第五十二話
―――――― ザアァァァッ ――――――
リュートの一件に対して殿下が出した答えに「ありがとうございます」と再度礼を述べようとした俺の言葉は、突然吹き抜けた強風と大音量の木の葉が擦れ合う音に掻き消される。
立っているのが辛い風の中、舞い上がった火の粉からグレイ様を庇う為に足に力を込める。水か氷の盾でも出そうと思ったが、明らかに異常なこの突風では盾が出来上がる前に吹き飛ばされてしまうので止めた。
バチバチと体や腕や頭に火の粉や燻っている枝があたる感触を感じながら、目を守る為に腕で顔を庇いながら焚火の前に立っていると、強風に煽られた焚火がふっと消え灯りを失った周辺は闇に包まれる。
そして、かなりの荒業で灯りを奪った風の精霊達は今もなお、何かを警告するようにこの場に留まりざわざわと何かを主張していた。
「グレイ様、無事ですか!?」
「俺は大丈夫だ。お前は大丈夫か?」
「これぐらい平気ですよ」
ポッと小さな火の玉を浮かべながら安否を問えば、直ぐに返ってきた返事と変わりない姿に胸を撫で下ろす。俺を心配するグレイ様に大丈夫だと返せば訝しげな表情で見つめられたので、グレイ様を起こしながら大丈夫だとアピールしておいた。
実際火の粉や燻った枝をかぶったというのに服が所々焦げたくらいで体は傷一つない。ちょっとやそっとじゃ怪我しない俺の体は、火の粉を浴びるくらいは平気なようだ。
「今の風は」
「風の精霊達ですね。俺は契約している精霊がいる訳では無いので、彼らが何を言っているのかまでは分りませんが何か警告しているようです。滅茶苦茶雑でしたが。――――取敢えずバラドを起こしましょう」
突風の弊害で焚火が巻き上がる事故はあったが、ざわめく風の精霊達の気配は心配と焦りを滲ませており、俺達に害をなす気があった訳ではないことが感じられる。
ただ、今の俺には直接契約している風の精霊がいる訳では無いので、彼らが何を言っているのかまでは分らない。こんな事なら適当な精霊と契約しておけばよかったと思いながら、俺は周囲に危険が無いか己のスキルを使って調べた。
【気配察知】で周囲の確認をした後、足元を照らすように火の玉を浮かべグレイ様と共にバラドを呼びにテントに向かう。俺のスキルに引っかからなかったということは、精霊達が知らせたい何かがここにやってくるまではまだ猶予があるはずだが、それでも現状を早く把握しなければならない。
流石に、この騒がしさは異常だからな。
精霊達がこれほど分り易く異変を知らせてくれるなど滅多に無い。恐らく、歓迎出来ないことが森の中で起こっているのだろう。
やっぱり、魔獣の数が多かったのは気の所為なんかじゃ無かったか。
昼間狩った魔獣達を思い出し、グレイ様に聞こえないよう小さく舌打ちする。
こんな事ならば、昼食前のワーラビットを狩った時点でバラドに教師を探させるべきだった。グレイ様も居るのだから、深部だからかもなどと悠長な事を言わずに疑問に思った時点で確認すべきだったのだ。
そうすれば、精霊達がわざわざ知らせにくるほどの事態にはならなかっただろうし、あの時点で教師を探せば日が暮れる前に合流できた。少なくとも、グレイ様とレオ先輩達の身の安全は保障出来たはずだった。
己の判断ミスに苛立ちながら、少々乱暴な手つきでテントの入り口を捲くり上げれば、既に身を起こしていたバラドと目が合う。恐らく、ざわめく風の精霊達にバラドも目が覚めたのだろう。
俺と目が合うと大きく頷いてそのまま周囲の様子を探り始めたバラドの姿に、俺は声をかけるのを止めてレオ先輩達を起こしにはいる。ジンは俺が入ってきた時点で槍に手を伸ばしていたので、勝手に起きるだろう。
「レオ先輩! 起きて下さい! 先輩方も!」
テント入り口をグレイ様に任せ、中に入る。そしてレオ先輩に声をかけながら、リェチ先輩とサナ先輩達を揺さぶり起こした。俺の声に反応して一発で起きたレオ先輩とは違い、寝起きの悪い先輩方を目覚めたレオ先輩に任せ、俺は再びバラドを見る。
「――――こちらに魔獣の群れが向かってきています。正確な数は分りませんが、恐らく50近いかと。速度と大きさからいってスコルかハティだと思われます」
俺の視線に応え報告するバラドの言葉に、テント内に緊張が走る。
スコルは金目が特徴的な狼のような姿をした魔獣で、大きさは成獣で1メートル前後。5~10匹で群れをつくり強い個体になると風を操り、鎌鼬を起こすものもいる。
ハティはスコルと同様の姿をしているが、銀色の瞳が特徴的な狼みたいな姿をした魔獣だ。5~10匹の群れで行動する点も鎌鼬を起こす点もスコルと同じで、両方とも動いているものや熱源を感知して獲物を探す。
スコルもハティも目撃情報が入ればすぐに冒険者が派遣される中級に部類される魔獣であり、群れの規模によっては上級に部類され騎士団が動く。間違っても俺達学生、しかも一年生が相手にする魔獣では無い。
「それに、先頭に一匹、群れの長と思われる大きい個体がいます」
「……………………もしかして、マーナガルムか?」
顔を強張らせ追加の報告をするバラドに、レオ先輩が不安を滲ませた声で問いかける。
目の色以外に大した違いは無いので同じ種族名でいいのではと思われがちなスコルとハティだが、学術的には別々の種族とされている。何故ならある特別な場合を除いて両種族が混じって群れを形成することは無く、昼間に行動するのがスコル、夜行性なのがハティとそれぞれの活動時間がまったく違うからだ。
そして両種族が混ざって群れをつくる時、普段は決して交わることの無い両種族をまとめ率いるのは魔王へと成長した個体、マーナガルムだ。
マーナガルムは体躯こそスコルやハティの二、三倍程度だが、金と銀のオッドアイを持つ。スコルやハティよりも高度な風魔法を使い、空を駆けたと書かれた文献もある魔王である。
「私のスキルでは大まかな大きさしか分からないので、そこまでは…………。しかし、この風の精霊達のざわめき具合から見て恐らくは、マーナガルムか、それに近しい個体がいるもの思われます」
「まじかよ……」
「「そんな!?」」
「――――それは無いです」
レオ先輩にそう答えたバラドの言葉に、レオ先輩は最悪だと言わんばかりに頭を抱え、リェチ先輩とサナ先輩は手を握り合いながら叫ぶ。
そんな彼らの様子にテント内の緊張と不安はぐっと高まったのを感じたので、俺は即座にバラドの言葉を否定した。
「「本当ですか!? ドイルお兄様」」
「魔王何てそうそうお目にかかるものでは無いし、もしマーナガルムがいる群れがあるなら下見の時にひっかからない訳ないでしょう?」
「「で、ですよねぇ~」」
「当然です。しかし、魔王は居ないにしてもスコルもハティも俺達が相手にする魔獣では無いですから、さっさと逃げますよ」
「「了解です!!」」
否定した俺の言葉に目を輝かせた双子の先輩方の言葉をさらに肯定しつつ、逃げる準備をするよう促す。俺の言葉に安心したのか表情を緩ませたリェチ先輩達は、僅かに不安を漂わせながらも俺の言葉に従い荷物をまとめ始めた。
と言っても、元々野営中ということもあり、荷物をまとめるというよりも戦いの為の魔法薬などを使いやすいように身に付けるだけだが。
慌ただしく逃げる準備を始めた先輩方を見ながら、もうすぐここにやってくるスコル達について考える。
正直な所、間違いなくマーナガルムか成りかけぐらいはいるだろう。バラドの言葉と、今の時刻が夜明け寸前というスコルなら起床前、ハティなら就寝前にあたる時間帯であること、さらに先ほどの風の精霊達の警告、そのどれもが魔王の存在をちらつかせているのだが、口には出さないでおく。
素直な意見を述べて、顔を強張らせたバラドや不安そうな表情を浮かべる先輩方をさらに不安にさせる必要は無い。
「ドイル様、しかし――「バラド」」
しかし風の精霊の加護受けるバラドは、先ほどの俺の言葉では納得出来なかったようだ。まぁ、当然である。風の加護を持つバラドにはこの精霊達のざわめきと心配や焦りをより鮮明に感じているのだから。
魔王の可能性を否定した俺に、バラドは焦った様子で進言しようとしていた。しかし、ここで先輩方に気が付かれても面倒なことになるだけなので、彼らが気付く前に俺はバラドの言葉を遮る。
「大丈夫だ」
「そうではなくっ!」
「わかっているから、大丈夫だ」
大丈夫だという俺に、焦りを募らせるバラドにもう一度大丈夫だと繰り返す。
「お前も不安だろうが、グレイ様もお前達も俺が必ず守るから安心しろ」
「ドイル様――――」
「取りあえず、先輩方に余計な不安を与えるな。ここで騒がれても困る」
バラドをしっかりと見ながら、小さい声で敢えて淡々と告げる。そしてもう一度「大丈夫だ」と告げてやれば、バラドは目を見開いた後、ストンと肩を肩の力を抜いた。
そんなバラドの姿に、もう大丈夫そうだなと判断した俺は、声を潜めたまま魔獣達の動向を掴む為にさらにバラドに尋ねた。
「それで距離はあとどれくらいある? 真っ直ぐこっちに来ているのか?」
「………………おおよそ2キロです。何匹か群れの前を別々の方向に進んでいる個体がいるので、向こうはまだこちらを見つけた訳では無さそうですが、近くに我々以外目立った生き物はいないので見つかるのは時間の問題かと――――っ! ドイル様! 火は」
「消えているから大丈夫だ。バラド、お前は一端テントの外に出て先生方を探せ。――――ジン! お前は外でグレイ様とバラドを守れ! あぁ、先輩方はやってもらいたいことがあるのでそのままで」
まだ不安そうではあるが、それでも先ほどに比べたら随分と落ち着いたバラドの報告を聞いて俺は全員にそう指示する。
その後、振り向いて入り口の外で待っていたグレイ様に確認すれば頷きながらテントから離れていったので、了承と受け取りバラドとジンに外に出るように促した。
そしてバラドと槍を握ったジンを見送った俺は、残ったリェチ先輩とサナ先輩、レオ先輩にそれぞれ指示を出しながらテントに細工を施すと、グレイ様達に合流すべく俺も先輩達を連れてテントから離れる。
テントを出れば殿下やジンが武器を持ち待っていた。二人の間に居るバラドは、目を瞑り静かに先生の気配を探っている。
「――――いらっしゃいました。ここから南東に3キロです」
バラドの言葉に思わず舌打ちしかけて、ぐっと飲み込む。レオ先輩達の体力を考えればここから教師の元まで、物凄く順調にいって1時間切るくらいだ。途中魔獣に出会う事を考えれば避けても、戦っても1時間以上は必ずかかる。
スコル達の速度と距離を考えるに、逃げ切るのは厳しいだろう。
「ジン、お前先頭を行け」
「しかし、」
「お前が槍で道をつくるんだ。素材を回収する必要も無いんだ。属性槍を使って出会った魔獣は全て殲滅して進め。ついでに障害になりそうな木々もな」
「おいおい。ハティ達は熱を感知する魔物だぞ?」
「だから、ジンの代わりに俺が最後尾について消火します。ジンが道を切り開いて、出来た道をグレイ様や先輩方が駆け抜け、スコル達に感知される前に俺が消しながら進むのが一番効率いいはずです。ですよね、グレイ様」
「…………それが最善だろうな」
「では、急ぎましょう! とろとろしていてはスコル達に捕まる」
「分った。――――ジンを先頭に俺、ローブ、リェチ先輩とサナ先輩にレオパルド先輩がつけ。後ろは任せたぞドイル」
「勿論。――――行きましょう」
不安を滲ませながらグレイ様の指示に従って隊列を組んだバラドや先輩方の後ろについて走り出す。顔を覗かせ始めた朝日を浴びながら、今日は長い長い一日になることを覚悟した。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました。