食堂や大浴場などの共同設備が設置されており、貴族階級の生徒達が使っても不自由しないように給仕等のサービスを行う為の人員もいる。しかし、いくら設備とサービスが整っていようとも貴族階級の生徒が共同スペースを使うことはほとんどない。
何故なら貴族達が住まう部屋には浴室がついており、食事は今バラドがしているように従者が食堂から主人の部屋に運んでくるからだ。ちなみにこれをやらないと従者としては失格らしく、従者や付き人を生業としている生徒達の間で『主人の世話もまともにできないなんて』と白い目で見られるそうだ。
成人しているとはいえ、正式に爵位を継いでいる訳でもなく勉強中の半人前の餓鬼なのだから、協調性や自主性を育む意味でも一般生徒と共に共同設備を使わせた方がよさそうな気がするのだが、従者達の美学からすればそうもいかないそうで。
ここら辺がバラドのいう従者としての沽券に関わる部分らしく、彼ら従者達からすれば主人の世話をする為に一緒に入学したのに、主人に足を運ばせ手を煩わせるなどあり得ないし、主人に一般生徒と同じ生活をさせてしまっては己の存在意義に不安を感じるそうだ。
従者達が主人の世話をアイデンティティーにしている以上、受け止めてやるのが正しい貴族の在り方なわけで。その為、共同施設に貴族階級の生徒達が姿を見せることは少ない。
稀に食堂で食事している貴族もいるが、以前俺がルツェ達と食事をとった時のように部下との親睦や交渉中の生徒を口説く為がほとんどで、それ以外の理由で貴族が足を踏み入れることは無い。
ただ時折ジンのように主人の護衛が主な仕事で生活の補助をするには向かない従者もいるが、そういった場合は学園側が用意している給仕係等を有料で借りられるようになっており、学園が雇った一流の給仕係達に世話をして貰うらしい。
全て自分でやる方が早いと思うのだが、従者や付き人達に己の世話を全て任せるというのも人を使う側である貴族には必要なことであり、主人の身分は勿論、主人の私的な部分をどれだけ任されているかが従者の一種のステータスになっていると教えられて以来、俺はバラドの世話を極力拒まないようにはしている。
ただし、バラドは何かといえば俺に公爵家であることを主張させたいらしく、隙を見ては俺に華美な服装をさせたり、権威を見せびらかす為の茶会を開かせたがるので、そのあたりは十分な注意が必要である。
俺がアギニス家継嗣であることを知らしめたいのだろうが、どうせ卒業したら嫌でもやらなければいけないのだから、そういった貴族的な目立ち方は今は必要最低限でいいのだ。この辺りのバラドとの認識の違いついては、普段ローブ家の者達に同様のことを求められている御爺様や父上が深く賛同してくれるだろう。
人間には向き不向きがあり、必要性を理解していてもやりたくないことはあるのだ。
「――――そもそもドイル様がお守り下さいましたから、バラドは大変な目になど遭ってなど居りませんので、ご心配は無用でございます。マーナガルムを前に一歩も引かず立ち向かわれたお姿はまるで戦神のように雄々しく! そればかりか、あのマーナガルムを両断されたドイル様の雄姿! グレイ殿下を諌め、辺りを銀世界に変えられたドイル様は冷え冷えするほど美しく、まるで一枚の絵画のようでした! あのような幻想的なドイル様を拝見出来ただけでバラドは―――――!」
「………………」
俺が主人と従者の在り方から、アギニス家に公爵家としてふさわしい立ち振る舞いを求めるローブ家にまで考えを飛ばしている間に、称賛モードに入ってしまったバラドにしくじったと思いながらも黙って朝食を口に運ぶ。そんな俺の態度を気にするでもなく、バラドはうっとりとした表情であの日の俺を懸命に称賛していた。
…………よく飽きないな。
バラドのこれは今に始まったことではないが、毎度毎度よく飽きないなと半ば感心しながら思う。
帰りの道中、ずっと魔王と対峙した時の俺の様子をルツェ達やエレオノーラ先輩達、アマロ達に聞かせてまわっていた癖に、未だ合宿の感動冷めやらぬバラドは合宿中大人しくしていた反動もあるのか、一度スイッチが入ると中々帰ってこない。
合宿後からずっと暴走気味のバラドにため息を小さく零しながら、食べ終わる頃には終わっているといいなと願う。
しかし同時に、こうやって変わらぬ時間を過ごせることを幸せに思った。
無事に帰ってくることができて本当に良かった。
怪我一つなく元気そうなバラドの姿に笑みが零れる。
いつもならバラドが称賛モードに入ると同時に心を無にするところなのだが、今日は合宿後から耳にたこができるほど聞かされている思い出話に相槌を打ってやる。普段なら聞き流しているだけのバラドの暴走タイムがなんだが愛しく感じられるから驚きだ。
俺の相槌にさらにヒートアップしていくバラドを見ながら、たまには付き合ってやるのもいいかな、と普段では絶対に思わないことを考えながら俺は朝食の時間を過ごした。
ここまでお読みいただき、ありがとうござました。