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第五十話

「――――――ろ。――――、――きろ! ――イル。いい加減起きろ、ドイル!」


 ゆさゆさと揺すられていたのがガクガクに変わり、最後は痺れを切らした殿下にゴッ!

と鉄拳を喰らい、昏い夢から目覚める。


「――――いつまで寝ている気だ! 火番の時間だぞ!」


 潜めた声で叱るという器用な殿下と自室でも寮でも無い景色に、一瞬己の置かれた状況が分らなくなり硬直する。しかし、ここは何処だ!? と思うが早いか合宿中だということを思い出した俺は、殿下の火番の時間だという言葉に慌てて身を起こす。


「! すみませ」

「――――しっ! 静かにしろ。先輩方は寝ているのだから」

「…………申し訳ございません」

「いいから、取りあえず外に出ろ。話はそれからだ」

「はい」


 慌てて身を起こした俺を冷静に制した殿下は、潜めた声で外に出るよう告げるとさっさとテントから出て行ってしまった。そんな殿下の後を追うように、俺もくるまっていた毛布と近くに置いておいたエスパーダを握って、テントの外に出る。


 …………気ぃ抜き過ぎだろ、俺。


 辺りを警戒しなければならない状況で、起こされるまで目覚めないほど深く寝入ってしまったことが悔やまれる。

 交代の時間ということは、二、三時間寝入ってしまったようだ。バラド達が交代してから一時間ほどは、二人や周囲の気配に気を配っていた記憶があるのだが、残念なことにその後の記憶がサッパリだった。

 先輩方の時とは違い、気配察知に優れたバラドと戦闘に関しては問題無いジンだったせいで安心していたのは確かだが、まさか夢を見るほど寝入ってしまうとは、幾ら何でも気を抜き過ぎである。




 やらかしてしまった失態に溜息を零しながらテントから出れば、丁度火番の報告を終えたバラドとジンが、殿下に挨拶し終えてこちらに向ってくる所だった。


「ドイル様、火の番頑張ってください!」

「……ええ。ジンもゆっくり休んでください」

「はい! ありがとうございます!」


 殿下よりも遅く出てきた俺を不審に思うことなく、パタパタと尾を振ってご機嫌なジンにゆっくり休むように伝えれば、ジンはさらにパタパタと尾を振りながらお礼を言ってテントの中に入っていった。

 無いはずのジンの尾っぽに、まだ寝ぼけているのかとゴシゴシと強めに己の目をこする。しかし、こすり終わった頃にはジンは既にテントの中に入っており、自身がまだ寝ぼけているのかどうかの判断は出来なかった。


「…………ドイル様。お加減が悪いのですか?」

「――――ん? いや、そんなことは無い。それよりもバラドも火の番ご苦労だったな。早く体を休めるといい」

「しかし、顔色が…………って、何をなさっていらっしゃるのですか!? そのような事を、私ごときにドイル様がなさってはいけません!」

「っし! 静かにしろ。レオ先輩達は休んでいるんだ」

「っは!?」


 目をこすった後、ぼーとしていた所為でバラドに体調を心配されたので、問題無いことを主張しつつ、入り口の布を持ち上げてやる。

 俺がバラドの為に開けてやったことで恐縮というか、驚愕したバラドは慌てて俺にやめさせようとしていたが、先ほど俺が殿下に注意された通りの言葉を返してやれば、バラドはいけない! といった様子で自身の口を手で塞いだ。

 そんなバラドの様子を笑いながら「いいから、早く入れ」と顎で中に入るよう促せば、納得できないものの、ここで意見を主張して騒ぎ立てるのも不味いと思ったか、たっぷりと逡巡した後、重い足取りでテントの中へと入っていった。

 バラドの後姿がテントの中に消えたのを確認して、入り口の布を下ろす。そして、再びバラドが顔を出す前に、そそくさとその場を離れた。


 …………バラドはセバスに似てきたな。


 ちょっと気遣っただけで注意しようしたバラドに、セバスの影を見る。部下が側にいるのに荷物を持ってはいけないとか、いくら女性でもメイドを気遣うものじゃないとか、ことあるごとに主人とは何ぞや、貴族とはなんぞやと口煩かったセバスにバラドは最近似てきたと思う。今はまだ可愛いものだが、これが主人である御爺様さえも正座させて叱るセバスに完全に似てしまったら悲し過ぎる。


 セバスが御爺様を心から尊敬し、家令としても執事としても優秀なのは分っているが、御爺様を正座させながら「これも愛情故でございますゼノ様。私が敬愛する今は亡きアメリア様に『追従し甘やかすだけでは、本当の愛情とは言いません。良い執事というものはいざという時、主人の為そして家の為に、主人の過ちを叱り導かねばなりません。私がいない時は貴方がしっかりとゼノ様を諫め、導くのですよ』と言い付かっております。ですから致し方なく、私は心を鬼にしてですね――――」とちょっと活き活きとした笑顔を浮かべながら、御爺様に言い聞かせる姿を見て育った俺としては、バラドの中にセバスの影を見る度に少し残念な気分になるのは致し方ないだろう。


 セバスのあれは、愛情の裏返しらしいけどな…………。


 セバスの御爺様に対する慇懃無礼な態度を疑問に思った俺に、あれは愛情の裏返しですと断言したメリルを思い出す。モルドやバラドのように常に主人の側に侍ることが出来るのは、仕える者からすればとても幸せなことだとも。

 側で見ていられない上に、手助けも出来ない分、余計心配なのだという意見は共感できなくもないが、あの長く口煩いお説教が愛情とはセバスはひねくれ過ぎているだろう。メリルが言うには、若い頃のあまりにも自由奔放な御爺様にやきもきし過ぎた所為で針が振り切れてしまった結果らしいが、俺はあんなに厳しい側仕えはごめんである。


 俺はあんな変化球な愛情はいらんからこれ以上セバスに似るなよ、と心の中でバラドに言い聞かせながら、殿下の元に向かう。

 夕食時に皆で囲んでいたものよりも半分ほど小さくなった焚火に、集めておいた薪をくべながら揺れる火を眺めている殿下は、俺が近づいてきたのがわかると顔を上げた。


「遅くなり申し訳ございません」

「そんなには待っていない。今夜はずっと異常もなく、魔獣の気配も近くには無かったそうだ。――――あと、そこにあるのは夜食だと。ローブが置いていったぞ」

「そうですか」


 殿下の言葉を聞いて示された方向を見れば、火のすぐ側には小さい鍋と水差しが置かれていた。鍋の中には携帯食と思われる破片が浮いているのが見えたので、中身はスープかおかゆだろう。


「取りあえず座ったらどうだ、ドイル。それとも夜が明けるまで、そのまま立っているつもりか?」

「まさか。―――――――失礼します」


 確かにもうしばらくしたら小腹が減りそうだなと、バラドの気遣いに感心していると殿下から指摘を受けたので、俺も焚火の傍に座る。

 同時に【気配察知】のスキルを発動させて周囲を探っておくのも忘れない。バラドのようにはいかないが、俺の【気配察知】でも半径500メートル以内は探れる。

 殿下の正面に腰かけながら周囲の気配を探り終えた俺は、スキルはそのままに顔を上げる。すると当然正面に座っている殿下と目が合う訳で。

 取敢えず俺は、今行った【気配察知】の結果を殿下に告げた。


「半径500メートル以内には何も無いようですね」

「そうか。何かあったら教えてくれ。俺の【気配察知】では半径50メートルが限度だからな」

「畏まりました」


 殿下の【気配察知】は半径50メートルが限度なのか。覚えておこう。


 50メートルというと障害物が無ければ目視できる程度距離だな、と殿下の【気配察知】の距離を思い浮かべながら記憶に刻む。探知能力があまり高くないらしい殿下に、ジンはどれくらいなのだろうかと考えていると、不意に視線を感じる。


 己に視線が向けられている気配に顔を上げれば、何故か殿下は不機嫌そうな表情で俺を見ている。そのジトッとした目に、今の会話の中で何か機嫌を損ねるような事を言ったかと、慌てて振り返るが、特に思い当る言葉も無く。

 何がいけなかったんだと? 疑問に思いながら殿下を見れば、そんな俺の顔を見てますます不機嫌になったかと思えば、次いで大きくため息を吐いた殿下に、俺は一層首を傾げた。そんな俺を見た殿下はやれやれといった表情で首を軽く振ると、呆れた様子で口を開く。


「公の場でもあるまいし、いい加減その口調を止めろ。昔はそんな話し方はしなかっただろう?」

「…………そうでしたか?」

「そうだ。少なくとも公式の場でも無い限り『畏まりました』などとは言わなかったし、お前は自分の事を『俺』と言っていたし、俺の事も『殿下』とは呼ばなかった」


 殿下にそう指摘され、言葉に詰まる。

 あまり意識していなかったが、言われてみればその通りだ。昔の俺ならふざけでもいない限り、私的な場で殿下に畏まった態度を取ることは無く、間違っても『畏まりました』とは言わなかっただろう。

というかどんな態度を取っても、結局最後は殿下に怒られ、追いかけられていたので段々畏まるのが面倒になったのだ。


 …………さて、どうするかな。


 殿下を昔のように呼びたい気持ちと、今の俺が口調を戻していいのかと諫める気持ちの狭間で悩む。折角殿下から歩み寄ろうとしてくれているのだから、戻したい気もするが今さらこの口調を改めるのも難しい。


 …………殿下と軽口叩いてたのって、もうずいぶん前だからなぁ。


 殿下と気軽に会話していた時と言えば、追いかけっこしていた時代である。あの時は、よく殿下を怒らせていたし、応戦していたがどんな風に言葉を交わしていたんだったか。

 昔のように戻りたいと願いながら、昔はどんな風に殿下と接していたのか忘れてしまっている己に苦笑いが浮かぶ。どう接していたか分からなくなるなんて、俺は随分と長い間、道をそれていたものである。


「それに、さきほどの思い出話の時のように己の感情を隠したりはしなかったぞ。少なくとも『今は感謝していますよ』などと、卑怯な言い回しはしなかった。――――――あんな風に、気が付かないならそのまま言わずに済まそうとは、しなかった」


 そう告げながら殿下に見据えられて、どきりと心臓が跳ねる。ひたりと合わされた真っ直ぐな眼差しが入学式の日、俺を許すと言った王の瞳と不意に重なる。


「――――お前は、何をそんなに恐れている? ドイル」


 思いがけず真っ向から投げかけられた問い掛けに、圧倒される。

 目を逸らしたい。

 でも、これは、受け止めなければならない視線だ。


 入学式の時、国王陛下が見せたのと同じ眼差しと同じだ。ここで逸らしたら認めて貰えないような、相手に覚悟を問う眼差し。全てを見透かすようなこの眼差しは、王族特有のものだと思う。

 御爺様や父上、四英傑と呼ばれる方々を跪かせ、従える、王の瞳。


「――――――これでも俺は言葉で、態度で、示してきたつもりだ。お前の苦悩を知りたかったとも言ったし、お前が戻ってくるのを待つとも言った。模擬戦の時はあれでも心配していたし、合宿の班が決まった時は、これでようやく周囲にも認めさせられると思った。そのことが思いの外嬉しくて、居ても経っても居られずに気が付いたらお前の元を訪ねていた。この間の一件だって、お前がリュートと揉めていると聞いて、急いでお前の元に駆けつけたんだ。だというのにお前は、」

「…………殿下」


 つらつらと息継ぎすることなく告げられた殿下の言葉に、どう反応を返していいのか分からなくて戸惑う。しかしそんな俺を気にするでも無く、殿下は次々にその心の内を言葉にしていく。


「始めは、ただ強がっているのだと思っていた。お前は昔から格好付けたがる奴だったからな。あれだけ大勢の前で言い切ったのだから、自分一人の力で成し遂げたいと考えているのだろうと。だから俺を頼らないのだと思っていた。…………しかし、お前は昔のように俺の隣に立ちたいと言いながら、俺を遠ざけている。昔のように呼ばないのも、常に畏まった口調なのも、何も話さずその感情を隠すのも。その全てに、俺はお前がつくった壁を感じる」


 躊躇うことなくはっきりと告げられた殿下の本音に、俺は言葉が出なかった。

 殿下が俺の力になろうとしてくれていたことは知っていた。そして、俺は確かにその殿下の手を拒んだ。俺は、殿下が頼れる【英雄】になりたかったから。


「…………お前が道をそれた時、何もせずに見限ったことを俺は後悔している。もっと早く俺が気付いていれば、お前はずっと俺とクレアの側に居たんじゃないかと何度も考えた。あの時、もっとお前と向き合っていれば俺には相談してくれたのではないか、俺があの時逃げたからお前は俺を信頼出来ず、だから俺に何も言えなかったのではないかと、そう思ったから、今まで直接お前に問うことはしなかった」


 そう言って何かを思いだすように目を伏せた殿下に、告げられた言葉の内容に言葉を失う。

 もう一度、期待してくれているのも、昔のように心配してくれているのも知っていた。早くに打ち明けなかった俺に苛立っていたのも。しかし、こんな風に後悔しているなんて、ましてや俺が殿下のことを信頼できないなんて、そんなこと、


「…………なぁ、ドイル。俺はもう後悔したくない。あんな悔しい思いは、入学式と模擬戦で十分だ。――――――だから、はっきり言わせて貰う。もともと、そんなに気が長い方でも無いしな」


 「それはお前がよく分かっているはずだ」と言いながら軽く笑った殿下は、次の刹那、笑みを消して正面から俺を見据えると、口を開く。


「お前が何を思い、どうしたいと思っているのかもっとちゃんと言葉にしてくれ、ドイル。もう一度、向き合いたくとも、隠されてばかりでは何もわからないし、何もしてやれない。――――――今、お前が俺の言葉を聞いて戸惑っている様に、俺だってお前が言葉にしてくれなければ何もわからない」


 そこまで一気に言い切ると、殿下は一端口を閉じた。そして、覚悟を決めるように大きく息を吸って俺にはっきりと告げた。


「俺はもう逃げない。だからお前も逃げるな、ドイル」




 この人には、一生敵わない。

 強い意志を湛える瞳に、心からそう思った。



ここまでお読みいただき、ありがとうございました。

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