第三十九話
新年あけましておめでとうございます。
今年も宜しくお願いいたします。
「あっ、ジンの兄貴、焼けましたよ」
「ありがとうございます!」
「グレイの兄御もどうぞ! これ、さっき兄御が仕留めたやつです!」
「…………………………ああ。ありがとう」
いい感じに焼けたワーラビットの足をジンとグレイ殿下に勧める先輩方の表情は明るい。どこまでも自由な先輩方に兄貴と呼ばれ嬉しそうに肉を受け取ったジンとは対照的に、グレイ殿下は返事を返すまでにたっぷりと時間を要したあげく、笑顔を浮かべようとして失敗したのか口元が引きつっている。
そんなに嫌なら社交辞令であっても許可しなければよかったのに、と思いながら親睦を深めている殿下達を眺める。
昼休憩ということで、ちょろちょろと湧き出ている水の近くに場所を確保したのはつい先ほど。
リェチ先輩方と殿下とジンは川の側に起こした火で、先ほど狩ったワーラビットの肉を焼いており、そこから三メートルほど離れた場所でバラドが携帯食とワーラビットの骨を使ってスープを作ってくれるそうなので、俺とレオ先輩はバラドの護衛をしているところだ。
同じ火で焚けばいいのにとも思ったが、殿下の側に居るのも気まずかったので『火が分散されると完成に時間がかかります』というバラドの言葉に便乗させて貰った形である。
リェチ先輩暴走の後。いくら同じ班であり、後輩だと言ってもグレイ王太子殿下を『兄御』と呼んだリェチ先輩とサナ先輩を本気で吊し上げようとしたレオ先輩を俺は全力で止め、二人にどうにか殿下の呼称を変えて頂けないか交渉を始めた。中々折れない先輩方に苦戦していると、何故かジンが「俺は構いませんよ!」と嬉しそうに口を挟んできた。
そんなジンに目を輝かせた二人にこれはまずいと思い始めたところで、先輩方に期待の籠った目で見つめられた【穏やかで優しい王子様】は「…………公の場でなければ、好きに呼んで下さって結構です」と社交辞令を口にした。
結果、二人の呼称は訂正不可能なものとなった。
ジンはともかく殿下は誰がどう見ても社交辞令ですといった表情と空気だったのだが、大物な先輩方にそんなものは通じなかった。殿下の言葉を聞き「「じゃぁ、公の場ではグレイ殿下とジン様とお呼びしますが、それ以外はグレイの兄御とジンの兄貴で!」」と結構長い台詞を見事にユニゾンした先輩方は、これ以上ない程イキイキしていた。
その後、社交辞令を正面から受け止められ僅かに顔を引き攣らせていた殿下は、生き生きとした先輩方と嬉しそうなジンに誘われ火の準備をすることになった。
そして今に至るのだが、現在の殿下は意気投合した先輩方とジンに振り回された所為か、少しくたびれて見える。
あれでも、この国の次期国王なのにな。
苛立ちを隠すように差し出されたワーラビットの足に噛り付く殿下の姿に、先ほどまでとは別の意味で胸が痛んだ。
ちなみに、バラドは先輩方に「バラドの――」と言われた瞬間に有無を言わさない笑顔で「バラドでお願いします、先輩方」といって拒否していた。その後も性懲りも無く先輩方はバラドを『兄貴』と呼ぼうとしていたが、その度に即座に拒絶され今は大人しく「バラド様」と呼んでいる。
嫌なことは嫌とはっきり言えるバラドを心から見直すと共に、次期国王でさえも『兄貴』系統で呼ぼうとする先輩方の根性と並々ならぬ拘りに脱帽した俺は、レオ先輩の隣で静かに過ごさせて頂いている。
「…………本当に、あれはいいのか?」
「……公の場で呼ばない限り処分されたりはしませんよ。多分」
波長が合ったらしい先輩方とジン、そんな三人に少し引き気味の殿下を見てレオ先輩が俺に問いかけてきたので返事を返せば、苦々しい表情でレオ先輩は殿下達を見た。
弟分が心配なレオ先輩には悪いが、俺に話を振られてももうどうしようもない所まできてしまっているのだ。社交辞令だったとは言え殿下やジンがハッキリ許可を出してしまった以上、俺やレオ先輩が口を出した所であの先輩方は自重しないだろう。
あれでいて、レオ先輩によって作られた二連のたんこぶを自作の治療薬を使い一瞬で治した挙句、自作の魔法薬で狩りたてのワーラビットの肉を食べ頃まで熟成させてしまうほどの才能があるのだから、正に馬鹿と天才は紙一重を体現する方々である。
そんな先輩方から肉を受け取り口に入れたジンが「凄い! とっても美味しいです!」と驚きの声を上げている。同様に肉を口に入れた殿下も、僅かに目を見開いて肉を見ていた。
あの魔法薬、ルツェに教えたら大騒ぎだろうなぁ…………。
合宿前に持っていく薬を亜空間に収納しておく為に訪れた薬学科で、初めて見る魔法薬を見つけ用途を尋ねた俺に先輩方が使い方を実演してくれたのだが、その時の衝撃は凄まじいものだった。
肉類というのは仕留めて直ぐに食べると固くあまり美味しくないので、一般的には仕留めてから数日置いて食すことが多い。しかし、冒険者ともなればそんな贅沢を言っていられる訳もなく、仕留めた獲物を即食べなければならない時の方が多い。それこそ、魔法の使えない冒険者達は亜空間に収納することが出来ないので数日分の保存食を持ち、残りは現地調達というのが普通だ。
しかし、サナ先輩の作った【丸秘 熟成薬】を使えば、獲りたてのお肉もあっという間に食べ頃に大変身である。あの魔法薬には肉の熟成を急速に進める効果がある。何故そんなものを作ろうと思い立ったのかはさっぱりわからないが、画期的な発明だと思う。
運送に馬車や人間を使っているこの世界では運ぶのに時間が必要な為、食品を長持ちさせる方法を考案している者は多くいるが、逆の発想をする人間は少ない。
しかし、食べごろを早めるというのは冒険者にとっては持ってこいの効能だろう。食事は人間の活力源だし、美味しいものが食べられるなら冒険者達だって嬉しいはずである。
恐らく正式に売り出せば莫大な富を生むだろう魔法薬とその製作者を想い、世界の不思議を実感する。画期的な目の付け所とそれを実際にこの世に生み出す手腕と才能は称賛に値するが、性格が残念過ぎる。いや、いい方達だし、頭の回転も速い。常識だって知っているし、礼儀も知っている。知っているのに『兄貴』の呼称に関してだけは中々折れない先輩方の頭の中は一体どうなっているのか? とても不思議である。
「世の中って不思議に満ちていますね」
「彼奴らみてっとそう思うよな」
「ええ、本当に」
「ドイル様! 美味しく出来上がりましたのでお味見をどうぞ!」
「ん? ああ。ありがとうな」
先輩方を見ながら改めて世界の不思議について考えているとレオ先輩が同意してくれた。折角レオ先輩が同意してくれたので、世界の不思議について語り合おうかと思ったが意気揚々とバラドがスープを持ってきたので受け取る。
期待に満ちた目で俺の感想を待っていたので、俺が不味いといったらバラドはどうする気なのだろうかと悪戯心が疼いた。しかし、言った後のバラドの反応を想像して最終的に料理店に修行に行くといい出しそうな気がしたので自重する。
そして「美味しいぞ」と言ってやれば、バラドは満足そうな表情で俺とレオ先輩にスープを盛ると、意気揚々と殿下達にもスープを渡すべく移動していった。そんなバラドの姿を目で追いながらスープを殿下や先輩方に差出している様子を見ていると、ジンと目が合った。
俺に気が付いたジンは嬉しそうに笑った後、スープを口に運ぶのを止めて口を開く。
「ドイル様! レオパルド先輩! お二人もこちらで話しましょう」
「「そうですよー! 折角ですからお話しましょー!」」
バラドから受け取ったスープを地面に置いたかと思えば、両手を口の脇に当ててジンが叫んだ。そして、ジンの声に便乗した先輩方も叫ぶ。
「…………どうすんだ?」
「ここで断った方が不自然でしょう?」
三人の声に心配そうに判断を仰いだレオ先輩に声をかけながら、俺はゆっくりと腰を上げた。先ほどまではすぐ側でバラドが調理していた為ここに居てもおかしくはなかったが、調理を終えたバラドが向こうに移動した以上、ここに居ては不自然だろう。
三人の声にようやく俺に視線を向けた殿下の側は気まずいといえば気まずいが、避ける訳にはいかない。そんな事をしては、それこそ幼馴染に戻れなくなってしまう気がする。殿下が何を不満に思っているのか俺には分らないが、この合宿中にははっきりさせないといけない気がするのだ。
「行きましょう」
そう告げて歩き出した俺の後を、レオ先輩も追うように立ち上がった。そして、じっと俺を見下ろした後、ポンと頭に手を置いたかと思えば、次の瞬間、ぐちゃぐちゃに掻き混ぜ始める。
「何するんですか!」
「…………あんま、無理すんなよ」
前が見えない程髪を乱され思わず声を上げれば、レオ先輩は俺の声にぱっと手を放した。そして、聞こえるか聞こえないかの声で俺にそう告げると自分はさっさと歩きだし、ジンと騒いでいたリェチ先輩を足蹴にしていた。蹴られたリェチ先輩が抗議していたが、レオ先輩はそれを適当に流すと先輩方の間に腰を下ろす。
レオ先輩の一連の動きを目で追いながら、ぐちゃぐちゃにされた髪を適当に直して俺も後を追う。急に何をするんだと、憤慨しながらレオ先輩を追ったが途中でふと、とあることに気が付き、足を止めた。
…………さっきからやたらと側に居ると思ったら、そういうことか。
俺の不安を見透かし心配して側に居てくれたらしいレオ先輩に今さら気が付き、頬が熱くなった。ジンに絡む先輩方をしきりに気にしつつも腰を上げなかったレオ先輩の優しさに気が付いてしまい、居た堪れない気持ちで一杯になる。
もしかして、俺が不安そうに殿下を見ていたの、バレバレだったとか?
適当な理由をつけて火を分けて調理していたバラドや、わざわざ俺に声をかけたジン。先輩方…………は、分らないが、もしかして全員気を使ってくれていたのだろうか、と恐ろしい想像が浮かぶ。しかしかなりの高確率で当たっている気がする己の想像に、昨日の行軍から今日の午前の行動を思い出し、さらに頬が熱くなっていく。
い、行きにくい!
今朝の別れ際、これでもかというほどすり寄ってきたブランや、名残惜しそうに別れて行ったルツェ達やエレオノーラ先輩の姿が次々と浮かんでくる。果てはリュートとの勝負後のバラドの言葉まで思い出し、体中が一気に熱くなる。同時に己が今までどれだけ一杯一杯だったのかを改めて認識し、今すぐ逃げ出したくなった。
平気な振りしていたつもりだったが、周囲からみればまったく大丈夫そうじゃなかったということである。心配されないように隠していたつもりだったのに、筒抜けだった上に滅茶苦茶心配されていたなど、とんだ間抜けだ。しかも、そんな間抜けな俺を皆心配して、黙って見守ってくれていたというのが余計に羞恥心を煽る。
今さら気が付いた己の滑稽さに、無性に叫びたくなったがそれをやってしまうと変人のレッテルを張られるに違いないのでぐっと我慢し、内心で身悶える。やり場の恥ずかしさに視線をうろうろ彷徨わせていると、バチッと殿下と目が合った。
しかも、また直ぐに逸らされるかと思ったその視線は外されること無く、殿下はそのままじっと俺を見ていた。そして最後に俺の顔を見てフッと笑った後、口角を上げた。
「いつまで待たせる気だ、ドイル。さっさと座れ」
楽しそうな笑みで俺にそう告げながら、己の正面を指し示した殿下に返す言葉など無く。
俺が周囲の人々の心配に気が付くのをずっと待っていたらしい殿下に、俺は本気でこの場から逃げたくなった。
ここまでお読みいただきありがとうございました。