第四十六話
「いいかい? まずこれが、【回転斬り】。次にこれが【斬り上げ】でそこから【空中斬り】だ!」
【回転斬り】というスキルを使い片足を軸に体を回転させ、その遠心力を使い地面に突き立てられた太い木の杭の上部を一文字に斬り落とした後、【斬り上げ】というスキルで再び杭の上部を斬ったオブザさんは、その勢いで宙に舞った杭の一部を空中でさらに斬りつける。そして、オブザさんがキンッと甲高い音をたてて剣を鞘に納めると同時に、空中で両断された木がボトボトと地に落ちた。
「今のがさっき教えた剣の基本【斬る】と【回転切り】の応用にあたる【斬り上げ】と【空中斬り】だよ。さっ、やってごらん」
…………やってみろって、えらく大雑把な教え方だな、おい。
にぱっと邪気の無い笑みを浮かべて俺にそう告げたオブザという名の冒険者に、心の中で突っ込む。少し離れたところでは、母上とウィン大叔父様がにこにこと笑いながら、用意されたテーブルでお茶をしながらこちらを見ている。午前中とは違い母上の傍らにはメリルがいる為、色々と安心である。
「よいっしょっと! うん。ドイル様にはこれくらいが丁度いいかな。さぁ、やってみよう!」
聞こえてきた声にオブザさんの方へ意識を戻せば、先ほど彼が斬っていた大人くらいある杭の横に、半分くらいの太さで俺の背丈と同じくらいの杭が用意されていた。そして、その杭を指差して「大丈夫! 君なら出来るよ!」とぐっと拳を握って応援するオブザさんを見ながら俺は杭の側へ向かう。
なんでこんなことに、と心の中で大きなため息を吐きながら、俺は剣の柄を握った。
早くスキルを得る為にもっと鍛錬を積まなければと考えていたところで、父上達の会話が耳に入り、その結果思い浮かべてしまった将来の可能性に俺は目の前が真っ暗になった気がした。
このままスキルを得ることが出来なかった場合、【槍の勇者】になれないどころかアギニス家や、下手をしたら国内に居場所が無くなるかもしれない可能性に俺はようやく気が付いたのだ。
両親やメリル達、グレイ様やクレアが【槍の勇者】になれなかったからといって俺を処分するとまでは思わないが、俺が跡を継ぐことを期待している父上や御爺様、何だかんだと言いながらも俺を認めてくれているグレイ様と、俺が一番だと言い切ってくれるクレア達の期待の眼差しが失望の目に変わった時、俺はきっと耐えられないだろう。
そして、その時はもうすぐそこまで来ているのだと気が付いてしまった俺に、昼食時の記憶は無かった。
ぼんやりとした記憶の中でウィン大叔父様達と昼食を食べた気がするのだが、我に返った時には昼食は終わり、俺は剣を握ってこの場に立っていた。
曖昧な昼食の記憶と、救護、監視役としてついてきた母上とウィン大叔父様の会話から察するに、将来的に殿下の側仕えになるのなら槍だけでなく色々な武器を使えた方がいいだろうと、いった内容の会話があったらしいのだが、俺はまったく覚えていない。
しかし、気が付いた時にはやる気に満ちたオブザさんが目の前にいて、その上俺はいつもの槍でなく初めて見る剣を握っていた。ご丁寧に剣の鞘を腰からさげて。
そして、鍛錬場の側にわざわざ用意されたテーブルセットにはウィン大叔父様と母上が腰かけ、見学する二人に不自由が無いようにメリルが付き添っており、完全に断れる雰囲気ではなかった。
ワクワクとした表情で俺が剣を構えるのを待っているオブザさんを横目に見ながら、思わずため息を溢す。
本音を言えば剣を習うよりも俺は今すぐ槍の鍛錬をしたかったのだが、元凶だと思われるウィン大叔父様は大事なお客様の為何も言えず。見知らぬ他人でしかない俺の為に、己の持つスキルを人前で曝け出し、その上スキル習得を手伝ってくれるというオブザさんにはさらに何も言えなかった。
そう考えると、はっきり断れなかった俺の所為だけど…………。
今一つ釈然としない気持ちで腰にさげた剣に手をかける。
昼食前に思い浮かべてしまった己の将来の所為で、俺の胸中には不安と焦燥感が渦巻いている。一刻も早く何かしらの槍か棒術のスキルを取得して安心したい俺にとって、たとえ侯爵の護衛になれるほど一流の腕を持つ剣士からの指導でも、光栄に思うどころか苛立つものでしかない。
しかしだからと言って、大切なお客様に俺の不安や焦りをぶちまける訳にはいかない訳で。苛立ちを感じながらも、今日だけの我慢だと己に言い聞かせて、俺は剣を握り鞘から引き抜いた。
というか、護衛として来ているのに子供の相手をしていていいのだろうか?
恐らく俺のような剣の素人が指導を受けるなど、勿体無いくらいの手練れだと思われるオブザさんにそんな感想を抱きながら、剣を構える。
ロングソードに部類される少し長めの剣を体の前で構え、四本の指の付け根の関節に持ち手のへりを合わせ、親指を立てて持つ。親指を立てて持つことにより、ロングソードを親指で支えことが出来、握りが安定する。また、親指を左右にスライドさせることで剣の表刃と裏刃を滑らかに切り返すそうだ。
オブザさんに教わった握り方は確かに安定しており、自身の身の丈では長過ぎのように感じていたロングソードは、槍を握っている時よりも握りやすい気さえする。
手に馴染む剣の感触に何故か不安を感じながら、俺は改めて剣を己の前で構え、大きく一度深呼吸をした後、突き立てられた杭に駆け寄った。
剣の間合いに入った瞬間、俺は先ほど習得した【回転斬り】を発動させる。そうすれば体は自然と片足を軸に体を回転させ、その遠心力を使い地面に突き立てられた木の杭の上部をオブザさんがしていたように、一文字に斬り落とそうとする。
そして杭が【回転斬り】によって斬り落とされる瞬間、俺は意識して剣をオブザさんがしていたように空に向かって振り抜いた。
――――【斬り上げ】を習得しました――――
【斬り上げ】のスキル習得を感じながら、その勢いで宙に舞った杭が落ちてくる瞬間を見計らって、空中で杭をさらに斬りつける。ザンという音に反して軽い手ごたえで両断された杭がボトボトと地に落ちたのを最後まで見届けから、俺は剣を鞘に戻した。
その瞬間、脳裏で【空中斬り】を習得しましたという文字が躍ったのが見え思わず顔を歪める。
オブザさんの大雑把な説明を受け、見よう見真似でやってみただけで簡単に習得できてしまった剣のスキルに口の中が急速に乾いていくのを感じた。
「いやー、流石だね! 見事な【斬り上げ】と【空中斬り】だったよ!」
パチパチという音とともに背後からかけられた声に、俺は笑みを作り振り返ったが、上手く笑えずへらりとした笑みになった気がした。
しかし、失敗したように感じた笑みはそれほど気にかかるものでは無かったらしく、オブザさんは何事も無かったように笑みを深めて俺が斬った木の欠片を拾いあげると、その断面をしげしげと眺める。
「――――うん。動きもよかったし、断面も綺麗だ。これならスキルを習得出来ただろう?」
「……………………はい」
一瞬スキルを得ていないと嘘をつきそうになったが、それは流石にオブザさんに対して不誠実過ぎると思った俺は、否定の言葉を寸前の所で飲み込む。そして最後の抵抗とばかりにたっぷり間をあけて、俺はスキルの習得を告げた。
そうすれば「やっぱりね」と言いながらオブザさんは拾った木片を俺に渡した。
「ほら、木の断面が凄く綺麗だろう? こういった切り口はスキルを使って斬った証拠だからね」
俺にそう告げたオブザさんはもう一つの木片を地面に置いて両断すると、俺に手渡してその切り口に注目するように促した。
「見てごらん。こっちは今俺が何のスキルも使わずに斬った切り口。断面がザラザラしていて、端っこに木の皮が千切れた後が残っているだろう? で、こっちは今ドイル君が斬った切り口だ。表面をやすりかなんかで磨いたみたいにツルツルと綺麗な切り口だろう?」
「………………全然違いますね」
「そう。これがスキルを使った場合と使わなかった場合の差だよ。凄く綺麗な切り口をつくる者がいたら、そいつは何かしらのスキルを使っていると思って気を付けた方がいい」
渡された木片とオブザさんの言葉を聞いて、父上や御爺様の槍を思い出す。父上や御爺様が藁を突くと明らかに槍の直径よりも大きい穴が、まるでその部分の藁を切り取ったかのように空いていた。一方で俺が突いた藁は槍の直径以上の大きさにはならず、穴の中も藁がぶちぶちと千切れた感じになっていたことを思い出したのだ。
あの時は俺が未熟な所為だと思っていたが、もしかしたら父上や御爺様は無意識にスキルを使っていたのかもしれない。
高位のスキルを扱える者の中には下位のスキルを、スキルだと意識せずに無意識のうちに使う者がいるという学説を読んだことがある。
「料理の時や薪を切る時のように『切る』という動作はスキルを使わなくなくても出来るけどね、スキルを使って『斬る』ことは誰にでも出来る事では無いよ。この断面を見れば分る通り、スキルの有無は威力が違う。スキルの動作自体を真似ることは鍛錬を繰り返せば出来るけど、ただ真似ただけの動作とスキルでは、高位の技になればなるほどその差は顕著だ。次元が違うからね」
オブザさんに告げられた言葉に唇を噛みしめる。スキルの有無がどれだけ大きいかは父上達で分っていたはずだった。だから俺はずっと不安だったし、焦ったし、危機感を持った。しかし、自分が実際にスキルを使ったことで、今まで考えないようにしていたことを目の前に突き付けられた気がした。
体重移動や刃の角度などを一々考えなくとも、スキルを発動させ対象を目で捉えただけで体は自然と動き対象を攻撃するし、力を籠めなくても野菜や果物を切っている時のような、軽い抵抗力だけで切れてしまう太い木。
そして今日初めて剣を握った俺が、スキルを使っただけで一流の剣士だろうオブザさんと大差のない切り口で、木を両断出来てしまう現実。
これが、スキルを持つ者と持たざる者の差なのか。
手渡された木片の断面を見ながら、改めてスキルがどういったものなのかを知った気がする。同時にどくどくどくと心臓が嫌な音をたてながら鼓動を早める。大雑把な説明だと思ったオブザさんの説明でも、見よう見真似で動作を真似ただけで習得できてしまったスキルが、嫌な予感を感じさせる。
父上達が見せてくれたスキルはあんなに練習しても、一つも習得出来なかったのに……。
今日初めて剣を握り、見よう見真似で習得出来てしまった剣のスキルと、四年間必死に槍を振り続けても一つもスキルを習得出来なかった槍。
その二つの差が示すものは、何か。
…………気の所為、だよな?
思い浮かんだ可能性を振り払うように頭を振る。そして、垣間見てしまった現実を直視したくなくて、俺はそれ以上考えるのを止めた。
父上だって槍のスキルを得たのは中等部に入る少し前ぐらいだったと仰っていた。中等部にあがる十二歳まで、後三年もあるのだ。御爺様や父上だって何が切欠になってスキルを得たのかは分からないと仰っていたじゃないか。スキルは戦いの中で自然と身についていくものだから、気付いたら使えるようになっているものだって。
そう必死に己に言い聞かせるものの、『高位のスキルを扱える者の中には、下位のスキルをスキルだと意識せず無意識のうちに使う者がいる』という学説がちらちらと頭の中を駆け巡り、じわりと手に汗が滲んでくる。
固い地面が足元にあるはずなのに、急に地面がぐらついた気がして、気分が悪くなる。
そしてそんな俺に、オブザさんは追い打ちをかけるように言葉を続けた。
「勿論日々の鍛錬は大事だよ。鍛えられた体と鍛錬を怠った肉体では同じスキルを使っても威力や持続時間が違うからね。でも、この木片を見れば分る通り、実戦でのスキルの有無は致命的な差を生む。このスキルを使えば、拳大くらいの石なら君にも簡単に斬れるはずだよ。だからこそ、武器を持ち戦う事を選ぶのなら、己の適性やスキルをよく知ることが大事だ。いくら見よう見真似でスキルのない武器を極めたって、それは模倣でしかないからね。どれだけ時間を費やしたとしても、スキルを持つ者に勝つことは難しい」
オブザさんはその赤土色の瞳で俺を真っ直ぐに見つめると、ゆっくりと、しかし、しっかりとした口調で言い聞かせるように俺にそう言った。
「…………君はまだ若い。一つの事に固執したりせずに、色々な可能性を試してみるのもいいと思うよ。戦う時だって一通りの戦い方しか出来ない奴よりも、色々な戦術が出来る相手の方が戦い難いからね」
多分、冒険者としてアドバイスをくれているのだと思う。数々の修羅場をくぐってきた冒険者の言葉だけあって重みもある。
しかし、それだけでは無い意味が今のオブザさんの言葉の中にある気がするのは、俺の考え過ぎなのだろうか?
怖いくらい真剣な色を帯びた瞳で見つめられ、告げられた当たり前の言葉が何だかとても痛くて、俺は何も言えなかった。何故、今このタイミングでオブザさんはそんな事を言うのだろうか?
今日が初対面なオブザさんが俺の悩みや焦燥を知るはずなど無いのだから、友人の血縁者への冒険者としての純粋なアドバイスであるとは思う。
しかし、本当にただのアドバイスであるならば、何故俺はオブザさんの言葉の意味を深く考えたくたくないと、これほどまでに感じるのか。ぼんやりと分りかけている感じはするものの、これ以上深く考えることを拒む己の心が、確信を掴ませない。
知りたい、けど、知りたくない。
不可解な己の感情を持て余しながら、視線を彷徨わせる。
本人に言葉の意味を問うのが一番手っ取り早いと分ってはいるが、俺の内心を見透かしているようなオブザさんの意味深な態度が、真意を問うのを躊躇わせる。
この人が一体何を知っているのか知りたい気がするが、知りたくない気持ちの方が強い。知ってしまったら俺は後戻りが出来ない気がするのだ。
今まであった足元が急に無くなったような、言い知れぬ不安に襲われた俺は、何も言うことが出来ず、どうしていいかもわからず目の前の人を見た。その赤土色の瞳に映る俺は酷く情けない顔をしているのが見え、頭の隅っこで母上とウィン大叔父様がいるテーブルと俺の間をオブザさんが遮ってくれていることに感謝した。
そんな、何を言うでもなく、今にも泣き出しそうな情けない顔をした俺を、オブザさんは困ったような表情を浮かべて撫でた。
「――――――――そんな顔をしないで。君には色んな可能性があるよって、言いたかっただけなんだ。君にそんな顔をさせたのがばれたら、ウィンに大目玉をくらってしまう」
明らかに撫で慣れていない、恐々とした手つきで俺の頭を撫でるオブザさんは、困ったような笑みを浮かべていた。
ぎこちないけど優しい大きな手に、喉元に熱いモノが込み上げる。困らせると分っていてもどうすることも出来なくて。じわりと滲んだ視界でオブザさんを見上げれば、彼はさらに眉じりを下げながら黙って俺を撫でてくれる。
そんな優しいオブザさんに俺は、誰にも聞けなかった問いかけをしてみたくなった。
父上や御爺様には怖くて聞けなかったことだが、貴族のしがらみも無く、アギニス家とも縁遠い、この国の人間では無いこの人になら聞ける気がしたのだ。
「………………オブザさん」
「なんだい?」
「俺は…………、俺は、【槍の勇者】になれると、思いますか?」
滲む視界でオブザさんを見上げながら、俺はオブザさんにそう問いかける。ずっと誰かに聞いてみたくて、でもその答えが怖くて、誰にも聞けなかった俺の将来の可能性。
四年間握ってもまったくスキルを得ることが出来なかったのは、俺が精神的にも肉体的にも未熟な所為なのか、それとも――――――。
「……………………それは、「オブザ! 何かありましたか!?」」
縋る想いで聞いた質問にオブザさんが何かを言いかけた瞬間、オブザさんの背中越しにウィン大叔父様の声が聞こえた。ウィン大叔父様の声にビクッと肩を跳ねさせたオブザさんは、「これで拭いて!」と小声で焦ったように告げ、無理やりタオルを握らせると俺を隠すように首だけ振り返った。
「――なんでもない! ちょっと、スキルの説明をしていたら木くずが目に入ったみたいなんだ!」
「それは何でも無くないだろう!? ドイル君は粗雑な貴方と一緒で放っておけば治る野生児じゃないんだから、直ぐにこちらに連れてこい!」
「ああ! 今行くよ! ――――――――――もう、大丈夫かい?」
「……はい」
「――――――――強い子だ」
ウィン大叔父様に怒られながらも、俺が母上達の視界に入らないよう配慮してくれたオブザさんの気遣いを無駄にしないように、俺は必死で込み上げる涙をのみ込んだ。そして、戻れるかという問いかけに肯定の返事を返せば、なんとも言えない表情を浮かべながらもオブザさんは再び俺の頭を撫でてくれた。
そして浮かびかけていた涙をのみ込んだ俺の顔を確認したオブザさんは少し寂しそうな、悲しそうな表情を浮かべ小さく何かを呟き目を閉じると、次の瞬間には「じゃぁ、行こうか」と言いながらにぱっとした笑顔を浮かべて手を離した。
そうして俺の手からタオルを回収し隣に並ぶと「また、後でね」と耳元で囁き、その大きな手でそっと背を押してくれる。その手に導かれるように足を踏み出し歩き出した俺は、オブザさんに付き添われる形で俺達を待つウィン大叔父様と母上の元に戻った。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました。