第三十六話 バラド・ローブ
今回はバラド視点です。
馬の名手で知られるシュタープ家のご子息であるリュート殿をドイル様が下したことによって活気づく観客とは裏腹に、立ち去ったグレイ殿下の背を見送り立ち尽くすドイル様に近づきます。
唖然とした表情を浮かべながらグレイ殿下が立ち去った方角を見つめ続けるお姿に胸が痛みました。
しかし、今回の件に関してはドイル様も悪いのですよ、と心の中で愚痴ります。
知ってらっしゃいますか? ドイル様。
誰よりも力になりたいと思っている方に頼って貰えないと言うのも、存外苦しいものなのですよ。
お強いが故に頼るという選択肢を持とうとしないドイル様に心の中で語りかけます。同時に一筋縄でいかないのだろうお二人のこれからに、溜息が零れそうになるのを慌ててのみ込みました。
今は、未だに立ち尽くすドイル様をお連れする方が先決ですからね。
「ドイル様。休まれるなら一度学園に戻りましょう? 温かいお茶を用意いたしますので」
そっとドイル様に近づいてお声をおかけすれば、ゆるゆるとした動作でドイル様は私に視線を移します。常ならばその意志を反映し、強い光を宿す紫水晶のお瞳も今日ばかりは弱弱しく揺れている様に感じます。
「バラド」
「ドイル様もブランも朝早くから練習しておいででしたし、一度休憩なさられた方が宜しいかと」
「………………そうだな。戻るか」
私の言葉に薄く微笑んでブランから降りられたドイル様に、ギュッと手を握ります。しかし私の心境を知るはずもないドイル様は、ブランに労いの声をかけながら、ルツェ達やレオパルド先輩方が集まる場所に向ってゆっくりと歩き出されたので、私も慌ててその背を追います。
そうやって、貴方はいつだって一人で歩まれる。
グレイ殿下の態度にお心を痛めたはずなのに、何も言わずに微笑んだドイル様に苛立ちが募ります。
いつだってその背を追うことしか出来ない己のなんと不甲斐ない事でしょう。私にもっと力があったら、肩を並べて戦うことが出来ればドイル様はもっと私を頼って下さったでしょうか?
いいえ、きっとドイル様は私がドイル様よりも強くてもきっと頼っては下さらないのでしょう。誇り高いドイル様はどんなに苦しくても他人に弱音を吐くことをよしとはしません。そうでなくとも私達部下を心の底から頼って下さることは無いように感じます。
…………私達部下はドイル様にとって、守るべき人間ですから。
勿論、グレイ殿下とクレア様も。
お優しい方なのです。
ルツェ達が組むお相手を己の目で確かめられたり、ご自分に余裕が無い時でさえ、ただの側仕えとの約束を頑なに守り、私の前では荒事になるような事態はなさらないよう気を配って下さるような方なのです。槍の一件のように、可能性は無いと分っておられても、周囲の期待に応えようとなさる方なのです。
そんな優しくお強いドイル様は、私にとって至高の主人であると私は胸を張って言えます。誇り高く、常に完璧であろうとされるドイル様はこの世に二人とはいない素晴らしいお方です。
ですが、その強さが私はとても憎らしい。
主人の長所を誇りこそすれ、忌々しく思うなど側仕え失格でしょう。ですが矛盾するこの胸中、グレイ殿下ならばきっとわかって下さると思います。
あの日。
『私は父上にそう聞かれた日からずっと、殿下の隣がいいと、隣に立ちたいと思っています。だからどんなに殿下が私を助けたいと思ってくれても、その手を取ることはしない。私は王に仕え跪くのではなく、父上のような王の隣に並び立つ【英雄】になりたいと思うから』
強い決意の籠ったドイル様のお声は、思わず息をのむほど力強く優しくて。グレイ殿下だけは頼らないと仰るドイル様のお気持ちがよく分かりました。その理由も。
しかし同時に、言葉にできぬ悔しさが込み上げたのは、私だけではないでしょう。
あの時、遠目に見えるドイル様とジン様のお姿を見るグレイ殿下の表情に変化はありませんでした。しかし、その胸中を表すかのように地面の上で固く握られた拳の先には数本の溝が出来ており、素手で掻いたにしては深く抉れている地面の跡が、何よりもその胸の内を表している様に私には感じられました。
ゆったりとした足取りでブランを引いて歩く主人の背を追いかけながら、ドイル様とジン様の会話を盗み聞きしていた時のグレイ殿下のお姿を思い出し、再び零れそうになる溜息をのみ込みます。
お二人の会話を盗み聞きしていたことは、ドイル様にもジン様にも内緒にするようにグレイ殿下から仰せつかっております。
ドイル様抜きにグレイ殿下と顔を合わせるのは初めてのことでしたので驚きましたが、ドイル様の本心が知りたいと仰るグレイ殿下のお言葉を拒む理由など私達にはありませんでした。ソルシエの魔道具と私のスキルがあればグレイ殿下のお望み通り、ドイル様に悟られることなく盗み聞きするぐらいできます。
己のお心に正直なジン様に演技など出来ないであろうと仰るグレイ殿下のお言葉には深く賛同致しましたので、殿下の存在は伏せて私達からのご提案という形でジン殿をお誘い致しました。
実際、先ずは適当な世間話からというエレオノーラ先輩の助言を取り入れお加減を聞いたのは良かったものの、そこから雑談する訳でも無くドイル様に誘導されいきなり本題を切り出したジン様に人選ミスだったのではと、グレイ殿下が頭を抱えられる場面もありました。
結局、ジン様の御心を確かめる形でドイル様がその胸中を語って下さったので目的は達成されましたが。やはり、ジン様は謀に向かない人種であると再認識した次第であります。
ジン様の一件など細かな不手際はございましたが、やっとの思いで聞くことが出来たドイル様のお言葉は大変もどかしく。
隣に立ちたいと言われながら、しかし頼ることはないと告げられたグレイ殿下は一体どんなお気持ちだったのかは、私には到底推し量れませんでした。
ドイル様にお仕えする私とグレイ殿下の立場は大きく違います。私が感じた悔しさなど目では無い程、グレイ殿下の胸中は複雑だったに違いありません。しかし、あの時私が感じた悔しさと似たようなものをきっと殿下も感じておられたと思います。私達などよりもずっと強く。
次期国王と二代続けて【勇者】を輩出した公爵家の継嗣。
お互いに多くのモノを背負われているお二人が、私とルツェ達のような気楽に頼り頼られる友人関係を築くことはとても難しいのでしょう。それに全てをその手で守り、お一人で背負いたがる、よく似たお二人です。
お二人の本質は優しくお強い。
そうそう他者の助けを必要としない程に。
お互いがお互いを大切に思い守ろうとなさる所為で、なかなか上手く噛み合わないお二人の関係は、部外者が口を出したところでどうにかなるものではないでしょう。
…………お二人とも頑固、いえ。一度決めたら決して折れない強いご意志をお持ちですからね。
出迎えたルツェ達やレオパルド先輩、エレオノーラ先輩達からかけられる祝福の言葉に頷き、普段通りに振る舞われるドイル様のお姿が私は悔しくてたまりません。
グレイ殿下の手はと仰いながら、結局誰の事も頼ってくれはしないドイル様がもどかしくて、その程度の力にしかなれないこの身が酷く悔しい。
ドイル様が道を誤ったことを悔いているのは知っております。
己を見つめ直し、償おうとなさっていることも。
けれども、お一人でそこまで頑張る必要は無いと思うのです、ドイル様。
私やルツェは勿論、エレオノーラ先輩の一件でソルシエやジェフだってドイル様を見直しましたし、レオパルド先輩だってお側におります。アラン様やセレナ様やゼノ様やメリル様、私の祖父や父上もおります。クレア様やグレイ殿下だってお側に居て、何かあったら力になりたいと思われているはずです。
何故ドイル様はその事を分かって下さらないのか。
…………違いますね。
私達がそう思っていることを知っているからこそ、頼って下さらないのでしょう。己に厳しいドイル様はこれ以上周囲に甘えてはならないと思っているのでしょう。もう散々迷惑はかけたからと。
しかし、ドイル様がそう仰るならば、勝手な期待を押し付けた私達は一体どうやって償うべきなのでしょうか?
入学式と模擬戦と、ようやく吐露して下さったドイル様のお言葉に反省したのは私達もなのですよ、ドイル様。
貴方がやり直したいと願ったように、私達ももう一度やり直したいと思っているのです。
祖父からゼノ様が大元帥の地位を退こうとなさっているというお話を伺いました。ルツェからヘンドラ商会はドイル様につこうとしているお話も聞いております。レオパルド先輩もドイル様を認め部下になりました。ヘングスト先生が仰ったように学園の先生方もドイル様を見守っております。王も入学式でドイル様の過去を許し、最近は保留にしていたクレア様の縁談を全てお断りしていると伺っております。クレア様はドイル様がお贈りした紙薔薇をお暇があればずっと眺めているそうです。グレイ殿下はドイル様が戻られるのを待つと宣言されております。
私達は皆、もう一度ドイル様との関係をやり直したいのです。
頼って欲しい、と思っているのですドイル様。
中々上手く伝わらない思いをもどかしく思いながら、ドイル様を囲む輪に加わります。多くの人々に囲まれながらもその手を取ろうとしないドイル様が焦れったくて仕方ありません。
昨日、グレイ殿下達と別れドイル様の元に戻った際、当然のように約束は守ると仰ったドイル様に、私は我慢しきれませんでした。
ええ、それはもう身に染みて、ドイル様が一度口に出したお約束を違える方ではないことぐらい、分かっておりますとも。分かっているからこそ、当然のように私達を守ろうとするドイル様のお言葉に、己の無力さを突き付けられているようで苛立つのでございます。
何も知らないドイル様のお言葉に、八つ当たりするように心配していると告げた私は、側仕えとしてまだまだ未熟だと痛感いたしました。私もいつかお爺様のようにドイル様に頼っていただける側仕えになれるよう、より一層の精進が必要でございます。
そんなまだまだ未熟で至らない身でありますが、それでも叶うなら。
ドイル様の弱音を聞かせて欲しいと思うのは、私の我儘でしょうか。
「戻るぞ、バラド」
「はい」
その普段と変わらぬドイル様のお姿に胸がうずきます。
決して周囲を頼ろうとしないドイル様の強さが誇らしくも忌々しく、優しさが嬉しくも口惜しくて、伝えきれない想いが焦れったくて酷くもどかしい。
「ドイル様」
「なんだ?」
「何かございましたら、バラドにお言いつけ下さいね?」
「……急にどうした?」
「ドイル様のお力になれればと、バラドは常に思っております」
「そうか」
何事もなかったかのように歩き出そうしたドイル様を見て思わずでてしまった私の言葉に、ドイル様は虚をつかれたような表情をなさりながらも頷いてくださったので私も力強く頷き返します。
そんな私の態度を不思議そうにしながらも、再び歩き出したドイル様の背を私は追います。
至高の主人でありながら、忌々しく焦れったいこの方の背を、私は一生こうやって追いかけ続けるのでしょう。
ピンと背筋を伸ばし、真っ直ぐ歩まれる主人の背を見ながら、早くドイル様が私達もやり直したいと願っていることに気が付いて下さる事を祈って、私は口を噤みます。
一刻も早くドイル様に気が付いて欲しいとは思うものの、悔しいことにドイル様にそれを気が付かせるのは私では無く、グレイ殿下のお役目だと思うのです。
私達の後悔や、差し伸ばされた手などドイル様に知っていただきたいことは山ほどございますが、それを私がお伝えするのは何か違う気がするので、お側で見守ろうと心に決め。
もうすぐ行われる合宿に思いを馳せながら、私はこの似た者同士な幼馴染方が和解して下さるのを心の中でひっそりと祈りました。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました。
次話からまたドイル視点に戻ります。