第三十三話
ブランの背に跨り、バラドの帰りを待つ。折角恥を忍んでジンからヒントを得たので早く障害飛越に挑戦したい気がするが、今まで文句一つなく俺につき合ってくれたバラドとの約束を破るのはいただけない。
しかし早く挑戦したい気持ちもあり、俺はブランに跨ってバラドの戻りを待っている。
ブランに跨っている俺の目線は二メートル以上ある。普段よりもずっと高い目線は気持ちよく、それでいて己の足で地面に立っているかのような感覚は馬ならではの醍醐味といえよう。
『ご主人様、来ましたよ~』
「ん? ああ。戻ってきたな」
逸る気持ちを抑えながら馬ならではの感覚を楽しんでいると、ブランがバラドの帰還を告げる。声に従いブランが鼻先を向けている方向を見れば、大きな荷物を抱えたバラドがアマロに乗って、こちらに向ってゆっくりと歩いているのが見えた。
馬上を楽しむ様にゆったりとアマロを歩かせていたバラドの姿を見ながら早くこちらに戻ってこないかなと思っていると、そんな俺の視線を感じ取ったのか、バラドとアマロが不意にこちらを見た。そしてブランに跨る俺を見つけて驚いたのか、口をカパッと開けた次の瞬間、凄い勢いでアマロを走らせこちらに駆け寄ってくる。
そんなに急いで馬を走らせては治療薬が割れてしまうのではと思ったのだが、バラドがそんなへまをするはずは無いと考え直し、俺は制止の言葉をかけることなくその場にとどまりバラドとアマロの到着を待った。
「ドイル様!」
一気に残りの距離を詰めて、互いの声が届く距離まで来るとバラドは俺の名を叫ぶ。その声には何処か咎めるような響きがあり、苦笑いが浮かぶ。そんなに心配しなくとも、あれほど念を押されたのだからバラドと交わした約束を破りはしないというのに、心配性な側仕えである。
「遅いぞバラド」
「何をなさっているのです! まさか、お一人で練習なさっていたのですか!?」
「失礼な。準備して待っていただけだ」
しかしそれだけ心配をかけている自覚があるので、心配し過ぎだという言葉は飲み込んだ。だというのに、アマロを停止させた途端バラドは凄い剣幕でくってかかってきたので、俺は約束通り大人しく待っていたことを主張する。
そんな俺に対しバラドは胡乱な目で俺の姿を上から下までじっくり観察している。見るからに疑っています! といった様子で俺を見るバラドに、ブランが不満そうに嘶いた。
『ご主人様はちゃんと待ってましたよ!』
「だよな。――――バラド、ブランもちゃんと待っていたと言っているだろう?」
「馬の言葉なんて私は分りませんので、証言に値しません!」
俺の味方をしてくれたブランに便乗してもう一度無実を主張したが、呆気なく却下された。中々手強いなと思いつつ、己の言い分をバッサリ切られて不満そうなブランを宥める為に首筋を撫でる。
「…………………………本当に、お一人で練習されていないのですね?」
「勿論。何処も怪我してないだろう?」
今すぐ練習を中止しろと言い出しそうな雰囲気に、どうやって懐柔すべきかと考えているとバラドの方から念を押すように再度確認してきたので、両手を広げてここぞとばかりに己の体が無傷であることを主張する。
いつもならば考える間もなく俺の言葉を肯定してくれるバラドであるが、今回はどうにも納得出来ないのか、俺の言葉に頷くことなく再度胡乱な目で上から下までじっくりと観察している。
そしてしばらくの間俺とブランを検分していたのだが、結局傷一つ無い俺にそれ以上の追及は諦めたらしく、聞こえるようにため息を吐いた後アマロから降りた。
「…………今回はドイル様のそのお言葉を信じさせていただきます」
「そんなに疑わなくとも、約束は守るぞ?」
渋々といった感じで俺の言い分を認めると言ったバラドにそう告げる。俺の言葉を聞いたバラドは、それでも不服そうというか何処となく悔しそうな表情を浮かべて俺を見た。
「わかっております! どんな時であってもドイル様が一度口にしたお約束を違えたことはありませんから! しかし、だからと言って御身を心配するかしないかは別問題です! ドイル様はアギニス公爵家継嗣であり、私の唯一のご主人様なのですからいくらだって心配致します!」
「…………そ、そうか」
レオ先輩から預かった荷物を地面に降ろし、半ばやけくそのように心配していると告げたバラドに驚きつつ、返事を返せば怒ったように「そうでございます!」と返された。どこか怒ったようなバラドの物言いに気圧されつつ、今回は見逃してくれるようなのでこれ幸いと俺はブランの手綱を持った。
「では、もう一度挑戦してくるから、バラドはそこで見ていてくれ。合図は頼んだぞ?」
「………………畏まりました」
アマロを水飲み場近くに繋いでいたバラドにそう声をかけ、俺はそそくさとスタート地点に向かう。その際バラドから返ってきた返事はやはりどこか不満そうだった。
…………クレアに花束を作った時も思ったが、普段従順に付き従ってくれるバラドに強く言われると逆らい難い空気を感じるな。
普段と違い、何処か反抗的な空気を纏っているバラドから逃げるように、スタート地点に向いながらそんな事を思う。それだけ俺が心配かけていると言うのも分かるが、どうもそれだけでないような気がするのは俺の気の所為だろうか?
レオ先輩の所で何かあったか?
と常にないバラドの雰囲気に首を捻りつつ、俺は辿り着いたスタート地点で体勢を整えブランに声をかける。
「ブラン」
『はい!』
「頼んだぞ」
『喜んでー!』
短く声をかければ、ブランは嬉しそうに気合の入った声で嘶いた。その声に再度頼むぞと言う気持ちを込めながらポンポンと首筋を叩く。
そして、気合のこもったブランに跨り俺もバラドの合図を待つ。ドクドクと己の心臓が脈打つのを感じながら、手綱を持ち上げ僅かに緩め、一つ目の障害を見つめる。
そして、目の端の映るバラドがスタート合図の旗を振った瞬間、俺は一気にブランを走らせた。
一つ目、二つ目、三つ目と垂直障害を飛び越える。続いて四、五番目のオクサー障害も飛び越え、六、七番目の垂直障害もブランは悠々と飛び越えていく。そんなブランの邪魔をしないように、ブランの動きに合わせてバランスをとる。そして、ラスト三つのオクサー障害のコンビネーションに向った。
高さも飛距離も感じさせないくらい軽やかに駆けるブランは、何の問題も無く八、九のオクサー障害を飛び越え、俺の指示通りラストのオクサー障害に向かう。
最後のオクサー障害に向かう途中、俺は目を閉じた。
目で見ずとも、足から伝わるブランの振動に合わせてバランスを取るのは案外簡単だった。槍同様、馬だって物心ついた時から乗っているのだから馬達がどれだけ賢く優秀かも身を持って知っている。たとえ俺の視界が見えず何の指示を出さずとも、馬達は己の駆ける道を知り、最善の状態で駆けてくれる。
故に目を瞑っていても何の不安も無く、俺はフワッとした浮遊感を感じながら、こんなに簡単な事だったのかとつい笑ってしまった。
――――――スキル【人馬一体】を取得しました――――――
新しいスキルの取得を感じると共に、ブランが地を踏みしめる感触を感じ俺は閉じていた目をそっと開ける。
「…………ありがとな、ブラン」
『礼には及びません! ご主人様の事は、ブランが何処へでもお運びしますので!』
バーを一つも揺らすことなくゴールした愛馬に礼を言えば、ブランは胸を張ってそう誇らしげに嘶いた。
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