第四十話
「御代りはいかがですか? ドイル様」
「…………貰う」
「はい! 少々お待ち下さいませ」
素早くよそわれたスープをすすりながらチラリと目線を上げれば、たき火を挟んで正面に座る殿下と目が合い慌てて視線を落とす。
先ほどからじっと注がれる視線が痛い。そしてそんな俺達を見守るレオ先輩やリェチ先輩やサナ先輩の生暖かい視線がさらに痛い。
何処か壁を感じる殿下の対応も辛かったが、初めてのお使いを見守るような生温かい視線を向けられているのがとても居た堪れない。
「ドイル」
「はい!」
午前中までとは違う居た堪れなさに内心で身悶えていると、殿下からお声がかかった。ついにやってきたその瞬間に思わず声が裏返る。
「何か言いたいことがあるなら、聞いてやるが?」
尊大な態度でそう言い放った殿下に息をのむ。滅多に見ない殿下の王太子らしい表情に、ここで答えを間違ったら洒落にならない事態になることを本能的に悟る。
入学の日、『他の女がいいなどと抜かしたら、待つまでも無く俺の剣の錆にしてくれよう』と告げた時と同じくらいの気迫を殿下から感じる。
スープの器を地面に置き、さりげなく側らに置いてあったメイスに手をかけた殿下は、俺が口を開くのを黙って待っている。準備万端である。
殿下のその姿に先ほどのワーラビットの姿を思い出し、背筋に冷たいものが伝うのを感じた。
多分殿下は、俺が周囲の心配に気が付くのをずっと待っていたのだろう。皆俺の事を気にかけているのだと、俺に気付かせようとしていたのだ。俺が謝罪しようとする度に苦い表情で話題を替えていたのも、謝罪などいらないという意味だったのかもしれない。
殿下は最初から俺に謝罪など求めていなかったのだ。
殿下の求めている答えは恐らくこれだろうと思うものをようやく見つけ、俺も持っていたスープの器を地面に置き佇まいを直す。俺がようやく答えを出したことに気が付いた殿下は、手をかけていたメイスをぎゅっと握りしめた。
そんな殿下の行動を視界におさめ、俺は覚悟を決めて口を開いた。
「ご心配をおかけして、申し訳ございませんでした!」
殿下にそう告げながらばっと頭を下げる。所謂、土下座だ。地面スレスレまで頭を下げながら、殿下の言葉を待つ。違っていたらどうしようと思いながら殿下の答えを待ったが、中々判決を下さない殿下によもや答えを間違ったかと、心音がドクドクドクと早くなっていく。頭を上げて殿下の様子を確認したくなったが、逸る気持ちを堪えそのままの体勢で殿下の言葉を待つ。
そして、短かったのか長かったのか、緊張のあまりよく分からない時間を過ごした頃、音も無く誰かが動いた気配がしたと思うと同時に、ゴッ! と後頭部に衝撃が走った。
「ドイル様!」「ドイル!」「「ちょ、兄御!?」」「殿下!?」
以前のように一撃で意識を持っていかれることはなかったものの、確実にたんこぶはできると思われる痛みに顔が歪む。慌てて俺に声をかけるバラドと、治療薬を準備し始めるレオ先輩に、ジンと先輩方はメイスを持った殿下を止めようとしている。
一気に騒がしくなった周囲とは裏腹に、殿下は静かに見下ろすと悪びれない表情で俺に告げた。
「今回はギリギリ及第点をくれてやるが、その答えではまだまだだ。お前は周囲が、何を感じ、何を思っているのかをもっとよく考えろ」
殿下は俺にそう告げると、元の位置に腰を下ろしメイスを地面に置いて何事もなかったようにバラドのスープを飲み始めた。一応これで許してくれる気らしいが、意味深な言葉を告げた殿下を見つめる。しかしそれ以上何も告げる気は無いらしく、黙って昼食を口に運ぶ殿下に俺もそれ以上のヒントは諦めた。
自分で考えろって事ですね。
そんでもって、今の答えはあまりお気に召さなかったんですね、殿下。
殿下の求める答えでは無かったものの、一応近い答えではあったのだろう。かなり手加減されて振るわれたメイスがいい証拠である。
「ドイル様。治しちまうから、下向いておけ」
「…………どーも」
治療薬を持ってきたレオ先輩の指示に従い下を向く。
それなりに一生懸命考えて出した答えが違っていたことに不満を覚えつつレオ先輩に返事を返せば、下を向くと同時に熱を持った箇所に冷たい感触を感じ、肩が跳ねる。
しかし次の瞬間、冷たい感触を感じるとともに、すっと引いていく痛みと熱に感心した。
おお、凄いなこれ。
一瞬で痛みの引いた後頭部に感動していると「終わったぞ」と告げられたので、頭を上げつつ後頭部に手をやれば、殿下の手によって作られたたんこぶは跡形も無く消えていた。
「大丈夫ですか? ドイル様」
「ああ。まったく痛くない」
「リェチが作ったたんこぶ専用の奴だからな」
「…………凄いですね、これ」
素晴らしい効能と即効性に思わずリェチ先輩を見れば、先輩方はいい笑顔でビシッと親指を立てた。
「兄貴によくたんこぶ頂いていた賜物です!」
「です!」
俺の褒め言葉に胸を張って答えた先輩方に、微妙な空気が流れる。
そうですか。
こんな薬を作るほど先輩方はレオ先輩に鉄拳を頂いている訳ですね。
どおりで素晴らしい効能です。
本当にご苦労様です、レオ先輩。
先輩方の言葉を聞いて、今日までのレオ先輩の苦労を偲ぶ。
付き合いの浅い俺でさえ、先輩方の自由奔放さには開いた口がふさがらないというのに、中等部からの付き合いだというレオ先輩の苦労は並々ならないものだったことだろう。何よりこの薬の完成度が、レオ先輩がこの二人を諫めてきた歴史の深さを雄弁に語っている。
…………苦労したんだろうな。
そう思ったのは俺だけでは無く。我関せずと言った様子で昼食を食べていた殿下も、微妙な顔で俺の背後にいるレオ先輩を見ていた。
「…………昼食、食べましょうか」
「……………………そうだな」
「こちらをどうぞ、レオパルド先輩」
「あんがとな」
眉間を揉み解しながら疲れた様に答えたレオ先輩はそれ以上何か言うことなく、元の位置に座った。そんなレオ先輩の姿に同情したのか、俺以外に対してはあまり労わるといった事をしないバラドが、そっとスープつぎ足し先輩に渡してやっている。
その後、バラドの無言の労わりに小さく礼を言って再び昼食を食べ始めた先輩に、俺達一年は無言で中断していた昼食を再開した。
「そろそろ行くか」
「はい!」
リェチ先輩とサナ先輩の所為で微妙な空気になりながらも、午前中よりはずっと柔らかい雰囲気で終わった進んだ昼食に、俺がバラド達にどれだけ気を遣わせていたのか実感した。
同時にこれからはもっと頑張らなくてはと思う。午前中は殿下の事が気になって合宿にあまり集中できていなかった。正解では無いものの、及第点を貰えたのだ。殿下の言葉の意味は合宿を終えてからじっくり考えようと思う。
殿下の問いかけに気を取られて、合宿で失敗しては意味が無い。
「午後はどういたしますか? 午前中だけでも結構魔物狩りましたよね?」
「…………そうだったな」
「今のところワーラビット十三匹に、ナーゲルフォックス五匹、アイアンスネークが三匹、ミラージュコクーンが六匹にホーンモモンガが四匹ってとこだな。内素材として使えんのはワーラビットが九匹分、ナーゲルフォックスが三匹分、アイアンスネークが一匹分にミラージュコクーンが三匹分と、ホーンモモンガが四匹分だな。………………後ついてってるだけの俺が言うのも何だが、戦いかたもうちょっとどうにかできねぇか? 三十匹も魔獣狩っておきながら採取できるのが三分の二じゃ効率悪すぎんぞ」
「…………すみません」
「…………悪い。午後は気を付けよう」
「謝ることはねぇけどな。戦ってるのはお前達だし、午前中だけにしてはとんでもねぇ数狩ってるしな」
結構自信あったんだけどなぁと、殿下への答えを呆気なく却下されたことを思い出し僅かに沈む。しかし、そんな自分を奮い立たせ合宿に集中しようとしていると殿下とジンを中心に午後をどう過ごすかという話をし始めていた。
そしてそんな彼らに、午前中の戦績を振り返ったレオ先輩から苦言を呈される。
レオ先輩の最もなお言葉に原因であるジンと殿下はそれぞれ謝罪の言葉を口にし、ばつが悪そうな二人にレオ先輩がフォローを入れる。そんな三人にバラドや先輩方も苦笑いである。
まぁ、俺達の班が効率悪いのは仕方ないといえば、仕方ないけどな。
この班の主な戦力は槍とメイスと刀なのだ。
しかもジンは雷と炎の属性を纏わせた槍を得意としている為、狩った魔獣がことごとく焼けてしまった。最初に炎槍で獲物を焼いてしまったジンは即座に雷槍に替えたが、どうもジンは手加減が苦手らしく威力の強すぎる雷は内側から魔獣を焼いた。
結果、ジンが仕留めた魔獣は素材利用が出来なかったのである。かといって槍単品の攻撃力では効率が悪く、ジンの武器に関しては悩ましいかぎりである。
殿下も同様で、先ほどのワーラビットのように地に埋まってしまったり、原型が残らなかったりと様々なアクシデントがあった。まぁ、殿下の場合は俺にしたように手加減は出来るはずなので、午後は大丈夫だろう。
恐らくあの無残な魔獣達への仕打ちは、俺が殿下をイラつかせていた所為だからな。
殿下が本来ならば俺にぶつけたかっただろう怒りを、代わりに受けと止めてくれた魔獣達に心の中で手を合わせる。同時に今殿下を怒らせたら俺が直接制裁を受けることになるのか? という可能性にたどり着き、ちょっと背筋が寒くなったがそれ以上考えるのは止めておいた。この世には追求しない方が幸せなことは沢山あるのだ。
「――――れじゃぁ、午後は先頭がバラドで、次がドイル。その後ろに私が入って、先輩方を挟んで殿をジンが行う形でいくか」
「それが最善かと思います。ですよね、ドイル様」
「ん? ああ。そうだな」
俺が散っていった魔獣達に黙祷を捧げているうちに話は終わったらしく、殿下が話をまとめ、バラドが俺に確認してきたのでそれに答える。
そんな俺に「間近でドイル様のご雄姿を見られるなど、バラドは今から期待に胸が膨らんでおりまして――――!」といつものように胸の内を語り始めたバラドを慌てて宥める。一応、今が合宿中ということを考慮したバラドは少しつまらなそうな表情を見せたものの、直ぐに引いてくれたのでホッと胸を撫で下ろす。
ただでさえリェチ先輩とサナ先輩の所為で殿下達に白い目で見られたというのに、ここでバラドを暴走させてしまっては、俺の部下達はどうなっているんだと殿下に言われてしまうだろう。
「…………バラドの、んんっ! バラド様は中々愉快というか個性的な性格をしておいでですね!」
「ですね!」
個性的な部下達の心証を心配していたら、突然告げられた無邪気な先輩方の言葉に場の空気が凍った。先ほど散々やり込められたのにまだバラドを『兄貴』と呼びたいのかとか、「よりにもよってお前らが言うな!」と思ったのは俺だけでは無いはずだ。
現に殿下は口元を引きつらせており、レオ先輩は慣れた手つきでお二人に鉄拳を落とすと、華麗な手際で二人を締め上げている。
一方バラドはというと、薄らと微笑みを浮かべながらまったく笑っていない瞳で先輩方を見つめると「お借りしますね?」と有無を言わせずレオ先輩の手から簀巻きにされた先輩方を受け取り、そのまま端にズルズルと二人を引きずっていく。
そしてバラドが先輩方の耳元で何事か囁くと、先輩方の顔色が一気に変わった。青から赤に、そして青に戻り、最終的に白くなった先輩方は自業自得だと思う。
戦闘が出来ない分、己の長所である情報収集能力をバラドはこれでもかというほど鍛え、磨き上げている。きっと今お二人は過去に書いたラブレターや、荒唐無稽な将来の夢を語った作文といった、大人になればなるほどダメージが大きくなる過去の過ちを、その耳元で囁かれている事だろう。
先輩方の今の状況を冷静に分析した俺は、同時に入学式直後に見なかったことにした、セバスからバラドに与えられた餞別の中にあった要注意人物と書かれた人名の連なったリスト思い出したが、思い出さなかったことにして再びその記憶を頭の奥深くに沈めた。
そして思い出しかけた記憶に蓋をした後、俺は未だにバラドに何事かを囁かれ悶えている先輩方に視線を戻す。
これに懲りて、少しは自重してくれるといいな。
自業自得な先輩方を見ながらそう思った俺は、白から灰になりかけている二人にそっと手を合わせた。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました。