第三十四話
「よく逃げずに来たなドイル!」
「逃げる必要など無いので」
約束の時間に指定されていた場所に向えば、ついた途端リュートに絡まれる。広場には既に障害飛越の準備がなされており、野次馬達も沢山集まっている。障害の置かれた広場を囲む様に出来た人垣の中にはレオ先輩やルツェ達とエレオノーラ先輩達、そしてヘングスト先生とジンと共にいる殿下の姿があった。
何の表情も浮かべずじっとこちらを見ている殿下が今何を思っているのかは分からない。しかし、それでもこうやって心配して見に来てくれたらしい殿下の姿にほっとした。完全に見放されていたらどうしようと不安だったのだが、この場に居てくれると言うことは少なからず俺の事を気にかけてくれているということだろう。
「余裕ぶっていられるのも今うちだ! 俺が乗馬でお前ごときに負けるはず無いからな!」
始めに言葉を交わしたきり、リュートの存在を無視して周囲の観察をしていた俺に痺れを切らしたのかリュートがそう叫んだ。こちらを睨みつけながらそう告げるリュートに俺が何か言おうと口を開く前に、バラドが動きそうになったので目で制止する。
此処にくる前にあれほど俺の受けた勝負だからと言い聞かせたと言うのに、ちょっと俺が悪く言われただけで反応するバラドは過保護すぎると思う。そんなに心配せずとも、俺とブランがリュートに負けるはずがない。
「勝負はやってみなくては分りませんよ?」
「言ってろ! 勝つのは俺だ!」
俺を怒鳴りつけるリュートを見て、殿下に比べて迫力がいまひとつだなと思う。内心を知られればそんな余裕ぶっていていいのかと思われるかもしれないが、正直何を言われても俺は負ける気がしなかった。
リュートの連れている栗毛の馬もいい馬と言えばいい馬だが、ブランには劣る。乗馬技術だって確かにリュートの方がスキルを多く所持しているだろうが、俺とリュートの身体能力には大きな差がある上に、俺は昨日【人馬一体】というスキルを取得している。
【人馬一体】はその名の通り、馬と心身を一つにするスキルである。意思疎通が容易になる上に乗る者の能力によって馬の速さや脚力に補正がかかる為、元々一級品のブランに俺の能力値に比例した補正がかかるのだ。
お蔭で昨日の最後の練習ではこの学園の歴代最速と同等のタイムを叩きだしている。
散々落馬していたと言うのに、突然ラストのオクサー障害をひょいひょい飛び出した俺をバラドが再度疑いの目で見ていたが、なんとか誤魔化しておいた。まぁ、最終的にはバラドもいつも通りスイッチが入り俺を称賛していたので、問題は無いと思う。
俺を称賛するバラドの姿に安堵する日が来るとは思っていなかったな。
昨日の事を思い出しそんな事を思う。俺に優しい殿下など殿下じゃないように、俺の中では静かなバラドなどバラドではなかったようだ。バラドの奇行に慣れたらしい己が若干心配になったが、別に俺に害がある訳ではないのでいいということにしておこう。
そんな事よりも今は目の前のリュートに集中すべきだろう。先ほどリュートにも言ったが、勝負はやってみなくては分からない。どんなに余裕だと思っても、何が起こるかは分からないのだ。前世でも獅子搏兎という言葉がある様に、俺も全力を持ってリュートを迎え撃つべきだろう。
となれば、出来れば先行したいな。
やはりリュートは馬術に並々ならぬ自信があるようだし、先行してノーミスで俺がゴールをするのを見せつけ、心理的に動揺させてやれば勝機はさらに上がるだろう。
卑怯な考え方かもしれないが、リュートだって自分が絶対に勝つ自信のある分野で勝負を挑んできたのだ。俺もリュートも五十歩百歩だろう。
そう考えながらブランの上にいる為、必然的に見下ろす形で自信満々なリュートを見る。幸いなことにリュートは俺を見下しているし、これだけ自信ありげなら快く先行を譲ってくれそうだ。
「それでは始めましょうかリュート殿」
「そうだな。いい加減決着をつけてやる!」
「では、始めましょう。…………ところで俺はもう騎乗していますので、このまま先行させていただいてもかまいませんか?」
「ふんっ! 好きにしろ。後でも先でもどうせ結果は変わらんからな」
「ではお言葉に甘えて、先行させて頂きます」
思った通りリュートは快く先行を譲ってくれたので、お言葉に甘えスタート地点に向かう。それにしても大した自信である。まぁ、中等部時代の俺を見ていれば当然の態度かもしれないが、過去に囚われあの模擬戦を見ても俺の評価を改めないリュートには、やはり殿下は任せられないと思う。
貴族になりたいと言うからにはリュートにも譲れないものがあるのだろう。ただの愚か者では中等部トップには立てないし、一歩間違えば不興をかうだけで終わったかもしれないあの状況でリュートは殿下にくってかかったのだ。きっと叙爵を急ぐ理由が彼にはあるのだろう。それこそリュートから冷静さを奪う何かが。
しかしどんな理由があろうとも、俺の大事な幼馴染の隣に安易な気持ちで立たれては困る。
ここまで騒ぎを大きくしてまでリュートを駆り立てる理由は何のか。この勝負が終わったらバラドに調べて貰おうと心に決め、俺はスタート地点についた。
スタートの合図はヘングスト先生がやって下さるようで、少し離れた所から心配そうに俺の様子を窺っている。
「ブラン」
『はい! お任せくださいご主人様!』
「勿論。どの馬よりも信頼している。だから任せたぞ?」
『喜んでー!』
簡易な言葉であるにもかかわらず俺の言葉に興奮して嘶いたブランは準備万端だ。此処にくる前に一度飛んだ障害飛越は、タイムを計らなかったのが残念になるくらい速かった。
新記録を出したんじゃないかと思うくらい調子良く駆けた朝のブランを思い出し、思わず口元が緩む。
「どうせなら新記録出してみるか? ブラン」
『任せて下さい! 俺よりも速い馬など居りませんので!』
「だよな。お前が一番だ、ブラン」
『ご、ご主人様!』
スタート前にブランにたっぷり飴をやりながら俺はスキルを発動させていく。【拍車】や【天駆ける馬】、さらに【人馬一体】も。途端に、まるで己の足で地面に立っている様な感覚が俺を襲う。自然とブランと重なる息遣いや鼓動に、不安を感じる隙もない高揚感。ブランと繋がっている感覚にこの世界のスキルは反則過ぎると改めて思いながら、俺はスタートの体勢を取る。
スタート体勢を取った俺を見てヘングスト先生が旗を持つ手をあげる。あの旗が振り下ろされた瞬間から一分半に満たない時間で勝負は決まる。
負ける気は無い。
最後にちらりと、無表情ながら手が白くなるほど柵を握りしめ俺を見る殿下の姿を視界に収める。どんなに怒っていようとも、なんだかんだ言っても心配してくれる殿下の為にも負けられない。
そして、ヘングスト先生が旗を振り下ろした瞬間、俺とブランは一気に駆けだした。
ガッ! と力強く地を蹴り、駆けだしたブランは速かった。
1つ、2つ、3つと人の胸くらいの高さがある垂直障害をブランは平地を駆けるかのように飛び越える。そのまま4、5番目のオクサー障害の高さも飛距離もまるで関係無いとばかりに風を切るように飛んだブランの邪魔にならないように、飛ぶ時は前方に重心を移動させ、着地時は膝や股関節を柔らかく使い衝撃を逃がす。
次の障害だけを意識し、上体が沈まないように前方を見据える。そうすればブランは6、7と最初の3つよりも高さを上げた垂直障害も楽々飛び越えて、あっという間にラスト3つのオクサーのコンビネーションを残すだけになった。
スキルの影響か、ブランの息遣いと筋肉の収縮が俺の感覚を占める。あれだけ居たはずの野次馬達の声など一切耳に入らぬまま俺とブランは8、9のオクサー障害を飛び越え、ラストのオクサー障害に向かった。
ブランがラストのオクサー障害に向い駆けだした瞬間、俺は目を閉じ浮遊感に備える。数秒もかからずふっと体が軽くなったのを感じ、次の瞬間には膝から滑り落ちるような感覚で衝撃を吸収しながら目を開ける。
そして、ザザッ! とゴールまでの短距離を駆け抜け、一本もバーを揺らすことなく俺とブランはゴールした。
結構な勢いで駆け抜けたにもかかわらず、華麗な足さばきで減速し止まったブランを褒めるようにその首筋を撫でてやる。そんな俺達に周囲の野次馬達はざわめき立ってはいるが比較的静かだった。皆、俺の結果が出るのを待っているのだ。
ゴール際では何時の間にか移動してきていたヘングスト先生とゴール判定やタイム計測をしてくれていた馬牧場の職員方が何やらざわめいている。バーを揺らすことなくブランは完璧に走り抜けたので、審議することなど何もないと思うのだが、興奮気味にヘングスト先生に何かを訴える職員方を見ていると段々不安になってくる。
早く結果を言ってくれないだろうかと考えながら彼らを見ていると、ようやく落ち着いたのかゴールの審判を行なっていた職員が拡声器代わりの魔道具を取出して告げた。
「タイム、75・08! 加算タイム無し! 学園新記録です!」
おお! 新記録! と思った瞬間、わぁっ! と周囲が沸いた。
「流石だブラン!」
『ご主人様の素晴らしい馬術があってこそです! まるで何も乗せていないかのようで、とても走り易かったです!』
「いや、お前のお蔭だ。ありがとうな。お前が俺の馬でよかった」
『ご、ご主人様!』
結果を聞いてブランを褒め称えれば、ブランは嬉しそうに嘶いた。そんなブランに「この勝負が終わったら、よく手入れしてやるからな」と声をかけ辺りを見回す。学園の最高記録を5秒も縮めた俺とブランに周囲から称賛の声がかけられる。
不安そうに俺を見守っていたバラドやルツェ達、レオ先輩達やエレオノーラ先輩達も安心したように喜びあっている。見るからに喜んでくれている彼らの様子に、久しぶりに【風の囁き】を使いバラド達の声を拾えば「聞きましたルツェ! 最速記録を5秒も上回るなど流石ドイル様! それに白馬に跨り駆けるドイル様のお姿の美しさと言ったら――――」といった会話が聞こえたので俺は、彼らの会話を盗聴するのを止めた。
通常運転のバラドは安心するが、その手放しの称賛は何度聞いても耳が痛い。
バラドのあの称賛を表情一つ変えずに聞き流せるルツェは、流石は国有数の商家の息子とだといつも感心させられる。客の自慢話や惚気話は職業柄慣れているのだろうが、あのバラドの話を無心で聞いていられるルツェは尊敬に値すると常々思う。
そんな事を思いながらバラド達から視線を外した俺が次に見たのは、殿下とジンの姿だった。開始前は指先が白くなるほど柵を握りしめていた殿下は嬉しそうに、ジンに話しかけている。そんな殿下にジンも激しく頷いて同意を示しているのが見えた。
彼らの会話も盗聴してみるか迷っていると、俺が【風の囁き】を使う前にジンが此方を見た。その目はいつぞやの模擬戦の後のようにキラキラ輝いており、俺が見ていることに気が付いたのか殿下に俺を指し示しながら、こちらに大きく手を振っている。
手を振りだしたジンにつられこちらを見た殿下はジン同様に手を振ろうとして、ハッとして止めた。そして急に無表情になるとふいっと顔を背ける。多分、俺が新記録を出したことを自分の事のように喜び、ジンの言葉に反応して喜びを伝えようとしたが俺が勝負を受けた一件を思い出し、まだ怒っていると言いたいのだろう。
隣に居るジンがそんな殿下と俺を困ったように見ていたので、俺は気にするなと手を振っておく。殿下の事だ、多分俺が謝っても簡単には許してくれないだろうがそれでいい。元々俺が悪いのは分っているので、見捨てずにいてくれるだけで俺は嬉しいからな。
この勝負が片付いたら殿下の気が済むまで怒られてこようと心に決め、俺は未だに感動に打ち震えているブランをこちらに呼び戻し、リュートの元へ向かう。
名を呼び撫でてやるだけで戻ってきてくれるブランの扱い易さに心の中で感動しつつ、向かったリュートは開始前と違い、大分顔色が悪くなっていた。思った通り、俺が先行して良い成績を収めたことでプレッシャーを感じてくれているようだ。
近づくごとにはっきり見えるようになるリュートの表情は強張り若干青ざめている様にも見える。
俺がノーミスで終えただけでも衝撃だっただろうに、最速記録を5秒04も縮めたのだ。それもこれだけの大人数の前で行われたことなので不正も何も無い。大半はというか七割ぐらいブランの力だが、あれだけ見下していた俺がここまでの好成績を出したことに動揺しているのだろう。
その上この沸き立つ野次馬達の中、リュートは少なくともノーミスで障害飛越を突破しなければならなくなったのだ。その重圧は計り知れない。まぁ、どんな理由があろうとも殿下の命を軽んじた人間に同情する気は無いがな。
「次は、貴方の番ですよ? リュート殿」
「わ、わかっている!」
「では、私はここで見ておりますので、リュート殿がご準備でき次第どうぞ」
「ふ、ふん! お前の記録など俺が直ぐに抜いてやるさ!」
リュートに声をかけながらブランから降りる。俺の言葉に動揺を見せながらも、俺を下すといって己の馬に跨ったリュートは、顔色を悪くしつつもしっかりとした姿勢で馬を歩かせスタート地点に向かっていった。
その後ろ姿に一体何がリュートを駆り立てるのかと思う。同時にこの状況下でも俯くことなく真っ直ぐに歩くリュートに敬服する。流石は中等部でトップまで上り詰めた男だ。肝が据わっている。
だからこそ、この勝負を申し込んできた時のリュートには違和感を抱く。いまさら違和感を抱くなど俺もあの時は相当頭に血が上っていたと思うが、本来リュートはとても冷静に物事を判断できる人間だ。頭の回転は勿論、自分の事を客観的に評価することが出来るし、相手の能力を分析し弱点を突くのが上手い。だから純粋な戦闘力では中の上程度でありながら、総合トップになれたのだ。
リュートは己が最短で貴族になるにはどういった方法が最適なのか分っているはずだ。そしてこの勝負は分が悪いことも、頭の中では分かっている。殿下の心証を悪くする可能性も。しかし、分っていてもなお彼はこの方法を選ばなければならなった理由があるのだろう。
その理由が俺がなんとかしてやれるものだったら、なんとかしてやろうと思う。どうもリュートの態度は腑に落ちないものだし、入学式の借りは返しておきたい。
どこか焦っているようにも見えるリュートの姿を観察しながらそう思った。
ここまでお読みいただきありがとうございました。