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第三十七話

 一週間に渡って行われた馬術の授業も終わって早や一月。

 馬術の授業はブランとの出会いやリュートとの勝負など色々あったが、最終日に行われたテストは簡単な歩行と障害のみだったのであっさりと終わりを迎えた。

 その後にあったことと言えば、バラドに『セレジェイラ』という名の女性とリュートの関係を調べて貰ったくらいだ。


 セレジェイラ・フォン・ブルーム。

 サラサラと零れる艶やかな黒髪に、鮮やかな蒼い瞳を持った彼女はブルーム侯爵家の次女でクレアの乳母姉妹である。グレイ殿下とクレアの母親である王妃様のメイドとしてついてきた貴族令嬢を母に持つ娘で、異国情緒あふれる硬質な雰囲気を持った女性だ。


 そんな彼女はリュート・シュタープと浅からぬ仲らしく。まぁ、簡単に言えば恋人同士ということだ。学年も違う上に、侯爵家の令嬢と馬の名家の息子にどんな出会いがあったのかは分からないが、バラドの集めた情報によると将来を誓い合った仲らしい。


 しかし現在、彼女の母親の母国のとある貴族との縁談が浮上している。どうやら俺が馬鹿息子だった時に、クレアの新しい婚約者として名乗りを上げた王子の付き人に見初められ、高等部を卒業と同時に嫁入りする話が水面下で行われているようだ。


 つまり、リュートは愛しい彼女の婚約者になりたかったが平民の身では叶わず、かといって己が彼女に釣り合う身分まで成り上がるには自身の能力の質的に時間が掛かる。以前はそれでもよかったのだが、俺がふらふらしていた所為で彼女は身分の釣り合う他国の貴族に求婚されてしまい、今のリュートでは立場的に公に異議申し立てが出来ない。


 俺がしっかりしていればクレアに他の縁談など来なかったし、セレジェイラが見初められることもなかった。というのがバラドに調べて貰ったリュートとセレジェイラの関係であり、前回リュートが俺に勝負を挑んできた理由だった。


 俺の所為と言えば俺の所為なのだが、全てを俺の所為にされても困る案件である。

 そもそも王女の乳母姉妹で侯爵家の令嬢ならば、縁談などいくらでも来るだろう。セレジェイラ自身、異国情緒あふれる美人らしいし、遅かれ早かれ二人がぶつかっていた壁だ。


 しかしそうは思うものの、クレアの乳母姉妹であり、メイドであるセレジェイラが、このままリュートと別れ望まぬ婚姻をしたとなればクレアが悲しむのは目に見えている。

 その為、俺だけの所為では無いだろうと切り捨てて、見て見ぬ振りをするのは難しい。何より、俺がクレアの悲しむ顔など見たくない。


 それにこの件を上手く解決出来ればリュートとのわだかまりも無くなる。むしろ恩が売れるかもしれないと思うのだが、内容が内容だけに難しい。

 社交界に伝手の無い俺では外堀から埋めるのも難しく、中々悩ましい問題である。


 あの頭でっかちな印象があるリュートが、身分違いの恋に身を焦がしていたこと、さらにはそれが原因で危ない橋を渡ってまで殿下に近づこうとまでしたことには驚いたが、恋は人を変えるということなのだろう。 


 ………………俺もクレアが今すぐ他の男と結婚とかなったら、冷静でいられるか分からないしな。 


 ここ数年はっきりと顔を合わせたことはないが、きっと美しく成長しているであろうクレアの姿を思い浮かべ、さらにその隣に俺以外の男を思い浮かべ何とも言えない気分になる。

 引く手数多な彼女に己がふさわしいとは思えないが、待っていると言ってくれた彼女を迎えに行くのは俺の役目であって欲しい。俺みたいな男をあそこまで想ってくれるのは、後にも先にもクレアだけだろうしな。


 そう思えば思うほど、リュートとセレジェイラを見捨てにくく感じる訳で。俺とクレアをリュート達と重ねる訳では無いが、出来るのならばなんとかしてやりたいと思ってしまうのだ。




 公の場でリュートが得意な馬術で勝利した上に、殿下に近づかないという言質をとったのは大きな収穫だったと思うが、同時にその所為で知ってしまった新たな問題に頭を悩ませる。

 こういった案件は殿下に相談するのが一番いいのだが、今の状況ではそれも叶わない。

 あの馬術勝負後、殿下に逃げられた日からまともに話し合えていない殿下と俺の間には、現在微妙な空気が漂っている。そんな状況で殿下に相談などできる訳がない。


 あの日、背を向けて逃げるという殿下の態度に大きく動揺したものの、冷静に考えれば俺の自業自得な訳で。あれだけ同じ班になったことを喜んでくれた殿下に理由も言わず、班員の権利をかけて勝手に勝負したのだから、殿下のお怒りももっともである。

 俺が悪いのは明らかなので、早く謝りたいと思っているのだが、何だかんだで謝ることが出来ず、とうとう合宿の日を迎えてしまった。



 そう。

 今まで散々現実逃避よろしくリュートの事やセレジェイラの事を考えていたが、実は今現在、ジンを先頭にバラド、殿下、レオ先輩に先輩と同じ薬学科の双子リュチーチ・テラペイア先輩とその妹であるサナーレ・テラペイア先輩、そして最後尾に俺がつき、深淵の森と呼ばれる森で魔獣狩りしている真っ最中だったりする。


 今回の合宿は初回ということで、そこまで大変なものでは無く。合宿を行う深淵の森に己の馬に跨って向かい、近隣の村で一泊し、翌日から三日間班ごとに森で野営し薬草採取や魔獣の素材を集めるというものだ。


 この合宿の主な目的は近隣の畑を荒らす下級魔獣の間引き作業である。定期的にやらないと村人では対応できないような強い個体が生まれてしまうこともあるので、学園の生徒達が合宿と称してこの森を訪れるのだ。

 勿論、我々が入れる森の浅い部分で行われ、森の中には先生方が一定の距離を持って各所に常駐しており、何かあった時には対応出来るように配慮されている。また、生徒達が危険な森の深淵部にはいかないよう、その手の結界が得意な先生方が生徒達を見張っている。


 合宿の評価は集めた素材や食用出来る魔獣の肉などを合宿終了日の王都の平均取引額で換算し、金額が多い班順に高得点が貰えるという現実味溢れたシビアな評価方法である。

 その為あまり攻撃力に自信の無い班は、王都の流行や不足気味の薬草を下調べして合宿に参加するのが主流だ。そうすることで需要が高く、高値で取引される素材を集め、少ない量でも上位に食い込むことが出来る仕組みになっている。


 稀に他の班と組もうとする者達もいるが採取物の分配で必ず揉めるので、近年は班単位の行動を取るのが暗黙の了解になりつつある。なので、今回はルツェ達とは別行動だ。まぁ、エレオノーラ先輩達がいるので、あちらのことはあまり心配していない。


 …………むしろ、俺がどうするかだよなぁ。


 前方に見える殿下の姿を視界に収めながら誰にも気が付かれないように、ひっそりとため息を吐く。

 リュートとの勝負を断らなかった一件以来、殿下と満足に話せていないという事実が俺の胸に重くのしかかっている。リュートとの勝負のお蔭で、あれ以降合宿の班分けに異議を申す者はいなかったが、殿下とは微妙な空気になるわで、何度も落馬して痛い思いをしたというのに散々な結果である。


 ………………ブランとの仲はこれでもかというほど深まったけどな。


 合宿中、乗ってきた馬達は村で馬牧場の職員方が預かってくれるのだが、俺と離れるのを嫌がり数人がかりで引き摺られて行った今朝のブランを思い出す。

 悲痛な嘶き声をあげ、村人の注目を集めていたブランは日に日にバラドに似てきている気がするのは、俺の勘違いでは無いだろう。


 って、また現実逃避してどうする、俺。


 考えなければと思っているのに、ついつい殿下から思考がそれてしまうのは、答えの出ないこの状況に嫌気がさしているからだろう。似てきた側仕えと愛馬に嫌な予感を感じるのも確かなのだが、今俺が考えるべきなのはリュートやセレジェイラ、ブランのことでなく不可解な殿下の態度だろう。


 はっきりと殿下に避けられている訳では無い。会話も成立するし、合宿で組む先輩方を紹介した時も殿下は、穏やかに挨拶していた。しかし肝心の、リュートの勝負を受けた時の話をしようとすると、その会話を避けるように話題を替えられてしまうのだ。


 早く殿下に謝ってしまいたいがその話はもういい、謝罪など聞かん! と言わんばかりの殿下の態度に二の足を踏んでしまい、それ以上話題を掘り下げる事が俺にはできなかった。


 ……呆れられてしまったのだろうか。


 足場の悪い森の中を振り返ることなく前へ進む殿下の背を追いながら、ふと浮かんだ考えに胸がぎゅと締めつけられた気がした。

 そんな俺と殿下の微妙な空気を感じ取ってか、皆黙々と歩いては出会った魔獣を倒し、採取を繰り返している。あのノリのいいレオ先輩の取り巻き方でさえも、口を噤み何事かを真剣に考えているくらいだ。

 折角組んでいただいているのにこんな空気で申し訳ないと思うが、解決策も無く正直、俺自身どうしたらいいのか分からない状況だ。


 殿下に話しを聞いていただくにはどうするべきか、周囲に気を配りながら考え込んでいると、先頭を歩いていたバラドが足を止めた。


「――――ここから八百メートルほど先に、大きめのワーラビットの群れがいます。数は…………十匹ですね」

「では先ほどと同じ通り、先輩方とバラドは少し離れた所で待機。ジンとドイルは俺と来い」

「はい」

「畏まりました」


 立ち止まりそう告げたバラドの言葉にグレイ殿下が皆に指示を出す。その際、一瞬殿下と目が合ったがふいっと逸らされた。他の者達と同様に話しかけてはくれるが、他の者達と変わらぬ仮面をかぶったままの対応と、ふとした時に逸らされる視線が殿下との壁を感じさせる。

 避けられているとか嫌われた訳では無さそうだが、ガラス一枚隔てたような違和感に言いようのない不安を感じる。自業自得とはいえ、この距離感がもどかしい。


 殿下との距離感に頭を悩ませている内に、目標のワーラビットが視界に入る。

 純白のふわふわした毛玉達が一か所に集まり草を食んでいる様子は、微笑ましくささくれだった心を和ませる。しかし、その和やかな情景も近づくにつれ徐々に緊張感に変わっていく。

 ワーラビットは遠目で見る分には可愛らしいのだが、近づくと前世のウサギの三倍はある体と指二本分よりも太い前歯が威圧感を与えるのだ。毛皮と顔が愛らしい分なおさら。


「――――いた。いくぞ」


 僅かに緊張感を孕んだ殿下の言葉に今まで思考を閉めていた事柄達を追い出し、目の前の敵に集中する。悩ましいことが多すぎてすっきりしない気分ではあったが、この合宿で殿下に万が一があっては、リュートのことを偉そうに非難した俺の立場は無い。


 俺はそう自身に言い聞かせ、ワーラビットの群れに向かった二人の後を追った。




ここまでお読みいただき、ありがとうございました。

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