第五十六話 グレイ・フォン・マジェスタ
「――――――以上で今回の合宿は終了となるが、まだ学園への行軍が残っているから気を抜くなよ! 明朝は日の出と共に起床! その後朝食をとり出発となるので、今日は早く体を休めるように! では、解散!!」
教師が解散を宣言した途端、この三日間過酷な日々を強いられていた生徒達はわっと散ってく。ある者は離れていた友人達と互いの成果を語り合い、またある者は食料を求めて村の中を歩きまわる。
多少の負傷者はいたが幸いなことに今回の合宿に死者はおらず、高等部に入学して初めての合宿を無事に終えた生徒達は、開放感に満ちていた。
しかしそんな生徒達とは対照的に先生方は各班の成果の確認に奔走している。その中でも最も先生方が集まって集計しているのは、俺達の班の収集物だった。
俺達の班がこの合宿中に集めた素材はマーナガルム一体と大量のスコルとハティ。それ以外の素材も肉以外は豊富であり、今頃連絡を受けた学園は大騒ぎだろう。
「――――では、至急王都に連絡をして騎士団を派遣して貰ってください。――はい。間違いなくマーナガルムです。実物がありますから見れば分かります。――――――いいえ、仕留めたのは生徒です。ドイル・フォン・アギニス。いえ、間違いありません。私もダス先生も見ていましたし、マーナガルムの遺体も回収してあります」
通信機で学園と連絡を取るテレール先生の表情は硬い。周囲の先生方も複雑そうな表情で、ドイルが斬ったマーナガルムを検分していた。
まぁ、いくらアギニス家の継嗣とはいえ生徒が一人で魔王退治など前代未聞である。しかも成し遂げたのがあのドイルというのもまた騒ぎを呼ぶだろうし、合宿が行われるような森の浅瀬で魔王が出たというのも大問題だ。
恐らくこの深淵の森の中には俺達と入れ替わりで、騎士団が潜ることになるだろう。それこそ俺達が入った浅瀬でだけではなく、最深部付近まで。
……動くとしたらゼノ殿か。
生徒が潜るような浅瀬でマーナガルムが出たのだ。さらに奥深くまで行くのなら万が一を考えて父上は勇者を同行させるだろう。となれば現在近衛に所属しているアラン殿は動かせないので、恐らくここに派遣されるのはゼノ殿だ。
いつ引退しても可笑しく無い年齢でありながら前線に立ち続け、城の騎士達をひよっ子扱いしている【炎槍の勇者】を思い出しながら、なんとなくドイルを見る。
今回の合宿でとんでもないことをしでかし、勇者達との血縁を強く俺に実感させたドイルは常と変わらぬ様子でヘンドラ商会の息子達に囲まれていた。
「グレイ様はドイル様の元に向かわれないのですか?」
「今は行っても無駄だろう? 後でいい」
「…………そう、ですね」
俺の言葉にドイルを取り巻く集団を見たジンは、苦笑いを浮かべて頷く。そんなジンから目をそらし、視線を再びドイルに戻す。
ヘンドラ達やレオパルド先輩をはじめとする薬学科の者達とメッサー子爵の令嬢とその護衛達に囲まれるドイルは、周囲の視線に全く気がついていないようだった。傍らには当然のようにローブの姿があり、その中心にいるドイルは小さな笑みを浮かべながら己を取り囲む者達の話を聞いている。
国内きっての大商会の息子に、王都で有名な魔道具屋の息子と鍛冶屋の弟子。薬学科の麒麟児とその両腕。優秀な魔術師を排出しているメッサー子爵家。
どの者も今期の学園では一目おかれる者達である。
そんな目立つ集団の周りには、会話に加わりたそうに様子を伺う者達でさらに人の輪ができており、結構な数の生徒達がドイルの周りに集まっている。
多くの人々に囲まれ好意を向けられるドイルに中等部の時のような陰りや危うさはなく、ようやく陽のあたる場所に戻ってきた幼馴染の姿に口元が緩むのを感じた。
「ドイル様は本当にお強い方ですね。模擬戦の時も手加減していただいたのは知っていましたが、あれほどまでにお強いとは思いませんでした」
「…………ああ。あれには俺も正直驚いた」
「相手にならないのはわかっていますが、是非もう一度再戦願いたく!」
「ほどほどにな」
「はい!」
そうやってジンとたわいも無い言葉を交わしながら、マーナガルムを片腕で地面に叩きつけたにもかかわらず、血の一滴も垂らさなかったドイルの姿を思い出す。
いくら腕に仕込んでいた槍が緩衝材の役割をしていたとしてもあれはあり得ない。
…………そういえば彼奴は昔から恐ろしいほど頑丈だったな。
魔王に噛みつかれて無傷な人間など聞いたこと無いと考えていると、そういえばと幼い頃のドイルの姿を思い出す。
記憶の中のドイルは、岩を砕く俺のメイスを受けても瘤一つでけろっとしていた。そして殴られたことで不服そうな表情を浮かべるものの、しばらくすれば飄々した顔で槍の練習を再開していたドイルの姿を思い出し、そういえば昔から彼奴は化物じみていたなと、一人納得する。
周囲もドイルも一応俺が手加減していると思っている所為か、ただたんにドイルが恐ろしく頑丈なのだということを知らない。
アラン殿でさえ知らないだろう事実を知っていた俺でさえ、マーナガルムに噛み付かれても赤い跡しかつかなかったドイルには驚愕した。薬学科の先輩方にとっては信じがたい現実だったことだろう。
…………まるで夢を見ていた気分だな。
吐息が白く染まる氷の世界と人間ではおおよそあり得ないドイルの頑丈さ。そしてあっさりとマーナガルムを両断した時を思い出して、そう思う。
というか、あの結果を想像できた者などいないだろう。ローブ達を丸め込む為にドイルに発破をかけ宣言までさせた俺でさえ、本当に一人で大丈夫だとは夢にも思わなかった。
マーナガルムの偵察部隊に追いつかれたあの時、ローブ達を奮い立たせる為にもドイルに「任せる」といったが、俺は最初からドイルと一緒にマーナガルムと戦うつもりだった。そして、勿論そんな俺の考えをドイルはわかってくれていると思っていた。
この合宿中、できる限りのことはした。言葉をつくし、態度で示した。その甲斐あってオブザという冒険者について語ったドイルに、ようやく分かってくれたのだと、安心していたのだ。
俺の煽り文句にのり、幼い頃を彷彿とさせるやりとりと口調になったドイルの態度が嬉しくて浮かれていたともいえる。
だというのに、マーナガルムを前に「大人しく守られていろ」とほざくドイルの言葉は堪えた。共に戦うのでは無く、あくまでも俺を守る対象としか見ないドイルが許せなかった。だからまだ分かっていなかったのかと、何故分かってくれないのだと、メイスを振り下ろしたがあっさりとよけられた。
そしてそんな俺の行動に驚いたように目を見開いたドイルが憎たらしかった。
やはりあの時逃げた俺を、再び信用してくれることはないのかと、どうしたら俺を頼ってくれるのだと、ドイルに縋りそうになった。
『俺に幼馴染みを見捨てて逃げろと、そう言うのか! ドイル!!』
『見捨てるもなにも、この場は俺一人で十分だと、言っている!』
マーナガルムを前に生死をかけたあの瞬間、俺は王太子であることを放棄した。俺が死ねば、この国の王位継承権を持つ者はクレアを含めた三人の王女だけだ。しかも既に第一王女は嫁いでいるし、第二王女も式の日取りが決まっている。そうなるとクレアが継ぐことになる。
直系唯一の男児として俺は何よりも己の命を優先するべきだし、周囲は常に俺の命を優先している。当然、ドイルだって。
それが分かっていながら、俺はドイルの守られていろという言葉に素直に頷けなかった。ようやく戻りかけた幼馴染を再び切り捨てることなど、俺にはできなかったのだ。
しかしそんな俺の我儘を、ドイルは心配するなと一蹴した。
たった一振りで辺り一面を銀世界に変え、マーナガルムを両断して見せた。ドイルが強いのは昔から知っていたし、祖父と父親の影響か化物じみた頑丈さを持っているのも知っていた。しかし、あれほどまでとは思わなかった。
『【炎槍の勇者】の孫で【雷槍の勇者】と【聖女】の息子を舐めるなよ? グレイ。情けないところ一杯見せたから、信じられないかもしれないが、俺はお前の想像以上に強いんだ』
唖然とする俺の背を軽く押しながら、そう言って笑ったドイルを俺は一生忘れないだろう。いくら仕込み槍を巻いていたとはいえ魔王に噛まれても跡がついただけの腕とか、辺り一面を凍りつかせる威力の魔法とか問い正したいことは山ほどあった。
しかし同時にドイルの言葉に、背を押す手に、これで大丈夫なのだなと俺は心の底から安堵した。まるでアラン殿やゼノ殿に「大丈夫だ」と言われた気分だった。
あの時のドイルの自信に満ちた言葉と不遜な笑みは、悔しいことに本当に格好良かったのだ。
悔しいから、一生言ってやらんがな!
そしてその言葉通り、ドイルはたった一人でマーナガルムを倒してみせた。
『ほらな。大丈夫だっただろう?』
そう言って笑ったドイルを信じられない気持ちで見上げていた俺を、彼奴は疲れも感じさせない強い力で引っ張り立ちあがらせてくれた。その余裕を感じさせるドイルの態度に【槍の勇者】など継げなくとも、こいつは確かにあの英雄達の血族なのだと深く実感させられたのだ。
マーナガルムを倒した時のドイルを回想し終えた俺は、悔しいような嬉しいような、でもちょっと誇らしい気分で、少し離れたところでローブの称賛を聞き流しているドイルを見つめる。
多くの人達に囲まれる姿は、【炎槍の勇者】や【雷槍の勇者】や【聖女セレナ】にそっくりだ。今のドイルの姿を見て、あいつがアギニス公爵家であることを疑う者はいないだろう。
国王とは違う、民や兵士達と限りなく近い視線で立っているのに特別な空気を持つ【英雄】達。彼らは良くも悪くも常に人の輪の中心にいる。そして民と同じ歩幅で歩き、多くの兵士達と肩を並べこの国を守ってくれる。
きっとドイルは【槍の勇者】など継がずとも、自身の力で祖父や両親のような【英雄】達と肩を並べて生きて行くのだろう。
…………これからは忙しくなる。
近いうちに己の力でこの国の【英雄】の一人になるだろう幼馴染の、これからを想う。
アギニス公爵家を面白く思わない貴族は沢山いる。そんな彼らにとって、出来の悪いドイルは歓迎すべき存在だった。ドイルがあのままだったらいずれドイルは廃嫡され、【勇者】の血筋は途絶えたからだ。
しかし今のドイルは違う。瞬く間に【英雄】への道を駆け上り始めたドイルの変化を、彼奴等は決して歓迎しないだろう。
そうでなくてもドイルはマーナガルムを一人で倒した。ドイルが望む望まない関係なく、彼奴はこれから様々な人々から注目されていくだろう。今のドイルがそんな重圧に負けるとは到底思わないが、潰されにそうになったその時には今度こそ俺が助けてやる予定だ。
ドイルの邪魔は誰にもさせない。
ようやく表舞台に戻ってきたドイルを見ながら、そう決意を固める。
何よりも優先すべきなのは国と民だが、俺だって聖人君子ではない。好ましい貴族もいれば不快に思う貴族もいるし、大事な人もいれば守ってやりたい人もいる。何より、後悔もやるせないほどの悔しさももう十分だ。
『私は父上にそう聞かれた日からずっと、殿下の隣がいいと、隣に立ちたいと思っています。だからどんなに殿下が私を助けたいと思ってくれていても、その手を取ることはしない。私は王に仕え跪くのではなく、父上のような王の隣に並び立つ【英雄】になりたいと思うから』
あの言葉を聞いた時の気持ちを忘れることはないだろう。一番辛い時に見捨てた俺に対するドイルの愚直なまでの想いが、決意が、何よりも嬉しくて、泣きたくなるほど悔しかった。
あの件に関しても言いたいことは山ほどあるが、頑固なドイルが一度決めたというのなら、周りが何を言っても無駄である。むしろもっと甘えてくれていいと説得しようものならドイルはさらに頑なになるだろう。彼奴は差し出された手を素直に掴めない、面倒臭い奴だからな。
だからドイルが、何があっても俺の手を取らないというのなら、俺は俺で勝手すると今回の合宿で決めた。ドイルだってなんの相談も無しに勝手に手を取らないと決めたのだ。俺が無理やり助けようが何しようが文句は無いはずだ。というか、文句など言わせない。
そんな諸々の決意を胸にドイルを見れば、何かを感じ取ったのかドイルが不意にこちらを見た。そのまま不思議そうな表情でこちらを見つめていたので、挨拶がわりに軽く手を上げる。
そんな俺の行動に何を思ったのかドイルは周囲に声をかけると、人垣をかき分けてこちらに向かってきた。
「こちらにいらっしゃるようですね?」
「そのようだな。夕食まで時間もあるし、休憩所にでもいくか」
「では、先に行って場所をとっておきますね!」
「……っああ。頼む」
「はい! お任せ下さい!」
俺の言葉に珍しく自発的に気をきかせたジンの申し出に、少し驚きながらその背を見送る。どうやらローブとの火番時に、従者とは何か講義を受けたようなのだが、戦闘以外はからっきしだったジンがこのような気遣いができるようになるとは、あの夜に一体どのような講義があったのかとても気になるところだ。
ただ、従者としてはすこぶる優秀なローブに教えを請うことは悪いことでは無いが、性格までは似ないで欲しいと心底思う。
…………ローブはドイル至上主義だからな。
合宿の中の甲斐甲斐しさといい、ドイルの為に人垣を蹴散らしている姿といい、ローブに対し思うことは多々あるがドイルにはあれくらいの従者がちょうどいいのかもしれないと思い直す。若干ヘンドラからも似たような感じが見受けられたが、己に厳し過ぎるドイルにはあれくらい過保護で甘甘な従者が付いていた方が俺も安心だ。
「グレイ様」
「――――ヘンドラ達との話はいいのか?」
「はい。ルツェ達とはいつでも話せますから。――――ジンはグレイ様を残してどこに?」
「俺が休憩所に行くかと言ったら、場所取りに行ったぞ」
「ジンがですか? あっ、いえ。なんでもないです。――――折角、席を取りに行ってくれているなら、私達も行きましょうか」
「そうだな」
笑顔でドイルの為に道をあけさせるローブを見ながらそんなことを考えていると、いつの間にか目の前にきていたドイルにジンの行方を尋ねられた。俺を一人残したジンに不満そうな表情を浮かべていたので、ありのままを答えればドイルはその顔を驚愕に染める。しかしすぐにジンが俺の側仕えだったことを思い出したのか、驚いてしまったことを強引に誤魔化したドイルの言葉は正直とても不自然だった。
珍しく動揺した姿を見せたドイルをからかってやろうかと思ったが、俺自身も同じ様に驚いたことを思い出し、今回は見逃してやるかと黙って腰を上げる。
「いくか」
「はい、グレイ様」
立ち上がりドイルに声をかければ、軽い敬語と敬称付きの呼び名が返ってきて少し不満だったが、ここまで来ただけでも大きな進歩だと思い直し、ドイルと肩を並べて歩きだす。
マーナガルムに追われていたあの状況が特別だったのだ。ドイルに常時あの口調でいさせるにはもう少し時間が必要だろう。
焦ることは無い。
ドイルは俺の隣に居ると言ったのだから、これからゆっくり関係を作り直していけばいい。そう己に言い聞かせて逸る気持ちを抑える。今回の目的はドイル自身に、俺達がその身を案じているだと気がつかせることだったし、一時とはいえ昔のようなやり取りが出来ただけで十分だろう。
…………まだドイルに聞いてないことが沢山あるしな。
離れていた間、何があったのか。
幼い頃の俺をどう思っていたのか。
俺に仕えて後悔はないのか。
クレアのことも、どう思っているのか聞かなければならない。紙薔薇の件だって、ヘンドラに聞いただけで直接本人から聞いた訳ではない。
時間はある。これからもっと話を聞いて、俺の気持ちも話して、徐々に昔のような気安い関係になっていけばいい。
「――――腕のみせどころだな」
「…………グレイ様?」
「なんだ?」
「いえ、その、今何か仰いませんでしたか?」
「気の所為だ」
「いや、でも今――」
「気の所為だ」
「…………わかりました」
どれだけ時間を費やしても全部吐かせてやると思っていたら口に出ていたらしく、不穏な気配を感じ取ったドイルが若干怯えた様子で尋ねてきたので気の所為だと言い張る。腑に落ちない様子ではあったが、その後も強く言い張ればドイルが折れた。
しかし一端折れたものの納得はしていないのか、チラチラと俺に視線を寄越しながら隣を歩くドイルを見て俺は口元を緩ませる。
強がりで格好つけたがる、馬鹿で弱音の吐けない奴だがマーナガルムに立ち向かい大丈夫だと笑ったドイルを俺は幼馴染として誇りに思う。そして同時にそんな幼馴染と巡り会えた、己の運命に感謝したい。
例え【槍の勇者】になれなくても、お前に出会えてよかったと、心から思うぞドイル。
この気持ちをいつか言葉に出来ればいいと思いながら、俺はようやく隣に戻ってきた幼馴染と肩を並べて歩いた。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました。