第四十五話
槍を与えられた当初は『槍を振る』ただそれだけのことがどんな遊戯よりも、ずっとずっと楽しかった。
槍の重さに振りまわされながら、御爺様や父上に教えられる通りに槍を振り、型を一つ覚える度に父上や御爺様、母上達に見せて回り、褒めて貰って喜んでいた頃が懐かしい。
褒められるのが嬉しくて。
流石アギニス家の跡取りだと言って貰えるのが誇らしくて。
晴れた日は勿論、風の日も雨の日も、飽きることなく槍を振り続けた。そしていつか、俺も父上達のような【槍の勇者】になるのだと、そう信じて疑わなかった。
ウィン大叔父様に向けた父上の言葉に嘘は無い。
実際、槍の扱いには慣れてきたし、この間も槍部隊の騎士といい勝負ができた。散々浴びてきた所為か多少の電撃は我慢できるようになってきたし、懐に一撃貰っても気絶することはほとんどない。
これで騎士達に匹敵するスキルを一つ二つ持っていれば、父上の言葉や先ほどの母上の言葉を手放しで喜べたのだろうが、駄目なのだ。俺は、喜べない。
スキルを得ていない俺では、父上と母上に誇って貰える『自慢の息子』ではいられないと知っているから。
未だに槍のスキルはおろか、棒術のスキルさえ得ることの出来ない俺は、槍の扱いが上手いレベルでしかない。今は九歳という年齢だからそれでもいい。むしろ体が出来ていない年齢で、武器を使って本格的に鍛錬をしているのは、ごく一部の武闘派貴族の子供だけだ。グレイ様のメイスが俺に掠りもしないように、多分同い年の子供との戦いならば負けることはないだろう。
しかしそれは、現段階で同年代と比べれば強い、だけだと俺は理解している。
自惚れていられるほど、俺は強くない。
今俺が持っている程度の強さなど、才能ある人間が一、二年鍛錬すれば簡単に追い抜かせる程度のものでしかない。
そう気が付いた日から、楽しかった鍛錬の時間は不安を振り切るように槍を振るう時間に変わり、誇らしかった父上達からの期待の眼差しと褒め言葉は、辛く重たいものになってしまった。
身体能力や武器の扱いは勿論、己とは違い、多種多様なスキルを持った槍部隊の騎士達を思い出し、ぐっと掌に爪を食い込ませる。
殿下の側仕え候補として王城にあがるようになったのと同時に、父上の仕事場にも顔を出すようになった。そしてそこで、生まれて初めて俺は、槍を学ぶ者として己がどれだけ恵まれた環境にいるのかを自覚した。
日常的とまではいかないが、定期的に【炎槍の勇者】と【雷槍の勇者】と手合わせでき、指導を受けられる俺はとても贅沢なのだと、御爺様と父上を見つめる騎士や一般兵士達の眼差しから学んだ。
その上、多くの兵士や騎士、近衛騎士達までもが皆口々に羨ましいと俺に告げるのだ。城仕えに選ばれるだけあり、彼らの身体能力もスキルも、原石か磨かれているかの差はあるが、どれもが一級品だというのに。
そんな彼等から羨望の眼差しを受けて、自身の置かれた環境が理解できないほど俺は馬鹿じゃない。
確かにこの四年間で培った俺の身体能力や槍の技術は高かった。年齢と経験が圧倒的に劣っていようとも、国の選んだ騎士といい勝負が出来るくらいには。
父上がいい勝負をしていたと仰った騎士を倒す日はそう遠くない実感もある。
しかしそれは、十歳以下の子供に合わせた、スキル使用無しの勝負で、だ。
純粋な身体能力で優っていようとも、スキルを使った実践ではその程度の優劣は簡単に覆る。優れた身体能力も高度な技術も、強力なスキルの前には気休めにしかならないのだ。
御爺様や父上が時折見せてくれるスキル達が、嫌というほどそれを俺に教えてくれた。
同程度のスキル無しに、あの高みには登れない。
以前見た人外の所業を思い出し、グラスを握る手に力が入る。その拍子に手の中からピシという乾いた音が掌から伝わり、俺は慌ててグラスの無事を確かめた。
大人達に気が付かれないよう目だけでグラスに傷が無いか確認し、目立った傷の無いグラスに思わずため息をこぼした俺は、挙動不審にならないようそっとグラスから手を離し、サイドテーブルに置いた。
そして盛り上がっている父上達を視界の隅におさめながら、改めて豆だらけの己の手を見る。
薄らと爪の跡が赤く残る己の掌は、先ほど母上が回復魔法をかけてくれたお蔭で、新しく出来た豆や潰れたばかりの豆は完治している。しかしそれでも、デコボコしている上に固く、九歳児の掌にはおおよそ似つかわしくない掌をしている。女の子でもあるまいしボロボロの手を恥じる気は全く無く、俺はむしろこの手を誇りに思っている。
この手は俺が、この四年間槍を振り続けた証だ。
その辺の兵士や騎士には負けないくらい、鍛錬を積んできた自負もある。
それこそどんな悪天候であろうとも、場所を鍛錬所から馬小屋に、馬小屋から室内にと移し、母上やセバスに叱られながら俺は毎日槍を振ってきたのだ。
父上や御爺様のようになる。
ただその一心で、槍を振る喜びが不安に変わっても俺は鍛錬を止めなかった。御爺様に初めて専用の槍を手渡された、五歳の誕生日からずっと。
でも、ただ鍛錬を積んだところで意味など無い。
父上達と同じように【槍の勇者】になってこの国を守っていくのだと夢見ていた俺は、いくら体を鍛え技術を磨こうとも、スキルを得られなければ無意味なのだと知ってしまった。
成長し、御爺様や父上がスキルを使って手合わせしてくれるようになり、【勇者】の持つスキルを体感するようになったことで、そう実感したのだ。
炎を纏った御爺様の槍が繰り出す一突きは、魔獣を骨一つ残さず焼きつくし、父上の放つ雷を帯びた一撃は、まるでフォークを果肉に突き立てた時のように簡単に岩を貫通する。
人力では到底実現できない槍の威力。父上達の人外な力を、間近で見てきたからこそ、有用なスキルをどれだけ持っているかが、実戦でものをいうのか分かっている。
魔獣を消滅させる一撃が対人戦でどれだけの威力を発揮するかは、戦いに身を置かない者だってすぐ分かることだ。
…………父上達のスキルは反則だからな。
森の中で魔獣達を消滅させた父上達のスキルを思い浮かべて、ギュッと手を握る。
【勇者】と呼ばれる彼らの戦い方は、人外の戦い方だ。魔獣を倒すとか仕留めるといった表現では生温く、『消滅』といった表現がしっくりくる。そんな戦い方をする父上達と同じ領域に足を踏み入れるには、生半可な鍛錬では駄目なのだ。
身体能力や技術といった日々の鍛錬の差が出るのは、同程度のスキルを持っている場合だけ。下位のスキルならばもっと鍛錬を積めば対応できるかもしれないが、中位のスキルを使われたら、今の俺では太刀打ちできないだろう。
何か一つでいい。
槍もしくは棒術のスキルが欲しい。そうすれば、この正体のわからない不安から解放される気がする。その為にも、より一層の鍛錬を積まなければいけない。父上達の期待を裏切らない為にも。
湧いてくる焦燥感に急かされるように、無性に槍を振りたくなった俺は、この昼食が終わったらすぐに着替えて鍛錬場に行こうと心に決める。
数年もすれば俺も中等部に入学だしな。
それまでにはスキルを得ておかねばと、思う。
公爵家に生まれた俺は、十二歳になれば必然的に学園の中等部に通うことになる。同い年のグレイ様もご入学されるし、何より成人前とはいえ俺には父上達の名がついて回るのだ。アギニス家の名に恥じるような事はしたくない。
しかし不安もある。
学園への入学が義務である貴族はともかく、学園には己の才能を武器に成り上がることを目的にした、将来有望な平民達が大勢やってくる。その中でも厳しい試験を突破した選りすぐりの者達が、富や栄誉、己の人生をかけて入学し、しのぎを削るのだ。
そんな同年代でありながら、多くのスキルを持っているだろう、才能溢れる子供達の中に入った時、俺は果たしてアギニス家の継嗣に相応しい息子でいられるのだろうか?
もしもこのまま、スキルを得ることが出来なかったら―――――?
ふと頭を過った三年後の己の姿に、スッと血の気が引いていく。
ぐらついた足元を支えるように、近くにあったサイドボードに手をつけば、グラスの水面が僅かに揺れているのが目に入った。訪れるかもしれない未来を想像した自身の胸の内を反映するように、小刻みに揺れる水面をそれ以上見たくなくて、俺はサイドテーブルから離れる。
不自然にならないよう、少しだけテーブルと距離をあければ、小刻みに揺れていた水面は少しずつ収まり、そう時間を経てずに揺れはおさまった。
俺は静かになったグラスの水に安堵し、何時の間にか強張っていた肩をゆっくりとおろす。先ほどと同じ体勢を取りながらも、サイドテーブルに手は勿論、体も触れないように半歩ほど距離をあけて立った。
そして父上達を確認すれば、父上とウィン大叔父様とオブザさん、御爺様とお母様とメリルの組み合わせでそれぞれが談笑しているのが目に映り、殺していた息を吐く。
俺の一連の動作に気が付いていない大人達に胸を撫で下ろした後、先ほど思い浮かべた自身の将来の可能性を、改めて想像してみる。
三年後、期待に応えられなかった俺を、父上達は息子として認めてくれるのだろうか?
今は父上達が自慢出来る息子でいられても、このままスキルを得ることが出来なければ、俺はあと数年で話題に出させない息子にかわるだろう。
【炎槍の勇者】と【雷槍の勇者】と二代続いてアギニス家の当主が【勇者】になったのだ。幼い頃から槍を教えてくれた御爺様や父上は勿論、母上やセバスやメリルも俺がその名を継ぐのを楽しみにしている。
勿論、国王陛下をはじめこの国に住まう者達は、父上の第一子が男だった時点で三代目の【槍の勇者】を期待したはずだ。
だからこそ俺は今、グレイ様の側仕え候補として王城への出入りが許されているし、グレイ様と同腹のクレア第三王女の婚約者なのだから。
【槍の勇者】でない俺に、どれほどの価値がある?
もしもこのまま、スキルを得ることが出来なかった場合、果たして俺はグレイ様とクレアの側にいられるのだろうか?
それ以前に、あれほど目をかけてくれている御爺様や、俺を自慢の息子だと言い切る父上や母上は?
セバスやモルド、メリルだって俺が【勇者】の名を継ぎ、アギニス家当主になることを当然のように考え、公爵として恥ずかしくないように貴族や当主として必要な事を教え、接してくれている。
その期待を裏切ってしまったら、俺はどうなる?
スキルを得られない不安にばかり思考を奪われていた所為か、たった今、初めて思い浮かべた己の将来の可能性に、俺はいいようのない戦慄を覚えた。
ここまでお読みいただきありがとうございました。
ちょっとご意見をいただいたので、弁明といいますか報告?をさせていただきます。
昔話関連は五十一話まで続き、五十二話から進展していきます。
昔話が長くなってしまい申し訳ありません。
しかし折角書いたのと、全体を通してドイルが反省したり、グダグダするのはココが最後の予定なので、起伏や進展がなく読みにくいかもしれませんが、寛大なお心でお付き合いいただけると幸いです。