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第五話

王子様との和解第一弾です。

「―――――これは王太子殿下。このような姿で、失礼いたしました」


 そう告げて、王にしたように拝礼する。

 ついでに【上流貴族の気品】を発動させておくことも忘れない。


「――――顔を上げろ、ドイル」

「――お久しぶりです、殿下」

「ああ」


 顔を上げれば、複雑そうな表情で俺を見下ろす殿下と目が合う。チラリと後ろを見れば、俺と離れたことで今年から新たにつけられた側仕えが、これまた複雑そうな顔で俺と殿下を見ていた。心配せんでも、そのポジションを取ったりしないから安心するがいい。


「ご健勝そうで何よりです。先ほどの成人の宣誓では、殿下のこの国を守って行くのだという力強い意志が感じられ、ただただ感じ入るばかりでございました。殿下のご立派なお姿に、国王陛下も――」

「――っやめろ! 俺はそんな話をしに来たのでは無い!」


 聞きなれた怒声に口を噤んで殿下を仰ぎ見れば、顔を真っ赤に染め俺を見下ろす殿下が居た。誠心誠意、心を籠めて敬ってみたのだが、王太子殿下はお気に召さなかったようだ。

 温厚で、いつもは穏やかな笑みを浮かべている王太子殿下の怒りに、周囲の野次馬達は驚いたのか固まっている。布ずれ一つ聞こえないこの場に、笑いそうになった。

 今でこそ優しい王子様のイメージを地で行く殿下だが、俺が一緒にいた時はいつもこんな感じだった。それこそ、この怒声に聞きなれるくらいには。


 幼い頃の俺達は、王女様が俺を追いかけて、けど俺は王女様を省みず、そんな俺の態度に悲しそうにする王女様を見て、殿下が俺を怒るというのがお決まりのパターンだった。

 切っ掛けは俺で間違い無いだろうが、気が付いた時には王女様は周囲に強固に反対され俺を追うことは無くなり、同時に殿下も俺に怒らなくなり、顔を合わせることも無くなった。

 そんな経緯もあり、俺にとって怒る殿下は大変懐かしいものだった。

 だから、その変わらぬ怒声に、つい笑ってしまった。


「何が可笑しい!」


 俺が笑ったことによって、殿下のお怒りはマックスのようだ。叫ぶような叱咤の声に、尋常じゃない怒りを感じる。周囲を見れば、初めて見る殿下の様子に戦々恐々、逃げだしたいけど動いて目立つのも怖いと言った感じで顔を青くして身を固くしている者ばかりである。可哀想に。

 そしてそうやって俺が悠長に周囲を観察している間にも、殿下の怒りは増していた。


「何が、可笑しいというのだ!」


 相変わらず、沸点の低い人だ。そんなに怒ってばかりでは、高血圧が心配になる。別に、殿下を笑った訳では無いのに。…………一度頭に血が上ると、更に怒りやすく、早とちりしやすくなるんだよな殿下って。道を違えてから、五年以上経つというのに変わらない人だ。


「――――懐かしいな、と思っただけです。殿下」

「なっ」

「昔はよくこうやって貴方に怒られていたなと思いまして。ご不快な思いをさせてしまい申し訳ございません」


 正直に答えれば、殿下は虚をつかれたような表情をしたかと思うと、今にも泣き出しそうなほど顔を歪めた。そして、何か言いたそうに数度口を開けたがどれも言葉にならず、結局口を閉じてしまった。かと思えば、目を閉じて自身を落ち着かせるかのように大きく呼吸を繰り返し、ゆっくりと目を開いた。

 僅かに赤みの引いた顔に先ほどの怒りや悲しみは無い。激昂状態から完璧に感情をコントロールしてみせた殿下に、心の中で称賛を送る。一国を背負う者として立派な姿を見せるかつての幼馴染を誇らしく思うと共に、遠く離れてしまった立場に少し寂しさを感じた。


「――――何故、言わなかったんだ」


 そしてかけられた言葉に心の中で、首を傾げる。

 一体、殿下は俺に何を問うているのか。言わなかったとは、一体何の事を差すのか? 

 抽象的過ぎて、今一つ殿下の求めているものが分らない。しかし、俺を見つめる殿下の目は恐ろしく真剣で、逃げる事は許さないと物語っている。

 その苛立った瞳に、怒りを抑える訳では無く、隠すのが上手くなっただけかと思った。


「――――申し訳ありませんが、私には殿下のお言葉に思い至るものがありません。殿下は一体何を、私に問うているのでしょうか?」

「お前の事だ!」

「私の?」

「――――とぼけるな! 逃げたくなるほどアギニスの名が重かったのなら、何故言わなかったんだ! ゼノ殿やアラン殿の名が重いと、一言言ってくれれば! 俺だって!」


 力になったのに、と聞こえた気がした。


「(俺の周囲は、ほんっとうに。甘過ぎんだろ……)」


 悔しそうに俯く殿下にどうしようも無く泣きたくなった。周囲から顔を隠すように俯いているが、足元に跪いている俺からはその表情が丸見えである。泣きたいような、怒りたいような、色々な感情を必死に飲み込もうとしている殿下の姿に、胸が熱くなった。


 どうやらこの怒りっぽい幼馴染は、俺が助けを求めなかったことが気に食わないらしい。そして、ドイルの胸の内に気が付いてやれなかったことを後悔しているようだった。

 怒りっぽく、言葉よりも先に手が出るような人だったが、大変面倒見が良く、優しい人だったことを思い出す。周囲に心を開くこともせず、間違った道を行く愚か者などほっとけばいいものを。

 まぁ、それが出来ない人だから、俺は殿下の事を気に入っていたんだが。

 この人は幾ら俺が悪いのだと言っても、きっと気が付いて諫めてやれなかった己が悪いのだと言い出しそうな気がする。

 だから俺は、敢えてこう言おう。


「――――殿下には、関係無い事です」

「なっ!」

「貴方には関係無いのです、殿下。全ては、私の心の弱さ故」

「だから、お前はっ!」

「――――この件に関しては、誰の言葉も聞きません。全ては私の不徳の致すところであり、未熟な心故の過ちで間違いないのですから。幾ら王自ら不問に付されても、過去の俺の所業は無かったことにはなりません。そしてそれらの責は俺が負うべきものであり、俺が償うべきものです」


 俺の言葉に殿下は納得がいかないと言った顔をしている。それでも最後まで俺の言葉を聞いてくれるようで、震える手を強く握りしめ俺の言葉の続きを待っていた。


「殿下。俺はようやく覚悟が出来たのです。アギニスの名を背負う覚悟と、己の弱さと愚かさに向き合う覚悟が。――――――そして、こんな俺を愛してくれる者達の為に、彼らがかつて俺に期待してくれていた正道を歩んでいきたいと、強く、強く思ったのです」


 俺の言葉に殿下は何も言わなかった。俺の言葉を聞き漏らすまいと、食い入るように俺を見つめながら、黙って聞いてくれている。



「だからこそ俺は、俺の負うべきものを誰かに任せるのでなく、自分自身で背負って生きていきたいと思っているのです。―――――――かつて、殿下が望んでくださったような正道をもう一度、胸を張って歩む為に」


 そう言って微笑む。俺の言葉を聞いた殿下は、なんと答えようか考えあぐねているようだった。そんな殿下の言葉を俺も大人しく待つ。

 今更いらないとか言われたら結構ショックだ。でも、そう言われても仕方が無いことを俺はしてきたのだ。要らないと言われたら、欲しいと言って貰える人間になるまでだ。それが、過去の自分と向き合うということだと、俺は思うから。


「ドイル」

「はい」

「待っているからな」


 少し寂しそうな表情でそう言ってくれた殿下の手は固く握られ、白くなっていた。

きっと、言いたいことは沢山あるのだろう。内心は俺を叱りつけて、今までの事やこれからの事を問いただしたいに違いない。

 それなのに全ての言葉を飲み込んで、待つと言ってくれる殿下は素直に凄いと思う。

 だからこそ、その優しさに俺は応えたい。


「――――待っていてください。必ずや、殿下のご期待に応えて見せます」

「今度は勝手に逃げるなよ。ずっと待っているからな」

「はい」

「ずっと、待っているぞ。俺も…………クレアも」


 だから、逃げるなよと言外に告げた殿下の言葉に、俺はギョッとした。

 何故、ここで殿下は王女の名前をだす!?


「俺はまだしもクレアには世話になっただろ。手紙の一つくらい、寄越してやれ」

「第三王女様につきましては…………」

「あれだけ世話になっておきながら他の女がいいなどと抜かしたら、待つまでも無く俺の剣の錆にしてくれよう」


 ちょっとドスをきかせた声でそう告げた殿下の目はマジだった。


「…………俺のような人間では、釣り合いませんよ」

「それでもクレアはお前がいいと、お前じゃなきゃ嫌だと昔から言っている。それこそ、王や俺の言葉さえ聞かないくらい、お前だけを深く愛している。――――――負うべきものを全て己で背負うと大見得切ったのだ。クレア一人くらい幸せにしてみせろ」


 それとこれとは違うだろと言ってやりたいが、そんな事口にした日には確実にヤラレル。同腹で一つ年下のクレア王女を殿下は昔から、大切にし、可愛がっている。それこそ幼い頃は「俺が認める男でなければ、クレアはやれん!」とか言ってよく決闘を申し込まれていたのだ。


 ここで告白すればクレア第三王女は、ドイルの初恋の女の子である。緩く波打つ黒髪に深緑の瞳をした、聡明で可憐な少女だった。彼女は何故かドイルを気に入っており、何かある度に側に居たがった。そして俺は、そんな彼女を大切に想いながらも、つい恥ずかしくて邪険にしてしまい、その度に殿下によく叱られていたのだ。

 彼女には幸せになって欲しい。

 それは確かなのだが、俺が幸せにしてやれるとは思えないのだ。聡明で愛らしい彼女に相応しい男は俺以外に沢山いるし、王女である彼女は他国の王の妃にだってなれる。

 そんな彼女の隣に立つ資格が、はたして俺にあるのだろうかと思う。しかし、あれだけクレア王女を大切にしてる殿下が、俺に幸せにしろと言っているのだ。

 ならば俺が言える答えは、一つしかないのだろう。


「御意に」


 殿下の求める答えは分っている。

 しかし結局、色々思うことがある俺にはそれ以上の答えは返せなかった。

 それでも俺が否定しなかったことに、一応納得してくれたらしい殿下は何処か満足そうに頷いている。


「それでは、俺はもう行く。………………あまりクレアを待たせるなよ、ドイル」

「…………精進致します、殿下」


 駄目押し、とばかりにそう付け足した殿下に俺は頭を垂れた。そんな俺の態度に何か言いたかったのか殿下は一歩踏み出したが、それ以上俺に近づくことなく踏みとどまった。

 丁度人一人分。それだけの距離が今の俺と殿下の間にある。

 幼い頃には無かったこの距離は、これでも今日一日で大きく縮まったのだろう。そして再び殿下の隣に立つ為には、この距離を失くさなければいけない。

 そして、それは俺が歩み、失くすべき距離だ。

 誰にも非難されないように、正々堂々、正面から。

 殿下もそれが分かっているから、歩みを止めたのだろう。この距離をもどかしく思いながらも、俺をいつまでも待つと決めたから。


「ああ。待っているからな、ドイル。――――――――行くぞ! ジン」

「はいっ!」


 ジンと呼ばれた側仕えが殿下と共に談話室を出て行くのを、頭を垂れたまま見送る。そして彼らの足音が聞こえなくなった所で、俺はゆっくり立ち上がった。


「――――――ドイル様」


 心配そうに俺の名を呼ぶバラドに、心配ないと笑いかける。


「俺も部屋に戻る。バラドはそこを片づけてから戻ってこい」

「はい!」


 笑いかけたことで安心した顔を見せたバラドに、使った茶器を片づけるように命じる。元気よく返事し茶器を片づけ始めたバラドを確認した所で、俺は談話室の出口に向かって歩き出す。

 多くの野次馬の中を悠然と歩けばスキルの効果か人が割れ、道が出来た。上級生ばかりだというのに何処か敬うような空気を感じるのは、【上流貴族の気品】のスキルと殿下の効果だろうが、少しくらいは俺の行動によるものだと思いたい。

 誰にも邪魔されることなく、俺は談話室を後にした。廊下に殿下の姿は無い。その事実に一抹の寂しさを感じたが、所詮自業自得。待つと言って貰えただけで十分だと、己に言い聞かす。


 俺は存外、あの殿下のことを慕っていたらしい。

 そんな当たり前の事実を今さら思い知りながら、今日一日を思い返す。

 起死回生をかけた宣誓も上手くいった。殿下と思いがけない邂逅があったが、それも終わってみればとても幸せな結果に終わった。

 そして改めて、俺は多くの人に愛されているのだと分った。折角やり直す機会を与えて貰えたのだ。今度こそ、道を踏み外さないよう歩いて行こうと思う。

 それに、再び殿下の隣に立つという目標も出来た。クレアの事もある。やらなければならないことも、考えなくてはいけないことも沢山ある。

 明日から、忙しくなる。


 一人歩く寮までの道に人の気配はない。新入生のタイムリミットまであと一時間はある。この廊下が騒がしくなるのはもう少し先だろう。

 そんな他愛も無いことを考えながら、俺は忙しくも幸せなこれからの日々を思った。


ここから、徐々に王子様と和解していきます。


丁度キリがよいので、取りあえずここまで投稿させていただきます。

もう少し先まで書いてあるので、校正を行いながら投稿していきたいと思います。


ここまで読んで頂き、有難うございました。

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